第10話

 朝比奈は、未来倉庫Fの張り込みに行く準備をしていた。昨夜は高木が張り込み、やはりマイクロバスの出入りを確認していたが、他に新しい情報はなかった。


「張り込みはいつまで続くの?」


 天ぷらを揚げげながらアオイが訊いた。


「真相が分かるまで、かな」


 朝比奈は、高木に言われたように2、3日とは言わなかった。そんな話が反故ほごにされ、張り込みが1週間、1カ月と続くことなど日常茶飯事だからだ。……甘い期待をすると後の失望が大きくなる。いや、むしろ調査が空振りに終わって、記者自身が精神的にも、社内的にもダメージを受けることが多い。だから、ぐらいの気持ちで向き合った方がいい。家族の期待まで膨らませ、己のプレッシャーにすべきではない。……記者になるとすぐに上司に教えられたことだ。彼は、高木とはタイプの異なる上司だった。


 しかし、朝比奈は今、そのアドバイスを違った視点で見ていた。仕事のことで家族の期待を膨らませるなというのは、若い記者から取材の秘密が漏れることを防ぐための、かつての上司のテクニックだったのだろう。


「どこに行くのかも言わないんだから……。まさかと思うけれど、女のところに通っているんじゃないわよね?」


 アオイが口元に笑みを浮かべ、手にしていた包丁を構えた。


 まさか本気ではないだろう。そう思いながらも朝比奈は両手を挙げる。刃物には鬼気迫るものを感じた。


「アオイまで、変なことを言わないでくれ」


「変なこと?」


 彼女は包丁を置いて蕎麦をゆで始める。


「局の佐伯が、徹夜明けで帰ったとき、朝までエッチしてきたのだろうって疑うんだ」


「え! そんなことできるの?」


「無理、無理、死んじゃう」


 首を振った。


「なーんだ、残念」


 彼女はケラケラ笑って料理の続きを始めた。朝比奈は張り込みの準備の続きにかかった。


「おまたせぇ」


 アオイがテーブルに暖かい天ぷら蕎麦を置いた。蕎麦は朝比奈の好物だ。夜食用の弁当もあった。


「食べ過ぎて寝ないようにしてね」


「おう」


 朝比奈は席に掛け、箸を刀のように掲げた。前の張り込みでは寝てしまったことを思い出した。


 夕食を済ませるのに、10分とかからなかった。早食いは記者にとって必須の技術だ、と、入社時に教えられた。今はそれをする必要がないのに、意気込みがそうさせていた。


「それじゃ、行ってくるよ」


 アオイにキスを投げて愛車に乗った。いつものようにマニュアルで新相馬区を目指した。


 未来倉庫Fを見通せる通りに着くと、昨日とは反対側の路肩に車を止めた。事務所の窓に明かりがあるのが認められた。道路の街灯はすくなかったが、ナイトゲームをやっているのか、総合サッカー教育センター上空が明るかった。


「さて、長い夜が始まるぞ」


 自分に言い聞かせてほどなく、周囲の景色が変わった。ルームミラーに眼をやると、眩しいヘッドライトが並んでいる。


 やがて大型トレーラーが朝比奈の車の横をゆっくりと通り過ぎた。車体には【日立中央陸送】の文字が見える。朝比奈の車が静かに揺れた。


「でかいな……、時速30キロほどか……」


 朝比奈は薄闇に揺れるテールライトを目で追った。


 未来倉庫Fの門扉が大きく開き、倉庫のシャッターが上がり始める。トレーラーを迎え入れる準備に違いなかった。


「ラッキー。ずいぶん早いお出ましだ」


 トレーラーは列を作っていて、1分間隔ほどで通り過ぎていく。朝比奈の車は揺れ続けた。


 車列を撮影しながら台数を数える。ちょうど10台だった。荷台は金属のコンテナで中身がなにかは分からない。が、想像はついた。


「F1から運んできたドライキャスクの容器に違いない」


 トレーラーは次々と未来倉庫Fの中に消えていく。6台が倉庫内に入り、4台は外で待機した。


 朝比奈は神経を高ぶらせて、次の動きを待った。倉庫に入ったトレーラーが出てくる時を……。


 1時間がすぎた時だった。倉庫の向こう側から2台のトレーラーが出てくる。手前のシャッターが上がり、待機していた2台が中へ進んでいく。そのシャッターは、トレーラーをのみこむとすぐに下りた。


 内部は一方通行になっているのだろう。トレーラーの動きから、荷物の積み下ろしの処理能力は同時に2台までで、それに1時間ほどかかると想像できた。最後のトレーラーが出てくるのは4時間後になる計算だ。


「それまでは待てない」


 朝比奈は最初に出てきた2台のトレーラーを追うことに決め、サイドブレーキを外した。


 2台のトレーラーはF1に戻るのに違いない。想像できるから、慌てることはなかった。ところが予想に反し、それは来た道と逆の方向へ向かった。


「トラックターミナルへ帰るのか?」


 朝比奈は失望した。それから、F1から走ってきたのなら、夜中の内にもう一往復するのは時間的に無理だ、と納得もした。F1まで時速60キロでで戻ったとしても1時間、新たに荷物を積むのに1時間、未来倉庫Fに戻るのには時速30キロで2時間、合計で4時間かかる。そのころはまだ夜明け前だが、それから荷物をおろして倉庫を出るころには夜が明けているだろう。


 15分後、トレーラーが入っていったのはターミナルなどではなかった。そこは新相馬港の国際埠頭だった。そこにあげられる荷物は海外からの荷物と決まっている。


「どういうことだ?」


 朝比奈はゲートの前を通り過ぎてネットフェンスの前に停車した。埠頭は強い照明に照らされていて、フェンス越しでも様子が良く見えた。停泊しているのは巨大な貨物船が1せき


「未来倉庫Fとは無関係の荷物か?」


 ゲートをくぐったトレーラーは、貨物船の横に止まった。荷台のコンテナ上部が左右に開くのが遠くからでもわかった。


 カメラの望遠レンズをトレーラーに向ける。


 ほどなく、貨物船からコンテナに荷物が降ろされた。


「ドライキャスクだ」


 朝比奈は息をのんだ。


 明かりを鈍く反射する荷物は長い筒状のドライキャスクで、それひとつで荷台は一杯になった。もう1台のトレーラーに降ろされたのは球形の荷物だった。それが二つ積まれると、トレーラの荷台が大きく沈んだ。


 トレーラーのコンテナの上部が閉じると、2台のトレーラーはゆっくりと、まるで喘ぐように動き出した。荷物を積んだ荷台の車高が下がったことからみても、荷物は相当の重量があるものに違いなかった。


 朝比奈はトレーラーがゲートに向かうのを確認してから自分の車に乗り込んだ。


 2台のトレーラーとすれ違う。


「これは、スクープだ」


 トレーラーのテールランプをバックミラーで見送ると興奮が湧き上がってくる。同時に、大きな秘密の重さに胃が痛んだ。何はともあれ、Uターンしてトレーラーを追った。


 トレーラーは、時速30キロの速さで未来倉庫Fに向かっていた。乗せた荷物が危険なものだとトレーラーのドライバーが認識しているのは間違いなかった。あるいはそれがルールなのに違いない。


 未来倉庫Fに着くと、トレーラーの出入りを確認しながら夜が明けるのを待った。


 結局、10台のトレーラーの内6台が新相馬港から再度、荷物を運んできた。4台は港と反対の方向に向かった。それらはトレーラーのターミナルに帰るのか、F1に向かうのだろうと想像した。


「今日の入庫は全部で16台か……」


 最初の10台はF1の方角から来た。のこりの6台は新相馬港で積み込んだ海外からのものだ。海外の荷物はどこの国のものなのだろう? 次はそれを調べる番だと思った。


 総合サッカー教育センターの上に朝日が昇る。車の時計は午前7時15分を表示していた。


 ――グゥー、……胃袋が鳴り、空腹に気付いた。トレーラーを追いかけるのに忙しく、夜食を忘れていた。


「朝食になっちまった」


 持たされた弁当をゆっくりとたいらげてから、目的地を新相馬港に設定して車を走らせた。

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