第28話
板垣は一晩を家族と過ごし、翌朝、再び福島に向かった。
丸一日あったのだ。やる気のない木下でも、ポッドも数と帳簿が不一致の理由を摑んでいるだろうと期待していた。とはいえ、一抹の不安もあった。その差異が、自分の不始末によるものだとわかったら、彼は口を閉ざすかもしれない。あるいは、噓の原因をでっち上げるかもしれない。
昼になる前に未来倉庫Fの所長室に押し入るようにして乗り込むんだ。
「ポッドの数と帳簿の数字の差異の原因は分かりましたか?」
木下を前に腕組みした。
「数字はあっていますよ」
彼はすまし顔で言った。
「あっている?」
言うに事欠き、あっているとはなんだ!……噓も、そこまでになるとばかばかし過ぎて怒る気にもなれなかった。
「ええ。ポッドの数の通りでした。ポッドごとの管理台帳もその数しかない。受け入れ簿と請求書の数だけが増えていたのです。ケアレスミスです。そもそもポッドが紛失するなどあり得ませんから」
「監視カメラの映像は確認したのですか?」
「不審車両は写っていなかった……」彼が冷笑を浮かべた「……言ったとおり、実際、帳簿だけの問題なので、そっちを修正しましたよ。田伏理事長と秋川理事長の承認も得ています」
彼は田伏から帳簿の数字を減らして実数に合わせるよう指示を受け、板垣が指示した調査は中断していた。
「修正?」
さすがの板垣も、帳簿の修正方法の知識がなかった。
「ええ、今は現物と帳簿は一致している。もう、このことに触れるのは止めましょう」
「そもそも、どうして差異が生じたのです?」
彼らのつじつま合わせを受け入れよう。……板垣は妥協した。但し、問題の原因は摑んでおきたかった。それが、同じ過ちを繰り返さないための最低条件だ。場合によってはシステムを改善する必要がある。
「板垣さん、しつこいですよ。もう修正は終わったのです。自分の目で見たいなら、オペレーターに聞いてください。……そもそも設計者のあなたが、クレドルゴールド・システムの運用の全てを掌握することに無理がある。帳簿のことは事務方に任せてください」
帳簿を修正したというのなら、どうした理由で誤差が生じたか説明できるはずだ。……木下の虎の威を借る口調に、板垣はむかつきを覚えた。
「データが違ったのなら、その理由を押さえるのが当然ではないですか?」
「もう、この件は終わりです」
木下が唇を固く結んだ。それを1ミリとも開けるつもりはないという意思が、彼の瞳にあった。
彼は、全ての不安と困惑、そして誤りという事実を意思によって封じたのだ。……板垣はそう解釈した。それにしても、と思った。木下だけでなく、田伏や秋川らは落ち着きすぎている。それは何故か?
彼らは帳簿の数字を直した、と簡単に言う。そうした態度は官僚や事務屋の習性としてはありえない。それができるのは、ポッドの数の方が正確だという確信があるからだろう。
――つまり、誤るような作業を行ったことの裏返しだ!
板垣は所長室を出るとオペレートルームの白石を訪ねた。
「帳簿を修正したそうだね、所長に聞いたよ」
「はい。修正伝票を1件、登録したそうです。上の事務方の仕事です」
彼は1階で仕事をする事務員のことを言った。
「それで在庫と一致した?」
「はい。帳簿上は」
「ポッドの現物と受け入れ帳簿の不一致の原因に、心当たりはないか?」
白石はその視線をモニターから板垣の顔に移し、悲しそうに首を振った。
「いつどうした作業で帳簿がくるったのか、白石さんならわかるだろう?」
しつこく訊いた。
「オペレーターは、荷受け時にバーコードをスキャンしています。現物以上の数のデータが帳簿に載ることはありません」
「それが違っていたのだ。誰かが、データベースに直接アクセスした可能性は?」
「データベースのデータの削除や修正には管理者レベルの権限が必要です。ここでは木下所長しかそれを持っていませんが、所長にはデータを改ざんするスキルはないと思います」
白石の話はもっともだった。
「あの、いいですか……」
声をかけてきたのは、モニタリングのサブ責任者の永野だった。彼女に誘われてスティールラックの陰に向かった。監視カメラの死角だ。
「所長からここのメンバーに、板垣さんと不必要なことを話すなと指示が出ています」
彼女がささやくように話した。
当然、想定されたことだった。帳簿の差異の理由を強引に聞きだしたら、白石や彼女に迷惑がかかるだろう。
「そうか……、心配かけてすまない。最後に一つだけ、やってほしいことがあります」
「何でしょう?」
「バーコードスキャンのログ日時に異常がないか、それだけ確認しておいてください」
「わかりました。時間はかかりますが、単純なことです。任せてください」
永野は会釈をすると自分の席に戻り、板垣はモニターの前に座る4人オペレーターの顔を改めて確認してから事務所を出た。何のために彼らの顔を見なければならなかったのか、板垣自身にもわからない。ただ、そうしたかった。
出口は正門ではなく、地下道だ。総合サッカー教育センターに向かう足に力が入らなかった。歩きながら、もうここには来たくない、と不可能なことを考えた。プロジェクトに関わった時から、すでに逃げ場はないのだ。それはコンクリートのトンネルが象徴している。
階段を上って倉庫に出ると、管理人室を訪ねてタクシーを頼んだ。それから施設内の自分の部屋に入った。机の上に置いた妻と子供の写真を目にし、もうここには来たくないと再び考えた。
「パパは薄情ね」妻はよくそう言った。「パパはお家が嫌いなの?」娘は訊いた。そんなことを言われても、動じたことのない板垣だった。それは仕事に対する使命感と情熱があったからだ。しかし、ここ数日、木下や未来倉庫Fの職員の態度を見るにつけて疎外感を感じた。
――未来倉庫Fの帳簿のことなど忘れろ。聖域の浄化の前には些細なことだ――
昨日まで信じていた岩城理事長の声が頭の中に張り付いていた。それは裏切りの声だ。
「私は間違っているのか?」
板垣は、微笑む妻と娘の写真に向かって問いかけた。
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