第35話
朝比奈がスクープ記事を公開しようと悶々としていたころ、板垣は出雲空港のレストランで伸びきった出雲蕎麦を前にぼんやりしていた。島根原発の使用済み核燃料の状況を確認した帰りだった。
彼の頭を悩ませているのは、秋川と田伏、木下の3人が、帳簿の間違いを知っても問題がないと確信している理由だった。
推理するに、一番簡単な答えは、彼らは帳簿がマニュアル通りにつくられていないと知っていた、ということだ。マニュアル通り、帳簿がポッドのタグをスキャンしたデータで自動的につくられたものなら差異が生じることはない。しかし、海外から持ち込む仕組みが確立していない今、帳簿に登録するには何らかの方法でデータを書き加えなければならない。その際にヒューマンエラーが生じる可能性は少なくない。
「そして政治だ……」
海外からの放射性廃棄物持込みには政治家が絡んでいる。安田議員は〝外交〟という言葉を口にした。まさに、海外との外交交渉の中で、それらが持ち込まれることになったのだろう。
しかし疑問もある。それならば、あの3人が帳簿を改ざんして海外のポッドを国内のポッドの中に紛れ込ませる理由は無いのではないか?
ポッドが特定秘密に指定されて国民の目にさらされることがないように、帳簿も国民の目に届くことはない。核廃棄物管理事業団で、正々堂々海外を出所としたマスターデータを作ればすむことだ。岩城理事長は真面目な人間だが、政府の正式の要請があれば拒むことはないだろう。真面目だからこそシャカリキになってシステムを構築するに違いない。
唯一救いがあるのは、昨日、彼からもらった電話だった。総理から秋川と田伏の両理事長に、自分の指示に従うように話があるということだった。とはいえ、彼らがどこまでそれを受け入れるか……。
『まもなく羽田行き……』
板垣の思考は堂々巡りの渦の中にあった。その思考を搭乗手続きのアナウンスが遮った。
板垣は我に返ると時計を見て、アナウンスが正しいことを確認した。思った以上に長い時間、思索の迷路にはまっていたのだと反省する。それから、のびた蕎麦を胃袋に無理やり押し流して席を立った。
出雲から羽田に向かう飛行機は小さなものでよく揺れた。窓から地上を見下ろすと、人間の世界が小さいことに驚かされる。飛行機に乗るたびに、同じ感想を覚えた。そこで人間たちはわずかな利益や快楽を競い合い、ダメだとわかっていながら利便性を求めて地球を酷使している。
――ハァ……――
長いため息がこぼれた。
飛行機から見ただけでもそうなのだから、宇宙を経験した飛行士たちが価値観を変えてしまうのは理解できる。
ニュータイプもそんな人種なのだろうか?……20世紀から続く、シリーズ物のアニメを思い出した。
こうして反省したところで、再び職場に戻れば〝現実〟という名のもとに、小さないがみ合いをするのだろう。
――ハァ……――
再びこぼれたため息が、一層自分を
自分も価値観を変えて、帳簿の改ざんを、神のようなおおらかな気持ちで忘れてしまうべきだろうか? それとも、元官僚として政治家や前例に従って目をつぶるべきだろうか。あるいは……。
飛行機が大きく左に傾き進路を変えた。眼下に〝聖域〟が広がっていた。20年前の4月戦争で核ミサイルが爆発、電磁パルスと膨大な中性子線によって原発銀座の原子力発電所の多くがコントロールを失った。そうしてメルトダウン、水素爆発、……拡散した放射性物質が人間の踏み入ることが不可能な聖域を作った。
その上空は飛行禁止区域となり、報道機関のドローンが入って地上を撮影することも許されていない。その理由は説明がなく、国民を悲惨な記憶から隔離するためだろうというのが多くの人々の解釈だった。
板垣が乗った飛行機も、そのエリアを避けて大きく
遠目には、かつて黒々とした焼け跡だった聖域は、緑の台地に変わっていた。ある場所は草原に、ある場所は森に……。放射能で汚染されていても樹木は育ち、野生生物は繁殖を続けている。緑の絨毯の所々に、茶色の地肌や灰色の廃墟が覗いていた。そこから排除された人間の痕跡だ。
「爆心地上空を飛ばないのは、政府が隠したいものがあるかららしいな」
後部座席の男性が同乗者に話すのが聞こえる。
乗客たちの多くは、身体をひねって窓の外に広がる荒廃した汚染エリアを見つめていたが、それはあっという間に視界から消えて、蒼い琵琶湖の湖面に変わった。その水もまだ汚染されていて、飲むことはできない。湖上には、湖底の汚染泥を回収する
湖岸に巨大な建物とそれを稼働させるための風力発電施設が並んでいる。湖岸の建物内に設置されているのは
風力発電のプロペラは、4月戦争も原発のメルトダウンも何もなかったように、ゆっくりと優雅に回転している。
板垣は姿勢をもどし、ヘッドレストに頭を預けて眼を閉じた。脳裏には見たばかりの緑の大地の景色が
板垣の知識をもってしても、生身の人間がそこで活動する防護服は考えられなかった。そうした防護服は重すぎて実用に耐えられない。ニュータイプと呼ばれる部隊がロボットの可能性も考えたが、それもまた高放射線下での運用には耐えられないだろう。
板垣は防護服の開発者に嫉妬し、その名を、メーカーを調べたことがあった。しかし、防護服メーカーはもとより、開発者の名を知ることはできなかった。
頭の中は緑一色だった。……あんな場所に送り込まれたニュータイプとは何者なんだ? やはりロボットなのか?
飛行機は蒼い駿河湾上空にあって、ゆっくりと高度を下げ始めた。
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