第32話

 核廃棄物管理事業団は、文部科学省傘下の廃炉システム開発機構と経済産業省傘下の次世代エネルギー創造公社の関係を取り持つように内閣府の傘下に設置された上位組織だが、二つの組織に直接命令を出す立場になく、岩城は淡々と業務に当たっていた。


 一方、機構の秋川理事長と公社の田伏理事長は利にさとく、政治家を巻き込んで海外からの核廃棄物受託事業を始めていた。そのことに岩城が気づいたのは、諸外国との管理契約が締結された後のことだった。その管理事業を止めようとしても、推進者が飛ぶ鳥を落とす勢いの大池総理なので手の打ちようがなかった。


 そうした岩城のもとに安田議員から電話が入ったのは、板垣が訪ねてきた1週間後のことだった。


『昨日、総理と話しましてね。使用済み核燃料の管理受託は止められないということでした。この年寄りばかりの国が外貨を獲得するには、クレドルゴールド・システムと豊かな自然というストックを活用するしかないのだ、と説教されて困りましたよ……』


 安田が電話口で屈託なく笑った。


『……公社と機構には、そちらの指示を聞くように話をしておくとだけ、言質げんちを取るのが精いっぱいでした。それで許してもらえるかな?』


 安田は、今度は遠慮がちに笑った。


 板垣の直訴が功を奏したのだ。しかし、根本的なところは変わっていない。


 岩城は、安田を良く笑う男だと思いながら礼を言った。


『あの元気のいい若者にも、よろしく伝えてくれたまえ。あぁー、君の部下ではなかったのかな?』


「板垣ですね。元部下ですが、私から伝えた方が良いでしょう。安田先生のご配慮に、きっと感謝することでしょう」


 岩城は受話器を置くと体重を椅子の背もたれに掛けた。政治家と言葉を交わすなど、電話一本でも疲れを感じるのは昔からだったが、最近は特にその傾向が強い。日本の原子力政策の先行きを案じてここまで勤めてきたが、そろそろ身を引きたいものだ、と考えた。


 安田の板垣によろしく、と言った声を思い出す。彼は、板垣が使える男だと考えたのだろう。確かにその判断は間違ってはいない。


 しかし、どこまで信用できるのか、岩城自身は迷っていた。板垣は金銭的な利にはなびかない男だが、他人をコントロールすることに喜びを感じているように見えるからだ。金であれ権力であれ、自分の利益のために動く人物を、心から信じることはできなかった。


 独善的とでもいうのだろうか?……考えてから、自分もそのような性格だと思いだし、人のことは言えない、と自分を笑った。


 岩城は内線電話を取り上げて秘書を呼んだ。


「廃炉システム開発機構の板垣君につないでくれ」


『承知しました』


 秘書は板垣のスケジュールを確認し、松江にいた板垣に電話をつないだ。


「……安田先生が総理に話してくださった。総理から秋川君と田伏君には一言あるだろう。安田先生は君によろしくと言っていたよ。どうやら君を使える人間だと考えているようだ。良かったな」


『前に会った時、政治の世界に入らないかと誘われましたが、断りました。政治は、私には似合いません』


「そうかな? 天下国家の仕事をしている以上、政治は避けて通れないぞ」


『理事長も私が政治家向きだと?』


「どうかな、私は政治家とは距離を取りたいクチだ。しかし、政治の才能があれば、秋川君や田伏君ともやりあえるだろう……」


 クレドルゴールド・システムのオペレートについては板垣に従うように自分からも機構と公社に指示を出す、と付け加えた。


『……そうですか。ありがとうございます』


 応じる声はとても疲れているようだった。


 岩城は電話を切ってから席を立ち、オフィスの窓から緑地を見下ろした。そこは変哲もない樹木が植えられているだけで、地価の高い東京ではに見える。だが、戦争や大災害などのという時には、そここそが多くの国民を救う命綱になるのだ。



 彼は自分に向かって話した。




 政府からクレドルゴールド・システムの運用改善の指示が関係各機関に出された。それは、岩城が驚くほど迅速な対応だった。しかし岩城は、それだけで問題が解決するとは思っていない。いつ首がげ替えられるかわからない総理大臣のために、秋川や田伏が組織の利権を手放すことはないと思うからだ。多くの国民にとって核のゴミの管理は安全の問題だが、一部の人間や組織にとっては利益と組織存続の問題だから、かいは一つではない。


 板垣の動機が何であれ、彼に助力し、堅牢な管理システムを確立して将来の禍根を断ちたいと岩城は考えていた。しかし、官僚が作った組織が、岩城や板垣の力だけで何とかなるようなものではないこともわかっている。


「やはり、組織外の外圧が要るか……」


 想いが言葉になる。。新たな具体策は浮かばなかった。


 机に戻ってタブレットを手にした。


「こんな時でも新聞を見る。のん気なものだな」


 岩城は政治、経済、テクノロジーと順にページを一瞥する。多くの記事は、情報を提供するというよりは読者の関心に呼応する提灯ちょうちん記事だった。


 メディアも慈善団体ではないから、ニュースを買う読者か、広告料を支払うスポンサーがいなければ経営が成り立たない。それでも、何かと暴走してしまう政府や既存のやり方を変えようとしない官僚組織をいましめることができるのは、ネットニュース、テレビなどのメディアしかない。そこが真実を、あるいは負の側面を伝えなければ、選挙でさえ人気投票イベントに成り下がってしまう。


「いや、すでに成り下がっているのか……」


 苦いものを胸に、ポップアップする企業広告を消した。


 国際ニュースの中に、中東での新たな火種の記事があった。情報を配信しているのはワールド通信社だ。


 先日、その通信社の記者が特定秘密保護法違反で逮捕された。板垣から、その特定秘密が未来倉庫Fにまつわるものだということは聞いていた。


 結局、クレドルゴールド・システムを使って利益を得ようと考える者がいるから、国民に知らせられない特定秘密が増え、犯罪者が増えていく。そうして守られた秘密は、本当に日本を救うものなのか?


 岩城には、やましい仕事をしていないという自負がある。それで、自分が関わる仕事で記者が逮捕されたというのは、気分が良いことではなかった。


 あれこれと思索にのめり込んでいると電子音がした。手にしたタブレットの右端に小さなアイコンが浮かんでいた。稟議書が回ってきたのだ。


 アイコンを押して稟議書を開く。簡単な設備購入稟議だ。30秒で目を通し、【決裁】のアイコンを押した。


 再び新聞記事に戻るのも面倒になり、タブレットを置いた。


いた種は芽吹くか?」


 つぶやき、目を閉じた。福島の青々とした景色が脳裏に浮かんだ。

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