第55話
朝比奈は東京に来ていた。前日、栃木県警を訪ね、高木の事件の捜査が公安部に移った理由を尋ねた。しかし、教えてもらえなかった。実際は、その理由を栃木県警側は知らされていなかったようだ。ただ、調査資料を持ち去ったのが長崎という若い公安部員だということを聞き出し、警視庁に彼を訪ねるつもりだった。
警視庁へは東京支局の山城と訪ねた。彼らの縄張りで活動するのに気を使ったというのは建前で、今後も彼の力を借りることがあるだろう、という思惑があった。
「支局長代理、ずいぶん若いのですね……」
山城が自分より10歳も若い朝比奈を値踏みするような目で見ていた。
「……その若さで支局長代理とは、さすが、高木さんが育てただけはある」
彼は世辞とも嫌味とも取れることを言ったあと、通いなれた警視庁の窓口で面会の手続きをとった。
ロビーに姿を見せた長崎は、30歳前後のイケメンだった。朝比奈には彼の顔にかすかな見覚えがあった。相手もそうなのだろう。朝比奈に気づくと、全身に緊張を走らせた。が、それは一瞬のことで、すぐに平静を装った。
「山城さん、お待たせしました」
「お時間をいただき、ありがとうございます」
長崎と山城はにこやかに挨拶を交わした。朝比奈も何食わぬ顔で名刺を交換した。
「ここでは何ですから……」
長崎に導かれ、人気のない応接室に入った。
「早速ですが、ウチの支局長が亡くなった事件の捜査がこちらに移ったと栃木県警で聞きました。長崎さんがあちらから捜査資料を運んだということなので……」
口火は朝比奈が切った。事故の捜査が栃木県警から警視庁公安部に移った経緯を尋ねると、彼は穏やかに微笑み、首を横に振った。
朝比奈は息がつまる思いだった。彼の笑みで、彼とは会ってないことに気づいた。その笑みを前に見たのは、有希菜が泣きながら見せたスマホの写真だった。彼こそ、宮崎幸紀と名乗って有希菜を誘惑した公安部員だった。
一瞬、怒りが頭の天辺に達した。拳を握り、それを抑え込んだ。今は捜査状況を確認するのが先だ。
「自分は一介の担当者ですから、そうしたことをお答えする立場にありません」
彼は事務的に返答を拒んだ。普段なら、そこで責任者を呼んでもらうところだが、朝比奈はそうしなかった。上司が出てきたところで、公安相手では満足な返事は聞きだせないだろう。それなら別な作戦を取るべきだ。
彼の返事を無視して質問を重ねる。ノーと言わないのはイエスと同じだ。
「公安部が乗り出したということは、何らかの組織の関与が疑われているということですね?」
彼の表情に困惑があった。若いのだ。メディア対応など、経験がないのだろう。
「先ほど答えたとおりです。それ以上は何も……」
彼が必死に踏ん張っているのがわかる。
「あの事故には、電子機器を壊すような特殊な武器、あるいは装置が使われたと考えていいのですね。だから公安部が出張った?」
「そうした質問にはお答えできません。では……」
長崎が席を立った。
「待ってください。ならばせめて教えてください。あなたが宮崎と名乗って佐伯に近づいた理由です」
朝比奈の質問に、長崎ののどがグッと鳴った。何も知らない山城は目を丸くした。
「長崎さん、あなたが良心を持ち合わせているなら、せめてそのことには答えていただきたい。そして佐伯に……」
謝罪しろ、というところをあえて言葉を濁した。
「……自分は、そんな……」
彼は明らかに動揺していた。
「国民の安全を守る公安が、女性を傷つけたなど、私も報じたくはありません。まぁ、掛けてください。大人同士の話をしましょう」
思わせぶりに誘うと、彼が座りなおした。
「ちなみに、バイクに乗って高木の車に電磁波を浴びせた容疑者は上がっているのですか?」
改めて問い
「どこの組織の人間ですか?」
「無理だ。言えるはずがないでしょう」
そう応じる彼の目には強い拒絶の色があった。それで質問を変えた。
「現在の秋川氏の供述内容について教えてください。横領した20億の使途は判明したのですか?」
「それは、近いうちに発表がある。それを待ってほしい」
「秋川は、高木支局長の殺害を認めたのですか?」
「いいや、それは断固、ない、と本人は主張している」
「間違いないのですか?」
「高木記者は、秋川が横領したことを公表しない代わりに、自分の知らない事実関係を全て教えろと脅かしたそうだ。彼が知らなかったのは、秋川個人から政治家に渡った金のことぐらいらしい。秋川は高木を追い返すために全て教え、金まで払うと言ったそうだ。自分は脅迫を受けた被害者だと言っている」
「高木支局長が金を要求したと?」
朝比奈は開いた口が閉まらなかった。高木支局長が金を要求するはずがない。一方で、情報を引き出すためなら、きわどい言い回しをするだろうと考えていた。
「まぁ、真実を聞き出すために我々は様々な手を使う。秋川にとっては、それが脅迫に聞こえたのだろう。高木支局長が金を受け取っていたら、事態は変わったかもしれないな」
山城の話はどこか遠くのことのように聞こえた。
「秋川は、高木が金を受け取らないので信用できなかった、と言ったそうです。報酬を望まない人間は正直ではない。だから信用しないというのが、一種の信条のようです。自分にはそんな人間の方が信用できませんが……」
それまで口の重かった長崎が、自ら語った。それは、公安部員は金銭的な報酬では動かない、と言っているように聞こえた。
「その辺りが殺害の動機でしょうか?」
「いえ、先ほど話したように秋川は、高木殺害に関しては全く身に覚えがないと主張しています。我々は、その言葉には嘘がないと考えています」
どうして公安部が、秋川は高木殺害に関与していないと断言できるのか、理解できなかった。
「では誰が?」
「それを捜査しています。これで良いですか?」
彼が再び腰を浮かした。
「秋川に、アリバイはあるのですか?」
朝比奈も立った。
「あの日、秋川が秘書と都内のクラブで酒を飲んでいたのは裏付けが取れています。第一彼はバイクに乗れない。直接、手を下すのは不可能です」
彼が応接室のドアを開けた。出て行けということだ。
朝比奈は彼の正面に立った。
「男女のことであれこれ言うつもりはありません。しかし、それを捜査に利用するのはどうでしょう。せめて本名を名乗っていてくれたら、彼女の心の傷は浅かったのかもしれない。……どうです。謝罪の手紙ぐらい出してもらえませんか? 私は、ここであなたと会ったことは話しません」
そう告げて警視庁を後にした。
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