第53話

 ワールド通信社は、秋川理事長の横領事件に続き、政府が海外からの核廃棄物の受け入れを国民に了解も告知もすることなく実施していたこと、そして核廃棄物管理事業団が管理料を海外の契約先と日本政府の両者から二重取りしていたこと、次世代エネルギー創造公社から政治団体に献金が行われていたことなどを厳しく報じた。


 秋川から裏金が渡っていた政治団体の関係者には各支局の記者が取材に当たっていたが、それを認めたのは極わずかな事務員だった。代表を務める政治家たちは無視するか、秘書に責任を転嫁した。


 そうして秋川の横領事件のスクープから2か月後、彼は警視庁の手によって逮捕された。団体職員の横領のような経済事件としては異例のスピード逮捕だった。それだけ政府が、事件の早期幕引きを望んでいるのに違いなかった。


 逮捕現場は事前に一部のマスコミにリークされ、大手テレビ局が現場を報じるに至った。政府によるメディア対策の一つに違いなかった。大手メディアはそうした情報、あるいは優位な立場を得るために、政府に不都合な報道を控えることがあった。


 その日、朝比奈は事務所のテレビで秋川理事長逮捕の瞬間を見ていた。彼が警察車両に押し込められ、感情を殺した表情がクローズアップした。


「朝比奈さん、とうとうやりましたね」


 感慨深いとでもいうような声を発したのは有希菜だった。少しだけ上から目線だ。しかし、朝比奈の感情は乱れていて、それに気づくことはなかった。


「ああ……」


 それ以上話すと涙がこぼれそうで言葉をのんだ。


「でも、まだまだですよ。高木支局長を死に追いやった犯人が捕まって、いえ、ワールド通信社で追及できていません。いつわかるんですか、朝比奈さん?」


 まるで支局長のように追求する。


 僕だって犯人を知りたいよ。……朝比奈はテレビの前を離れた。捜査の進捗状況を確認するために、栃木県警に向かうつもりだった。


 ――プルルルル――


 ドアノブを握った時、朝比奈の机の電話が鳴った。有希菜が受話器を取り、朝比奈を呼んだ。八木次長からだという。


「朝比奈です……」


 新たな情報など期待しなかった。不審が先に立った。

 

『どうだ。気持ちがいいか?』


 彼は自分の反対を押しのけて公表した記事が、秋川理事長逮捕に至ったことを言っていた。


「いいえ。高木支局長の名前で事件を公表出来たらよかったと思いますから」


 率直に答えると、電話の向こうから荒い鼻息がした。


『編集局には編集局のルールがある。それを頭越しにするとは、高木といいその部下といい、大した度胸だ。しかし、このままで済むとは思うなよ』


 八木はそれだけ言うと電話を切った。


「ばか野郎!」


 切れた電話に吠えた。立ち上がると、クマ牧場の熊のようにうろうろ歩き、自分のデスクを蹴飛ばした。


 普段なら朝比奈をからかう有希菜が、神妙な面持ちでいた。


 再び電話が鳴った。今度も有希菜が取って朝比奈に代わった。


『優秀な朝比奈さんだね。東京支局の山城です』


 その口調から、自分より年上だろうと判断した。彼は高木の事故に関わる情報を得たと言った。


『……秋川理事長は反社会的勢力とつながっていたようです』


「それはどこからの情報ですか?」


 朝比奈は山城と同じことを考えた。高木の死亡事故と秋川がつながった。すなわちそれは殺人事件だ。もちろん、今のところ推測でしかない。


『警視庁です。我々は八木次長の指示で秋川の周辺を探っていた。もちろん横領の方だが。……しかし、何も見つからなかった。さすが警察は違う。反社の筋が出てきた。高木支局長の事故の件でも公安部が動き出したようです』


「エッ、公安部?……」違和感を覚えた。「……高木支局長の事故が殺人事件だったとしても、動くのは刑事部ではないのですか?」


『ふむ、……それもそうですね。……でも、いいじゃないですか。公安だろうと刑事部だろうと、犯人が逮捕されれば』


「そういうものですか……」


 釈然としない気持ちで電話を切った。とはいえ、栃木県警に足を運ぶ必要はなくなった。脱力し、椅子に腰を据えた。そうして次の原稿をまとめ始めた途端、また電話が鳴った。それは代表番号にかかっていた。


「今日は、よく電話のある日ですね」


 有希菜が受話器を取って一言話すと、「少々お待ちください」と相手に告げた。


「板垣さんからです」


「おう……」


 期待を持って受話器を取った。


『板垣です』


 電話の向こうの声は弾んでいた。


「元気そうですね。てっきりマスコミに追いかけられて、しょげているだろうと思っていました」


 少しからかってみた。


『いやー』


 彼は珍しく感情を出して笑った。


『秋川理事長らがいなくなったので、仕事が楽になりましたよ……』そこで板垣は声を潜めた。『……どうやら、秋川理事長は反社会的勢力とつながっていたようです』


「それはどこから?」


『秋川の秘書が教えてくれました。これは想像ですが……』板垣にしては珍しく憶測を挟んだ。『……秋川の指示で反社が朝比奈さんの上司を殺害したのかもしれません』


 まるで記者のような口ぶりだった。彼の話は山城のものと一致しており、秋川と反社の関係の信憑性しんぴょうせいが強まった。


 久しぶりによく高木の顔を思い出す日だ、とぼんやり考えながら応じる。


「そうですか。警察には、なんとしても犯人を捕まえてほしいものです」


『朝比奈さん。元気がないですね』


「嫌な上司と話したばかりなものですから」


 苦笑した。


『朝比奈さんでも、そんなことがあるのですね』


「私はただのサラリーマンですよ」


『サラリーマン? 記者は、違うのだと思っていました』


「そんなことを言われたら、記者に戻らざるを得ませんね。……総合サッカー教育センターで話した時に、教えてもらえなかったことがあります。今なら大丈夫だと思うのですが」


 朝比奈は、モニターしているポッド数と帳簿の数が違っていたことを尋ねた。当時は答えてもらえなかったことだ。


『いやー、拙いことを言ってしまいましたね……』


 彼が陽気に言った。


『いいでしょう。それは秋川理事長らが、海外から入った使用済み燃料を日本の物に偽装するときに処理を誤ったためです。ダミーのバーコードで受け入れ処理をしてから同じコードになるデータを書き換えていたのが、スキャン数を誤って一つ多くしてしまったようです。木下自身が白状しましたよ』


「なるほど。共謀者もいるようですね?」


『それはこれからの調査で分かるでしょう。おっと、これは秘密情報の提供になりそうだ』


 板垣はそう言うと笑った。記事にはするなということだろう。


『ところで……』話を継いだのは板垣だった。『……お宅への地下プールの写真を提供したのは誰だったのですか?』


「それが本題ですね。しかし、申し訳ありませんが、情報提供者は教えられませんよ。たとえ板垣さんにでも」


『やはりそうですか……』


 残念そうな声がした。



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