第9話
「ま、別にそんなに難しい話じゃない。お前らが俺たちを邪魔できなくなる時間まで眠っていてもらうってだけだ。起こす時間もそっちにそれなりの余裕がある時間にしておくつもりだから、必要な物を搔き集めて逃げるなりここに引き籠るなり自由にするといい」
生体調整は専用の装置に入る必要があり処置の間は意識を失う。つまりアキとシキという強化兵を安全に無力化するにはちょうどいい手段なのだ。工程は全て自動で行えるし終了の時間設定も可能だからその間にケイ達が施設を離れても問題ない。
「…………私達はあなたの差し伸べた手を払って敵対したんですよ?」
困惑を隠そうともせずにムラサキが尋ねる。彼は充分すぎる条件を提示されてなおケイに敵対して敗北した…………それなのに降伏したムラサキには最初とほとんど変わらない条件が提示されている。生体調整を行うよう要求されてはいるが、それにしたって元々行うつもりではあったから変わらないとも言える。
もちろん一度敵対した相手に無防備な状態を晒すリスクはあるが、殺すつもりならすでにやっているはずなのだ。
「あのな、殺すつもりならこんな面倒な事はしてねえよ。それならあの場でお前らを全員撃破して終わりだったんだからな」
「私達くらい倒すの楽勝だってこと?」
ムッとした表情でアキがケイの声が響く天井のスピーカーを睨みつける。
「楽勝ではないな」
それにケイが平然とした声で事実を告げる。
「楽勝じゃないからこそあの場でお前らを殺さずに
アキもシキもムラサキの為であれば死も
「あの場で無理しなければお前らの行動は決まってるから罠を張るのは簡単だ…………まあ、これは俺の手柄というか仲間の手柄だがな」
「流石に最上位権限のコードを無効化できる仲間というのは想定外でした…………いえ、私にとってあなたという存在が大きすぎたんでしょうね」
ムラサキはケイと相対することだけを警戒してその仲間の技量にまで思考を向けなかった。彼の知る限りケイが電子系に明るいという情報は無かったし、その未知のエキスパートを仲間に加えている可能性に思い至るべきだった…………いや、思い至ってはいたけれどケイのような基準の相手とは見ていなかったのだ。
だからこそ最上位権限のコードを使ったシステムリセットで満足してしまい、それが失敗した可能性を想定することなく施設へ降りてしまった。
「ですが一つわからないことがあります」
自分が敗北した理由は明白だが、それでもムラサキには疑問が残る。
「なんだ?」
「…………なぜここまでして私達を生かそうとするのですか?」
最初に好条件を示されたのもそうだが、ここまでして自分達を生かそうとする理由がムラサキにはわからなかった。過去に関わりがありはするものの同じ連合軍にいたというだけであって、面識そのものはムラサキが一方的に持っているだけだった。
つまるところケイとムラサキたちは、ほんの数分会話を交わしただけの間柄でしかないのだ。
「俺はネストを倒す」
決意でも何でもなくこれから実行する事実を語るようにケイが告げる。
「そしてネストさえ消えれば人類が再興する土台はまだ残ってる。だが土台があっても肝心の人類が残ってなきゃ意味がねえ…………俺はお前らが気に入った。自分の大切な物の為なら手段は選ばないって心意気がな。俺としてはそういう奴らに人類を再興してもらいたいだけだ」
「…………そうですか」
自嘲するような表情でムラサキは納得する。つまり彼にとって自分達はあの時の難民と同じなのだ…………軍人ではなく保護の対象なのだ。
生き延びるためだけに生きて来た自分はもはや軍人ではない。
軍人であることはとうの昔に捨てたはずなのに、その事実はムラサキの胸を強く締め付けた。
◇
「生体調整の設定は全て済ませたよ」
「余計な真似はしてないだろうな?」
医療室から戻って来てそう告げたカヌレにケイは即座に確認する。
「余計な真似って?」
それにあえてカヌレはとぼけるような返答を返す。それが自分を揶揄するようなものであるのは明らかだったが、だからといってケイもそれで会話を打ち切るわけにもいかない。
「俺たちがここを出立した後にあいつらが死ぬように仕組んでたりしないかってことだよ」
「まさかそんな真似しないとも」
心外だ、というようにカヌレは肩を竦める。
「お前なら不確定要素を減らす為ってやりかねえないんだよ」
だからこそケイは釘を刺す意味で確認しているのだ。ここで懸念を口にすることでムラサキの達に何かあればきっちりその原因を追究するぞと警告する意味で。
「確かに私は彼らを消した方が合理的だと考えているけどね…………一番の協力者である君の機嫌を損ねるリスクを負うほどでもないと判断しているよ」
「…………一番の協力者、ね」
目の前の幼体固定された科学者との出会いをケイは思い出す。難民たちを救う戦いで瀕死の重傷を負い、気が付けばカヌレによってその治療と同時に生体調整を施され若返ってしまっていた…………そして元に戻せと要求する彼に彼女はネストを倒す協力をするように持ち掛けたのだ。
元々ネストを倒すつもりはあったからその要求をケイは受け入れた。しかし一方的な脅しで協力関係が通ったことでカヌレは自分がネストを倒したい理由を口にすることはなく、これまでケイが尋ねてもそれをずっとはぐらかして来た。
「いい加減、話してくれてもいいんじゃねえか?」
「なにをだい?」
「お前がネストを倒す理由をだ」
じっと、自分を見るケイにカヌレは溜息を吐く。
「別になんだっていいじゃないか。私にあれを倒す必要があるのは確かだし、その為には全力を尽くすつもりであるのは間違いない」
「かもな」
それ自体はケイも認める。彼の知る限りこれまで彼女がネストを打倒するために手を尽くしてきたのは間違いのないことだ。
「だが今回はお互いに命を預け合うことになる作戦だ。それなのにお前がネストに向き合う理由が分からねえとそれに躊躇いが出るんだよ…………戦場じゃ致命的になりかねん」
一瞬の躊躇が死を招く、それが戦場なのだから。
「やれやれ、作戦に必要と言われたら口を噤めないじゃないか」
諦めたようにカヌレはもう一度溜息を吐く。
「まあいいさ。いずれ話す必要がある事だったしね…………なにせ君のその姿にも絡む話だ」
「なに?」
姿と言われてケイが眉をひそめる。脅しの為に彼を若い姿にしたのだと思っていたが、その物言いは別に理由があるという言い方だ。
「私がネストを倒す理由は二つある」
ただすぐにそれを説明するつもりはないらしく、カヌレはそう切り出した。
「一つはそれが単純に私の製造された理由だからだ」
「製造、だと」
「別にあの時代では珍しくなかった話だろう? 強化兵が前線で力を発揮するよう身体能力を高めて生み出されたように、技術者や研究者とするために知能を高めるよう遺伝子操作されて人工子宮から生み出されたのが私という事さ」
「…………そういやそんな話も聞いたことはあったな」
興味がないからほとんど覚えていないが、新兵器開発を担っているのは主にそうやって生み出された研究者たちであると誰かから聞いたような覚えがケイにもあった。
「そして私が製造された目的はネストの打倒を遂行するためだ」
ネストという脅威に対抗するために優秀な人材を生み出す…………それだけ見ればなにもおかしい話ではないように思える。
「待て、それはおかしくないか?」
しかしケイはそれに納得できない。
「流石にそれは悠長過ぎるだろ」
ネストを打倒するためにその方策や兵器を考えうる可能性のある人材を生み出す…………それはすでに目の前にネストが存在して国家が追い詰められている時点では悠長過ぎる。あの時に必要だったのは速効的な対抗策だ。いくらネイトやカヌレのようなデザインドヒューマンの成長が早くとも実用段階になる頃には遅すぎる可能性が高い。
「その通りだね」
そしてそれはカヌレも認めることだった…………だからその答えを口にする。
「だから私はね、ネストが稼働する前に製造されたんだよ」
遅すぎず、自らは早すぎる存在であったのだと。
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