第31話
板垣は栃木県南部の国会議員会館を訪ねていた。彼なりに未来倉庫Fで発生している問題を解決するつもりだった。
「国会がここに移転してもう10年になるのですね」
目の前に座っているのは外務大臣や経済産業大臣を歴任し、次期総理との評判が高い与党の大物議員、
「富士山の噴火、東京直下型地震、対中戦争。……建物の過密な東京はリスクが大きかった。しかし、今となっては早とちりだったかもしれないな。どれひとつ発生しておらん」
安田が肩をゆすって笑った。
「リスク対策は、それで良いのです。……経済は東京、政治は栃木。先進国は、皆そうしています。政治も経済も東京では、核ミサイル1発で日本そのものが終わってしまいます」
板垣が政府機関の移転を評価すると、安田が真顔になった。
「国民は無駄遣いだと言って批判したがな。リスクなど現実化しないに越したことはない」
「そのリスクですが……」
板垣は安田の視線を捕え、大きく息を吸って間を取った。
「……どうやら、某国のリスクを肩代わりしている機関があるようです」
「ほう。聞き捨てならないことを言うね」
安田が眼を細めた。
「クレドルゴールド・システムによる管理を受託し、アメリカの核廃棄物を持ち込んでいるようです」
「それは初耳だね」
安田が、かさついた唇をとがらせる。
「核廃棄物管理事業団や公社の独断でしょうか?」
「違うのかね?」
「岩城理事長は、……基本、真面目な方です。秋川理事長も独断で核を引き受けるほど根性は座っておりません」
「なるほど! それは愉快だ……」
安田が、アハハと声をあげて笑った。
「……板垣さんは、科学者にしておくには惜しいな。今度、選挙に出てみないか?」
そう言い、板垣の瞳を覗き込む。
「いいえ。政治家をやるには、私の心臓は弱すぎます」
板垣が苦笑いを浮かべると、安田が難しい顔をする。
「それで、私に何をしろと言うのだ?」
笑いを殺した安田が背もたれに身を預けた。
「海外の核廃棄物を預かるには、時期尚早です。すでにオペレートミスで管理個数の誤りが生じています。ハードには自信があるのですが、ソフト面ではまだまだ未熟です。そのあたりの所を事業団と機構、公社に示唆いただけないでしょうか?」
「ふむ……」安田が考え込む。
板垣は黙って彼の考えがまとまるのを待った。いや、待つほどではなかった。安田はすぐに口を開いた。
「私の一存では、何とも言えないな。場合によっては外交問題にもなることだ。それを受け入れることで日本の安全保障は盤石になっている」
安田は核廃棄物の持ち込みに政府が関与していることを示唆した。
「だからこそ、安田先生のところに伺いました」
板垣は頭を下げた。
「そこまで頼られてはなあ。出来るかどうかわからないが、総理に掛け合ってみるか」
安田の言葉に、板垣は滅多に見せることのない可愛らしい表情を見せた。
議員会館を出た板垣は、その足で東京の核廃棄物管理事業団を訪ねた。
「今日は何の用かな? ポッド数の差異の原因でも判明したのか?」
板垣の顔を見るなり岩城が尋ねた。
「報告が上がっていないのですか?」
「うむ。何もないが……」
彼の顔を一瞬、不快感が走った。どうやら
「未来倉庫Fには、帳簿を書き換えて保管数に合わせるように指示があったそうです。岩城理事長の指示ではないのですね?」
「もちろんだ。そんな指示はしていない……」
その時、秘書が茶を運んできたのに気付いた岩城が話しを止めた。板垣は知的な美女を見上げ、何故か安田の顔を思い出した。
「私の顔に何かついていますか?」
秘書は、自分を見つめる板垣に向かって微笑を返した。
「いや……」
男性に対しては図々しい板垣も、女性には遠慮する。黙って秘書の手元に視線を落とした。
岩城もまた沈黙し、秘書が部屋を出るのを待った。
「理事長も秘書には気を使うのですね」
秘書が部屋を出た後、以前なら言わなかった嫌味を言った。理事長に対する尊敬が消え失せたからできたことだ。
「彼女は
「私が来るのは迷惑ですか?」
その時はじめて、自分は政府の監視対象者になっているのではないか、と疑った。それで岩城理事長は、未来倉庫Fの帳簿のことを詮索せず、松江の施設を完成させるように促したのではないか?……そう考えると、岩城の顔がそれまでと違って見えた。
「私にはもう先がない。迷惑など……」
彼の穏やかな瞳が笑っていた。
「……だが、君は違う。何よりも、これからの日本に君は必要な存在だ。つまらないことで道を誤ってほしくない」
「つまらないこと?」
〝核〟に関わる帳簿の差異がつまらないことだろうか?……見解の違いは決定的で妥協できるものではなかった。
「今日もそのことで来たのかな?」
「いえ、前向きなお願いがありまして。……海外からの廃棄物持込みは、政府承認のことのようですね」
「それを誰から?」
「安田議員です。総理までからんでいるとなると、持ち込みを止めるのは難しいかもしれません」
「なるほど」
「せめて、ガバナンスとオペレーションを明確にして、不測の事態が発生するようなことは防止したいと思うのですが、公社、倉庫共に私の指示は聞きたくないようです」
まっすぐ岩城を見据える。
「秋川君はどうなのだ?」
「機構には、公社や倉庫のやることに口を出す権限はないということでした」
「なるほど、逃げているというわけか。……
岩城の言葉に驚き、その顔を見つめた。彼も逃げていると思っていたからだ。
板垣の視線に気づいた岩城がぷいと横を向いた。
「理事長がその様な話をされるとは思いませんでした」
板垣は岩城が見ている窓の外の景色に眼をやった。官庁が入っていたビルのいくつかは取り壊されて緑地になっている。その地下にはクレドルゴールド・システムではなく、巨大な核シェルターと水害対策の貯水槽が造られていた。
「おかしいかね?」
岩城がぼそっと言う。
「おかしくはありませんが、意外でした」
つい先日、岩城は、未来倉庫Fのポッドの数量の差異には触れるな、と言ったばかりなのだ。長い物には巻かれろとでもいうように……。彼の本音はどこにあるのだろう?
「君は優秀だが、今のままでは他人の素顔を知ることはできないよ」
私のこともわかるまい。そう言われたようだ。未来倉庫Fで抱いた疎外感の原因の一部が、自分にあると理解した。
「ごもっともです。私は少し天狗になっていたようです。人は〝クレドルゴールド〟と同じだと、やっとわかりました。どの顔を見ることができるのか、それは私がつくる顔にも原因があるようです」
「なぁに……、君程度の天狗は可愛らしいものだ」
岩城は秋川の側か、自分の側か、どちら側の人間なのだろう?……板垣は判断できずにいた。
「とにかく、自分の信じることをやってみることだ」
岩城が言った。
「先日は、指示に従えということでしたが?」
「そこだ。それが君のいけないところだ。人をシステムか機械のように考える。君自身が話したばかりだ。人はいくつもの顔を持っている。時と場合、立場で変わることもあるし、嘘をつくことも多い。自分と他人のどちらを優先するのか、それも状況で代わるものだ」
「そうでした。しばらくは私なりの方法で取り組んでみます」
「うむ、それも良かろう」
板垣は一礼して退出した。
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