2:霧雨永羽について話せること
無機質な天井を、今でも覚えている。
その空はいつまでも変わらないもので、毎日常に同じもの。
違ったのは「見え方」ぐらいだったな。
最期の方は、その天井すら上手く見えなかったな。
切望した青空を、はっきりと覚えている。
ぼやけた視界で見た、ガラス越しの青空。
私を生かすために繋がれたそれによって、手を伸ばすことさえ許されなかった。
小さい頃から、私の世界は病室だけだった。
関わる人は、両手の指で足りるだけ。
生きている間に会話した人は、両親と祖父母。病院の先生に看護師さん。
それから死ぬ前に同室になった女の子と…後はあの人が連れてきてくれた「お友達」
それが私の人生に存在した「誰か」だった。
少しだけ元気な時に、誰かと話したり…本を読んだりすることが私にできることだった。
今いる世界だって、その時に読んだ時の話。
『永羽ちゃん!これ!面白いんだよ!お母さんが持ってきてくれたんだ!』
同室になった女の子が勧めてくれた本。
勇者パーティーを追放されて、一人で旅をする賢者のお話。
それは、あの子と…「
体調がいい日にそれを読んだ私は、その未知の世界に心を奪われた。
けれど…1巻の序章を読み終えた頃だったか。体調が優れない日が始まった。
起き上がれないし、動けもしない。
それでも私は物語の続きが気になって、一咲ちゃんに「読んで」とせがんでいた。
彼女だって、入院しなければならないぐらいの病気があったのだろう。
詳細は知らないけれど、何度か具合が悪かった日もあったのに…彼女は毎日欠かさず私にその物語を読み聞かせてくれた。
そのことに対して、彼女お礼を言えなかったのは…永羽だった時代の心残りの一つになると思う。
「読み聞かせが楽しかった。ううん、一咲ちゃんと話す時間も楽しかったな。趣味が一緒の人と話すって、こんなに楽しいことなんだって…知ることができた」
続きが気になったお話だった。
それ以上に、一咲ちゃんと感想を話す時間が楽しかった。
拙く紡がれる私の言葉を全て彼女は拾い上げて、疲れて会話ができなくなるまでずっと話し続けたことを覚えている。
気がつけば、それが私の楽しみであり、同時に生きる糧となっていた。
「けど、この物語は…」
私が死んでしまう前日
一咲ちゃんが申し訳ない声で「続きがない」と教えてくれた。
どうやら、今まで読み聞かせていた本は匿名の誰かが郵送で贈ってくれていたらしい。
でも、なぜか続きが送られて来なくなった。
理由は、わからない。送られてきた理由だってわからないのに、止まった理由なんてもっとわかりやしない。
「普通に買いに行ければ楽だったんだけど、私達にはそれができなかった。」
私達は鳥籠の中で死を待つだけの存在だった。
自分たちの意志で外に出ることも叶わない…。
普通に売られていたはずの続きだって、自分の手では得られないのだ。
会話さえままならない私が、両親に何かを頼むことはできない。
一咲ちゃんはお見舞いに来てくれたお母さんに続きの購入を頼んでくれていた。
私を元気にするために…そう、泣きながら訴えていたのを今でも覚えている。
「頑張りたかったんだけど、「その日」から…私は一気に体調を崩しちゃって、そのまま戻ることはなかった」
一咲ちゃんが続きの購入を頼んだ翌日が、私の命日になった。
一咲ちゃんにお礼すら言えず、お父さんとお母さんに感謝の言葉すら言えないまま、私は十六年の人生へ幕を引いたのだ。
「それが、君の…「霧雨永羽の人生」になるわけだね」
「うん。そうなると思う・・・自分でもよくわからないけれど」
星空が綺麗な、図書館みたいな空間。
そこに私と向き合って座っている青髪を持つ「管理人さん」は薄い本を閉じる。
彼が持つ本。その背表紙には「霧雨永羽」と名前が箔押しで記されていた。
彼の話だと、あの本を始め、ここに保管されている本は全て「人生の本」らしい。
数多の世界、そして時間軸。
それを観測して、記録を取るのが彼の仕事らしい。
そして管理人さんが仕事をした結果がこの本。
完成した人生の本は、この図書館に保管される。
ここが崩壊する、その日まで…。
「率直な感想を言おうか。君の人生、とてつもなく薄いね」
「それだね。とても薄い。周囲にある人生の本に比べたらずっと。病気で…自分の家にも帰ることができなかったから」
「…そっか」
「病室の世界だけがその本に記されている世界。あまりにも狭くて、何の変哲もない世界で繰り広げられる…敗北の闘病記」
「…同じく不治の病を患っていた身としては、思うところがあるね」
「管理人さんにも「かつて」の人生があったの?」
「かつてではないけれど、ここに来る前の…生きている間の人生はあったよ」
「そう、なんだ・・・お互い、大変だね。病気で死ぬなんて」
「僕の死因に病気は関係ないのだけど…そういうことにしておこうか」
遠い目で告げたその言葉は引っかかりを覚えたけれど、視線で察した。
真実を、私に話す気はなさそうだ。
…まあいいか。どうせ彼とは「ここだけ」の間柄だろうし。
深く知る必要はないだろう。
「さて、霧雨永羽。そろそろ僕もこの仕事をこなさないといけない」
「お仕事って…記録?」
「ううん。もう一つの「道先案内人」の仕事さ。僕は君を導く仕事があるからここに呼ばれたんだ」
「大変だね」
「…君とは切っても切れない縁があるからね。それに交わした約束もある」
管理人さんは相変わらず不思議な事を言う。
私の記憶では、彼と出会った記憶なんて一度もないのに…まるであったことあるかのようなことを言う。
同じ病院に入院していたりしたのかな。
少なくとも、青髪の知り合いはいないけれど…すれ違ったりしたことはあるのだろうか。
「約束って?貴方とは約束なんてした覚えが…」
「まあそれはもう君には関係のない話だから。本題に入ろうか」
「う、うん…」
「君は既に次が決まっている。俗に言う転生だね」
なんと。病死したのは流石に堪えていたけれど…死んだ後にまさかのサプライズだ。
新しい人生。きっとここから、私の物語はもう一度始まってくれるのだろう。
どんな物語が始まるのだろうか。もう一回、自分の人生をやり直せる?でも健康な状態がいいな。
そうなれば、お父さんとお母さんを悲しませることもないだろうし…。
期待通りの人生を、今度こそ歩めるだろう。
「楽しみかい?」
「うん。私、病室しか知らないから。転生先があるっていうことだけでも嬉しいし、何も知らない分、どこに行けるかを想像するだけでも楽しいよ」
「そ、そうなんだ…そこまで喜ばれると、なんか申し訳ないな」
「どうして?」
「その転生先は特殊な境遇があってね…すぐに気がつくだろうからあえてここでは言わないでおこうか」
「そうだね。わくわくは多い方がいいや」
「でも、なにも知らないのは不安だったりしないかい?」
「ほんの少しだけ。でも、その転生先は健康なんだよね?」
「うん。とても元気だよ。なんせ君の行く先は「将来勇者になる女の子」なのだから」
「勇者!?でも、なんで勇者?」
素朴な疑問をぶつけてみる。
ここに来てから、一部の記録を見せてもらったのだが…魔法使いや神様はいても、そこの舞台は大体日本のどこか。
勇者が存在するようなファンタジーは一冊もないと、彼は最初に言っていたから。
「んー…それは開示していい情報じゃないみたいだね。少なくとも「ある人物のお願い」…言ってしまえば「神様のお願い」が反映されていることぐらいかな」
「神様?」
「開示していい情報じゃないから教えられないね。せめて身内であれば、教えられたようだけど…まあ、君の人生を見る限り、その人物は自ずと察しが付き、君は答えにたどり着く」
「私が知っている人?」
「うん。君は会ったことがない人なんだけども、存在は知っている人だね」
「?」
「その人の正体なんてすぐにわかるよ。その人物とは魂が旅立つ前に少しだけ会話ができたんだ。そしてその人物は、僕に願いを託して消えてしまった」
その人には会えないけれど、託された願いが私の行く先を作ってくれた。
ありがとうございます、と心のなかで告げておく。
私にできることなら、貴方が残した願いを叶えたい…とも。
「そうなんだ…それで、その願いって?」
「願いは「遺作となった未完成な物語を完成させること」」
「遺作…」
「幸せな旅路の終わりを描いてほしいという願いだ。どうか、叶えてあげてほしい。あの人が望んだ形で、正しい物語を紡いでほしい。君は事前知識という名の流れに身を任せるだけでいいから」
「わ、わかった。その人がどんな物語を望んでいるかわからないけれど、私にできる最善をしていこうと思う」
「ありがとう」
管理人さんはそう言い、早速転生に向けた説明をしてくれる。
「土地やその世界の情報は、自分で?」
「うん。この転生は赤ん坊からスタートだから、時間をかけて身につければいいよ。そういうのもいいだろう?」
「そうだね。見て、歩いて、知っていくのは楽しそう」
「産まれて、自我が芽生えた君は「前世の記憶」と「僕と出会った記憶」…そして「目的」を思い出せる状態にしておくから」
「親切設計だ」
「親切設計と言えば、やはりチート能力とか必要かな?」
管理人さんが目を輝かせながら私に確認をとってくる。
確かに、こういうのはそういう能力がついてくるような感じだけど…
逆に過ぎた力を持っていると、大変なことになるかもだよね。
崇められたりするのは嫌だし、嬉しいお誘いだけど、ここは…
「流石に、それはいらないかな…」
「物語の進行を邪魔しないようにかな?」
「うん。必要以上に持っていたら、変になりそうだから」
「いい姿勢だね。けれど目的を叶えるためには、今の…霧雨永羽としての才能も必要なんだ。君がどれだけ嫌だと言っても転生特典である「霧雨永羽の才能」はつけておきます」
「えぇ!?」
「これはあくまでも「おまけ」。攻撃特化の凄い能力だけど…今の君は使い方を理解していない。もしも君がその力を欲し、願うことがあれば…それは君の力として共に立ち向かってくれるはず。きっと、いつかの君はこれを重宝するはずだ。持っておいて損はないよ」
「は、はあ…」
管理人さんがどこかで見たことがある白金の旗杖を構えつつ、私の体に光を灯す。
なんだか力が湧いてくる感じがしてくる。
正確には、奥底にあったそれが光によって引っ張り上げられているような…。
「魔法みたい」
「前世は魔法を始めとする超能力が蔓延る島に住んでいた君もまた、僕らの同胞。君は体が追いついていないだけで、元より才能は凄まじかったようだから」
君が僕の部下になっていた未来とかあったら、とても楽しそうだと思っちゃうよ、と管理人さんは楽しそうに笑い…最後の仕事として、私の足元に魔法陣を出現させた。
「さて、長話もこれでおしまい」
「もうお別れ?」
「うん。後は君たちの力で切り開いて」
「わかった。ありがとうね、管理人さん!」
「お礼なんていらないよ。僕は君たちとの約束を叶えただけ」
「それ、さっきも…」
「さようなら、霧雨永羽。青鳥の名にかけて、その願いは必ず完成させるからね」
消えゆく意識の中、一瞬だけ管理人さんの青い髪が白く見えた。
薄らぼけの世界の中で見た、その人物が誰かを思い出した。
「なぜ彼がここにいるのか」という疑問を問うことはできないまま…私は「次」へ旅立っていく。
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