第44話

 高木は新潟で一泊し、翌朝、新潟支局を訪ねた。そこの支局長は最年少で支局長になった若干37歳の斉藤由紀子。彼女に仕事を教えたのが、札幌支局に席を置いていた時の高木だった。


 彼を認めた斉藤は席を離れ、凛々しい顔に微笑をたたえて近づいた。


「お勤めご苦労様でした」


 高木は「やあ」と片手をあげて応える。


「ムショの暮らしはいかがでした」


「悪い冗談はやめてくれ。俺は無実だ」


 両手を軽く挙げて応接ソファーに掛けた。


「すみません。懐かしくて」


 彼女が正面に座る。


「君は貫禄が着いたな」


「老け込んだということですか?」


 彼女が笑った。チャーミングな笑顔だった。


「まさか。頼もしいということさ」


「なら、良かった」


 再び笑う。


 あまり笑うと皺が増えるぞ。……口まで出かかった言葉をのみこんだ。セクハラだと言われかねない。


「実は、頼みがあって来た」


「高木さんのためなら、よろこんで」


「本社には秘密で調べてほしいことがある……」


 高木は、クレドルゴールド・システムに関わる疑惑を説明し、北陸エネルギー開発公社の調査を依頼した。その公社は〝エネルギー公社法〟成立後に設立された二つの公社の内の一つだった。もう一つは関東エネルギー開発公社で、現在の次世代エネルギー創造公社の前身になる。設立時期と朝比奈が集めた下請け企業の取引状況から、北陸エネルギー開発公社がクレドルゴールド・システムの開発に当たって実用試験を最初に行った組織だと見当をつけていた。


「北陸エネルギー開発公社ですか?」


 斉藤が意味ありげに首を傾げた。


「なにか知っているのか?」


「いえ、地域おこし会議で理事長と同席した程度です。意欲も能力もない老人です。……聞くところでは、そこの資産は徐々に次世代エネルギー創造公社に移管されています。いずれなくなる組織ということです。残っているのは実験的に創られた古い、自然エネルギー発電研究設備だけだと思いますが……」


「おそらく広大な太陽光発電設備の地下にはクレドルゴールド・システムのポッドが眠っているはずだ」


 斉藤が目を丸くした。


「あの古くからある実験施設の地下に?……それでは尚更、次世代エネルギー創造公社に吸収される運命ですね」


「あそこは無くならないよ。金の流れがそうさせないはずだ。だから調べる価値がある」


 高木はまだ確証を得ていなかったが、自分の推理に自信を持っていた。そこは裏金作りのためになくせないのだ。


「具体的には、何から調べたらよいのでしょうか?」


「出入りする人物と、金の流れが知りたい」


「それはできると思いますが、地下の設備は調べなくてもいいのですか?」


「そっちは、人と金を調べれば、おいおいわかってくるだろう。クレドルゴールド・システムの場所はすべて特定秘密に指定されているはずだ。迂闊に触れられない」


「なるほど。しかし、人手が要りそうですね。時間と費用も……」


 彼女はさり気なく新潟支局の都合を述べた。どこの支局も経営に余裕があるわけではない。


「只働きはさせないよ。記事は新潟支局から発信する。それでどうだ?」


「エッ?」


 斉藤の開いた口が閉まることはなかった。


「どうだ。時間と費用を使う価値があるだろう?」


 彼女ののどがゴクンと鳴った。


「……ワールド通信社の支局長が、スクープを他の支局に譲るなどという話を聞いたことがありませんが?」


「そうだな。おそらく、これが初めてだよ」


「スクープにリスクがつきものですが、やばい話なのですか?……公安がらみとか?」


 斉藤が顔を曇らせた。


「いいや」


 高木は笑った。


「俺が、八木次長に嫌われているからだよ。お前の名前なら、簡単に記事は通るはずだ」


「それだけですか?」


「それだけだ」


 高木は軽く応じた。しかし、斉藤の表情が晴れることはなかった。


「先月、……高木さんが逮捕された直後ですが、八木次長から指示が出ました。私のところだけではなく、次世代エネルギー創造公社関連施設のある支局すべてにだと思います。不思議なのは、そこに福島支局名がありませんでした」


「八木次長は何と?」


 高木は、不在中に発信された本社の通達を記憶から引っ張り出した。そこに、八木が発したものはなかった。


「次世代エネルギー創造公社に不自然な動きがないか調べろとのことでした。私のところは、実態は北陸エネルギー開発なので、形式的な報告を上げたのですが。公社がらみで高木さんが引っ張られたと聞いたのは、それからずっと後のことです」


「なるほど……」


 高木は八木の動きを考えた。事件に取り組むのはジャーナリストだから当たり前だが、福島支局抜きに指示が出されたのは、やはり高木個人に対する遺恨ゆえなのだろう。


 斉藤が爪を噛む。考える時の癖だった。


「何を迷っている?」


「新潟から記事を上げるのはどうでしょうか? 高木支局長はそれで良いとして、部下がかわいそうではありませんか?」


「朝比奈のことか?」


「そう、そんな名前でしたね。ここには私と入れ替わりでした」


「そう言えばあいつも新潟経験者か。まあ。あいつには可哀そうだが、俺の下にいたことが不運だったと諦めてもらうよ」


「わかりました。そこはまだ検討の余地もあるでしょう。とにかく調べてみましょう」


「そうしてくれるか」


「久しぶりに、昼食をご一緒しませんか?」


 斉藤が微笑んだ。


「そんな時刻か?」


 時計を見ると、まだ午前11時にもなっていない。


「早いな。悪いが、帰るわ」


「せっかく来たのに……」


「帰って朝比奈に謝らないといけないだろう」


 高木は手を上げて「頼むぞ」と念を押し、事務所を後にした。


 車に乗り込んだ高木は、オートドライブの行先を東京の廃炉システム開発機構の住所にセットした。車が動き出してからは、メモを眺めながら事件のあらましを見直し、簡単な原稿を音声入力で書いた。


 北陸自動車道を走った車は、長岡ジャンクションで関越自動車道に入る。高木はサービスエリアに立ち寄り蕎麦を食べた。食後のコーヒーを飲みながら、車内で作成したメモや原稿を福島支局のサーバーに送った。


 朝比奈が保存した記録を覗く。そこには未来倉庫Fの木下や内村という事務員、そして廃炉システム開発機構の板垣と接触して得られた内容が保存されていた。


「あいつも成長したものだ」


 高木は朝比奈の記録に満足した。特に、総合サッカー教育センターと未来倉庫Fの深いつながりは新しい情報だったし、板垣とのやり取りには注目すべきことが多かった。


 車に戻り、朝比奈の記録にメッセージを添付して保存すると、標的相手にメールを1本書き、データの一部を証拠として添付して送った。わざわざ東京に行くのだ。空振りの無駄はしたくない。


「ヨッシ、ナビ、やってくれ」


 オートドライブシステムのナビに命じ、目的地に向かって車を走らせた。

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