第21話

 朝比奈が取材旅行から帰社したのは、事務所が家宅捜索を受けた4日後の朝だった。高木の姿はまだなかった。本社から新しいサーバーや情報端末が届いており、事務所は家宅捜査前の状況に戻ったように見えた。社内のネットワークは復旧したものの、当然、サーバーのメモリー内部は空っぽだ。


 机の上にはメモリーカードのケースがあった。商工データサービスから取り寄せた調査対象企業の決算関係のデータだ。それを手にすると有希菜が言った。


「それ、昨日、届きました」


「中身、見た?」


「いいえ」


 真面目なのか、好奇心がないのか、朝比奈には彼女が理解できなかった。


 メモリーカードを新しい情報端末のスロットに指してファイルを開く。各企業ごとに6期分の決算書があった。並んでいるのは数字ばかりで、朝比奈の苦手な分野だ。


「売り上げが増えていることぐらいなら分かるけどな……」


 大半の企業の売り上げが増えたことはわかるが、それをどのように加工し、分析するべきか見当がつかない。


 アオイだったらなぁ。……彼女の笑顔が浮かんだ。結婚前、彼女は銀行に勤めており数字には強いのだ。とはいっても、取材内容を知られることになるから、実際に目にしているデータを見せるわけにはいかない。


 サーバーに共有ホルダーをつくり、データを保存した。


「佐伯さん、会計データの分析をしてもらえるかな?」


「定型的なものでいいですね?」


 有希菜が会計分析ソフトを使い、企業ごとの売り上げと利益、資産の推移票を作り、グラフにした。


 グラフを見れば企業の経営状況は一目瞭然だ。成長している企業。成長はしていないが、安定している企業。成長はしているが、資金繰りが厳しい企業……。会計分析ソフトは、そうした定型的な傾向を洗い出してくれる。


「さて……?」


 朝比奈は首を傾げた。分析結果がクレドルゴールド・システムに関連するものかどうか、全く見当がつかない。


「資料、支局長にも送っておきますね」


「ああ、よろしく」


「ハイ、終了!」


 キーボードをたたいた有希菜が席を立ち、コーヒーを淹れた。


「朝比奈さんもどうぞ」


 彼女が、コーヒーと朝比奈の出張土産の菓子を彼の前に置いた。お菓子はともかく、彼女がコーヒーを淹れてくれるのは珍しいことだった。


 まだ恋人に裏切られたショックが残っているようだ。……朝比奈は、てきぱきと仕事を処理する彼女の勢いが空元気に見えた。彼女が食べる菓子のポリポリという音に胸が痛む。


 彼女をそんなふうにした公安警察に目にものを見せてやりたい。……思ったものの、どうしたらいいのか、全く見当がつかなかった。




 翌朝、朝比奈が疲れの取れない身体で出社すると、支局長が出社していた。自分の席でタブレットに向き合っている。


「東日本、ツバメ、日立中央陸送は黒だな。それにこの宇都宮合金工業が関わっていそうだ」


 挨拶もそこそこに、彼が決算書を読み解いてクレドルゴールド・システムに関わっているであろう企業を指摘した。


「宇都宮合金工業?」


 朝比奈が取材してきた企業だった。商工データサービスの報告書を見ると6年前の上期から売上高が成長しており、主な取引先には東日本特殊金属加工とツバメ・テクノロジーの名前があった。


「取材では、ポッド関連の仕事はしていないということでしたが……」


 訪ねた企業は何処も、ポッド関連の仕事はしていない、と関係を否定した。


 朝比奈は、高木が見ているタブレットの画面に目をやった。映っているのは昨日、朝比奈も確認したものと同じ決算書だった。


「いいさ。もともと自己申告は期待していない。工場だって、機密部分は見せないだろう。ポッドを見なかったからといって、ポッドと関わっていないとは限らない……」


 高木が売り上げ推移のグラフを指した。


「……売り上げの増加するタイミングが早いのは、ポッドの部材というよりは素材を扱っているからだろう」


 高木は「打ち合せ室で……」と言って、席を立った。


 朝比奈は自分のタブレットと取材時のメモを手にして支局長を追った。打ち合わせ室にはいると彼が、暗い目をして口を開いた。


「トラックの運転手から話を聞けたよ。ポッドを運び入れたのは4年前が最初だそうだ」


「すごい。よく聞けましたね」


「昔から、3人知ったら秘密にならないと言うんだよ。だから公の仕事は公明正大、知られてまずいことはするなということだ」


 高木がタブレットをタップすると、朝比奈のタブレットの画面が変わった。映ったのはポッドの荷受け伝票だった。未来倉庫Fの受領印があり、日付も鮮明に写っていた。


「こんな物まで手に入れたんですかっ!」


 朝比奈は眼をむいた。


「それで原稿を書け。明日の朝、配信だ」


 彼は既に、ニュースに必要な項目を整理していた。1時間ほどかけて、朝比奈は説明を聞いた。


「署名記事だ。できるな?」


 署名記事はニュースサイトに記者の名前がのる記事だ。執筆者の意見を反映させることができる。それがスクープなら、朝比奈の名前が業界に一気に知られることになる。責任も伴うが、記者としては名誉なことだ。


「僕の名前で?」


「当然だ。これは朝比奈が見つけたネタだ」


 高木の鋭い視線が朝比奈の覚悟を問う。


「やります」


 朝比奈はきつく唇を結ぶ。ゴクンとのどが鳴った。


 自分の席に戻った朝比奈は情報端末を起動した。〝クレドルゴールド・システム〟〝廃炉システム開発機構〟〝次世代エネルギー創造公社〟〝未来倉庫F〟と記事に盛り込むキータームを打ち込む。そして、論点をまとめた短文を並べる。そこから文章の構成の検討を始めた。


 短文を並べるところまでは早かったが、そこでキーボードを打つ手が止まった。ディスプレーをにらんだところで記事をうまく書けるはずがなかった。時間ばかりが刻一刻と進んでいく。


「クッソ!」


 気分転換に立ち上がる。給湯室でコーヒーを淹れ、席に戻ろうとした時だった。出入口のドアが開いた。硬い表情の男性が4人、ぞろぞろと入ってくる。皆、真っ黒なスーツ姿で、まるで葬式の帰りのようだ。


 彼らは朝比奈の前を無言で通り過ぎ、真直ぐ高木の席に向かった。彼らの後ろで有希菜が立ちすくんでいる。


 1人が高木に書類を提示した。


「高木昭義だな。特定秘密保護法違反の容疑です。同行をお願いしたい」


 言葉は丁寧だったが、威圧的な響きがあった。


「公安ですか……」


 高木が逮捕状に目をやっていた。

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