第7話 凌辱の果て

 四日前にマンションの屋上から飛び降りた人、その人の身元はすぐに分かった、

「川島修吾」

 という高校教師だった。

 実は凛子が今通っている同じ学校で教鞭をとっていて、普段からあまりまわりとうまく行っていない凛子のことが気になっていた。

 年齢は三十五歳になっていて、三年前に結婚していた。子供はいなかったが、夫婦生活は大人しいもので、奥さんとは共稼ぎだった。奥さんの方は、近所のスーパーでパートをしていた。どちらかという多趣味な奥さんは、パート先の先輩に誘われるまま、週に二回ほどパートの後にバレーボールサークルの練習に参加していた。学生時代にバレーボールをしていたということを面接の際に話をしたことが直接の理由だったが、最近、夫が忙しくて、夜遅くならないと帰ってこないことも要因でもあった。

 川島は、学校では目立たない大人しい教師だった。それは小心者だというのが理由であり、どこにでもいるパッとしない教師だったのだ。同じく大人しくしている凛子の場合は、過去に教師を一度辞めた手前から、今の教師に対して馴染めないというのが過去のトラウマが招いた産物だった。二人はまったく違うところに原因を置いているが、見た目は他人との確執を持った、知らない人が見れば、

「似た者同士」

 に見えたことだろう。

 そういう意味で、二人は誤解されやすいタイプでもあった。まったく似ていない性格なのに、見た目だけで判断され、似た者同士というわりにどこがぎこちなさが感じられることで、

「二人は不倫しているんじゃないか?」

 という何の根拠もないウワサもあった。

 だが、一旦ウワサというものが立ってしまうと独り歩きしてしまうもので、そう簡単に否定できない雰囲気になっていた。それは、古今東西、今に始まったことではないに違いない。

 川島が自分と似たところがあるということを、凛子は直感で感じていた。そのせいもあってか、凛子は川島に時々相談していたのだが、それは凛子の中で、

「不安に感じてしまうと、自分を見失ってしまうところがある」

 という性格が顕著に表れている証拠だった。

 凛子がそんな性格であるということを知っているのは、川島だけだった。川島の方も結構直感の鋭い方で、その直感を疑うこともなかった。信じてしまうと、それ以外の発想がなくなってしまうことで、そこも凛子に似ていたのである。

 ただ、二人は実際に不倫まではしていなかった。お互いに、

「なくてはならない存在だ」

 と思っていたことで、身体の関係になることを控えていた。

 身体の関係になってしまうと、恋愛感情を抱いてしまうことになるだろう。恋愛感情を抱いてしまうということは、二人の関係が対等ではいられないということになる。

 身体的には、男女で大きな開きがあることは分かっている。男と女で違っていることから、ないものを求めてお互いに貪り合うのだからである。

「なくてはならない存在」

 という感覚と、

「ないものを相手に求める」

 という意識とでは、逆なものだと思っていた。

 つまり、それぞれが相いれないものであり、同居できないものだとも思っていたのだ、だから二人にとって、

「身体を重ねてしまうと、お互いに求めあっているものを壊してしまう」

 と感じていた。

 もし、お互いに身体を求めあうことになるとすれば、それは、寂しくて仕方がなくなり、その感覚が呼吸困難にまで陥った時に、逃れられない苦しみとなって自分にのしかかってきた時、相手を貪ることになると思っている。

 ただ、それは自分の一方的な感情であって、相手も求めてくるかどうかは分からない。まず、一緒にということはないだろう。

 そうなると、必ず相手を蹂躙することになり、そんなことはしたくないという思いと裏腹に、衝動的な行動に彼らてしまった自分をどうすることもできず、果ててしまった最後に残っているのは、憔悴感と、言い知れぬ自己嫌悪に違いない。

 自己嫌悪は、二人のような性格の人間には、地底的なものではないだろうか。

 相手の失意と傷つけられた思いも果てしないだろう。我に返って後悔しても、もう遅いに違いない。

 下手をすれば、相手を道連れに心中などと考えるかも知れない。道連れにされる方もたまったものではない。もしそれが自分の立場だったとして、相手を許すことなどできるであろうか。

「許せない相手を信じてしまったこと」

 これほどの自己嫌悪はない。

 さらに、後悔してももう遅いという言葉の本能の意味を、嫌というほど悟らされるに違いない。

 自分たちのような関係は、少しでも動けば、どんどん泥沼に嵌り込んでしまう。

{どうしてこんな関係を最初に求めたのか?」

 やはり、寂しいという感情が一番先にあったのだろう。

 しかし、その寂しさが、再度よみがえってくると、そこには地獄しか待っていないことは分かっている。そうなると、一旦入ってしまうと、

「戻るも地獄、進むnも地獄」

 ということになってしまうのではないだろうか。

 この時、川島は自分たちの関係を、将棋盤に例えて考えていた。

「将棋において、一番隙のない布陣というのは、最初に並べた布陣であって、一歩手を進めれば、そこに一つずつ隙が生まれてくるものだ」

 という話を聞いたことがあった。

 完全に減算法の考え方であって、その考え方が自分に当て嵌まるということも分かっている。

 だが、二人がそのようなことを考えていたなど、誰も知らなかっただろう。二人の関係は公然の秘密であったが、それでも二人はまわりにはなるべく知られないようにと思っていた。

 そのアンバランスな心情が、却って不可思議な行動に見え、まわりを懐疑的に見せるのだった。頭が悪い訳でもないでもない二人なのに、意外と自分たちのことには気づかないもののようだった。

 そんな状態を考えていると、お互いに未来を予見する気持ちに、無意識にであったが、なってきているように感じられた。

「このままいけば、お互いにダメになるのではないか?」

 という疑心暗鬼に捉われてくる。

 これが少しでもお互いに時間的なずれを生んでいるとすれば結果も違ったかも知れないが、偶然というのは恐ろしいもので、どうやら、ほぼ同じ時期だったようだ。

 そうなってくると、不思議な以心伝心に繋がってきて、一つになった疑心暗鬼は疑心暗鬼だということが分かっているだけに、二人は同じ気持ちになっていたようだ。

 それも疑心暗鬼が同じだということは、

「否定している感覚が同じ」

 だということになり、否定の同一というものがどんな結果をもたらすかを考えると、そこには根拠がなくても生まれる問題が潜んでいるように思えてならないのだった。

 そのことを知らぬは、本人たちばかりである。まわりが知っていようが知るまいが、それ以前の問題であり、どこかでスぺレートな気持ちを生むことになるのを誰が分かるというのだろう。要するに、

「自分たちにも分からないことが、他人に分かるはずはない」

 ということである。

「知らぬは自分ばかりなり」

 という言葉があるが、それはあくまでも、自分はまったく知らないという意味ではなく、

「まわりよりも知らない」

 というだけの話で、そんな状況は十分にありえることであった。

 不倫など考えられないと思っているのは、二人だけのことで、まわりの人が他人事として見ている以上は、面白半分の興味本位の状態になるのは当然のことである。

 元々、学校で起こる、

「苛め」

 というのも、そのあたりから始まっているのかも知れない。

 自分に襲い掛かっている悩みで自分が苦しめられる。それをまず理不尽に考えてしまうと、その理不尽を取り除くことができないと分かると、その攻撃先は他人に向いてしまうのである。理不尽を取り除くことができないのは当たり前、自分に襲い掛かってくる悩みを自分のこととして直視できないことが原因だとすると、自分を他人事のようにしか見えず、他人事として見ることで、苦しみから少しでも解放されるというすべを、自らが学ぶのだった。

 そんな中において、他人に向いた目は。

「目には目を、歯には歯を」

 ということわざをそのまま実行するというもっとも安直な考えに至らしめてしまう。

 それが、苛めという形で流行し、その流行が、

「皆がやっているんだから、僕だって」

 という気持ちにさせることで、またしても苛めをしている自分が他人のように思えて、自分が蚊帳の外にいるように感じる。

 そこが苛めがなくならない一番の理由ではないかと、最初に教師をしていた頃の凛子は考えていた。

 せっかく、いいことを考えていたはずなのに、一つの事件がすべてを台無しにした。一人の理性のない行動は、人の考えている想像など、簡単に蹴散らかしてしまう。実に無惨なことであり、この世での罪深さなのだろう。

「罪を憎んで人を憎まず」

 などという言葉があるが、実際に行動してしまい、被害者が出たのであるから、人を憎まずなどという言葉は、ただの机上の空論にすぎないのではないだろうか。

「行動してしまえば、もう後悔したって始まらない」

 というではないか。

 被害者からすれば、加害者を憎まずに泣き寝入りなどということになれば、実に理不尽であり不公平だ。そう思うと、

「人間は自分の行動には最後まで責任を取らなければいけない」

 というのが、当たり前のことだと言えるのではないだろうか。

 もちろん、一刀両断には言えないだろう。そのまわりには種々の事情たるものが存在しているはずだからである。

 とにかく、

「二人が不倫をしていた」

 などという戯言は、根も葉もない根拠のないウワサではあったが、一本違えれば陥ったかも知れない行動でもあった。

 だが、この行為に至るか至らないかということは、天と地ほどの違いがある。それを分かっているのは誰あろう、本人たちであることは間違いない。

 それでも、二人が離れることはなかった。離れてしまうと、もっと想定外のことが起こるに違いないと思われるからで、それは、一緒にいるリスクよりも大きなものだったかも知れない。そのことを誰が理解できるというのか、分かっている人がいるとは思えなかった。

 そのうちに、川島の奥さんの様子がおかしくなってくる。最初こそ、

「夫を信じている」

 と言っていたが、まわりのウワサを気にしていないようなふりをすることに耐えられなくなったのであろう。一度耐えられなくなってしまうと、疑心暗鬼は猜疑心と一緒になり、誰も信じられなくなる。極度な鬱病に嵌り込み、そんな状態の奥さんであっても、気になる相手は凛子だという意識。それは最初に気になり始めたのが凛子だということから由来しているだけで、

「どっちが大切なのか?」

 ということを度返ししたものとなっていた。

「俺はどうしたらいいのだろう?」

 と思い始めた時には、すでに時は遅くであった。

 奥さんが自殺を試みたが、未遂に終わり、精神的にも病んでいることから、しばし病院に入院していた。川島は、そんな自分の家庭に起こった出来事を、

「すべてが自分のせいだ」

 と感じた凛子に入れあげていた。

 だが、凛子も彼のことを想ってなのか、彼を無視するようになった。孤独を感じた川島は、今度は川島自身がだんだんとおかしくなってきた。

 ここまでくれば、正直泥沼であった。川島はこんな泥沼にどうして陥ったのかと考えた時、自分の正義と、安直な考えを一番に立てた。その考えが、

「妻の自殺未遂」

 というとんでもない思い違いに至ったのだ。

 こうなってしまうと、奥さんへの気持ちは完全に冷めてしまい、自分が招いたことではあるが、不倫などしていないという正当性だけを武器に、自分が悪くないと思い込むに至ったのだ。

「これが俺の考え方だ」

 この思いは川島の開き直りであり、他の人には分からない、勝手な理屈でしかなかったのだ。

「妻がどうして自殺をしたのか?」

 ということを考えてはみなかった。

 もし、ちゃんと考えていれば、

「妻は自分と同じ考えだった」

 ということに行き着くはずだ。

 妻には妻の正義があり、そしてその正義を守ろうと考えた時に、安直な考えから、自殺という道を選んでしまったのだ。

 だが、あまりにも自分と考えが似ていたことから、川島に妻の気持ちが分からなかったはずもない。それを認めるのが怖くて顔を背け、気持ちが冷めたということを言い訳に、自分を正当化しようという考えしかできなかったのだろう。

 だから、

「世間が何と言っても、俺は俺の道を行く」

 という意地を張ってしまい、次第に凛子の方へと気持ちが靡いてしまうのだった。

 だが、そんな川島を凛子が受け止めるわけはない。

「自分と同じ考えの川島はどこかに行ってしまったんだ」

 と感じるようになり、

「そうだ、奥さんのところに戻ろうとしたんだ。でもダメだったから私のところに逃げようとした。そんな逃げ腰の人を受け入れるほど私はお人よしではない。このままズルズルと言ってしまうと、自分まで破滅してしまう。無理心中はまっぴらごめんだわ」

 とまで考えていたのだった。

 そんな凛子の気持ちを分かっていたが、どうにも耐えられなくなっていた川島は、凛子に襲い掛かった。

 もちろん、凛子は必死に抵抗する。その時、やっと凛子も完全に目を覚ました。

――この人は、自分のことしか考えていない。奥さんのところに帰ろうとして帰ることができなかった。それはきっと私はいるという甘い考えが彼にあり、この期に及んでも、選択権は自分にあるとでも思っていたのだろう――

 と感じていた。

 女というのは、明らかに興ざめした男性に対しては、憎しみや気持ち悪さしか印象に残らないのだろう。男性のように、昔の楽しかったことを想い出すこともない。なぜなら、女が相手に対して迷ったあげく、自分で道を決めたのであれば、もうその瞬間から過去を振り返ることはしない。冷たいと言われるかも知れないが、その思いがあるから、弱く見えても、一本筋が通っているのだろう。

「女というのは、男にはない子供を産むことができる」

 という意味で、強くなくてはいけない。

 それは子供を産むということが、相当なる苦痛を伴いからだった。女であれば、その苦痛に差別なく、子供を産む時、誰もが苦しむのであった、

 そんな状態なので、女は潔い動物ではないのだろうか。男性のように、過去の楽しかったことを想い出すなどというのは、すでに通り過ぎたステップの中にしかない段階なのだ。それを想うと、女性を相手にした時の男性の弱さは、これほどみすぼらしいものはないのかも知れない。

 だが、それは一つの理屈であり、理屈を超越した力を、男は持っている。特に女に対して男は絶対的に強い力を持っていることで、相手を蹂躙できるのだ。

 だから、男性が女性を暴行するのであって、女性が男性に性的暴行を働くというのは、アブノーマルな世界でもなければありえないことだろう。

 失意に燃えた男は、

「もうどうにでもなれ」

 とばかりな、デスぺレートな行動に出る。

 それは、快感を貪るわけではない。気持ちよさを求めるものではないことで、却って苦痛を伴うものである。これは自分が求める欲求ではなく、相手に思い知らせてやるという自分の中の正義が、歪んだ感覚を生み出して、相手に苦痛を与えることで、今の自分がどれほど苦しんでいるかというとこえお思い知らせるというのが、その時の考えなのではないだろうか。

 女は当然抵抗する。今まで一番信じられると思った相手に裏切られたということに憔悴している場合ではない。自分も身は自分で守るしかないのだ。

 その瞬間的な感覚に入り損ねると、女性はその瞬間、身体から力が抜けてしまい、抵抗する力を失ってしまう。もう相手に抗うことなどできなくなり、惨めさと屈辱で、何も考えられなくなってしまうだろう。

 女が抵抗すればするほど、男は興奮する。黙ってしまった相手をゆっくり料理するという感覚は、一度抵抗されて興奮した状態でないと、なかなか陥らないだろう。

 相手が最初から抵抗しなければ、ひょっとすると我に返って、自分がしようとしたことに対して自責の念に駆られ、それ以上は何もしないのではないだろうか。

 この時に、凛子は抵抗しなかった。最初から、この理屈が分かっていたわけではないが、なぜか抵抗しなかったのだ。

 そのため、川島は急に虚脱感に襲われ。身体に力が入らなくなる。無意識に涙が出てくるがそれを拭おうともせずに、まっすぐに凛子を見つめていた。

 凛子は何も言わない。何を考えていたのか、今となっては分からないが、表情だけで判断するとすれば、哀れみだったに違いない。

―私って、どうして何もしなかったのかしら?

 と少しの間そのことを考えていた。

 だが、一日が経つと、そんなことがあったということが夢だったのではないかと思うほど、すっかり頭の中から、その時の感覚は消えていた。

 事実だけが頭にあり、その時々で何が起こり、何を考えていたのかを忘れてしまっていた。

「男が女を征服しようとしても、それは無理なこと。結局は、二人とも奈落の底に落ちるだけなんだわ」

 と、感じた。

 ただ、その思いを昨日のあの場面で感じていたとは思えない。今感じていることはあくまでも冷静になった今の頭で考えるからに相違なかった。

――一体何がどうしたというのか――

 そうずっと感じていたが、ずっとというよりも、ごく短い期間で無数に感じていたと言って方がいい。まるでストロボ写真か、連続写真のようではないか。

 川島は、別に女性にモテるタイプでも、女性に好かれることに執着を持っているわけでもない。そもそも、相手が女性であれば誰でもいいというわけでもなく、好きになる人しか興味がなかった。

 それは、他の人と何ら変わりのないところかも知れない。

「好きになった相手を、自分の手で幸せにしてあげたい」

 という思いは強い。

 その思いがあるから、相手のことというよりも、結局は自己満足のためだと言われても仕方のないところであろう。

 しかし、それを分かっていて認めたくない。このような自己顕示欲が強い人は、特に一つのことをまわりから否定されると、急に臆病になったり、自分の殻に閉じこもったりする。そのせいで、自分が今どこにいるのか分からなくなり、空気という水の中でもがき苦しんでいるのだ。

 ここでいう空気というのは、大気という意味ではなく、何もない空間というのを意味する。一種の虚空と言ってもいいかも知れない。

 それにしても、一体何が川島を自殺に追い込んだというのだろう? 臆病者で、自殺など考えられないとまわりから思われているほどだったことで、まわりの人はきっとゾッとしたに違いない。

「あの人が飛び降りなどという大胆なことができる人だったとすると、自分たちが人を見る目が間違っていたということになり、絶対に大丈夫と思うような人に対してでも、危ないことは言えなくなってしまう」

 と感じたからだ。

 そういう意味で、

「一番臆病なのは誰でもない。自分なのかも知れない」

 と思ったとしても、間違いではないだろう。

 遺書がなかったのも、彼の臆病が招いたことであろう。

「もし、急に度胸がなくなって、、やめてしまうようなことになったら、遺書を書く意味がなくなる」

 という思うもあっただろうが、それよりも、

「遺書を書いたことで、急に臆病風に吹かれて、自殺自体を思いとどまるかも知れない。一度思いとどまったら、きっともう二度と自殺を感じることはないだろう。人というのおは、そう何度も死ぬ勇気を持つことはできないというではないか」

 と感じたからだった。

 だが、死ぬ勇気を何度も持てないというのは、その都度真剣に死のうとするからだった。臆病者で有名な川島に、本当にその時、死ぬ勇気などあっただろうか。

 ひょっとすると、屋上まで行って戸惑っているうちに、その気はなかったが、足を踏み外したか何かで、転落してしまったのかも知れない。間抜けではあるが、それくらいのことがないと、死にきれなかったのではないだろうか。

 自殺する人に勇気という言葉を使いたくはないが、この男が自殺をしたという事実は。もし不慮の事故だったということを加味すれば、

「度胸を持って死んだ」

 ということにしておいてやろうという気にもなるだろう。

 彼が死んでも、実際に悲しんでいる人がいるのかそうか。それも怪しいものだった。

 彼の家に報告した時も、両親はさほどビックリしているような感じはなかった。むしろ、どちらかというと、

「死んじゃったんだ」

 という意外だという方が強かった。

 事故や病気、そして誰かに殺されたわけでもない。

「もし彼が何かで死ぬとすれば、一番可能性が薄いのは、自殺だはないだろうか?」

 と、誰もが感じるそんな人物が川島だった。

 臆病者は、自分のまわりの人間にも優しくない。それが凛子に対しての思い出もあった。彼の自殺に凛子が関わっているのかどうか分からないが、凛子もひき逃げというひどい目に遭っている。

「世の中というのは、これほどまでに、卑屈な人間に厳しいものなのだろうか?」

 そんなことを考えてしまう。

 二人のことを同時に知っている人は実は少ない。そういう意味ではまったく似ても似つかぬ二人だったのかも知れない。その二人がくっつくなど、果たして誰が考えたことだろう。まわりがまったく似ていないと思っているのに、二人だけが、自分たちは似ていると思い込んでいたというのも、実に滑稽な話である。二人は不幸にも事故に遭い、そして自殺を遂げた。こんな結末を迎えるのではないかと思っていた人も少なくなかったというのが、二人の今を訊いて感じる思いだったのではないだろうか。

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