第4話「背負うもの」
慶長二年、秀俊は明攻略の足掛かりとなる朝鮮への出兵における総大将を任じられていた。遠い異国での戦、生きて帰ることのできる保証は無い。秀俊は出兵前に隆景の自室を訪れた。
「ご気分はいかがでしょうか」
隆景は病床に付していた。年のせいもあってか、以前ほどの覇気は失われていた。
「秀俊ですか……。筑前での暮らしにも、慣れましたか……」
「はい、領民の皆様とも随分と……」
「そう、ですか……。貴方が無事に過ごせる場所を手に入れられて……良かったです……」
隆景は起き上がろうと手を伸ばしたが、力が入らない。
「隆景様、あまり無理はなさらないでください」
「す、すみません。可愛い我が子が見舞いに来てくれたのですから、つい……」
その言葉に秀俊は首を横に振った。
「私は、隆景様の養子です。……実子ではありません」
「例え、血のつながりがなくとも、貴方は私の、小早川の者ですよ……」
「隆景様……。わかりました。私は隆景様の息子として……」
秀俊の言葉に隆景は優しく笑みを浮かべた。
「ふふ、良き息子を得ました。秀俊……、貴方は貴方の役割を……見つけ……全うするのですよ……」
隆景はそう言うと静かに目を閉じた。
「隆景様? 隆景様っ!」
秀俊は隆景を呼ぶが、その呼びかけに答えることはなかった。
小早川隆景の死去。毛利家の指針をこれまで示してきた彼の死は毛利家中を揺るがした。
「秀俊……いや、秀秋だっけな。ちょっといいか」
広家が秀秋を呼び止めた。秀秋とは秀俊のことで、この頃、秀俊は秀秋へと名を改めていた。これは隆景の死により小早川家を継いだ秀俊の安芸、つまり毛利家への強い思い入れがあったとされている。彼は秋の字を名に入れることによって自ら毛利、小早川家の一員であったことを強く意識するようにしたのだ。
「広家さん? 何か?」
「いや、隆景叔父上の遺言を伝えに来たんだ」
「それなら輝元様も……」
「いや、当主様は呼ばなくても良い」
秀秋は不思議に思い、広家に尋ねた。
「何故でしょう?」
「叔父上は、俺たちに毛利家を任せるそうだ」
「!? 毛利家は輝元様が……」
「そういうわけじゃねえ。俺たちが頑張って毛利を守らなきゃならねぇってことだ」
広家は面倒くさそうに言った。秀秋には隆景の意図が読めない。
「毛利を……私たちが?」
「ああ。現当主の輝元様は優しくて優柔不断、そんな方だ。誰とも戦いたくない、誰も戦わせたくない。あの方が大国である毛利を代表して、他家とやり合うのは不可能なんだよ」
広家はそう言って秀秋をじっと見た。
「だから、俺たちが毛利を守る。吉川家、小早川家の俺たちが、その役割を担わなきゃならない」
「広家さん……」
「話はそれだけだ、じゃあな」
そう言うと広家は行ってしまった。
「役割……」
数ヶ月後、秀秋は朝鮮での戦を終え、慶長三年、伏見城で秀吉と面会した。
「おう、久しぶりじゃのう。今は……」
「小早川秀秋、でございます」
「おう、そうじゃったな。どうじゃ、最近?」
「嬉しいことに民にも慕われております。最近では……」
しかし秀秋の言葉を秀吉は遮った。
「残念じゃがの、お前は減封と決まっとるんじゃ」
「なっ! なぜでございます! 私は朝鮮で太閤様のため……」
「三成、説明したれ」
「承知しました、秀吉様」
秀秋の前に目つきの悪い男が現れた。秀吉の家臣として様々なことを取り仕切る官僚、石田三成である。
「小早川秀秋、貴様は秀吉様の命で総大将という立場にありながら、にもかかわらず加藤清正の救援を優先したそうだな」
朝鮮での戦いにおいて敵に囲まれた加藤清正を、秀秋は決死の覚悟で救援した。しかし秀秋は総大将という立場であったため、軽率な行動は軍全体を左右してしまう。三成はそのことを指摘した。
「は、はい。その通りでございます。しかし!」
「言い訳は無用だ。北ノ庄への減封とする」
「そのような……」
秀秋を見て三成は冷たく言い放った。
「決定したことだ、下がれ」
秀秋は仕方なく伏見城を後にした。三成の指摘を秀秋は思い出す。彼の言ったことは間違いではない。秀秋もそのことはわかってはいたものの、納得のできない思いも抱いていた。
「人を救う、その判断は間違っていたのでしょうか……」
そのとき、大柄な中年の男が声をかけた。
「何やら、思いつめた顔をしていますな」
「……貴方、もしや徳川家康殿ですか?」
徳川家康もこの頃、秀吉との交流で畿内を訪れていた。家康は秀秋の話を聞き、何度も頷いた。
「……なるほど、さようなことが。わしからも秀吉殿へとりなしてみよう。気を落とされるな」
「家康殿、ありがとうございます」
秀秋は深く頭を下げた。しかし家康は笑って秀秋の肩を叩いた。
「良いことを教えよう。わしも若いころは何度も苦労を重ねた。しかし、大切なことは自身の苦労を分かち合うことが出来る者のそばにいることだ」
「苦労を分かち合う者……」
「そうだ、お主にはそのような者はおるか?」
「いえ、私には……」
「そうか、ならいつでもわしの元に来るがよい。話を聞くことくらいしかできぬがな」
家康はそう言って去っていった。
やがて秀秋はそれからも度々、家康との交流を重ね、悩みなどを彼に打ち明けた。秀秋にとっては数少ない本心を話すことのできる友人として、家康にとっては他家の聡明な使者として、お互い様々な会話を楽しんだ。
数ヶ月後、秀吉の訃報がもたらされた。突然の出来事に、豊臣家は幼い秀頼が後を継ぎ、宇喜多秀家、上杉景勝、前田利家、毛利輝元、徳川家康といった有力大名が政務を担うことになった。彼らのとりなしによってやがて秀秋の減封は取り消し、翌年には筑前へと帰還することが叶った。
「お疲れさまでしたな、秀秋殿」
秀吉の死後、混乱していた政務を片付けた家康は秀秋と面会した。秀秋は笑って謙遜した。
「家康殿が手を貸してくれたからこそ、こうして筑前へと戻ってこれたのです」
「はっはっは。それはそれは」
しかし、家康はそこまで言うと真剣な表情で秀秋を見た。
「では、私からもお願いしたいことが……」
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