第42話

 板垣は朝比奈を駐車場まで見送った。彼の車が遠ざかった後、強い日差しの中を歩きながら、ワールド通信社に情報を流したのは誰なのだろうと考えた。


 ふいに、応接室を出た朝比奈が事務所に向かって礼をしていた姿が脳裏を横切った。あれは情報提供者に向けた挨拶だったのではないか?


 まさか、な。……すぐに想像を打ち消した。記者が大っぴらに情報提供者に礼などするはずがないし、短い時間で良くわからなかったが、事務所にいた職員は誰も朝比奈を見ていなかったような気する。


 ――ウォー、……グラウンドから若者の歓声が上がる。


「そういえば……」総合サッカー教育センターの田上理事長のスキンヘッドが脳裏を過った。……彼は朝比奈に何を話したのだろう?


 廃炉システム開発機構の秋川、次世代エネルギー創造公社の田伏。……板垣はクレドルゴールド・システムの回りにいる人物の顔を一つ一つ思い浮かべていた。


 彼らは小心者だ。それはない!……朝比奈に情報を流している可能性は容易に否定できた。


 未来倉庫Fに戻った板垣は所長室に入った。


「私の指示に従うようにと、政府から指示が出ていると思います。聞いていますか?……」


 問い質すと、木下が苦い顔をした。


「……聞いていただいているのなら結構です。今回の帳簿の件は忘れましょう。しかし、今後このようなことが無いように、作業手順の見直しをします。よろしいですね」


 木下が立ち上がり「好きにしたまえ」と言い捨てて部屋を出た。


「責任放棄か、……困ったものだ」


 板垣は独りごちる。地下のオペレートルームに入ると、自ら作成してきた作業フロー図を永野に渡した。


「これからはこの手順を守ってください。詳細な作業手順書はこちらで作成し、後で私に送ってください」


「今の作業をしながら、詳細な作業手順書を作れ、というのですか?」


 板垣の指示に対して永野の視線は冷たかった。自分の仕事の領域に踏み込まれたのが面白くないのだろう。


 これはだめだ。……板垣は永野に失望し、オペレーターを全員集めて、同じことを伝えた。白石だけはうなずいたが、他のメンバーは表情を殺していた。


「みなさんは、今、当施設が置かれた状況をご存知ですね」


 板垣は一人一人の顔を見回す。


「ここには危険な核物質を封印したポッドが貯蔵されています。それは水による物理的な遮蔽しゃへいと、人間による適切な管理があって初めて、安全と安心が担保されます。ポッドの数と帳簿の数が違った事実は、単なる事務処理誤りではない。日本が放射能汚染というリスクにさらされたということです」


 そこは木下所長の人事権とオペレータ自身の感情が支配する世界だ。クレドルゴールド・システムを構築した権威は、小さな組織の壁にさえ通用しなかった。オペレーターたちは石像のようで、心が動いたようには見えなかった。


 もう一度、オペレーターたちの顔を見回す。


「皆さんの仕事には、日本の安全が託されています。ドライキャスクからポッドに核燃料棒を移し替えたあとはモニターを見るだけ、という単純な仕事ではない。幾重にも遮蔽機能を持つポッド、水、コンクリート、そして皆さんの監視の目。それらがそろって初めてクレドルゴールド・システムなのです」


 精一杯説得を続けた。


「いいですか?」


 1人の若者が手を上げた。その眼は饒舌じょうぜつな板垣に対する敵意が見て取れた。


「日本の安全を託された私たちが、そんな仕事をしていると正々堂々と語ることができないのはどういうことでしょうか?……」


 その発言に頷く者が多かった。彼が続ける。


「……私は家族や友人に対して、どんな仕事をしているのかを説明できないのです。ここで働いている限り、私は物流倉庫の作業員です。周囲の人間は、皆そう見ています。それで日本の安全を守っている。誇りを持てと言われても困ります」


 若者の痛切な訴えを、板垣はもっともだと思った。ポッドの保管場所がわかるとテロリストに狙われるかもしれないという理由で施設は秘密にされているが、すでにワールド通信社には知られている。特定秘密ということで公表されていないが、その情報がテロリストに流れて襲われたら、職員はどうやって身を守るのだろうか?


 日本の秘密の守り方とはその程度のものなのだ。……知っているから、板垣には返答のしようがなかった。


「その件に関しては、すまないと思っています。これから対策を検討させてください」


 板垣は感情を殺してそれだけを言った。


 まるで国会答弁だ。……問題を先送りせざるを得ないのは情けなかった。しかし、オペレーターの感情がどうあれ、安全体制の確立が急務だった。心を鬼にして説得にかかった。


「しかし、すでに核のゴミをここに抱えている以上、私たちはそれを適正に管理していかなければなりません。……ポッドの数と管理システム上の数とに差異が出れば、最悪ポッドの盗難を想定しなければならないし、また外部からハッキングされてシステムが書き換えられた可能性も考えなければなりません。……もし、システムが書きえられて、ポッドの異常を感知することができなければ、それは大きな事故につながる可能性もあります」


 板垣は、そこで苦しくなり大きく息を吸った。話すのに夢中で、息を吸うことを忘れていた。


 そんな板垣の様子が面白かったのか、若者が胸に抱えた憤懣ふんまんを代弁したことで気持ちが晴れたのか、職員の表情が和らいでいた。


「誰かひとりの問題ではありません。私も含めて、みんなで力を合わせて管理体制を構築しなおしましょう」


 板垣はテーブルに手をついて職員に頭を下げてから腰を下ろした。


 責任者の永野に作業を任せると、彼女は渋々、しかしてきぱきと部下に指示を出した。


 職員の働く様を見ながら、どんな立派なシステムを組み立てたところで、最後に運用するのは人間なのだ、と自覚させられた。


 クレドルゴールド・システムは定期的に設備を更新していかなければならない。しかも1万年、場合によっては10万年という長期間だ。それが人間の仕事である以上、職員のモラルとモチベーションの維持は必須だ。モラルが低下すれば秘密は外に漏れ、手抜き作業は大事故の原因になる。……考えると、次世代エネルギー創造公社の組織の体質が大きなリスクとなって浮かび上がった。


 板垣はオペレーターたちから質問が出ないか、作業に不都合が出ないか、様子を見守りながら若いオペレーターの意見に思いをはせた。


 スパイといった身分を明かせない人々は、何をモチベーションにして働いているのだろう?……職員の立場をスパイに置き換えて考えてみる。頭の中に浮かんだのは、映画の主人公である諜報ちょうほう部員007が豪華な生活をし、美女とたわむれる姿だった。それは使命感という精神論とは別の要素で支えていると教えた。


 未来倉庫Fの職員は、家族に安全と安心を守っていると言うこともできず、報酬も地方公務員並みだ。その条件の中で、国民のためだと使命感を持ち出した自分は、マスターベーションで満足しろと言ったようなものではないか?


 永野の指示に基づいて作業は順調に進んでいた。


 板垣は、職員に感謝を述べて未来倉庫Fを後にした。

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