第7章 仲間

第43話

 ワールド通信社の高木は、新潟市の萬代橋ばんだいばし近くにある居酒屋で友人とテーブルを囲んでいた。


「いつもすみませんね」


 相手は日本若葉銀行新潟支店の金田かねだ支店長だ。大阪支局勤務時に、当時、大阪支店長代理だった金田の頼みで、銀行内の小さな事件を何度か見逃してやったことがある。小さな貸しを積み重ねて情報源にしたのだ。


「こちらこそ。高木さんには頭が上がりません」


 そんな挨拶のあとは楽しく酒を飲める間柄になっていた。


「今度は何の事件ですか?」


 金田の質問に「ケチな事件ですよ」と高木は笑って答えた。


「それそれ。それが怖いんですよ。高木さんは、私を油断させて言質げんちを取ろうとするから」


「いやぁ。金田さんには、感謝しているんですよ。で、公社の口座はありましたか?」


 高木は酒好きの金田のグラスにビールを注いだ。


「次世代エネルギー創造公社も北陸エネルギー開発公社もありましたよ」


「海外からの送金も?」


「次世代エネルギー創造公社は、海外からの入金が多かったですね。何の金なのかなぁ。でも、すぐに他の公社に振り込まれていたから、残高は僅かでした。外国からの送金に問題でも?」


「いやぁ、そういうわけではないのですが。……北陸エネルギー開発公社の方は、どんな感じでした?」


「次世代エネルギー創造公社に比べたら、金の動きは微々たるものですね。入金先は次世代エネルギー創造公社や他の公社ばかりで、入金されるとすぐに経費の支払いに回されているみたいですね」


 金田の視線が黒いビジネス鞄に走った。


「なるほど。そんなことはよくあることなのかな?」


「民間企業の下請け会社なら珍しくはありませんね。元請けから入った金から経費だけ抜いて孫会社にそっくり支払う。そうしたケースはいくらでもある。しかし公社となると、中抜きみたいのはどうですかね?」


 彼も次世代エネルギー創造公社の金の流れは不自然だと考えているようだった。


「なるほど。……個人への支払いはどうです?」


「もちろん個人口座への移動もありました。給料や経費の支払いだと思いますよ」


「個人口座への100万単位の振り込みは、どうでしょう?」


 それは事前に頼んでおいたことだ。


「1件だけありましたが、個人名は申し上げられないですよ。個人情報ですから。第一、個人事業主が取引上の代金を個人口座で受け入れることは珍しくはありません。個人口座へ千万単位の入金があるからといって、不正の証拠にはならないのではないですか?」


「確かにそうだ。今日は、ほんとうにありがとうございます。金田さんの立場もあるでしょうから、今の話だけで結構ですよ」


 高木は頭を下げると、金田のグラスにビールを注いだ。


「あっ、最後に一つだけいいかなぁ。……北陸エネルギー開発公社の入出金先に核廃棄物管理事業団や廃炉システム開発機構という名称はありませんでしたか?」


 彼は一瞬、固まった。それから観念したように口を開いた。


「ええ、ありましたよ。廃炉システム開発機構は最近話題になった組織ですよね。極秘裏に使用済み核燃料の最終保管システムを開発するなど、なかなか日本もしたたかです。長年の喉のつかえが取れたようです」


「そうですね。したたかすぎて我々も振り回されています」


「高木さんを振り回すなんて、大したものだ」


 彼が口角を上げる。


「何を言うのです。私なんて小者ですよ。ウチにはもっとすごい奴がいるんです。例えば八木だ」


「ほう。高木さんよりスゴイ?」


「悪い奴だよ。編集部の八木っていうんですけど、私の原稿を握りつぶすのですよ」


 酔った振りをしながら金田に愚痴を言った。


「そりゃ、面白い」


「面白い?」


 目尻を上げて突っかかる。もちろん芝居だ。


「いやいや、悪い奴だ」


 金田が調子を合わせてくる。サラリーマンなら、多かれ少なかれ上司を邪魔に感じているものだ。表現はどうあれ共感を誘うことができる。


 高木は、あることないことでっち上げ、八木の悪口を並べた。それから金田の愚痴を聞いた。……銀行の支店長という立場は微妙なものだ。出世して本部に上がれなければ肩たたきにあい、子会社や取引先に出向させられるのが常だ。それが嫌なら退職するしかない。金田の胸の内に黒いものがないはずがなかった。


 2人は新潟の地酒に切り替えて、散々勤め先や同僚の愚痴に花を咲かせた。


「……もう1人悪い奴がいた……」高木は頃合いを見て話を変えた。「……秋川登っていう役人なんだけどね。国民の金をくすねるようなやつなんだよ」


「秋川……?」


 金田は一気に酔いがさめたような顔になり、高木を凝視した。


「酔いがさめる話だったのかな。……鞄の中、あるのでしょう?……」金田のビジネス鞄を目で指す。「……見せてくださいよ。その方が話が早い」


 2人のやり取りは、いつも同じようだった。高木の罠に金田が引っかかってしまうのは、伏せた情報が重要なものだと自覚しているからだ。


「あなたはずるい人だ」


 金田は笑いをこらえていた。鞄を引き寄せると中から書類を出した。高木に依頼された口座の履歴を印刷したものだ。北陸エネルギー開発公社の口座から多額な振り込みがされた個人口座があった。その名義が次世代エネルギー創造公社の秋川登だった。


 高木は、振込先に与党の政治団体がいくつかあるのを見逃さなかった。海外から次世代エネルギー創造公社に振り込まれた管理費用の大半が、北陸エネルギー開発公社を経由し、そうした政治団体や秋川個人に流れているようだ。


 次世代エネルギー創造公社の支払先には、政治家の親族が経営している企業もあった。文房具や弁当代にしては高額だ。おそらくコンサル料や実体のない顧問契約があるのだろう。


 他の公社に移された巨額の資金も、何に使われているのかわかったものじゃない。……高木の目は明細書に釘付けになった。暗澹あんたんたる思いで言葉を失った。


「ヤバイ金なんだろう? 大丈夫だね? ウチの名前は出さないでくださいよ……」


 金田の念を押すような強い声で、高木は我に返った。真顔の金田が高木を見つめていた。


「……もちろん。金田さんは何も話していないし、こんな情報を漏洩ろうえいしてもいない」


 高木は書類をカメラに収めると、それに火をつけて灰皿で燃やした。


「お客さん、火はダメですよ!」


 炎に気づいた店員からクレームがついた。


「ああ、もう消えますよ」


 高木は、大丈夫だというように手をひらひら振った。それから日本酒を満たしたグラスを手に促した。


「銀行員も大変だ。こうしたものを目にしながら、口をつぐんでいなければならない」


 犯罪の黙認は共犯も同じだ。守秘義務はそれ以上に価値のあるものだろうか?……心底、目の前の金田に同情した。


「……日本の未来に乾杯!」


 2人はグラスを掲げた。どんな未来が待っているのか、高木には想像できなかった。

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