第3章 報道と権力

第15話



「おかえりなさい、良かったわね」


 朝比奈が帰宅するとアオイの朗らかな声が出迎えた。


「ん、何が?」


「何って、廃炉システム開発機構の記者会見のことに決まっているじゃない」


 廃炉システム開発機構の記者会見は、核に関心のある市民の注目は集めても、世間の多くの人々にとってはどうでもよいことだった。その証拠に、テレビやネットニュースは一度報じただけで、深夜のニュースでそれをを取り上げることはなかった。まして、施設の所在が公表されないことに対する不安を掻き立てるような報じ方はしなかった。そのニュースに視聴率を上げるようなことはないからだ。


 その後も、放射性廃棄物が自宅近くあると知ったら騒ぎ出すような人々も、クレドルゴールド・システムを理解できないからか、それに注目することはなかった。メディアも、テロ対策のための特定秘密だと釘を刺されたために自粛する傾向がみられた。ただ、聖域に手が入るかもしれないという話題は、かつてそこに住んでいた避難者たちの希望の火となり、主要メディアはそうして明暗の〝明〟の部分をクレドルゴールド・システムの成果として強調した。


「見たんだね」


 朝比奈の心境は複雑だった。アオイがそのニュースに関心を持ってくれるのは嬉しかったが、自分がスクープしたもので喜ばせたかった。


「偶然ね」


 そう応じる彼女の表情には影があったが、朝比奈は気づかなかった。


「残念だよ」


 正直に言った。


「あら、どうしたの。普段なら、こんなニュースを見たら一番喜ぶのに」


 アオイが小首をかしげる。それをかわいいと褒めると喜ぶのだが、その日は、その気力がなかった。


「そのニュース。うちでスクープするつもりだったんだよ」


 言ってから後悔した。アオイが笑うような気がした。


「そうなんだ。それは残念ね。済んだことは仕方がないから忘れましょうよ」


 アオイは笑わなかった。話題を掘り下げることもなく、軽くやり過ごして話を変えた。


「……支局の女性だけど、名前を何と言ったかしら?」


 どうしてそんなことを訊くのだろう?……朝比奈は疑問を覚えながら問い返す。


「佐伯有紀菜のこと?」


「そうそう。そうだった。その佐伯さん。ショッピングモールで素敵な男性とデートしていたわよ」


「へー、それは意外だな。先月まで彼氏はいないって言っていたのにな」


「出会いさえあれば、恋は性急なものよ」


「僕らもそうだった?」


「え、忘れたの?」


 アオイが怖い目で朝比奈をにらんだ。




 翌日、出社した朝比奈は、ぼーっとしながら有希菜を見ていた。恋人ができたという前提で観察すると、以前よりも生き生きしているようにも見えるし、化粧が濃くなったようにも思うが確証はない。自分の観察力もまだまだだなと思っていると、当の有希菜が朝比奈の視線に気づいた。


「どうかしましたか?」


 視線が合い、朝比奈はどぎまぎした。


「いや、……以前より生き生きしていると思ってね」


「そうですか?」


「素敵な恋人ができたらしいね」


「エッ!……」彼女が瞳を真ん丸にした。「……ど、ど、ど、どうして知っているんですか?」


 ひどく動揺して、顔を近づけてきいた。


「僕は優秀な記者だよ。日本中に情報網を張り巡らせてある」


「嘘ばっかり」


 有希菜が笑った。その顔から動揺はすっかり消えていた。むしろ自慢げだ。


「その人、どんな人?」


「優しくてイケメンで背も高くて……、朝比奈さんとは反対のタイプです」


 言いながら、彼女は再び笑った。


「それはひどいな。……でもなー、そんないい男が佐伯と付き合うか?」


「それって、セクハラです。侮辱です。人権侵害です!」


 彼女は背筋を伸ばし、両手を腰に当てて朝比奈を見下ろしていた。


「そ、そうか?」


 朝比奈が動揺する番だった。


「そうですよ。支局長と同じ」


 言いながら、彼女は支局長に視線を向ける。


「おいおい、俺の名前を勝手に使うなよ」


 高木が自分の席から抗議した。


「でも、恋人ができて良かったな。おめでとう」


 朝比奈は笑ってセクハラをうやむやにしようとする。


「おめでとうもセクハラです。朝比奈さん、私のことを心底バカにしているでしょ?」


 彼女が朝比奈に顔を寄せた。まるでネズミをいたぶる猫だ。


「そ、そんなことないさ。馬鹿にしていたら、話題になどするものか」


 朝比奈は精一杯つくろった。


「結婚式には招待してくれよ」


 そう言ったのは高木だ。いつの間にか有希菜の真後ろに立っていた。彼の大きな手が佐伯の肩をわしづかみにしていた。


「きゃ!……」有希菜が一瞬、跳ねるようにしてから背中を丸めた。「……もう。支局長もセクハラです」


「佐伯に恋人ができたので、嬉しくてな。つい、喜びのハグをしたつもりだ」


「ハグは、向かい合ってするものですよ」


「してもいいのか?」


「だめです!」


 有希菜が逃げるように給湯室に隠れた。彼女のスマホの着信音が短くなった。噂の恋人からのメールだった。宮崎幸紀みやざきゆきのりというのが恋人の名前で、アドレス帳にはユッキーと登録してある。


【今晩も会いたい】


 彼のメールは単刀直入だ。それだけに有希菜の胸をえぐった。


〖いつもの所で、午後7時に待っています〗


 有希菜は迷うことなく返信した。


「有希菜、心の準備はいい?」


 有希菜は壁面の小さな鏡に映った自分に問う。


「佐伯、打ち合わせ室にいる。電話は折り返しだ」


 事務所から高木の声がしたが、それに彼女は気づかなかった。

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