第27話

 翌日、東京に戻った板垣は、最初に廃炉システム開発機構の理事長室を訪ねた。秋川理事長は板垣の直属の上司に当たる。


 手持無沙汰なのか、秋川は椅子の背もたれに体重を預け、ゴルフ焼けした顔をハーフミラーの窓に向けていた。その視線の先には、かつて国会議事堂だった建物があった。


 4月戦争の教訓から、国会と多くの省庁は地方へ移転し、議事堂は地下鉄の駅とつなげられて核戦争時のシェルターに改修された。主を失った各省庁の建物は、一部は廃炉システム開発機構のような外郭団体に安値で払い下げられ、一部は解体されて災害対策の緑地に変わった。国会や省庁が地方に移転しても、多くの企業は東京に残った。人口の2割が住む東京は、経済の中心であることに変わりがなかった。


 板垣は、挨拶もそこそこに、秋川に詰め寄った。


「未来倉庫Fの管理状況は、どうなっているのですか?」


「どうした、顔色を変えて……」


 秋川がぐるりと椅子を回して立ち上がった。


「……そもそも、あそこは私の管理下にないよ。そのことは君が一番よく知っているはずだ」


「それはそうですが……」


「まあ、掛けなさい」


 2人は応接椅子に向かい合った。座るとすぐに、秋川が口を開いた。


「先ほど次世代エネルギー創造公社の田伏理事長から話がありましたよ。その件かな?」


 実際に連絡があったのは昨日だったが、彼は嘘を言った。連絡の速さは人間関係の緊密さを暴露するものでもある。


「連絡があったのなら、それは都合がいいです。ポッドが一つ紛失しています」


 板垣はあえて刺激的な言葉を選んだ。しかし、秋川は落ち着いていた。すでに木下から話を聞いていたのだろう。


「それは事実なのか?」


「持ち出されたかどうかは現在調査中ですが、帳簿とポッド数が一致していないのは事実です」


「きっと、帳簿が間違っているのだよ。工場や倉庫ではよくあることだ。帳簿の数字を一つ減らせば済むことだ」


 このオヤジは何を言うのだ!……板垣は目をむいた。そうして表情が固まっているのが、自分でもわかった。


 いや、田伏のタヌキにそう吹き込まれたのだろう。……気づくと怒りは田伏に向いた。


「もし、ポッドがテロリストの手に渡っていたらどうします?」


「日本にはテロリストなどおらんよ。第一、あんな重いもの、1人で持ち出すことはできないだろう。おそらく請求書を起こすときにでも帳簿をつくり間違えたのだよ」


 秋川は澄まし顔で言った。


 請求書は、核廃棄物管理事業団から日本政府に管理費用を請求するときに作成することになっていて、未来倉庫Fや次世代エネルギー創造公社の帳簿が誤る理由にはならない。


 ここにも仕事を知らないやつがいる。……考えたが言葉にはしなかった。本省から出向させられた板垣は、上司の無知を許すことが日本的な礼儀であり、組織で生きていくための方法だと身に染みている。


「そうおっしゃるのは、帳簿がくるう理由に何か心当たりがあるからですか?」


 核テロリストが日本にはいないというところは、板垣もそう思っている。しかし、リスクの想定は可能な限り広く設定すべきだ、と理性がささやいている。過去には地下鉄内で毒ガスをまいたカルト集団だってあるのだ。人間の行動は倫理でも合理性でもなく、可能性に基づいて考察すべきだ。


「まさか。一般論だよ」


 言うと同時に、秋川は右手を板垣の前に出して制した。秘書がお茶を持って入ってきたのだ。


 秘書がお茶をおいて出ていくと、「彼女も政府の犬だ」と秋川が表情をゆがめた。多くの外郭団体には、内閣官房に情報を渡すスパイがいた。政府はあらゆる角度から情報を得て、外郭団体の人事に介入し、思いのままにコントロールしていた。


「そうでしたか……」


 板垣は湯呑茶碗に視線を落とした。毒でも入っていそうで気分が悪い。


「で、話は?」


 秋川が促した。


「一般論なら、事実と請求書は一致すると思うのですが」


 スパイの件で話の腰を折られ、板垣は自分が空回りしているようなむなしさを覚えた。


「科学者としては一流だが、君は世間知らずだね」


 秋川が低く笑う。その笑いに耐えきれず、板垣は唇を結んだ。事実と書面の不一致が普通のことなら、世間など知りたくもない。


 秋川が、湯気を上げる板垣の茶碗を見ながら再び笑った。その表情には、一抹の不安もない。


「私には支え合う仲間がいる。一匹狼の君とは違うのだ。だからこうして楽をしていられる」


 彼は重厚なソファーの黒革をなでた。手帳を取り出して、日曜日のゴルフの予定を確認する。


「日曜日に栃木で大臣とゴルフをすることになっている。板垣君もどうだね?」


 彼の好意に、板垣は席を立って応じた。


「失礼します」


「まったく……」


 彼が鼻で笑うのを背中で訊きながら、理事長室を後にした。


 板垣は廃炉システム開発機構を出ると、その足で核廃棄物管理事業団を訪ねた。隣のビルにそれはある。秋川の前任の理事長がそこの岩城理事長で、板垣のかつての上司だ。秋川と違って信頼に値する人物だと考えていた。


「重大な報告があります……」そう切り出し、未来倉庫Fで起きている問題を報告した。


 岩城が目を閉じたまま話を聞くので、板垣には岩城が何を考えているのかわからない。ただ眉間に刻まれた深い皺に岩城なりの苦悩があるのはわかった。


「岩城理事長、大変な事態です。こんなことが世間に知られたら、全てが水のアワです……」板垣は朝比奈の名刺を彼の前に置いた。「……こんな連中が周囲をうろついているのですよ」


 名刺は彼にやったが、その記者が、すでに多くの手がかりを得ていることは話さなかった。もちろん、自分がその一部を提供したことも。今は、組織に対する不信感が言葉を封じていた。


 岩城はテーブルに置かれた名刺に目をやったが、何も応えなかった。


「まさか。……理事長もご存じだったのですか?」


 彼が眉間の皺を深める。


「……板垣は、松江の施設の完成を急げ。聖域から出る廃棄物は、F1の比ではない」


「聖域って……」


 思わず息がつまった。4月戦争で生じた放射能汚染地域は広く、汚染レベルも高い。そこの廃棄物が容易に運び出されてくることはないだろう。


「ニュータイプが働いている。彼らの努力を無にしてはならん」


「ニュータイプという自衛隊の特殊部隊がF1にいるという噂は聞いていましたが……。本当のことなのですか?」


「私も詳しくはない。が、自衛隊に高濃度汚染地域下で活動できる部隊があるのは間違いない。その機密はクレドルゴールド・システムの比ではないことも。特急品の特定秘密だ。……だから板垣よ。未来倉庫Fの帳簿のことなど忘れろ。聖域の浄化の前には些細なことだ」


 彼の諭すような言葉は、板垣のかんさわった。


「理事長、それとこれとは別です!」


 正義は自分にある。……板垣が正論を振りかざし、腰を浮かして声を荒げても、岩城は動じなかった。


「私の言ったとおりに動け。それが君のためだ」


「見損ないましたよ」


 板垣は思わずテーブルを叩いた。


 湯呑茶碗が弾み、茶に波紋が生じた。それに岩城が気を取られている間に、板垣は理事長室を飛び出していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る