第16話 餃子



 八月の末日に父からLINEメッセージが来た。


『夏休みも今日までだね。お母さんがこの日になるとハルノを思い出すと言っています』


 なぜ、私を思い出すかと言うと。

 夏休みの宿題を下旬の終わり近くになってとりかかるダメダメな子だったからだ。

 学校の宿題から目をそらし、明日地球が滅んだら良いのにと夢想して一か月を過ごすスタイルはずっと…ずっとずっと続いた。

 ちなみに三歳上の兄は私と正反対の性格で夏休みが始まる前に課題をほぼ片づけてしまう人だったため、事が発覚して半狂乱になる母にいたく同情し、怠惰な妹には軽蔑のまなざしを送るのが夏の終わりの恒例行事だった。

 とはいえ、一か月近くぼんやり寝転がっていたわけではなく、長崎や山口の親戚を尋ねたり、父の会社の慰安旅行に連れて行ってもらったりと盛りだくさんで色々と経験させてもらった。



 そんな中、一番印象深かかったのは、『キャンプで餃子』だ。


 だがしかし、私自身は食べていない、多分。


 作っているところを見かけたところで記憶が途切れているのは、食べる前に知恵熱を出して救護室で一夜を明かしたからだと思う。

 へっぽこな私らしいオチだ。



 そのキャンプはそもそも親子で劇を観る会が主催だった。


 二か月に一度くらいのペースで劇団や楽団を呼んで劇場を貸し切って子供向けの演目を親子で観るという、情操教育を主とした団体に母が私を入れてくれた。


 そしてその団体は夏休みに子どもたちを預かりキャンプへ連れ出してくれていたわけだ。


 詳しくは分からないが、同行してくれる大人たちは主に二十代前半くらいまでの若者たちで、今でいうならボランティアだろうか。


 全体の規模も記憶がおぼろげなのだが、子供十人くらいで一つのグループとし、それに大人が二、三人ついていたように思う。


 二泊三日か三泊四日くらいで最終日の晩御飯はみんなで特別な料理を作って振舞いあう形の時に、その餃子は登場した。


 たいてい他のグループは定番のカレーとかだったのに、そこはなんと餃子。


 私の記憶違いでなければ、皮をこねることから始まったと思う。


 その餃子グループの世話役の一人はなんと私の母方の叔母だった。

 彼女はちいさな中華料理屋の娘である。


 私が小学生のころ、まだ二十代前半で独身だった彼女は会社勤めをしながらたくさんの習い事をして海外旅行へも行き、ついでにその団体にも入会していた。


 私たちは親族と言うことで別のグループに振り分けられ、もちろん当日までそれぞれが何を作るか秘密という決まりだったので、何を作るか私は全く知らなかった。


 だから、叔母がキャンプ場で餃子の具を混ぜ始めたのを見た時、「正気か」と子供心に驚愕した。


 キャンプ番組を見る限り今は色々と道具が揃っていて便利だが、当時はそうではない。


 まずリュックの素材が頒布でものすごく丈夫だけどものすごく重かった。

 昭和が舞台の山岳ドラマなどで時々見かけては、あのゴワゴワした手触りと重みを思い出す。

 やせっぽちの小学生が背負うには少し辛いものがある。

 それに寝袋と飯盒と自分の食器と米と着替えを詰めて行くのだ。


 野営地はキャンプ場なので食材は発注すれば用意してもらえるだろうが、ほぼほぼ料理初心者の子どもたちが野外で作る料理になぜ餃子を選んだ叔母よ!

 焚火でちゃんと火が通らなかったら事故になるぞ!


 と、心の中で叫んだところで記憶が途切れている。


 とことん繊細な子供だった私は、遠目に見守りながらやきもきしたが、いらぬ世話だ。

 ちなみに知恵熱の原因はそれではない。

 木の根と岩だらけのごつごつとした地面で眠れない繊細っ子だったせいだ。

 物語で難破ついでに孤島に流れ着いたらメンバーの中で一番に消えていくモブキャストがまさに私だ。


 話がそれたが多分、餃子パーティーは成功したのだろう。

 叔母は作り慣れていたから、何てことなかったに違いないと今は思う。


 その後祖父が出前の途中で事故に遭い、中華料理店をたたんだ後、祖父母と叔母の三人で暮らす家をよく訪ねたが、そのたびにふるまわれる料理の一つが焼餃子だった。


 一緒に作ったことは何度もある。


 祖母と叔母と母と私。

 時には里帰りでやって来た伯母と従妹たちが加わり、女ばかり賑やかなことこの上なかった。


 台所に折りたたみテーブルを置いてその上に店の名残りの丸木のまな板の上で具を刻んで混ぜ合わせ、強力粉をよく捏ねた皮をぱっぱっぱっと切り分けて丸めて綿棒で伸ばし、手際よく包んでいく。


 そして出来た大量の餃子をどんどん鉄鍋で焼くのだ。


 二口しかないちいさなレンジ台からは皮が焼ける香ばしい匂いが立ちのぼる。


 出来立ての熱々に酢醤油を付けてかぶりつくと、手ごねならではのもちっとした皮の食感と焼面の香ばしさ、そして豚のひき肉とショウガとニンニク、そしてキャベツとニラか葱(野菜に関して記憶がかなり曖昧)が程よく合わさり生み出す具の旨味に夢中になっていく。

 じゅわっと出てくる肉汁のあんばいは、大店で働いていた祖父ならではだろう。


 当時小食だった私でも何個も食べたくなるのが、この、母の実家で作られた餃子なのだ。

 それを食べつけていたため、よそで時折頂く薄皮タイプの餃子はなかなか慣れなかった。

 ただ、小学校の給食ではその薄皮の餃子が揚げてあり、パリパリのパリパリなスナック感覚の餃子だったので、それに関しては凄く好きで楽しみなメニューでもあった。


 祖父母が他界したのはもう二十年以上前。

 しかも晩年は二人とも認知症が始まり身体が不自由になっていたので料理どころではなく、あの美味しかった餃子と楽しい時間はずいぶん昔となってしまった。


 でも、ふとした瞬間に一口目を噛んだ瞬間を思い出す。


 そのたびに、叔母に会った時にレシピを教えてもらおうと思うのだが、このご時世でなかなか機会がない。



 あの夏の餃子はどんな味だったのだろう。


 ヒグラシの鳴く九重の森。

 今もとことんインドアでキャンプは映像で見るのが一番なままだけど、とても懐かしくなる思い出だ。




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