第41話
朝比奈は、応接室を出る木下の背中を見送った。
上の人間の指示を仰ぎに行ったのならほどなく戻るだろう。まさか、危険な連中をつれてくることはないだろうが。日本は発展途上国じゃない。……一抹の不安を、未来倉庫Fが国の関連団体だと考えることで打ち消した。
しばらくすると、木下は1人の男性を同伴して戻った。板垣だった。
朝比奈は立って、彼を迎えた。宿泊施設の前でタクシーから降りたのは彼だったのだ。
「やはりあなたでしたか」
「お久しぶりです。私が来ると考えていたのですか?……まあ、かけてください」
板垣にあわせて座りなおした。木下は板垣の隣に掛けた。
「先ほどタクシーで来られたのを見かけたのですよ」
「そうですか。それはまずいところを見られましたね」
まずいところと言いながら板垣は笑い、少しも後ろめたそうなそぶりを見せなかった。そうやって欠点を覆い隠すタイプなのだろう。
それにしても彼は、どこからやって来たのだ?……朝比奈が未来倉庫Fの事務棟に入ってから、外につながるドアが開閉した気配はなかった。
第一彼が訪ねたのは総合サッカー教育センターにある宿泊施設だったはずだ。そこでの要件を済ませて来たとしたなら早すぎる。総合サッカー教育センターは想像していたより巨大で影の深いプロジェクトのようだ。……朝比奈は、気持ちを引き締めた。
話の相手が板垣なので、疑問を率直にぶつけてみることにした。
「あの宿泊施設は、サッカーをしに来る人たちだけが使うものではないようですね」
「ええ……」彼は小さくうなずいた。「……あそこはもともと、ここを建築する作業員のために作った宿舎ですからね。私も出張の際には時々泊めてもらっています」
彼の言い方には
「経営する団体が違うのですから、それはおかしな話ではないのですか?」
問題を指摘した。ジャブ程度のつもりだ。
「まあ、
「なるほど……」
板垣の答えは理屈が通っていた。分が悪いと感じ、宿泊施設の話しから引くことにした。つまらないことにこだわると全体が見えなくなる。
「……先日は、貴重な情報をいただきありがとうございました」
ハンバーガーの袋に入った情報の礼を言ったつもりだったが、板垣は腑に落ちないと言った表情をした。
「情報ですか?」
「ええ。データです。ハンバーガーの」
朝比奈は声を落として言った。板垣が木下の目を意識してとぼけているのかもしれないと思ったからだ。
「ハンバーガーのデータ?……私は知らないな」
板垣が木下に向く。
「私だって知りませんよ……」木下が慌てて首を振った。「……なんですか、ハンバーガーのデータとは?」
「そうですか。……失礼しました。私はてっきり板垣さんだとばかり思っていました。……美味いハンバーガーのレシピです。忘れてください」
それで木下は安堵の表情を浮かべたが、板垣は違った。今度は彼が身を乗り出した。
「だれかが、お宅にそれを提供したと?」
朝比奈は姿勢を正すと板垣を見つめ、静かにうなずいた。
「それで木下所長が慌てている理由が分かりました……」
板垣が背筋を伸ばして真顔をつくった。名前の出た木下は、会話について来られないのだろう。戸惑いを見せている。
板垣は本当に何も知らなかったようだ。すると、情報提供者は誰だ?……朝比奈は、板垣が口を開くのを待つ間、記憶をまさぐった。思い当たる顔は全くなかった。
「……具体的には、どのような情報がそちらに渡ったのでしょうか?」
板垣が、まるで記者のように尋ねた。
「それは申し上げられませんね。ただ様々なことがわかりました。ここが5年前には稼働していたこと、ポッドの数と帳簿の数とが合致していないこと、作りようによってはハンバーガーも美味いこと」
途端、板垣と木下が目を見開き、硬直した。
それから板垣は腕を組んで瞑目したが、木下は席を立って応接室を飛び出した。
今度は誰に相談するのだろう?……木下を見送り、朝比奈は待った。板垣が口を開くのを。
板垣が眼を開ける。
「何か言いたいことがありますか?」
朝比奈がタブレットを構えて弁解を求めたとき、扉が開いた。木下がせかせかと走るように入ってくる。
「今は何も答えられない、というのが上の回答でした」
上層部の代弁だからだろう。木下の声には力があった。
「上というのは、次世代エネルギー創造公社でしょうか?」
朝比奈が問うと、木下が「もちろん」と応えた。もはや、それを隠すつもりはないようだった。
「ここの内部事情は特定秘密です。私は犯罪者にはなりたくないのですよ。板垣さんだってそうでしょう。……朝比奈さん、今日の所はお引き取りを」
木下は言いたいことを言うと、逃げるように席を離れた。その場にいると、言わなくていいことを言ってしまうと、態度で示していた。彼の背中を軽蔑した面持ちで見ている板垣に朝比奈は気付いた。
「一緒にされては迷惑だ」
つぶやいた板垣がおもむろにコーヒーカップを手にした。
「板垣さん、今日はどんな用事でこちらに?」
「ちょっとした野暮用ですよ」
木下などいなかったように板垣が応じた。
「野暮用で福島出張はどうでしょう?……税金の無駄遣い、そう言われますよ」
意見すると、板垣が苦笑した。
「まあ、これ以上粘っても、お宅も無駄なコストをかけることになりますよ……」 彼は断言して立ち上がる。「……そこまで送りましょう」
朝比奈は、粘っても無駄だと察した。応接室を出て机の並ぶ事務所に目をやる。数名の事務員が静かに仕事をしており、その中に内村という中年男性の姿を見つけた。彼は端末に向かって作業をしており、朝比奈に気づいていなかった。
彼らに向かって礼をした。取材先のすべての人間に対する敬意、それは朝比奈の信条だ。
「核心近くにまで、たどり着いたようですね」
板垣が言った。未来倉庫Fを出た2人は総合サッカー教育センターに向かっていた。暑い太陽に焼かれ、男たちの額には汗が浮いている。
「まだ、わからないことがあります」
板垣の足が止まり、朝比奈に向いた。
「どんなことでしょう?」
板垣の質問は、疑問に応えようというものではなかった。こちらの手の内を探ろうとしているのだ。
応えるべきかどうか、朝比奈は迷った。戦いでは手の内を知られない方が有利に決まっている。
「何がわからないのです?」
彼はそう言いながら歩きだす。
以前、板垣に取材したところ、後に匿名の情報提供があった。彼への取材が何かのトリガーになっているのではないか?……朝比奈は話してみることにした。
「金のことです」
美味いハンバーガー、それこそが金だった。
「金、……ですか?」
板垣が首を傾げた。
「海外から次世代エネルギー創造公社に多額の送金があります。それがどんな金なのかわからない」
「そんなこと……」板垣が笑った。「……簡単なことではないですか。あなたは新相馬港から陸揚げしたポッドを見たはずだ。その保管料でしょう」
「なるほど」
そう応じながら、科学者は金のことには疎いのだ、あるいは、知らされていないのか? と考えた。
自分は高木支局長には遠く及ばないが、板垣よりは詳しい。……小さな優越感に浸った。同時に、事件の闇の深さを改めて実感した。
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