第8話

 車を飛ばして支局に戻った朝比奈は、転がり込むように自分の席に座った。全身を駆け巡る興奮を抑えることができない。


「おかえりなさい」


 何かを頬張り、口をもごもごさせながら有希菜が朝比奈を迎えた。事務所に甘い匂いが満ちていた。


「いま、お茶を入れます」


「ありがとう。支局長はいないようだね?」


「外出中です」


 聞くまでもなかった。高木が事務所にいたら、有希菜がおやつを食べているはずがない。部下に対しては寛容な高木だが、そういう点では厳しかった。若者を一人前の大人に教育するのも自分の仕事だと考えているのに違いなかった。彼がいたら、有希菜がおやつを食べることなどできないことだった。


 朝比奈は、未来倉庫Fの木下所長の名刺を取り出して見つめた。正確には、木下所長と田上理事長の関係を考えた。それは深いつながりがあるのかもしれないし、たまたま職場が隣接することになり、知り合いを紹介しただけなのかもしれない。


 しかし、電力会社で使用済み核燃料の管理主任をしていた人物と、次世代エネルギー創造公社と関係のある人間が、偶然隣り合わせの職場になったとは考えにくい。少なくとも、2人は次世代エネルギー創造公社の土地でつながっているのだ。


「おやつ、どうぞ」


 有希菜がコーヒーとクッキーを机に置く。


「サンキュー」


 朝比奈はすかさずクッキーを口に放り込み、証拠隠滅を図る。これで彼女と同罪だ。


「支局長には内緒にしてくださいね」


 有希菜が拝むようなポーズをとる。だからといって反省をしているような様子は更々なく、ニッと笑って自分の席に戻った。


 朝比奈は情報端末を立ちあげて、記録していたF1の全景をにらんだ。未来倉庫Fのことも気になるが、支局長や映像管理部の時田課長に公言した手前、F1の調査も手が抜けない。


 画面の端に頑強そうなコンクリートの建物がある。その地下にドライキャスクが保管されているはずだった。


「ん?」


 違和感を覚えて一週間前の動画と現在の動画を見比べた。そうしてはじめて、シャッターの下部に隙間らしきものがあるのに気づいた。


「デブリが搬入されたのか?」


 確認するも、30分間の動画にはトラックが行き来した様子は映っていなかった。言えるのは、その建物が稼働状態にあるということだけだ。


 ふと、F1と未来倉庫Fがつながって見えた。


「原子力が創る明るい未来……」


 古い標語が口をついた。


 ――プルルルル――


 代表電話が鳴り、有希菜が受話器を取る。高木からだった。


『今日は、直帰するよ。朝比奈君はいるかな』


 朝比奈が電話を代わると、『どうだった?』と彼が短く訊いた。


「面白いことが分かりました。詳細は明日報告します」


『そうか。意外と大きな山になりそうだな』


 その口ぶりから、高木も何かをつかんだとわかる。彼に対する対抗意識のようなものを覚えた。


「こうしちゃいられない。……出かけてくる」


 電話を終えると、有希奈に告げて事務所を飛び出した。




 方々を訪ね歩き、未来倉庫Fに立ち寄ったのは午後8時を過ぎた時だった。昼間はひっそりとしていた事務所に明かりがついていた。


 さて、どうする。……怪しげな会社に正面から飛び込む愚は避けることにした。訪ねたところで本当のところを訊けるとは思わない。離れた場所に車を停めて見守ることにした。


 時刻が深まり闇が濃くなる。昼間は春のような空気も、冬のそれに変わって足元から身体を冷やした。


「サブ……」


 暖房をどうするか迷った。ひとところに止まった状態で暖房を入れると、排気口から水しずくが落ちて動力が動いていることがばれてしまう。


「凍え死んだらシャレにならないか……」


 誰かに見つかったら退散するまでだ。そう開き直り、暖房を使った。


 音楽も動画も照明もない世界で時間を過ごすには、頭の中の細胞で楽しむしかない。これまでに集めた情報を並べてはバラバラにする。それらを並べなおし、ゼロから関係性を検討しなおす。


 次世代エネルギー創造公社、木下所長、田上理事長、日立中央陸送、ドライキャスク、使用済み核燃料、燃料デブリ……。実際のところ情報は多くない。その組み合わせにも、消費できる時間にも限界がある。1時間もすると事実の分析は限界に突き当たり、そこからは手の内に無い情報を利用して仮定という物語の世界に入った。未来倉庫Fという企業が、F1内の倉庫から、どこかへドライキャスクを運び出しているという推理だ。


 あれこれ考えながら、事務所棟の窓の明かりを見つめていた。


 いつの間にか寝てしまっていたらしい。朝比奈は、フロントガラスに反射する朝日で目覚めた。


「ッ……寝ちまったか……」


 未来倉庫Fの明かりは消えていた。


「今晩、出直すか……」


 後悔を口にした時、倉庫のシャッターが開いた。


「オッ」


 後悔が霧散し、希望が産まれた。


 倉庫から2台の車が出てくる。1台は銀色の高級車で、別の1台は白色の大衆車だった。ちらりと見えた倉庫の奥は予想以上に広く、天井にはクレーンが備わっていた。荷物のようなものはなかった。


 2台だけなのか。……車を見たときの率直な感想だった。もっと沢山の人が働いていると想像していたのだ。


 朝比奈は2台の車のナンバープレートを写真に収めると、大衆車の後をつけた。高級車は木下所長の車だと判断した。それならいつでも見つけだし、取材できるだろう。


 朝比奈が尾行した車は、新相馬区内を山の方向に向かって20分ほど走り、小さな古い住宅が並ぶ大きな団地に入った。団地の入り口には中央住宅生協という朽ちかけた看板があった。団地の開発業者だ。


 朝比奈は白い車が入った家の前を通り過ぎてから、通りの左端に車を寄せて停車した。


 バックミラーの中に、車を降りた男性の姿が映った。工場の制服にありがちな薄緑色のジャンパーを着ていた。その男性が家に入ったのを確認してから車をUターンさせて、その家の表札を確認する。【UCHIMURA】とローマ字表記の表札があった。


 尾行してきたと知られたら不審感を持たれて取材が上手くいかないだろう。降りてチャイムを押すのはさけた。


 時計を見るとまだ午前6時をわずかにすぎたところだった。眠気はあったが、もう一度、未来倉庫Fの事務所を覗いてみるべきだ、と記者の勘がささやくのでアクセルを踏んだ。


 未来倉庫Fが視野に入った時、そこにマイクロバスが停車しているのが見えた。


「作業員の送迎車か……」


 車を止めて見ていると7人ほどの人が乗り込んだ。肉眼では彼らの表情までは見えないが、ドライブレコーダーには映っているはずだった。


「交代制なのか……」


 朝比奈はハンドルに顎を乗せて様子を窺った。


「さて、二交代制か、三交代制か?」


 時刻は6時30分を回ったところだった。二交代制なら次の交代は夕方の6時30分。三交代制ならば午後2時30分に送迎バスがつくはずだ。


 人を乗せた送迎バスがゆっくりと動き出し、朝比奈の車の横を通り過ぎた。車体に社名は書かれていない。


 朝比奈が車の向きを変えてマイクロバスを追った。それはすぐに、相双北駅のロータリーに入った。そこで人を下ろすと、再び未来倉庫Fに向かって走り出した。


「ご帰還だね」


 そんな想像に気を緩めて走っていると、マイクロバスは未来倉庫F目前で道を変えた。そして、総合サッカー教育センターの敷地の中に入っていく。


 朝比奈は車を停めた。マイクロバスの行方を目で追っていると、それはセンター内の宿泊施設の前に止まった。総合サッカー教育センターと未来倉庫Fは密につながっていたのだ。


「とんだタヌキだ」


 朝比奈は、田上理事長のとぼけた顔を思い浮かべていた。

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