第9話
マイクロバスが総合サッカー教育センターに入ったのを確認した朝比奈は、自動運転システムをオンにして自宅を目的地に設定した。
「やってくれ」
眠い目をこすりながら命じると車が動き出す。自動運転システムは制限速度を忠実に守るためにマニュアル運転より時間はかかるが、事故を起こすよりましだ。
時折寝落ちしそうになる。するとナビが眠らないように、と注意喚起する。眠ったら、安全な場所で停まるとも、脅かすように言ってくる。
「寝ませんよ……」
朝比奈は欠伸をかみ殺した。そうして車は、1時間ほどで自宅マンションの駐車場に停車した。
『お疲れさまでした』
自動運転システムのナビに送り出されるように車を下りた。
家ではアオイが頬を膨らませて待っていた。
「帰らないなら連絡をください」
開口一番、彼女はそう言った。
「ゴメン、申し訳ない」
両手をあわせて彼女に詫びた。真剣に、心から拝んだ。仕事に夢中で、スマホの充電を忘れていた。充電器に載せると、アオイからのメッセージが30件ほど並んだ。
充電を忘れるなんて、記者として失格だ!……支局長に叱られているような気がした。
「本当にゴメン!」
改めて彼女を拝んだ。
「もう、ユウイチったら……」
何に感動したのか、ただ可笑しかったのか、アオイが笑いだす。そこをすかさず抱きしめた。
「アオイ、好きだ」
そうやって、頭の中から高木の影を追い払う。支局長を忘れるだけで良かったのに、彼女の甘い香りに朝比奈の本能がむくむくと頭をもたげた。
彼女の首筋から耳元に唇を這わせる。彼女の感じる場所だ。
「ア……、わかってます……」
彼女のセーターの内側に手を滑り込ませる。滑らかな肌の感触に朝比奈の欲望はさらに膨らんだ。
「……今日は、お休みなの?」
彼女は、半分喘ぎながら訊いた。
休むよ。今日は1日アオイと愛しあう。……そう言おうとする自分を止める自分がいた。高木支局長との打ち合わせの約束があった。
「支局長と打ち合わせがある」
「まあ、やだ。それならシャワーを……。少し臭うわ」
彼女はすっかり冷めていて、朝比奈の手をセーターの中から引っ張り出した。
「チョットだけ……」言ってはみたが無駄だった。
「ダメよ。シャワーをしたら朝食よ。それでギリギリだと思うわ」
彼女はしっかり者だった。朝比奈は煮えたぎる欲望をシャワーで洗い流した。
朝比奈が支局に着いた時、ちょうど有希菜が出入り口のドアの開錠をしているところだった。
「おはよう」
「あ、朝比奈さん、おはようございます」
彼女はぺこりと頭を下げ、ドアをひいた。
「眠そうですね?」
「うん、ちょっとね」
「朝比奈さん、新婚ですものね。昨夜はがんばったのですか?」
彼女が含み笑いを浮かべた。二十歳になったばかりだというのに、スナックのママのようなもの言いだ。朝比奈は、高木の行きつけのスナックの優子ママの色っぽい唇を思い出した。それが有希菜の唇と重なり、思わず身震いする。アオイとやりそこねた下半身が心なしか膨らんだ気がする。
「変な想像するなよ。仕事だよ。昨夜は張り込みをしたんだ」
彼女にも自分にも呆れ、仕事だぞ、と自分を叱咤した。コートを脱ぐときは彼女に背を向けた。
「なあんだ。つまんない」
背後から彼女の声がした。
普段、出社の早い高木が顔を見せたのは定時を過ぎてからだった。管理職だから時間に縛られる必要はないのだが、会社員としての模範を示すかのような彼が遅れてくるのは珍しかった。
「遅れてすまない」
そう言う高木の顔には疲労が張り付いていたが、瞳には爛々とした光が宿っていた。
今回の案件に臨む意気込みに違いない。やはり支局長も。……朝比奈は、高木が自分同様、昨夜は張り込みをしたのではないか、と想像した。
「お茶はいい」
高木は茶を出そうとする有希菜を制し、朝比奈に向かって「打ち合わせよう」と言った。
2人は打ち合わせ室に移動した。
「気分はどうだ?」
高木が訊いた。
「気分……?」
よくわからなかった。
「俺は久しぶりに燃えているよ。久しぶりのスクープの匂いを感じる」
「そうですか……?」
朝比奈には、ベテラン記者の勘は理解できなかったが、心は躍った。
「まず、朝比奈の話を聞かせてくれ」
高木の求めに応じ、1枚の名刺をテーブルに置いてから説明を始めた。未来倉庫Fの木下所長と総合サッカー教育センターの田上は面識がありながら、それを隠していたことと、未来倉庫Fの従業員がバスで送迎されていることなどだ。
「良くたどり着いたな」
高木の誉め言葉は無条件に嬉しかった。
「俺の方は、まだ不確実だが核廃棄物管理事業団と未来倉庫Fが繋がっているらしいとつかんだ。未来倉庫Fのほうは、今晩は俺が張り込んでみよう。朝比奈は帰って休め。明日から二、三日、朝比奈には張り込んでもらうことになるかもしれない」
「大丈夫ですか? 支局長、疲れているようですが……」
「中年男を
高木は苦笑し、朝比奈の肩を叩いた。それからほどなく、彼は行先も告げず事務所を出て行った。
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