第51話

 朝比奈は、訪ねてきた板垣を応接室に迎え入れた。


「この度はどうも……」


 板垣は初めに高木の事故死について悔みを述べた。それは形式的なものだ。


 朝比奈は、事故の様子などを前置きに話した。ふと板垣が優秀な科学者だったと思いだし、訊いてみることにした。


「離れた場所から電子装置を破壊し、メモリーのデータも飛ばしてしまうような電磁波があるものでしょうか?」


「勿論ありますよ。電子レンジでも簡単にできることです」


「その電磁波を屋外で特定の方向にだけ飛ばすとしたらどうでしょう?」


「ある種の武器に、そういったものがありますね。私は、そういった武器からも原子力関連装置を守るように設計していますから……。それが事故と関係あるのですか?」


 彼が探るような目をした。


「ええ。警察はオートドライブ・システムの故障だと発表していますが、私たちは故障の原因を、意図的に浴びせられた電磁波によるものだと考えているのです。……その電磁波を出す武器は、手に入るものでしょうか?」


「国内でそんなものを手に入れるのは無理でしょう。海外だって、それを悪用されるリスクは考慮されているはずです。たとえアメリカでも、一般人が手に入れるのは難しいと思います」


「すると、事故はプロの手によって起こされたということになる……」


 朝比奈の脳裏を自衛隊や公安部といった組織が過った。しかし、一介の記者に、政府機関が手を掛けるだろうか?


「武器としては売っていないでしょう。しかし、知識さえあれば比較的簡単に作ることができると思いますよ」


 彼の発言に朝比奈は目をむいた。


「それで、自動車に搭載された電子部品のほとんどを破壊できますか?」


「可能だと思います。少なくとも私なら……」


 板垣が断言した。


 朝比奈は後頭部を打たれたような気がした。目の前の科学者が犯行を自白したような驚きを覚えた。


「板垣さんが……」


「私は殺したりしませんよ」


「え?」


「殺人などというものは、リスクが大きいだけで残るものが少ない。違いますか?」


 彼の瞳は豊かな光を湛えている。朝比奈は、卑しい心の内を見透かされたようで恥ずかしかった。


「すみません。こちらの話しばかりしてしまいました……」一呼吸置く。「……何か、重要な用事があって訪ねてこられたのですよね?」


「ええ。相談があってきました」


「私にですか?」


 正直、朝比奈は驚いていた。板垣が自分に相談する内容など、想像もできない。


「ほかに誰かいますか?」


「いえ。私に応えられることがあるとは思えなかったものですから……」


 板垣の目が朝比奈を射抜いていた。しかし、唇はきつく結ばれている。話すべきかどうか、まだ迷っているのだろう。


「……出来るだけのことは答えたいと思います。話とは、何でしょうか?」


 唇からフッと息が漏れる。それが話しはじめる合図のようなものだった。


「実は、ポッドの保管施設の所在を公開すべきかどうか、迷っています」


「位置は特定秘密に指定されているはずですが、それをどうして?」


「結局、職員のロイヤリティーが低下すれば、その場所は洩れてしまいます。すると、沢山の逮捕者を出すことになる。それは本意ではありません。いずれ漏れる秘密なら、そんなものはなくして、この仕事の重要さと意味を、内外に理解してもらった方が良い結果が出るのではないかと思うのです」


「そう言えば、生前、高木もそんなことを言ってました……」彼の名を口にしただけで、目が潤ッとなる。「……仕事には誇りが必要です。私は板垣さんの意見に賛成です」


「そこで、特定秘密に指定されたこれらの情報をどうやって表に出したらよいのか。そこの所の相談なのですよ」


 やられた!……朝比奈は何食わぬ顔をしながら、とんでもないことを相談されてしまったと苦笑した。板垣はワールド通信社を利用して秘密を秘密でなくしようとしているのだ。特定秘密を解除した前例を、朝比奈は知らなかった。


「板垣さん。あなたは型破りな方ですね」


 背中に汗が浮くのを感じていた。


「そうですか? 私自身はそうは思いませんが……」


 板垣はコーヒーのカップを手に取った。ゆっくりとそれを口に運ぶ。


「板垣さん自身は、法に抵触する行為をいとわない。そう解釈してよろしいのですか?」


 彼の覚悟を訊いた。


「できることなら、穏便に済ませたいですね。これでも、準公務員ですから。拘束されて仕事が滞るのも困る」


 彼が微笑を浮かべる。全く腹の底が読めなかった。


「こうやって話していることが知られたら、謀議したとして、テロリストとみなされる可能性もありますよ」


 朝比奈は、板垣の覚悟がどの程度のものなのか知りたかった。


「私としては、働く職員が重要な仕事をしているのだと自身を持って言える環境を作りたいのです。そのためには、職場の秘密をなくすことしかないと判断した。賃金は上げようがありませんから。……施設を公開したうえで、別にテロ対策は実施するつもりです」


「公開した場合、テロリストよりも先に、近隣住民からの批判があると思いますが、その対策は大丈夫ですか?」


「話していると、朝比奈さんの方が官僚のようだ……」板垣が破顔した。「……近隣には丁寧に説明するつもりです。今の設備なら、水素スタンド程度のリスクなのです」


「丁寧に、ですか……」


「申し訳ない。これでは、その辺りの政治家と一緒だ」


 彼が苦笑する。


「リスクが水素スタンド程度でも、安全と安心は別ですからね。住民感情は難しいものです」


「そのあたりの所を、朝比奈さんに援護射撃していただきたいのです」


 それが来所の目的なのだろうか?……朝比奈は、またも困惑した。クレドルゴールド・システムの秘密を暴き、攻撃しようとするマスコミに対して、守れと言っているのだから……。


「提灯記事を出せということですか?」


「私もそこまで図々しい人間ではないつもりです。事実を書いていただければ結構。お願いしたいのは、反対、賛成、どちらにも偏ることなく、不都合なことを隠すことなく、紙面やスポンサーの都合で部分的にでも削除することなく、正確に書いていただきたい。……稼働中の原子炉と異なり、ポッドは冷却されているうえに他の燃料と隔絶している。コンピューターで言えば、スタンドアローンの状態です。核燃料としてはこれほど安全な状態はないのですよ」


 技術的なことはわからない。が、板垣の気持ちは理解できた。こんな時、高木支局長ならどうしただろう?……じっくり考えたうえ、覚悟を持って答えた。


「一つ考えがあります。私は次世代エネルギー創造公社に汚職と裏金作りの疑惑を持っています」


「まさか。そんなことはないはずです」


「そうおっしゃるだろうと思いました。先日話を伺った時、板垣さんはその件をご存じないと感じました」


 板垣が黙った。


「裏金疑惑に絡めて、関連するクレドルゴールド・システムの施設を発表しようと思いますが、どうでしょうか?……記事の目的はあくまでも経営陣の不祥事を暴くものです。これなら、私たちがつかんでいる施設を堂々と公表できます」


「なるほど、どさくさまぎれ、……というやつか……」


「クレドルゴールド・システムの良し悪しについては触れません。それなら板垣さんの仕事の支障になることもないでしょう」


「住民の反発は覚悟のうえですが、汚職と裏金作りの疑惑がついて回ると、当方の主張に耳さえ貸してもらえない可能性がある。……次世代エネルギー創造公社のイメージダウンは、その後の住民折衝に影響が出そうですね」


「少なからず出るでしょう。F1の事故処理では除染、生活保障、処理水の海洋放出、デブリ回収遅れなどで、住民の不信には根深いものがあります。使用済み核燃料の管理事業で甘い汁を吸っている官僚や政治家がいると知ったら、どうなると思います?……更に市民の不信感は増すでしょう。今回のチャンスを逃したら、国民への情報開示のハードルは、さらに高くなるのではありませんか?」


 朝比奈は、こぶしを顎に当てて考える板垣に向かって、熱弁を振るった。


「クレドルゴールド・システムは市民に理解されるでしょうか?」


「ずいぶん弱気ですね。板垣さんらしくない。……記者の私が言うのもなんですが、動き出した公共事業がが止まったことは、ほぼありません。残念ながら、やったもの勝ち、というのが日本です。クレドルゴールド・システムも止められることはないでしょう。近隣住民がどう考えようと……」


「確かにそうですが……」


「しかし、今、公開を避けたとしても、……ワールド通信社は、近いうちに次世代エネルギー創造公社の汚職と裏金作りの疑惑を報じます。それ以降になると、板垣さんがやりたいことはできなくなると思うのですが……」


 板垣は顔を曇らせたままだった。


 問題が問題なだけに、決断が難しいのは当然だ。……朝比奈は彼の背中を押す。


「80年以上もの長い期間、全くすすまなかった使用済み核燃料の最終処分問題を、企画から実施まで7年ほどでやり遂げたのです。そこに無茶があるのは板垣さん自身がよく理解しておられるでしょう。その無茶を責められるのなら仕方がありませんが、汚職や裏金作りのことで板垣さんまでが責められるのは筋が違う。私はそう思うのですが……」


「ふむ……」


 彼は腹をくくったようだ。


「……やるしかないですね」


「板垣さんには、施設が公表されたら、速やかに施設の安全対策を実施してもらいたいと思います」


「言われるまでもありません。その線で進めましょう……」


 板垣が立ち上がる。その手を朝比奈に差し出した。


「よろしくお願いしますよ。我々は、一蓮托生だ」


「こちらこそ」


 彼の手を握り返す。


 これでいいですよね、高木支局長?……朝比奈は板垣の背中を見送った。

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