第3話
東京電力福島第一原子力発電所、通称〝
「やっぱり、こっちか……」
朝比奈は、自社の監視カメラの映像に切り替えた。原発の敷地外に設置されたそれは1号基から6号基までの原子炉全体を
40年前の写真は水素爆発で曲がった鉄骨がむき出しになっていて不安を与えるものだったが、目の前の映像は、原子炉は仮設建物に覆われており、不安を刺激するようなものではなかった。その内部でスターフィッシュが動いているはずだ。
3号基の前に、バスを連結したような大型車両が停まっている。廃炉作業が行われている証拠だ。そうした事実も不安を抑制する要素だった。
「それって、原発ですかぁ。まだあるんですね」
佐伯有希菜がいつの間にか後ろにいてモニターを覗き込んでいた。
彼女は、東日本大震災や原子力発電所の事故など型通りの知識としてしか知らないのだろう。廃炉の進む原子力発電所への感想も、まるで観光地のパンフレットを見ているような物言いだ。
もっとも、朝比奈にとっても事故は生まれる前の出来事で、その関心も記事のネタとしてだから、認識の甘い有希菜を非難するつもりはなかった。40年も前の東日本大震災よりも4月戦争の傷跡の方が、今の日本人にとってはよほど切実なものだ。
「溶けた核燃料の取り出しは遅々として進まない。いや、進んではいる。廃炉システム開発機構の公式発表が正確ならな」
「溶けたら無くなっているんじゃないですか?」
「エッ……」彼女の発言に驚いた。燃料デブリのことはしばしばメディアが取り上げている。しかし、新聞やテレビといったプッシュ型のメディアの影響力が弱まり、プル型のネットニュースが主な情報の入手源となった現代人にとって、関心のない事件や事故などないのも同じだった。
自分の記事は人々に届いているのだろうか?……現代人の知識の偏りを見せつけられて無力感を覚える。報道機関で働く有希菜ぐらいは知っていてほしい。
「核燃料は氷とは違うよ。溶けても、冷えれば固体に戻る。もともとの形状と変わっているというだけだ。今は、底に落ちて溶岩のようになっている」
説明したものの、朝比奈自身、溶けた核燃料がどのような形を形成しているのかイメージできない。水中カメラで撮影された燃料デブリの写真は公開されたものがあるが、濁った水の中であるうえに、比較になるものがないので大きさの見当がつかない。その総量は880トンと発表されていたが、写真で見たそれは、子供たちが遊ぶ粘土の塊ぐらいにしか見えなかった。
「ふうん。それってニュースになるんですか?」
「それを調べるんだよ。廃炉システム開発機構の発表が正確なら、取り出されたデブリはどこかで保管されている。それがわかれば、発表の信ぴょう性も増すだろう?」
「40年も前のことじゃないですか。それってスクープになります?……それより、聖域の問題の方が、スクープになると思うなぁ。行ってみれば?」
有希菜が唇を尖らせていた。
40年は人間にとっては人生の半分だが、核燃料に使用されるウランやプルトニウムの億年単位の放射性崩壊の期間からすれば、瞬きのような一瞬でしかない。そのギャップこそ核エネルギーの本質だと思う。
「スクープかぁ。残念だけど、僕が聖域のことを調べるわけにはいかないな。管轄が違う」
「なんだ。つまんない」
スクープという点では彼女の言う通りで、1Fの数十倍のものが北陸地方の原発銀座には眠っており、それらは写真にさえ収められていない。ジャーナリストなら、クビを覚悟で聖域に入る必要があるのかもしれない。スクープを報じる時の興奮はどんなものなのだろう。……朝比奈は想像したが一瞬のことだ。
「スクープなんて、そこらに転がっているものではないよ」
そう言って聖域へ向かう勇気のない自分を慰めた。
「支局長は、スクープを見つけたことがあるんですか?」
彼女が訊いた。
「何度かあるよ」
彼は自分の仕事をしながら答えた。
「やっぱり、ボーナスとか増えるんですか?」
「それはそうだ。たんまりな」
高木が冗談めかして笑った。
有希菜が「きゃっ」という小さな歓喜の声を上げ、「私のボーナスも増えますか?」と続けた。
「もちろんだ。スクープは支局の手柄だ」
「がんばって、スクープを取ってこい。朝比奈!」
有希菜が両手をメガホンにして言った。
「無茶言うなよ」
朝比奈は原発の映像に視線を移す。そこに何か引っ掛かるものを感じるのだが、それが何か分からない。
「支局長、原発の監視カメラのコントロールをしている部署はどこでしょうか?」
「ん……確か、本社の映像管理部だったはずだが、それがどうした?」
「原子炉建屋以外の映像を見たいものですから」
「頼んでみたらどうだ」
「僕からでも頼みを聞いてもらえますか?」
支局長から依頼してもらえないだろうか。申請書を出せとか、管理職から話がないのはおかしいとか、因縁をつけてくる部署がある。……本音は言えなかった。
「頼んでみなければわからないだろう」
高木の返事はそっけなかった。
「そうしてみます」
仕方なく自分で映像管理部に電話し、監視カメラの管理者を呼び出した。
「監視カメラの方向を変えることはできるでしょうか?」
『映せる場所と移せない場所があるのですが……』
管理者は時田という課長だった。若い記者にも丁寧な物言いなので、朝比奈は胸をなでおろした。
「映せない場所があるのですか?」
『原発の場合、テロ対策で警備システムと燃料保管場所は映すことができないことになっています』
「なるほど……」
朝比奈が黙ってしまうと時田がいう。
『方向を変えてアップで見ることはできませんが、カメラを引いて全景を移すことならできますよ』
「そ、それでいいです。是非、全景を映してください」
『では、11時から30分間だけ全景にしましょう』
時田は朝比奈の頼みを何の抵抗もせずに受け付けてくれた。
「ありがとうございます。できたら……」
『なんでしょう?』
「毎日、そうしていただくわけにはいかないでしょうか?」
『いいでしょう。そのように設定を変えておきます。もし、必要がなくなったら連絡をください。元に戻す必要がありますので』
時田と話しながら、自分の権限を振りかざさない、こんな人もいるのだなあ、と感心していた。
「承知しました」
朝比奈は受話器を手にしたまま頭を下げた。時計を見ると午前10時40分を回るところだった。あと20分ある。……お気に入りのテレビ番組を待つような気持ちでディスプレー上の画像が変わるのを待った。
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