5:賢者のひとりごと

日が落ちきる前に、私達は適当なところで野営の準備を進める。

旅の道程は長い。こうして森の中で一晩を過ごすことになる日は少なくはないはずだ。


「いやあ、ぐちょぐちょですなぁ…着替えないとですなぁ!」

「私、あの茂みで着替えてくるから。貴方は反対の茂みで着替えて」

「いやいや、変質者がいて危険だと思うよ?交互に着替えた方がいい」

「そうね。変質者がいるものね。危険、だものね?」

「へ?」


ノワの目に向かって、指を突き立てる。

目潰しというやつだ。人生初体験。

本当はこんなことをしたくはなかったのだけれど…。

申し訳無さより、彼女の前で着替える危機感のほうが大きかった。


「あだああああああああああ!?」

「しばらくそこで身悶えていなさい」

「どうして、こんな…」

「それは貴方が変質者だからよ、ノワ・エイルシュタット。人の着替えを覗こうとする悪い賢者様は、どこの誰かしら?」

「しらないなー」


しらばっくれるノワの手には、愛用の杖が握られている。確か…にょきにょきみたいな名前の杖だ。

もちろんそれは現在進行系で謎の光を発しつつ、私の方へ向けられている。


当然、ノワが寝そべる地面には同色の魔法陣。

小さく展開して、私にバレないよう工夫はされている。

しかしバレないわけがない。昼間ならともかく、今は夜中だ。

こんな暗闇の中で発光されては偽装もクソもない。


「質問を訂正するわ。今、貴方はその名誉ある杖で、何を記録しようとしているのかしら?」

「それは…現在進行系で目が見えていない周囲の情報を」

「周囲の情報…ねぇ」


着替えを終えた私は、ノワが向けていた杖を踏み、質問を続けていく。


「記録魔法は一般社会に浸透している分、使い方は魔力持ちじゃなくても把握していたりするわ。周囲を見るという「偽装」を信じ込ませたいのなら、杖は振り回しておいたほうが良かったわよ」

「そうしたらブレるじゃん」

「索敵にブレは必要ないでしょう?もう一度聞くわよ?貴方はそれで何を記録していたのかしら?」

「答えないと、どうなる?」

「そうね…。私、そろそろ剣術訓練の的が欲しいと思っていたの。これ以上は言わなくてもわかるわね?」

「ひっ…」


ノワは怯えた声と共に杖を手から離し、魔法陣を消してくれる。

彼女も徐々に痛みへ慣れてきたのだろう。

薄闇の中、ゆっくりと紫色の瞳を私に向けてくれた。


「魔法は中断したわね」

「う、うん。だから…そのさ、言わなくても」

「で、何を記録していたの?」

「まだその質問続けるの!?」

「続けるわよ。正直に吐くまでね」


一歩ずつ、ノワとの距離を詰めていく。

その度に彼女は小さく呻き、目を細めて怯えを見せてきた。


「おっ!」

「お?」

「乙女の生着替え…かな?」


耐えきれなくて堪忍したのか、ノワはとんでもないことを口走る。

そう乙女の生着替え。そんな物を記録していたのね。


「明日にでも水上貿易都市に到着するわよね。衛兵に事情を話して牢にぶち込んで貰った方がよさそうね…」

「やだこわい」

「それはこっちの台詞なんだけど…」


頭痛がする頭を抱えて、私は野営の準備に取り掛かる。

これ以上ノワの相手をしていたら、神経が持たない。


「あれ?これ以上はお咎めない感じ?」

「今回は見逃すけれど、次やったら追放をかねて衛兵に突き出すわ」

「わかりました!もうしません!」

「後で誓約書を書きなさい。そうでもしない限り信用はしないわ」

「信用なさすぎでしょ、私…」

「そういう行動をするからでしょう?信頼は自分で削いでいるのよ。自覚しなさい」

「うっ…あのアリアから正論を言われた。お馬鹿さんのはずなのに!」

「馬鹿にしないで頂戴」


まあ、作中でもアリアはこういう風に誰かを諭す様子が描写されているわけではない。

ノワの過去回想も、何かと理由をつけてノワを他の仲間といびる「我儘令嬢」な姿を濃く描写されていたから、その可能性はあると思う。

徹底的にアリアを悪役にした物語だったから。アリアの善良な部分を出さないように工夫がされていたのかもしれない。

それか本当に、作中のアリアに思慮というものが存在しなかったか。

そうであるのなら、先程の振る舞いは「彼女らしい振る舞い」ではなかっただろう。


「…ん?」


しかし冷静に考えたら、ノワの言葉に違和感を覚えた。

私は真面目に取り組んでいたけれど・・・作中のアリアは礼儀作法から逃げていただけではなく、他の教養授業からも逃げていた。

だから「作中のアリア」がお馬鹿さんと言われる理由はわかる。


けれど今はそうじゃない。

今の私はきちんとした貴族令嬢らしい振る舞いができる「アリア」だ。

流石にそれはノワにも伝わっているはず。

かつての私と、今の私の情報。

私と彼女を引き合わせた存在が、きちんと伝えてくれているのだから。

…色々気の所為、だよね。


・・


晩ごはんを済ませた私達は、寝床を作り上げた。

周囲に罠を、寝る地点には結界を仕掛け・・・多少なり安全を確保した後に、私達は眠りについた。

最も、それは「アリア」だけだけども。


「すう…」

「…」


私は眠りについたふりをして、彼女を起こさないように荷物置きへと向かう。

最も危機感がなさそうな彼女は、大きな物音を立てない限りは起きなさそうだけど。


「あー…あんまりやりたくないんだけどな」

「でもこれも、鳩燕先生の為…!ごめんよ!アリア!」


そして…アリアの鞄に手を突っ込んだ。

こうして寝ている間にしか探れないから仕方ないけれど、本当はこんな事をしたくはない。

けれど必要な行為なのだ。いざバレたら魔法で記憶を軽く吹っ飛ばすだけ…。

こういう荒い行為もしたくはないのだが。仕方が無いことなのだ。

全ては、目的の為に。


ああ、あったあった。アリアが肌見離さず持っている日記。

作中でも存在したこの日記に書かれたことは、将来的にノワを病ませるきっかけになるんだけど…まあ流石にまだ該当記述はないはずだ!大丈夫!


流石に寝る時は鞄の中にしまっていたみたいだし、寝ている間なら読み放題と思って、その日記を開いた。

…ビンゴ。ライオンって単語が出てきて、疑惑は確信に変わった。

この世界にライオンは存在しない。彼女は私と同じ「転生者」で確定だ。


しかしこの日記…その日の事象が細かく記述されている。

まるで忘れないようにするかのよう。例えば。


『私は思い出した』

『私は転生者・・・かつて鈴海すずうみにいた十六歳の女の子』


…と、ご丁寧に。

申し訳ないけれど、笑みが溢れてしまった。鍵のついていない誰にでも読める日記にこんな事書くのは反則だと思う。


「でも、これをご両親に見られたら、頭のおかしい子供扱いをされるんじゃない?」


もしかしなくても、彼女は忘れっぽい性分なのだろうか。そうであれば、親近感が湧いちゃうね。

だからこうして日記という名の備忘録をつけている。

過去を、前世を…目的を、忘れないように。

お互い、やることは一緒のようだ。


「…私も一緒だから…気持ちはわかるな」


いけないいけない。過去の事なんて今は置いておかないと。

アリアが寝ている間に、情報を集めていく。

目的は一緒。「この物語を完成させる」

けれど、私と彼女の解釈は異なるようだ。

私は「鳩燕の真意」を知った状態でここに来ている。

鳩燕が思い描いていた理想は一つ。

そこに到達するためには、物語で失われたアリアの生存が絶対条件だ。


…とりあえず、この子が三巻まで。ちょうどアリアとしての役目が終わる部分までの記憶しかないことは日記という名の備忘録から把握することができた。

後は、私が軌道修正をしつつ…アリアを死なせないように立ち振る舞わないといけない。

せめて三巻を終えるまでは彼女に事情は話せないことは覚悟しておこう。


あまり流れは変えたくない。変えるとしたら、私がパーティーから追放される未来とアリアが死ぬ未来の二つだけ。

それ以外は、原作に準じて進行していったほうが私にも、彼女にも「想定外」がなくて楽だろうから。


「でも「ノワとしての自我」が抑えているとはいえ強すぎるのが問題なんだよなぁ…今も、アリアをドン引きさせているし。どうしたものか」


他にも情報がないか、彼女の日記をめくっていく。

こんなに迂闊なら、本名の名前とか書いてあったりして。

住んでいる場所は同じだったみたいだし、面識とかあったかも。

ああ、やっぱりあった。本当に前世の名前を…書いて。


「…なんで」


そこで、私はとんでもない情報を得てしまった。

そこには確かに、今のアリアになっている彼女の「前世の名前」が書かれていた。

本当に迂闊な子。私以外の人間がみたら大変な事になりかねないと言うのに。

それができるような…悪意とは無縁の優しい環境で生きてきたんだろうなぁ。


指でそっと撫でるそれは…私にとって、とても見慣れた名前。

この世界には存在しない漢字。忘れないように書かれた名前。

あの終末で、私の生きる糧だった女の子。

私を置いて旅立った、あの子の名前。


「くかぁ・・・」

「そっか。師匠が言っていたのは、こういうことなんだ」


私と彼女はもう一度巡り会える。

あの図書館で、私に魔法を叩き込んだ師匠は何度もそう告げてくれた。

事実、私達は姿を変えてもう一度巡り会えた。


鳩燕が紡いでくれた世界の中で…。

師匠が奏でた音色の先にあった世界の中で…!


日記を鞄に直して、眠る彼女の側に腰掛けた。

昔は、側に寄るのすらきつかった。

けれど目の前の彼女のほうがもっと辛くて、我儘すら言えないあの子の願いをできる範囲で叶えてあげたいと心から願っていた。

歩く度に、身体がすり減る感覚を覚えていた。

何度も大事な彼女を忘れてしまった事があった。私の病気は、そういう病気だったから。

彼女には気づかれなかったけれど、彼女と親友だということを忘れたこともあった。

それでも私は側にいたかった。

私を親友だと言ってくれる彼女の側に、最後のその瞬間まで。


「また会えたね、永羽ちゃん」


死ぬ直前に呼んであげられなかった大好きな親友の名前。

眠る彼女には、届いていないだろう。

この世界で再びその名前で呼ばれる日が来るだなんて、思ってもいないだろう。


「…」


私は知ってしまった。もう後戻りはできない。

けれど正体は明かしてはいけない決まりだ。私は「転生者特典」を貰いすぎた。

師匠は申し訳無さそうに、私に枷を二つ与えた。


一つは「作中のノワ」の自我

これがなかなかに厄介で…正直今は抑えるのも精一杯だ。

隙を見つけては、自我を乗っ取りにかかり、アリアにすぐセクハラをしようとする。勘弁して欲しい、


もう一つは「アリアが死ぬ三巻を乗り越えるまで、自分からアリアに詳細を伝えることは禁止」の枷。

だから私は、永羽ちゃんに正体を明かさないようにしつつ…彼女を守りきらないといけない。


「私は一咲だよって言えたら…どんなに楽だろう」


そんな瞬間はまだ遠いことぐらいわかっている。

今は、やるべきことに集中しよう。

仲間は全員加入させないようにするぐらいしか対策はできない。

それをクリアした後、山場の三巻をどう乗り越えるか考えたらいい。


「私、頑張るからね…。今度こそ、君と寿命まで生きたいから」


眠るアリアにそっと声をかけ、私は何事もなかったかのように彼女の側で眠りについた。


この物語はかつて、追放から始まる物語だった。

けれど、鳩燕はそれを望んではいなかった。

だから変えて欲しい。ノワとアリアに課された結末を。

孤独に成し遂げた魔王討伐を。

二人で成し遂げた、語り継がれる御伽話へとーーーーー!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る