第33話
――ケーン――
朝比奈は
記者にキジはつきものだ。……雉の声を聞いたり姿を見たりした日は気持ちが躍る。何といっても雉は国鳥だ。
「ヨッシ!」
ベッドを飛び出し、産まれたままの姿でリビングに続くドアを開けた。
朝食の準備は済んだのだろう。アオイがテレビの前に座り込んでいた。普段ならドアを開けただけで振り向く彼女が気づかない。どうやらニュースに集中しているようだ。
彼女の背後に立ってニュースに目をむけた。
テレビには大池総理の顔があった。
『……クレドルゴールド・システムは順調に稼働しており、商業ベースにのるのも夢ではないでしょう……』
彼のコメントの後、機械音声がクレドルゴールド・システム稼働後も日本各地の放射線量に変化はなく、システムが日本経済復活の材料になるだろうと述べた。政府に好意的な、いや、政府発表をそのまま垂れ流すニュースだった。
雉の声に晴れやかだった気持ちが暗転した。
商業ベースも何も、すでにアメリカの核廃棄物を受け入れているではないか!……思わず舌打ちをした。新相馬港で認めた球体が脳裏を過り、腹の奥底へじわじわと沈み込んでいくような悪寒を覚えた。
「商業ベースって、どういうこと?」
突然、アオイが振り返った。その鼻が朝比奈の股間に触れそうだった。
「キャッ!」
彼女は、叫ぶのと同時に目の前の動物性のキノコをデコピンの要領ではじいた。
「アウチ!」
朝比奈は跳ねあがり、その場に座り込んだ。身体の中心がヒリヒリして、あの球体のイメージはどこかへ飛んで消えた。
「もう、洋服を着てから出てきてよ」
彼女が苦笑しながら立ちあがった。
「いいじゃないか、知らないものでもないし……」
彼女を追うように立ち上がり、足を寝室に向けた。
朝食の席、アオイが改めて訊いた。
「クレドルゴールド・システムが商業ベースにのるって、どういうこと?」
「クレドルゴールド・システムを使って商売が成り立つということだな。それが上手く働いていると強調したいのさ。クレドルゴールド・システムは安全だ。だから国民は心配するな、考えるな、っていうことさ」
政府は事実を
「フーン、それでクレドルゴールド・システムを外国に売るのね?」
「さあ、それはどうかなぁ」
そうだね、と言い切ればとぼけられるものを、それができなかった。
「売る以外にどんな商売があるのよ?」
「うーん、リースとか……」
「同じようなものじゃない。いずれにしても、私たちの税金を無駄に使わずに済むということね。それはめでたいわ」
無邪気に喜ぶアオイを見ながら、こうやって国民はリスクに慣らされていくのだ、と思った。原子力発電所を日本中に造った時がそうだった。そして今度は最終保管場だ。
すでに海外からの核廃棄物の受入れが始まっている事実を、自分はどう扱えばよいのだろう?……「後は任せた」という高木の言葉と、「ペンディングだ」という八木の言葉が頭の中で錯綜する。
高木支局長なら、どうするのだろう?……高木になりきって考えようとしたが無理だった。そもそも知識や経験の量が違いすぎた。
失格だ!……朝比奈は自分を責めた。妻にさえ事実を語れない自分は、ジャーナリストとして失格だ!
支局に出勤すると事務所の扉の鍵が開いていた。
連行された高木が帰っているのかもしれない。……喜び勇んで事務所に入った。しかし、そこにいたのは、欠勤していた有希菜だった。
「おお!……おはよう」
喜びと戸惑い半ばに声をかけると、有希菜が掃除をしていた手を止めた。
「ご迷惑をおかけしました」
彼女が神妙に頭を下げた。まだ立ち直ってはいないのだろう。普段の彼女のようではなかった。
「もう落ち着いたのかい?」
労わるための作り笑いが自然に浮かぶ。
「私、クビになりますか?」
「どうして?」
「1週間以上も無断で休んでいたんですよ」
それは、平気な顔をしている朝比奈に対する抗議のように聞こえた。しかし、彼女が言うのは正しかった。就業規則では、特段の理由がない限り3日以上の無断欠勤は解雇処分と決まっている。失恋や上司の逮捕が特段の理由になるとは思えない。
「やばい!」
声が口を突いた。朝比奈は、自分のミスに気づいた。
「何がやばいの?」
有希菜が小首をかしげる。
「君の欠勤を、人事部に報告していなかったよ。僕も
途端に気が滅入った。
「どうします?」
「どうしよう?」
正直に報告すべきか、このまま忘れ去ってしまうべきか?……馬鹿真面目か、
「実害は無かったわけだし、……出勤していたことにしよう」
「そんな、……ルール違反ですよ」
彼女はつっけんどんに答えた。
かばってやろうというのに!……「まったく、面倒くさいな」
「それが本音ですね」
彼女が相好を崩し、朝比奈はむかついた。報告忘れを咎められるのを避けたい気持ちはある。だが、彼女に対する同情があるのも間違いなかった。
「確かに、僕の都合だけど、正直に報告したら、佐伯さんがクビになるかもしれないんだよ」
「あぁ、それは困りますぅ」
甘えた口調で唇を尖らせる。
「だろう? 何もかも忘れてしまおう。佐伯さんは普通に仕事をしていた」
「いいんですか?」
「あぁ。佐伯さんは休まなかったし、公安に秘密を漏らしてもいない」
暗示にかけるように言った。
「支局長は捕まっていない?」
有希菜が言った。
「それは現実として受け止めよう」
彼女の肩に手を置いた。
「いやぁ、セクハラ……」
有希菜が笑って給湯室へ走った。
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