第8話 ハワイのアイスクリーム
父の仕事は営業職だった。
仕事の関係上、休日も忙しく家にほとんどいない。
でもそばにいればよく遊んでくれたので、面白いおとうさん、というのが私の中の父だった。
その中でも一番記憶に残るのが宝探し形式の「お小遣い探し」。
月に一度、学年数かける百円が貰えるのだが、怪盗とのクイズ対決で探し回ることになる。
例えば、朝起きると「お前の小遣いはあるところに隠した。黒い身体に白い歯、なーんだ」と書かれている父が書いたイラストつきのメモが枕元か机の上にあり、ピアノだなと見当をつけて蓋を開くと、そこにメモがあり、「ふはははは! 引っかかったな! ここにはないぞ。本当に隠し場所は…」と次なるクイズが記載されていて、また次を探す。
だいたい五か所くらい探って、ようやく手に入れるのが常だった。
途中で忙しくなったころはクロスワード一枚のみということもあったけれど、この宝探し形式はしばらく続いた。
とにかく忙し過ぎるおかげで、久々に父を見て「え? この人、すごく足が短い」と本気で驚愕したことがあるくらい(失礼だとは子どもなりに分かっていたので口に出してはいない)、まともに会えなかった。
ただ出張だった場合は、たいていお土産を買ってきてくれていた。
鹿児島なら軽羹饅頭、長崎ならカステラ、沖縄からサトウキビを一束持ち帰った時にはさすがに驚いた。
そのようなわけで、お土産がある時はどこか遠方へ仕事で出かけたと解釈していた。
しかし、仕事でないお土産が混じっていたのを知ったのはずいぶん後の事だった。
忘れもしない、とてもとても寒い冬のある日。
「ただいま!」
真っ黒に焼けた父が元気いっぱい、たくさんの荷物を抱えて帰ってきた。
その中になんと大きなアイスクリームが数個あった。
出迎えた母の機嫌は、雪が積もった外より冷え冷えとしていた。
その年の冬はいつもよりずっと厳しく、台所側のベランダに設置されていたガス給湯器が凍結して水道管が破裂、断水してしまった。
その真っただ中に帰宅した父はハワイ帰りだった。
しかも、大量のアイスクリームを手土産に。
激怒した母は、一口も食べなかった。
険悪な空気のなか私は、なんとかしようと頑張った。
己に出来ることは一生懸命アイスクリームを食べる事しか思いつかない。
「ねえ、美味しいよ、おかあさん」
嘘だ。
その当時、日本の淡白なアイスに慣れていた私にとって、アメリカのココナッツやクルミの入った濃厚なアイスは口に合わなかった。
スプーンですくって口に入れると、いつまでも舌の上がもったりとしていて重すぎる。
でも、消費してしまわない限り、冷凍庫で幅を利かすアイスを見るたびに母の機嫌は悪いままだ。
無邪気で明るい声を装って、必死になって食べ続けた。
生きた心地がしなかった。
ずいぶん後になって知ったのだが、父のアメリカ本土経由ハワイ帰りは出張ではなかった。
個人旅行である。
海外旅行に行きたいと言い出した父を、母は止めた。
子供たちがまだ幼くて手がかかるから、せめてもう少し大きくなってからにしてくれないかと頼んだ。
だが、父はきっぱりと言った。
「二十代で見る空と三十過ぎてみる空は違う」
これほど衝撃的な発言はない。
母は、あっさりと引き下がってしまった。
両親は二十代前半で結婚し、すぐに兄が生まれ、さらにその三年後に私も生まれた。
母は、早すぎる結婚を父が後悔しているのではと思い、真意を問うのが怖くて承諾した。
実家が自営業だったこともあり、賞与は最初からなかったものと思ってしまえば苦にならない。
父が頑張って稼いだ金を全額海外旅行に使うことについては全く異存はないなどと言い切ったやりくり上手の母に、なんと太っ腹だなと私は恐れ入った。
なんにせよ二十九歳の母もまた、若かったのだ。
でも、その時の私はまだ幼稚園生であることを考えると人としてどうなのだと思わなくもないが、父の海外旅行ブームはしばらく続き、オランダのチーズや木靴をもらった記憶がある。
そのどれも、私は仕事だと信じ続けた。
先日、久々に兄とその話になったのだが、彼はあっさり『ああ、あのアイス美味しかったな』と言った。
…同じ思い出も、別の角度から見るとずいぶん違うものなのだ。
真実を知ったのは二十代半ばくらいだったので、何不自由ない生活をさせてもらった私としては「え、そうなんだ」と驚く程度で済んだ。
早いうちに知っていたら、思春期がちょっと曲がっていたかもしれない。
ごくごく平凡なサラリーマン家庭だと思っていたけれど、意外とそうではなかったなとしみじみ思う。
山あり谷ありの両親の夫婦生活は今も続いており、意外と仲良く暮らしている。
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