第39話

 未来倉庫Fの関係者がポッドの数と帳簿に差異が生じていることを認識しているのかを確認するために、朝比奈は1枚の名刺を手に取った。前に取材した岩城陸送の高原から譲り受けた未来倉庫Fの所長、木下徹のものだ。


 名刺にある電話番号にダイヤルする。呼び出し音がするとすぐに、それはつながった。


『もしもし……』


 受話器から聞こえた声に、冷たい印象を受けた。


 朝比奈が名乗ると相手は、『私に何か?』と応じた。その短い返事のトーンで、彼が緊張し、警戒しているのがわかった。


「未来倉庫Fの業務について取材させていただきたいのですが?」


『それは、できませんよ』


 一瞬たりとも考えた気配のない、素早い返事だった。そして彼は、いきなり電話を切った。


 朝比奈は、彼の声を記憶に刻み込んだ。それはとても用心深そうだが、決して大きな秘密を守り通せるような者の声には思えなかった。秘密を守る自信がないからこそ、問答無用とばかりに電話を切ったのだろう。


 もう一度同じ番号に電話をかけた。


 呼び出し音が途切れて通話がつながるや否や、早口で言った。


「ポッドの搬入時期について確認したいのです」


 すると相手は電話を切らなかった。返事もない。『……』電話の向こうには沈黙があった。


「ポッドの数についても不信があるのです」


『……』


 相手は沈黙したままだった。切りたいのだろう。しかしそれ以上に、こちらがどんな情報を持っているのか知りたくて、切れないのに違いない。 


「返答がないのは認めたと解釈してよろしいのでしょうか?」


 そう畳みかけた。


『ここはです。ポッドだとか何だとか、わけのわからないことは言わないでください。現在、当倉庫にはいかなる問題も発生していない』


 電話の向こうの男性は、おそらく木下だろうが、荒い口調で言うと電話を切った。


 朝比奈は、その電話に手応えを感じていた。名刺にある電話番号が未来倉庫Fのものに間違いないということ、相手が、あえてだと言ったこと。それ自体が、木下がすべてを自白したようなものだ。しかしそれでは、何の証拠にもならない。まだまだ詰めなければならなかった。


 朝比奈は事務所を出ると新相馬区に向かって車を走らせた。


 1時間ほどして目的地に着いた。そこは尾行して見つけた中央住宅生協という団地内にある【UCHIMURA】という表札の家だ。


 予想通り、駐車場にあの日尾行した白い車はなかった。その家の主は、未来倉庫Fで3交代の勤務についている。その日はまだ職場にいるはずだった。彼と、直接コンタクトしたことはなかった。


 車を降りると、ドアのインターフォンのボタンを押した。


『どちらさまでしょうか?』


 インターフォンから品の良い女性の声がする。


「こちらは未来倉庫Fにお勤めの内村様のお宅ですか?」


『そうですが何か?』


 その返事で十分だった。


「ワールド通信社の朝比奈と申しますが、ご主人様は御在宅でしょうか?」


 意図を知られないように、断りやすい質問をした。


『ただ今不在ですが……』


 期待通りの答えだ。


「それでは出直してまいります」


 そう告げてその場を離れ、車を内村の家から離れた木陰に移動させた。


 沿岸部は福島盆地と違って暑さはしのぎやすい。朝比奈は窓を開けるとエンジンを止めてぼんやりと内村家の玄関を見つめていた。


 陽が陰り玄関ドアが見えなくなったころ、白い外灯がぽっと明かりを灯した。時計を見ると午後7時を回っている。


「まさか泊まり込みではないだろうな」


 ぼやいてみた。黙っていると気が滅入るが、独り言でも言葉にすれば元気が出るものだ。


 陽がとっぷりと暮れて群青色の空の下の団地全体が一つの黒い影に変わると、朝比奈はひどい孤独感に襲われた。……記者の仕事を選んだことを後悔した。張り込みや待ち伏せのような陰湿な手法を取らなくともできる仕事はいくらでもあるはずなのだ。


 しかし一方で、正義のために権力の不正を暴く記者の仕事が好きだった。誇りがあった。隠されたものを見つけるためには、自分が隠れなければならないこともあると理解している。


「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」


 意味は違うが、そう自分に言い聞かせて、自分が何故ここにいるのかを自分自身に納得させた。


「ウニを拾うために海に潜る」


 時にはオリジナルのフレーズ、ウニとウミの駄洒落で、落ち込みがちな気持ちに活を入れた。


 道路がぼんやりと明るくなり、やがて車のヘッドライトが道路を照らした。走ってきたのは白い大衆車だ。


「やっと来ましたよ」


 朝比奈は声にしながら車を降りると内村家まで走り、白い車から降りた中年男に話しかけた。


 自分の身分を名乗り、「未来倉庫Fにお勤めですよね。奥様にお伺いしました」と決めつける。嘘を言っていないことが重要だ。


「はあ?」


 内村は否定しない。突然の記者の来訪に困惑しているのが手に取るようにわかった。


「ポッドの数の件で大変な状態になっていると聞いているのですが、少しお話を伺えないでしょうか?」


「な、……何のことです?」


 その返答は想定済みだ。


「5582体か5583体かということです。どちらが正しいのでしょう?」


 選択肢を与えて答え易くしてやると、人は口を滑らすものだ。


「5582体に決まっているじゃないですか」


「なるほど。助かりました」


 目的は達成した。……朝比奈は目いっぱいの笑顔で感謝を表す。喧嘩腰のやり取りはさけたい。


「帳簿が間違っていたということですね?」


 追い打ちをかけると、内村の顔が驚きの表情で固まった。彼は口にしてはいけないことを言ったと気づいたのだ。


 彼の表情が変化し、眉間に深いしわが寄った。


「質問は社の方でお願いします」


 彼はそう告げ、家の中に逃げ去った。


 朝比奈は慌てず、黙って彼の背中を見送った。


 一つ、答えは出た。……満足し、待ち伏せで痛み出した腰をさすりながら自宅に向かって車を走らせた。明日は未来倉庫Fに乗り込もうと決め、星の瞬く空を見上げた。

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