第57話

 朝比奈は板垣と昼食を共にした後、未来倉庫Fに向かっていた。車はオートドライブで走らせた。2人はデザート代わりに買ったバナナとアイスカフェオレを手に、モニターを見ていた。


『……核廃棄物管理事業団と関連機関からの献金を受けた政治家、私的遊興に使った機関幹部と官僚を洗い出せ。それが高木支局長の弔い合戦だ……』


 八木次長が真顔で力説している。もちろん録画映像だ。配られたのはひと月ほど前だった。食事の席で八木次長の話になり、それを見せることになった。


「弔い合戦とは古い……」


 板垣がフッと笑みを浮かべ、すぐに真顔に戻った。


「……失礼。亡くなられた高木支局長は朝比奈さんが信頼する上司でしたね」


「はい。高木支局長がいなければ、秋川理事長の犯罪を暴くことはできなかったと思います。板垣さんという知己を得ることも……」


 バナナの皮をむいて頬張った。ショッピングモール内でたまたま目に留まったものだ。熟したバナナが甘味を残して胃袋に流れ込んでいく。


「ええ、……あなたは調べ、私は調べられ……。バナナのように丸裸にされる。……まさか、そんな相手と友人になれるとは思ってもいませんでしたよ」


 板垣が微笑んだ。


「僕が調べるのは核廃棄物管理事業団をはじめとした組織です。板垣さんを調べるわけではないですよ」


「気を使ってくれて、ありがとう。……遠慮はいりません。所詮、組織は人の集まり。人と人の化学反応が組織です。組織の核たる個人を調べることも必要です。組織も人も、そうした眼があればこそ、活動を正すというものです。それで世の中が良くなるというのなら、ドンドン調べるべきだ」


 彼もバナナを頬張ると、視線を遠くに向けた。何かを懐かしむような表情をしていた。


「組織の核ですか……」


 彼の意見に心を強くした。一方、ドンドン調べるべきだと背中を押されながら、辰巳昭之助の背後関係の調査に全力を投じていないワールド通信社の姿勢に後ろめたさを覚えた。


 約40分のドライブで、車は未来倉庫Fの駐車場に入った。


 事務棟の出入り口には風除室のような小部屋が増築されていた。室内のセンサーが武器や爆発物をチェックし、異常があると前後のドアがロックされて閉じ込められてしまう仕組みだ。


 チェックを通過して事務室に入る。そこは前に尋ねた時と何ら変わっていなかった。いや、ひとつだけ変わっていた。所長が木下ではなくなっていた。


 新しい所長が緊張した面持ちで挨拶を言った。形式的なものだ。板垣が「ここは私が」と対応すると、所長はホッとした様子で別室に引っ込んだ。


 板垣が開けたドアの先には地下に続く階段があった。それを下りた場所にもセキュリティーがあった。それを通り抜けると電子機器が並ぶオペレータールームだった。


「いらっしゃいませ」


 朝比奈はオペレーターに迎えられる。皆、生き生きした表情をしていた。それに比べたら、板垣は難しい顔をつくっていた。


「部外者の方に公開するのは初めてですよ」


「見せていただく以上は、記事にしますよ」


「ええ。その覚悟も自信もあります。記事が出れば周辺住民も安心するし、厳重なセキュリティーにテロリストも慎重になるでしょう。では、こちらに入って、指示通りにしてください」


 朝比奈はオペレータールームに隣接したスキャナールームにひとりで入った。洗面所ほどの空間で、大きな鏡と沢山のセンサーがあった。


 ジーっという鈍い電子音がした。それから天井のスピーカーから声がした。『手のひらを前に』『左右の壁を見て』『名前を言ってください』と三つほど指示があった。


「はい、OKです」


 ドアを開けた若いオペレーターが言った。まるでレントゲン検査を受けた時のようだ。


「朝比奈さんの虹彩と静脈、指紋と声紋、骨格のデータをいただきました。出る時には抹消しますから安心してください」


 説明する板垣の後について廊下を歩いた。


「せっかく見学するのですから、ヤードから順を追って案内しましょう。……クレドルゴールド・システムの所在地の公開を決めてから、セキュリティーは10倍程度には強化したつもりです」


「それは苦労されたでしょうね。」


「予算を取るのには苦労しましたが、未来のことを考えれば安いものですよ。ただ、まだ足りない。入れないだけのセキュリティーには限界がある。排除する仕組みが必要です」


「恐ろしい話ですね」


 朝比奈は高木の顔を思い出した。国家の安全のために危険を排除するのは必要なことだが、それにも手続きというものがあるのではないか?


「通って来たでしょ。入口の小部屋もその一つです。あれはテロリストを閉じ込めて警察を呼ぶためのものですが、エジプトの王や中国の皇帝の墓を考えてみてください。人を殺す仕掛けがある」


「それでも盗掘されますよ」


「ええ。奪うものと守る物の戦いは、守るべき物がある限り永遠に続きます」


 板垣は冷たい表情をしていた。


 廊下の先は鋼鉄製のドアで、その奥はやはり階段だった。それを上ると体育館ほどの広さのトラックヤード。


「思ったより広いのですね」


「奥にも三つほどヤードがありますよ」


 朝比奈と板垣の声が厚いコンクリートの壁に反響した。


 天井には青白いLEDライトとクレーンが異動するための黄色のレールがシンプルな幾何学模様を作っている。


「ここで降ろしたドライキャスクを貨物用のエレベーターで地下におろします」


 板垣の案内で巨大な貨物用のエレベーターに乗った。


 ――グオン……――


 それが動き出すと鈍い音がする。思ったより静かだった。


「核廃棄物管理事業団の岩城理事長が辞職されましたね」


 取材の一環として尋ねた。岩城は板垣が信頼していると言った数少ない人物だ。何か情報があるかもしれない。


「ええ、大池総理は慰留いりゅうしようと説得したそうですが、岩城さんは聞き入れなかったそうです。よほど責任を感じたのでしょう」


「大池総理が……」


 つい、彼らが強い絆で結ばれた仲間ではないか、と想像した。が口にしたのは全く逆のことだった。


「……以前、板垣さんが立派な方だと言ったのは、その通りだったのですね」


「まぁ、その後いろいろあったのですが、最後の最後、筋を通されたのでしょう」


 彼の声が沈んだ。


「今時、政治家でも企業のトップでも、責任を取ると口では言っても、実際にそうする人は少ないです。大概、多少の報酬をカットするだけです。それで辞めたのなら、人格者といっていいのではないですか?」


「それについては面白い話があります」


 彼が朝比奈に目をむけて口角を上げた。


「教えてください」


「大池総理が天下り先を斡旋しようとしたそうです。すると岩城理事長は、どこの役職を望んだと思います?」


「まさか、……総理とか?」


 ――アハハハ――


 彼の笑い声が巨大なエレベーター内に反響した。


「ハンバーガーショップの店長の椅子だそうです」


「ハンバーガーショップ?」


「総理に向かってハンバーガーが好きだと言ったそうです。岩城さんがそんなものを好きだったとは、……初めて知りましたよ。権力に執着せず、自分の、いや、人間の限界を知っている。それがあの人の良いところです」


「もしかしたら、板垣さんが僕の名刺をやったのは、岩城理事長ですか?」


「ええ、そうですが、何か?」


 彼が目を細めた。


「いや、なんとなく、そんな気がしただけです」


 朝比奈は確信した。ハンバーガーショップの袋にメモリーカードを入れてよこした情報提供者は岩城だったのだと。その動機が、人間の限界ということなのか?……いつか彼に、取材したいと思った。


 巨大な貨物エレベーターを降りると大きな扉が道をふさいでいる。その横に人間用の小さな扉があり、板垣が掌を載せて名前を言った。生体認証だ。


「朝比奈さんも同じことをしてください」


 朝比奈が指示の通りにすると、目の前の扉が開いた。


「エレベーターまでは、職員が一人いれば入室できますが、ここからは各個人のセキュリティー認証が必要です。2人以上が同時に入ると、次のドアが開きません」


「掌は、静脈認証ですか、指紋ですか?」


「認証方式は、朝比奈さんにでも教えられませんよ」


 板垣が楽しげに言った。


 扉をくぐるとガラス張りの部屋に出た。鉛ガラスの向こう側は大きな扉から続く空間のようだ。


「向こう側が、ドライキャスク容器からポッドに使用済み核燃料を詰め替える作業室です。……安心してください。この部屋が放射線の影響を受けることはありませんよ」


 そうしていくつかのセキュリティーを通過し、2人は広いプールの前に立った。


 作業フロアでは、ポッドの間を移動している作業員の姿がある。


 足元は鋼鉄製の鉄板で、大半は網状になり5メートルほど下に水面が見えた。そこは水路の部分で小川のように水が流れているが、左右に広がるコンクリートの壁に囲まれたプールの水は、流れているようには見えなかった。


 朝比奈は通路の手すりに近寄り、プール全体を見回した。天井のライトが水面に反射して青く幻想的な風景を作っている。その水面に赤と白色に塗られた小さなブイが等間隔で浮かんでおり、その下に水面とは別に光を反射するポッドが眠っていた。


「鍾乳洞の中にある地底湖のようですね」


「ここに来た人は、皆さん、同じように言います」


「青い輝きも綺麗ですが、冷たい感じですね。科学の象徴でしょうか……」


「科学はそれほど冷たくはありませんよ。このような施設は、どこもこんなものでしょう」


 朝比奈は天井を指さした。


「LEDライトをオレンジ色にしませんか、……人間的な雰囲気になると思います」


 板垣が天井を見上げた。


「それも悪くはないな。太陽のイメージに近くなる。核融合を繰り返す太陽の下に核分裂を済ませた燃料があるのは象徴的だ」


 板垣の言葉に、難しいことを言う人だと思った。


「ポッドは、いつまで保管されるのでしょう?」


 素朴な疑問を口にした。


「クレドルゴールドは、Nuclearが人体に影響なくなる時期まで、水中で眠りを貪るのです。期間は核種にもよりますが、そのために、どれだけ子孫の金を消費するのか、今のところ見当もつきません」


 板垣の返事が数か月前、科学者は金のことに無頓着だ、と言った朝比奈に対する回答だとわかった。が、その事には触れなかった。


「私たちは、物語の終章を見ることはないのですね」


「万年単位の話ですからね。人間の寿命など……。利益を生まなくなったNuclearのために、政府がいつまで施設を維持しようとするか……。資金が枯渇すればクレドルゴールド・システムは放置され、誰も最後を見届けることがないのかもしれません」


「でも、やらなければ地球は終わる」


「ええ。世代を重ねてNuclearの眠りを見守る。それがクレドルゴールドの本当の意味なのですよ」


 板垣に教えられ、朝比奈は祈った。無用の長物と化した金食い虫の核が永遠に地下水脈の中で眠り続けることを……。

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Nのゆりかご 明日乃たまご @tamago-asuno

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