第5話
新相馬区の総合サッカー教育センターは、ワールド通信社福島支局から車で1時間ほどもかかる沿岸部にあった。東日本大震災で津波に襲われた地域だ。
朝比奈はマニュアル運転でドライブを楽しんだ。自動運転の車をすいすいと追い越して行く。阿武隈山地を越える時、周辺にはちらほらと雪が残っていた。震災復興のために整備された高速道路も、痛みが目立ち始めていた。
総合サッカー教育センターで出迎えてくれたのは、スキンヘッドの
「とにかく見てください。素晴らしい施設ですよ」
挨拶もそこそこに、田上に案内されてレストラン、ロッカールーム、アスレチックルームといった施設内に点在する建物を見てまわった。田上は微に入り細に入り、施設の特徴や教育施設としての完璧さを説いた。
最後に足を運んだのは、娯楽設備も備えられた7階建ての宿泊施設の屋上だった。太陽がまぶしかった。
「まずは、どうです!」
田上が得意げに、まるで舞台俳優のように両手を広げてみせた。その先にあったのは、真っ青な太平洋だった。白い波が打ち寄せる海岸線には津波対策の堤防が延々と線を描き、その先には白く塗られた灯台と新相馬港が見える。
「で、こちら側です。ここからだと全体がよく見えますよ」
西に目を転じると、広大なサッカー施設が広がっていた。開閉式の屋根を持つ公式のサッカーグランドが1面と練習用の人工芝のグランドが3面、フットサル施設が4面並んでおり、やや離れたところには屋内練習場があった。他にも、見て回ってきたレストランやロッカールームなどの建物が整然と並んでいた。
「立派なものですね」
朝比奈は素直に感心していた。景色を見渡した後、ポイントを選んで報道用の写真を撮った。
「素晴らしいでしょう。この施設が年間、たった200万円の賃料ですからね」
田上が笑った。理事長と言う肩書はもっていても、気さくな人物だった。
「そんなに安いのですか?」
「まぁ、貸主が国の
「利益どころか、とても投資額をペイできる金額ではないですね」
「確かにそうです。外郭団体は補助金で運営しているから儲からなくてもいいのでしょう。その分、うちは助かります」
総合サッカー教育センターを運営するNPOも文部科学省から補助金を受け取る組織だ。似たような立ち位置なのに、この人はどう考えているのだろう?……朝比奈は田上が不思議な生き物に見えた。
「うちも人のことを言えませんな」
朝比奈の気持ちを察したのか、田上が体をゆすって笑った。
「補助金を受けた団体が、所有する施設の賃料を安く貸し、補助金を受けた別の団体がそれで払う。結局これは、全部、税金で
チクリと嫌味を言った。朝比奈の、いや記者の悪い癖だ。
「教育は投資です。この施設は赤字でも長期的に見れば、日本国の帳尻が合うはずです。そこのところは、しっかりやっていますからご安心を。我々のNPOも……」
田上は朝比奈の嫌味など意に介することなく、真顔でNPOの存在意義を述べた。
「なるほど。確かにおっしゃる通りです。しかし、こちらのNPOはそうでも、この施設の貸主は違うと思うのですが、……貸主も教育関係の組織ですか?」
「次世代エネルギー創造公社というところです」
朝比奈は妙なことを聞いたと思った。次世代エネルギー創造公社とサッカーグラウンドでは、あまりにもミスマッチすぎる。
「外郭団体とはいえ、安く貸していることが会計検査院に見つかったら問題になるのでは?」
「あぁ、そうですなぁ。賃料の件はオフレコでお願いします。会計検査院はともかく、向こうさんに知られて賃料を上げられたら困ります」
田上が額の汗を拭いた。内陸部と違って浜辺の直射日光は肌を刺した。
「私が黙っていても、いずれわかるのではありませんか? 外郭団体とはいえ、会計検査院は目を光らせているでしょう」
「なあに。次世代エネルギー創造公社の仕事は特定秘密に指定されているから、会計検査院も調査は出来ないのだと思いますよ」
特定秘密は特定秘密保護法に規定されたもので、日本の安全保障に関する事項のうち特に秘匿を要するものについて行政機関が定めるものだ。
「この施設の賃貸が特定秘密ですか?」
そこには違和感しかない。
「いや、施設ではなく次世代エネルギー創造公社のほうです。もっとも確証があるわけではありません。噂話です」
田上はそう言うと、光る頭を
朝比奈は広大な敷地を見回してから、再びデジタルカメラで動画の記録を始めた。カメラを通してみると、改めて敷地の大きさに驚かされる。次世代エネルギー創造公社とサッカー、そして特定秘密。……まったく共通点が見出せない。
考える時間を稼ぐために質問を投げることにした。
「フェンスの向こうにも、かなり広い敷地がありますが、あそこは総合サッカー教育センターと関係ないのですか?」
「ああ、あそこは違いますよ。もともとこの辺りは工業団地を誘致するつもりで造成したようです。売れ残りじゃないですかね」
「確か、日本のシリコンバレーを目指すとか?」
「ええ。ふたを開けてみたらIT企業の進出はゼロでした。まあ、珍しいことではありません。役所の作る計画など、決裁が下りるように数字のつじつまを合わせるのですからな。それができるのが、優秀な官僚ということになる。……この地域にITを根付かせるには、地域の教養のレベルが不足していました。目標に適合した下地がなかったということです」
彼が唇の端で笑った。
「それで知育より体育ということですか?」
朝比奈の発言は、皮肉に聞こえたようだ。
「面白いことをおっしゃる。しかし、サッカーをバカにしてはいけませんよ。サッカーには体力と技術と知力が必要なのです。それとガッツというか精神力がね」
「なるほど。勉強になります」
それから朝比奈は、ひとしきり田上のサッカー論を聞かされた。
改めて敷地内の配置図と照らし合わせ、建物一つ一つの用途を確認して記録した。その図には、大きな倉庫と平屋の用途不明の建物があった。
「この施設は何ですか?」
「あぁ、そこは次世代エネルギー創造公社が
田上の話しぶりは、何の疑問も持っていないようだった。もし何かを知っていてこの態度なら相当の役者だ。……朝比奈は、つい勘ぐった。職業病だ、と自分を笑う。
「ところで、ここの施設の設計と施工はどちらですか?」
朝比奈が施工業者を聞いたのには訳があった。図面や請負金額がわかれば、次世代エネルギー創造公社が、サッカー施設の運営に協力する理由がわかるかもしれないと考えていた。疑ったのは、建築工事を利用した裏金作りだった。
「さあ、どこだろう。私たちは希望だけ出して出来上がったものを借りているのですよ。何分、賃料が安いですからね。細かいことを言える立場ではありませんでした。しかし、この施設に私たちは満足しています。正直のところ、私が想像していたよりも、はるかに程度がいい」
田上は声を立てて笑う。その豪快さに、自分の思い過ごしかもしれない、と朝比奈の自信が揺れた。少なくとも彼は何も知らず、問題は次世代エネルギー創造公社にあるのだろう。
「きっと立派なサッカー選手が生まれるでしょうね。期待しています」
朝比奈はそう
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