第11話

「あー、もう…………気分だけ悪くなりそうで聞きたくないんだが」

「ふふふ、君がずっと聞きたがってたことじゃないか」


 いつものようにケイを揶揄やゆするようなカヌレの物言いだが、彼女自身も好んだ騙りたいことじゃないというのはその表情に現れていた。


「いやもう、だってその姿はクソ野郎の趣味だってことだろう?」

「それはその通りなんだけどね、別に私が直接襲われた事実があるってことでもない…………他の少女達にあの男がやった記憶は私の頭の中に残されてしまったんだけどね」


 鬱々とした表情でカヌレがケイを見る。


「人が本来なら庇護すべきか弱き存在にあんな風に獣に慣れるのだと私は知ってしまっている…………だから私は怖いんだよ。君はあの男とは違うのだと頭では理解していても連想してしまうような要素を消さずにはいられなかった」

「それで俺をこの姿にしたのか」


 グレイブとケイはほぼ同じ年代の中年男性だった。もちろん外見的には軍人としてGCのパイロットをしていたケイは精悍な顔つきをしていて、いかにも研究者という顔つきだったグレイブとは印象がまるで違う…………だがそれでもその年代というだけでカヌレが生まれた時から刻みつけられていたトラウマを刺激するには充分だったのだろう。


「私のこの姿はあの男によって固定されていて調整できない…………だがネストの本体にはその固定を解除するための知識が残されているはずなんだ」

「それがお前のネストを打倒したい理由か」

「その通りだよ…………そして私がこの外見を変えられたなら君の姿だって元に戻しても構わない」


 カヌレが中年男性に怯えるのは変態の記憶があるゆえに幼女の姿である自分が襲われるかもという恐怖からだ。その外見さえグレイブの性的嗜好から外れてしまえばその恐怖心もなくなる。そうなれば彼女としてもケイの外見を若くしておく理由もない…………どうせネストを打倒したのなら彼と行動を共にする理由もなくなるのだ。


「やる気の出る話だ」


 呟きながらケイは自分の手を見る。鏡を使わねば自分の顔を見ることは出来ないから、ある意味では自分の顔以上に手というものは記憶にあるものだ…………皺も傷もなく細いその手は十日の記憶を嫌でも思い出させる。


「そういえば私も聞きたいんだがね」

「…………なんだ」

「どうしてその姿を嫌がる? 普通なら若い方がいいものじゃないのかい?」


 カヌレほど幼いならともかくケイのその姿はもっとも活力のある年齢とも言える。


「思い出したくない事を思い出すんだよ…………殺したくなるクソガキのことをな」

「そうかい、いつかその詳細を聞きたいね」


 くっくっくっ、といつものように意地の悪い笑みをカヌレが浮かべた。


                ◇


「主、なんか元気ない?」

「…………そう見えるか?」


 カヌレと別れた後の食堂でコーヒーを飲んでいるとネイトにそんなことを言われる。カヌレの事情にそれほどショックを受けたつもりはなく、むしろ彼女の理由が理解できて納得した気分のつもりだったが、ネイトが言うのならそうなのかもしれないとケイはその事実を認める…………自己分析するならぶん殴りたい奴が勝ち逃げでこの世を去っている不条理からだろう。


 肝心な事にはいつも間に合わないのだ、彼は。


「なあネイト」

「なに、主?」

「明日の作戦に別にお前は参加しなくてもいいんだぞ?」


 ケイがそう告げるとネイトがきょとんとした表情を浮かべる。


「なんで? ネイトが参加しないと作戦の成功率下るよ?」

「それはまあ…………そうなんだが」


 下がらないとは言えなかった。ネイトは非常に優秀な強化兵であり作戦成功に寄与する割合も大きい。もちろん彼女がいなくなったからと言って作戦の成功率がゼロになるわけではないが、元々高いほどではなかったそれが低くなるのは明らかだ。


「お前には、命を懸けてまでネストを倒したい理由はないだろう?」


 ネイトは強化兵として自意識を持たないように作られた存在だ。彼女らは主と設定された対象へと絶対の忠誠を刷り込まれ、その命令に従うことに喜びに感じるよう作られている…………だからその命令による行為そのものに強化兵は何の関心も抱かない。どれだけ過酷で非道な命令であっても主の為に喜んで遂行するのだ。


「理由、あるよ」


 けれどネイトはそう口にする。


「その理由はなんだ?」


 それにケイは驚かなかった。彼女が答えるであろう理由に見当がついているだけに。


「だって主はネストを倒したいんでしょ?」

「…………ああ」


 結局はそれなのだ。主が望んでいるからそれをする、それだけ。


「それじゃあ駄目なんだよ…………そんな理由じゃ俺はお前を連れて行けない」

「なんで?」

「なんでって…………」

「好きな人の願いを叶えてあげたいっていうのは、普通の感情だよね?」

「それは、そうだが」


 確かにそれは普通ではあるかもしれない…………だが強化兵の場合は違う。


「その感情もお前が生まれる前から…………」

「主の命令に従わなきゃって欲求と、ネイトが主を好きなのは別の事だよ?」

「なっ!?」


 ネイトがしっかりと自身の欲求と感情を分析できていたことにケイは驚く。普段の彼女は何も考えずに定められた本能に従っているだけのように見えていたからだ。


「主は細かいことを気にする人間だから自分の感情ははっきりと認識しておけってカヌレが言ってたから」

「…………あいつの仕業か」


 自身からネイトを解放させようと考えているケイと違い、カヌレはネイトをケイにより近づけようとけしかけている。その理由を彼女が口にしたことはないが単純にケイが嫌がってるのを楽しんでるのだろうと思っている。


「だから私が強化兵じゃなくても、主の為にネストと戦うよ?」

「…………そうか」


 それでも、とケイは思う。たとえその好意が植え付けられた者じゃなかったとしても、そもそも強化兵は主に対して悪感情を抱けないように制限されている。嫌われることが無いのだから普通に接しているだけでも好感度は高くなっていくはずだ…ろう………ただ、それでもその感情までも否定することはケイには出来なかった。


 それがいかなる形であれネイトの育んできたものには間違いなく、それを否定することは彼女の生涯を否定することだ。


「駄目?」

「…………好きにしろ」


 ケイが命令すればネイトはそれに従うだろうけど、それは一番ケイのやりたくないことだ。それであればもはや認めるしかない。


「うん、ネイトは好きにします」


 それに嬉しそうに、ネイトは頷いた。



                ◇


 良く晴れた昼下がり。世界が崩壊してから空を汚すものが激減したからか、戦争時には淀んでいた空も今は目が覚めるような青い色をしている…………けれどそんな気持ちのいい光景に多数の機械音が水を差していた。


 地下施設に保管されていた起動可能な自動機械郡はおよそ千。その全てが与えられた命令のままに真っ直ぐに目的の方向へと突き進んでいる。しかし彼らがネストへと辿り着くことはないだろう…………辿り着く前にそれを察知したネストの防衛機構が働き、迎撃の為の自動兵器群が放たれるからだ。そしてその数は千を大きく超えるはずであり、優秀な科学者がどれだけソフト面で改良したところで全滅までの時間が僅かに伸びるだけでしかない。


 けれど、その僅かな時間がとても重要なのだ。


 なぜなら、その時間だけ確実にネストから戦力が減るという事なのだから。


 それはこの場にいない彼らにとって非常に重要な事柄だ。

 まもなくこの場では誰も見る者のいない機械たちの争いが始まる。


 そしてそれと同時に、人と機械の争いも始まるのだ。

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