第3話 チャーハン





 子どもの頃に食べたおやつは色々あるが、一番記憶に残っているのはチャーハンだ。

 プラスチックの小さなお椀にこんもり綺麗に盛られた出来立てのチャーハン。


 昔、母方の祖父母が小さな中華料理屋を営んでいた。


 カウンター一つ、コンクリート打ちっぱなしの床、四人掛けのテーブル席は二つか三つくらいだったと思う。

 ビニール張りの背が付いた鉄の椅子は重く、動かすたびにコンクリートの床に当たってごりごり音を立てた。

 店舗兼住宅で和室にあるガラスの引き戸を開ければ客がラーメンをすすっているところに遭遇する。

 昔ながら駄菓子屋などを思い浮かべれば分かりやすいだろうか。

 そして、カウンターに面していない裏に台所があり、そこで祖父が料理をして祖母が給仕していた。

 近くにいくつか学校と大通りが近くにある街なかで、何の変哲もない平凡なちいさい店のわりにはそれなりに人気店だったと思う。


 母に連れられて昼間に祖父母を尋ねるとたいてい営業中で、祖父は大きな中華鍋を鉄の玉杓子でがんがんと殴りながらちらりと振り向き、「そこで座って待ってろ。おやつやるから」と大声で言い放つ。


 土間から住居の方に上がりちょこんと座って彼らの働くさまを眺めていると、祖父は色々ガチャガチャ激しい音を立てながら料理を作り上げ、その隙に、さっとお玉で小さな碗にチャーハンを盛ってぐいっと私に差し出す。


「ほら」


 多分、定食メニューの一つだったのだろう。


 ほかほかのチャーハンがこんもりとお玉の形に載っていた。


 ごはんと、卵と、葱と、ミンチ肉かハムだったか、ふかふかのほかほかで熱せられた油の匂いもごちそう。

 れんげですくって食べながら、祖父が客の要望に応えながら台所で時間と格闘している姿を、息をひそめてちらちらと見た。


 強い火が鉄鍋の底を熱して、放り込まれた具材はじゅわっと大きな音と湯気を立てる。

 それらを素早くかき混ぜ、調味料を鉄のお玉ですくっては投げ込み、あっという間に料理を作り上げる。


 祖父にしかできない魔法だ。


 とにかく、母の里帰りに同行すると祖父はたいていチャーハンを私にくれた。


 祖父は身体の大きな人で私たち孫に優しかったと思うが気持ちにムラのある人で、注文が立て込んでくると途端に苛立ち、必要以上に音を立て始める。

 鉄鍋やボウルを叩きつける音を、常連客達はああ始まったという感じで聞いていたのではないかと思う。

 しかし小柄で穏やかな祖母はそのたびに強く当たられ、子供心にも気の毒だった。


 昭和の時代ならどこにでもある風情の中華料理屋だったが、元は地元で一番大きな中華料理屋で重要なポジションだった祖父の腕はなかなかのものだったらしく、味は確かなので、閑古鳥が鳴くことはない。

 出前にも応じていて、鉄の大きな自転車に乗り岡持ちを片手に出動していた。


 ある日突然、その自転車の荷台に百科事典を積んで訪ねてきて、私たち兄弟に贈ってくれた記憶もうっすらと残っている。

 私たち兄妹は初孫で、同じ市内に住んでいることもあり、一番かわいがってもらっていたように思う。


 しかしそんな日々は私が小学生の半ばになったころに終わりを告げた。

 祖父が出前の途中に走行中のトラックに巻き込まれ、大けがを負ったのだ。


 処置が早かったおかげで命に別状はなかったが、頭蓋骨に穴が開くほどの大事故で、祖父母は店をたたみ、市営団地で療養生活を送ることとなった。

 お坊ちゃん気質の彼はもともと働くことが好きではなかったのだろう、気ままにのんびり暮らしていたように思う。

 後遺症がどのくらい残ったのかはわからないが、訪ねて行けばいつも中華料理を振舞ってくれた。

 でも、チャーハンが出ることはほとんどなかった。


 食べたいと言えば作ってくれただろう。

 しかし、ねだったりはしなかった。


 そもそも食が細いせいもあったけれど、私が食べたかったのは、あの土間に座ってかきこむ小さなお椀に盛り付けた少量のチャーハンだったからだ。


 そして、長い余生を過ごした祖父が数日前に亡くなった祖母を追いかけるように突然息を引き取ってからもうずいぶん経つ。

 例年にない大雪で、遠くから駆け付けた親戚一同さすがはあの人だねとみんなで笑った。

 


 あのチャーハンはどこにでもある具材を使った平凡なものであるけれど。

 大切な思い出の詰まった、最高のおやつだ。


 おじいちゃん。

 忙しいさなかに振舞ってくれてありがとう。

 とてもとても、美味しかった。

 きちんとお礼を言えないままでごめんね。




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