第22話

 ワールド通信社福島支局にやってきた黒いスーツ姿の4人は、警視庁公安部の刑事だった。中の1人が、高木支局長を逮捕すると告げた。


 朝比奈は、高木と警察官の動きを注視していた。支局長の表情はいつもの様に冷静だったが、突然、机を掌でたたいた。――ドン……、鈍い音がした。彼は、その反動を利用して立ち上がったように見えた。


 一瞬、刑事たちは身構えたが、すぐに高木の左右の腕を取った。


「抵抗するな」


 刑事が言った。


「朝比奈、少し出かけてくる。後は頼んだぞ」


 高木はそう言い、素直に連行されていった。


 ドアが閉まった後、朝比奈はハッとして後を追った。彼らはエレベーターに乗っていた。朝比奈は階段を駆け下りた。


 路上に黒塗りの車が2台停まっていて、2人の運転手が待っていた。高木と4人の警察官は2台の車に分乗した。


 朝比奈は2台の車のナンバーを控えた。品川ナンバーだった。事務所に掛け戻り、編集局の八木に電話を入れた。彼と直接話すのは初めてだった。


『どうかしたのか?』


 朝比奈には八木の声が震えているように聞こえた。それが自分の心臓の鼓動の影響だとは気づかなかった。


「高木支局長が警視庁公安部に連行されました。特定秘密違反容疑です」


『そうか……。助かったな』


 彼の声に黒いものを感じた。


「助かった……、どういうことですか?」


『テロ等準備罪なら、朝比奈も引っ張られていたぞ』


 八木に教えられてはじめて、背筋が冷たくなるのを覚えた。


 朝比奈は、逮捕時の状況と高木を連れ去った車のナンバーを報告し「記事はどうしましょうか?」と書きかけの記事について、八木の指示をあおいだ。


『ペンディングだ。しばらく動くな!』


 八木が乱暴に命じて電話を切った。


 受話器を置いてから、朝比奈はしばらく天井を見ていた。八木は動くなと言ったが、何もするなということではないだろう。第一、どうして支局長だけが逮捕されたのか? これは僕の事件だ!……負い目のようなものが胸の中でチクチクした。


 次に何をすべきか?……やるべきことはいろいろあるはずだが、思い浮かばない。使用済み核燃料、未来倉庫F、次世代エネルギー創造公社、警視庁公安部……。さまざまなことが頭に浮かぶけれど、どれも幻のように具体性がなく、何も決められなかった。


 ふと、有希菜のことが気に留まる。理由はない。天井から視線を戻し、彼女の席に目を向けた。そこに有希菜の姿はなかった。


「佐伯!」


 呼んでも返事がない。


 給湯室に気配があるので覗いてみると、彼女はそこで泣いていた。


「どうした?」


 朝比奈が顔を覗き込むと、有希菜は背中を向けた。そしてうめくように言った。


「刑事の中に彼がいました」


「そうか……」


 朝比奈はそれだけしか言えなかった。自分の席に戻り、もう一度、天井を見上げた。


「どうすべきか……」


 自問する。


 どうすべきか。支局長と佐伯と。……一度に考えるには重すぎる。


 コーヒーを唇に運ぶ。まだ温かかったので時計を見た。高木が連行されてから10分ほどしか過ぎていなかった。


「どうしたらいい」


 もう一度天井を見上げた。


 有希菜をこのままにしていても良いのだろうか?……不安があった。とはいえ自殺するようなことはないだろうとも思った。


 支局長の家族にも知らせなければならないだろう。原稿も書き上げておくべきだろう。八木はペンディングと言ったが、それでいいはずがない。


「留守番を頼む」


 朝比奈は言い残し、事務所を後にした。高木の住むマンションに向かって車を走らせた。


 小さな街だ。その賃貸マンションの前を何度も通ったことがある。しかし部屋を訪ねたことはなかった。高木は家族の話をしなかったし、朝比奈も尋ねなかった。話さないということは、話したくないことだと思ったからだ。


 玄関先でインターフォンのボタンを押すと『ハイ』という小さな声がした。まるで病人の声のようだと感じた。


 名乗ると、開錠される音がしてドアが開く。そこに伏し目がちの高木の妻がいた。朝比奈の注意は藍子の眼帯に向いた。


 藍子はわずかに顔を伏せたまま「主人に何か?」と訊いた。


「高木支局長が警察に連行されました」


 できるだけ優しく、かといって、状況を誤魔化すことがないように言葉を選んだ。


「やっぱり」


 そうつぶやくのと藍子はその場にしゃがみ込むのが同時だった。


 朝比奈には彼女に掛ける言葉がなかった。何よりも、高木が逮捕される可能性を妻に話していたことに驚愕きょうがくしていた。彼の洞察力どうさつりょくはもとより、2人の強い絆のようなものにも……。


 我に返り、彼女の前に屈んだ。そうして感じた。彼女の顔は感情のない仮面だと。


 夫の逮捕を悲しんではいないのか?……疑問は覚えたが、それで高木だけが逮捕されたという負い目から解放された。


「……会社が全力で、……支局長を救い出します」


 他に言葉が見つからなかった。警視庁を誘拐犯のように言ったのはおかしかったか、と自分のとぼしい語彙ごい力を、どこか冷めた目で見ていた。


「お願いします」


 藍子が頭を下げる。


 朝比奈は、彼女が立ちあがるのを助けてから、その場を離れた。

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