第54話

 朝比奈は、ワールド通信社への情報提供者、板垣からすれば密告者を知ろうとする彼の電話に対応しながら考えた。状況を一歩進めたいと思った。


「……板垣さんだから正直に話します。私にも、その提供者が誰なのかわからないのです。私はそれが、ずっと板垣さんだと思っていたほどです」


 記憶の中でハンバーグの香りが蘇る。彼の声はやはり板垣とは違うだろう。もう少し太く、皺枯れたものだった。


『なるほど。外部から見ると、密告者は私と似た資質を兼ね備えた人、ということですね』


「これは参りました。やはり板垣さんはすごい人だ。お願いですから、それ以上詮索するのは止めてください」


『ふむ、……わかりました。善処します……』


 官僚的な言葉は朝比奈をいらつかせた。それを察したのかもしれない。彼は申し出た。


『……近いうちに福島に行きますので、食事でもどうです?』


 それは取材の良い機会になる。朝比奈は申し出を受けた。ついでに、賭けにでることにした。


「……その時、未来倉庫Fの地下を見学させてもらえませんか? 特定秘密解除の一歩になると思います」


『それは面白い。いいでしょう』


 彼は即答した。


 さすがに頭の回転が速い。クレドルゴールド・システムの所在地の特定秘密解除は、彼も真剣に臨んでいると確信した。


「板垣さん、私への連絡は、プライベートの携帯の方でいいのですよ。それなら自宅でも手放しません。社の誰にも、通信記録が覗かれることもありません」


『あぁ、それが朝比奈さんの名刺をある人にあげてしまいましてね。……そうだ。教えてもらえますか、携帯番号?』


「もちろんです」


 彼との距離が更に近づいた気がする。携帯番号を告げて電話を切った。


「ヨッシ!」


 思わず立ち上がり、記録を更新したアスリートのようなガッツポーズを作った。


「朝比奈さん、どうしたんです?」


 有希菜が目を丸くしていた。


「クレドルゴールド・システムを直に見られそうだよ」


「それがガッツポーズを作るほどのことですか?」


 有希菜には、それがどういう意味を持つのかわからないらしい。肩透かしを食らった気分だ。


「まあ、いいよ」


 ふと違和感を覚えた。板垣が自分の名刺を誰かにやったという話だ。どうしてそんなことをしたのだろう?


 プライベートの電話番号を印刷した名刺は、親しい相手、あるいは親しくなりたい相手に渡すものだ。板垣にそれを渡していたから、情報提供者が板垣だと考えていた。もし、板垣からその名刺を受け取った誰かがクレドルゴールド・システムに疑義を持つ人物なら……。


 ――プルルルル――


 思索を電子音が遮った。朝比奈の机の電話だった。


「よく電話のある日だ……」


 ぼやきながら受話器を取った。


『支局長代理、ご機嫌はいかが?』


 斉藤支局長だった。


「斉藤支局長まで、からかわないでくださいよ」


 高木の亡き後、支局長の後任は決まっていなかった。そのために朝比奈を代理と呼ぶ社員が多い。彼らにすれば、若くして支局にひとりになった朝比奈を揶揄やゆしているのだ。


『あら、聞いてないの?』


「何を、ですか?」


『あなたが正式に支局長代理になるのよ。内示が出たはずだけど。……八木次長から連絡はない?』


「先ほど電話はありましたが、そんな話は少しも出ませんでしたよ」


『なるほどね。福島支局は八木次長にとことん嫌われたみたいね』


 斉藤がウフフと笑った。


「今回の件で、新潟支局も嫌われたのではないですか?」


 朝比奈は言い返した。


『そうなのよ。スクープを出したのに冬のボーナスは減りそうよ』


 ぼやくように言った後、アハハと笑う。


『でも、あなたの支局長代理就任は、実力が認められたということよ』


「八木次長に、……ですか?」


『まあ、そういうことかもね』


 朝比奈は、まさかと思う。先の電話で受けた印象は、実力を認められたなどというものではなく、むしろ恨まれたというものだ。恨むような相手を出世させるだろうか?


 持ち上げてから落とす?……そうした可能性を思い浮かべると背筋が凍った。


「それにしてもわからないことがあります」


『あなたにわからないことなんて、なにかしら?』


 彼女は尚も朝比奈をからかった。


「どうやって、記事を通したのですか?」


『それは秘密って言わなかった?』


「言っていませんよ」


『そうだったかしら』


「ええ。秘密と言ったのは、秋川理事長の残高ルートの件だけです」


『よく覚えているのね』


 彼女の声から笑いが消えた。


「一応、記者ですから。教えてくださいよ」


 びるように言ってみる。


『うーん。どうしようかな……』


 今日の彼女の話は長いと感じた。まるで老練なスナックのママだ。……これが彼女のテクニックなのか? 根負けしそうだ。


「お願いします!」


 声を張って爽やかな青年を演じた。


『まあ、いいわ。教えてあげる。……株主を動かすのよ』


「株主……ですか?」


 意外だった。


『そうよ。うちだって株式会社だから、大株主には弱いのよ。これ、資本主義の常識。……私はね、大株主とのコネクションを持っているのよ』


「なるほど」


 言われてみれば単純なことだった。謎がひとつ消え去った。


『簡単でしょ?』


「理屈はそうですが、持って行きようは危険ですね」


『それはそうね。下手をしたら株を売られ、会社の首を絞めることになるもの。両刃もろはの剣よ』


「インサイダー取引と疑われる可能性もあります」


『そうそう。でも、会社に復讐するときは、この手に限るわよ』


「恐ろしいことを言うのですね」


『私は世間の労使関係というのが嫌なの。経営者と労働者、会社と社員、……それは対等な関係でなければならないわ。使い捨てにされるつもりはない』


 斉藤の話には一種の気迫、覚悟のようなものが感じられた。


『で、そっちに新しい情報はない?』


「東京支局の山城さんから……」高木支局長の事故の捜査に公安部が乗り出していることを伝えた。


『公安部が?』


 彼女の反応も朝比奈と同じだった。


「その件は少し調べてみるつもりです」


『そうね。そうしてください』


 彼女は満足そうに応じて電話を切った。


 受話器を置くと、横に有希菜が立ってた。


「おめでとうございます」


 プリントアウトした紙を持っていた。支局長代理に任命するという辞令だった。


「私宛のメールに添付されていました。原本はメール便で送ってくるそうです」


 有希菜が小走りに給湯室に向かう。


「おいしいお茶、入れまーす」


 走った先から声が届いた。


「誰からのメールだった?」


「八木次長でーす」


 声が飛んでくる。


 朝比奈は手渡された紙を見ながら、心をくすぐられる気分を味わった。同時に新しい支局長が来ないと知って気が重くなった。会社は、福島に2人もの記者を割けない、その程度のエリアだと判断したのだ。今後、毎月のように八木次長から記事の催促も受けることになるだろう。それが憂鬱の原因だった。


 これが八木次長の腹いせか?……大きなため息がこぼれた。


「お茶はいらないよ。出かけてくる」


 朝比奈は立ちあがる。栃木県警で、高木の事件に公安部が乗り出した理由を確認するつもりだった。


「職業病だな……」車の中でつぶやいた。


 きっと高木支局長も同じだったのだろう。あの人はいつも事件のことばかり考えていた。……目頭が熱くなった。

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