第16話
定時に仕事を終えた有希菜は、自分の軽自動車を郊外のショッピングモールに向けていた。そこが宮崎とのいつもの待ち合わせ場所だった。付き合い始めて約1カ月、その日が4回目のデートだった。週1回のペースは、順調な交際だと思う。
ショッピングモールの駐車場は広い。人気の場所は道路から入りやすく便利な第1駐車場で、オートドライブシステムのナビはそこに車を停めた。
有希菜は、はやる気持ちを落ち着かせながら下着売り場に足を運んで新しい下着を買った。大人びた色気のあるおしゃれで、それでいて
買ったばかりのそれを持ってトイレに飛び込み、窮屈な思いをしながら着替えた。待ち合わせ時刻までにはたっぷり時間がある。化粧も入念に整えた。
万全の準備を整えてから、再び車に戻った。オートドライブシステムを切って、第1駐車場を出る。しばらくぶりのマニュアル運転にひどく緊張した。
いったん敷地内の通路に出ると、すぐにハンドルを切って建物に面する緩いスロープを上った。スロープの先は4階の屋上駐車場だ。そこの出入り口から遠い、人気のない場所が宮崎との待ち合わせ場所だった。
最初のデートはショッピングモール内の映画館だった。2度目は彼の車に乗ってドライブに行った。彼はマニュアルで運転した。職場の話や趣味など、お互いの距離を探るような頼りない会話をしながら、レースでもするように多くの車を抜いた。惚れ惚れする運転だった。3度目はショッピングモールで食事をしてからアミューズメントセンターに足を運んだ。卓球をしたり手をつないでトランポリンをしたり、アーチェリーを教えてもらったり、2人で汗を流した。すると一気に距離が縮まった。生い立ちや恋愛観など、心の内をさらけ出すような話ができた。
今日は4回目だもの、覚悟を決めなさい!……有希菜は、改めて自分に言った。実際その日は、自分から関係を一歩進めるつもりだった。キスをして、それから……。想像するだけで頬が燃える。身体を差し出す覚悟はできていた。その準備もすでに整えた。
待ち合わせ場所に大型のワゴン車が停まっていた。宮崎の車だ。彼が有希菜の車に気づいて手を振った。
慣れないマニュアル運転で枠内に車を停めるのは難しい。彼のようには上手くできなかった。切り返しを何度も繰り返してようやく止めることができた。
「待たせてごめんなさい。私、運転が下手で……」
言い訳をしながら彼の車の助手席に掛けた。
「まだ約束の10分前だよ。それに、俺も来たばかりだし……」
彼が気遣ってくれるのがわかる。この人しかいない!……有希菜は確信を深めた。
「……運転が上手い必要なんてないのさ。そのためにオートドライブがあるし、必要なときは俺が運転する」
彼ははにかむように言った。
必要なときは俺が運転するって、プロポーズ?……有希菜の心が跳ねた。確認したかったけれど、ガツガツした女だと思われるのが嫌で、できなかった。
その日、宮崎は行きたいところがあると言って車を走らせた。
「人間は機械に頼りすぎだ。もっと自分の力で生活しないとだめになるよ」
暗に、有希菜の下手な運転を擁護していた。今は彼もオートドライブシステムを切り、マニュアルで走らせている。有希菜よりはるかに上手い。その姿がとても頼もしい。
しばらくは彼が、自然と人間の関係を、地球環境の変動や生物の生命力についてを語り、有希菜は聞き役にまわった。
「俺ばかり話しているな。……有希菜が働いている通信社って、どんな仕事をするところ?」
彼は目線を前に向けたまま、話を有希菜に振った。
「私がいるのは福島支局でしょぼいのよ。一定数の記事は出すけど、国内向けの小さなものばかり……」
以前は世界的な通信社だと話を盛った有希菜も、その日は正直に話した。たった2人の記者が地域のイベントや事件、事故を取材して本社に送っており、スクープはもとより、世界に送り出すようなニュースには縁遠いということを。
「……支局長ったら、ひどいのよ」
こんな言い方をしたらマイナスイメージだと思いながらも、彼が楽しそうに聞いてくれるので舌が止まらなかった。ついつい口調も言葉も過激になった。
「大変だね」「うんうん」「分かるなー」「俺の職場もそうだよ」
彼は有希菜の全てを受け入れてくれた。愛されているという実感が深まった。そんな話が一区切りついたのは、車がレストランの駐車場に入ったからだ。
「私って駄目な人間よね」
「どうして?」
「自分のことばかり話している」
「最初は俺ばかり話したじゃないか。俺は君の話がもっと聞きたい」
「そうなの?」
2人は柔らかいステーキに舌鼓をうち、再び夜のドライブに戻った。
東北自動車道に乗ると宮崎は、運転をオートドライブに切り替えた。
「高速道路は管理が強化されたんだよ。少しでも違反をすると違反切符が届く」
彼は運転をAIに任せる言い訳をした。
「何でも知っているのね……」
有希菜はただ、彼への信頼を深めた。
高速道路のオレンジ色の街灯がリズムを刻むように車内を明滅させる。灯りの点滅とタイヤから伝わる静かな振動が恋人たちの本能を刺激した。
「……でも、オートドライブのおかげで、2人で楽しめるわ」
有希菜は、それまでシフトレバーにあった彼の手を握った。もうそれを離したくないと思った。
「そうだな」
彼に手を引かれて倒れ掛かる。彼の唇が有希菜のそれに当てられた。彼の手が、柔らかな腕を身体の中心に向かって移動する。
あ!……有希菜は自分の気持ちが彼に届いたのだと思った。眼を閉じて身も心も預けた。
ところが彼の手は、有希菜の胸を避けてさらさらの髪にもぐりこんだ。有希菜は
ほどなく、車は3番目のインターチェンジを降り、目の前のラブホテルに入った。
有希菜は何の抵抗も感じなかった。彼の望むままにベッドの中ですべてをさらけだして愛しあった。
「私、幸せだわ」
「俺もだよ」
「私の方が幸せよ……」
有希菜の夜は充実していた。寝物語、有希菜は自分の勤めるワールド通信社がどれだけユニークな会社で、世界とつながっているのかをひとしきり自慢した。
「同僚に恵まれているのだな。焼けるよ。彼らより、君の仕事のことが知りたくなった」
そう言い、彼は有希菜の唇を求めた。
「私の仕事は普通の事務なのよ。面白くもなく、つまらなくもなく、……データ整理や会計処理ばかり」
「でも、良い職場なのだろう? それに通信社なんて珍しい。そんなところで働く人はデキル!……そう、エリートみたいな人たちなのだろうなぁ」
宮崎の熱い瞳に、有希菜は一所懸命応えた。
「そんなことないですよ。支局長は普通のセクハラおやじだし、朝比奈さんはくず籠をすぐに蹴飛ばしてゴミを散らかすし。核廃棄物の話をしていたかと思うと、すぐにサッカーの話になるんです。本人はサッカーどころかゴルフも散歩もしないのに……」
入社してから経験した面白い話を必死で思い出しながら語った。話し疲れて気づいたときには、時計の針は午前3時を回っていた。
「明日は休んじゃおう」
2人は合意して枕元の照明を消した。
部屋を暗くしても2人が眠りにつくことはない。有希菜の荒い息遣いが宮崎のボイスレコーダーに記録された。
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