第13話

「お呼びでしょうか、父上」

 DDの帰国が3日後に迫ったとき、ノアは国王に呼び出された。

「ああ、ノア、来たか」

 国王がデスクから顔を上げ、ノアに向き直った。

「じつは、おまえにヨーロッパに飛んでもらいたいと思ってな」

「ヨーロッパに?」

 あまりに突然のことで、ノアにはわけがわからなかった。

 ノアのきょとんとした顔を見て、国王が軽く笑った。

「そんな顔をするのも無理はないな。急に降ってわいた話なんだ。少し前から、わが国とEUとのあいだである種の協定を結べないかと検討していたんだが、ここに来て、EUのお偉方といいぐあいに繋がりができた。そこで、おまえにその人物と直接会って、話を進めてもらいたいのだよ」

「EUと……ですか。それはたしかに……有益だとは思いますが。しかし、父上ではなく、わたしがその方と会うのですか?」

「ああ。なにしろおまえは次期国王だ。それに、わが国の若さを印象づけるには、おまえのほうが適任だろう」

「そうですか。もちろん、国の役に立てるのであれば、よろこんでヨーロッパに行きますが」

「そうか。よかった。そこで、だ」

 国王が側近に軽く合図を送った。

「ヨーロッパへは、マカナと一緒に行ってもらいたい」

「は? マカナと?」

 どういうことだ? マカナというのは、あの、、マカナのことか?

「じつは今回、EUのお偉方と繋げてくれたのは、マカナと彼女の両親なんだよ」

「いや、でも、その――」

 ノアは、以前国王が花嫁候補としてマカナを推していたことを忘れていなかった。つまり国王は、この件を利用して自分とマカナを急接近させようとしているのだ。見え透いた魂胆だ。この際、DDとのことを打ち明けたほうが――

「ノア!」

 そのとき背後のドアが開き、若い女性が部屋に飛びこんできた。

「久しぶり! 会いたかった! ものすごく!」

 女性はそう叫び、ノアの胸に飛びこんできた。

「わっ! え? えっと、え、きみ、もしかして、マカナ?」

「そうよ! 忘れちゃった?」

 マカナがからだを引き離し、ノアを見上げた。

 くりくりとした大きな目。すっと通った鼻筋。大きく表現力豊かな唇。

 たしかにマカナだった。最後に会ったときの面影が、ちゃんと残っている。しかし――

「いやあ、マカナ。見ちがえたよ。すっかりおとなになって」

 じっさい、マカナは明るい高校生から美しい女性に成長していた。ノアはしばしその変貌ぶりに見入った。

 マカナが照れくさそうに肩をすくめた。

「わたしも、もう23歳になったんだもの。そりゃおとなになるわよ」

 そういって、ノアの両手をぎゅっと握りしめる。

「ああ、それにしても、うれしい! 国王陛下にお声をかけていただいたときは、もう、天にも昇る気分だった! つい先日、久しぶりに会いたくて宮殿を訪ねてきたのに、あなたは留守だっていわれちゃって。すごく残念だった」

 マカナは表情をころころ変えながらしゃべりつづけた。

「出発は明後日だ」

 国王がなんでもないことのように口にした。

「は? 明後日? しかし、準備が……」

「なに、ほんの2週間ほどの滞在なのだから、たいした荷物はいらないだろう。あちらでは、里帰り中のおまえの母親も待っているぞ。帰りは一緒に帰ってくればいい」

 2週間? それに、母上が……。

 頭の整理がつけられないまま、とんとん拍子に話は進み、いつの間にかノアは2日後にマカナとふたりでマルルを飛び立つことになっていた。

 DDになんといおう?

 ノアは一瞬迷ったものの、マカナのことはいわずにおけばいい、と結論づけた。そのほうが誤解を生じずにすむ。いずれにしても、DDも3日後にはアメリカに向けて発ってしまうのだ。彼女がいない淋しさをまぎらわすには、ヨーロッパ行きも悪くないかもしれない。

 ノアはそう心を決めると、一時的な別れの前にディナーを楽しもうとDDに電話を入れた。ところが間の悪いことにアメリカから重要な顧客が到着するとかで、DDは出発までに時間を取れそうにないという。

 しかたなくノアは、ヨーロッパ行きを報告しただけで、数か月後の再会を待つことにした。


 ステフがインターフォンに応えてドアを開けると、大きな目をした美しい女性が立っていた。

「あなたがマカナね? はじめまして、ステフよ」

「はじめまして! お噂はかねがね」

「あら、へんな噂でなければいいんだけど」

「もちろん! 国王陛下も、カイも、あなたのことは褒めちぎってましたから」

「それは恐縮だわ」

 ふたりは声を立てて笑いながらリビングに向かった。

 リビングではヒナノを抱いたカイが待ち構えていた。

「マカナ!」

「カイ!」

 ステフはカイからヒナノを受け取り、ハグし、頬にキスするふたりを温かい目で見守った。

「ものすごく久しぶりよね。何年ぶり? 5年? 6年?」

「それくらいになるよなぁ。いやあ、それにしてもきれいになったな、マカナ」

「ありがとう。ノアにもそういわれて、うれしかった」

「ノアにも会ったんだね」

「ええ、じつはね――」

 マカナはそういいながら、ステフに手ぶりで示されたソファに腰を下ろした。

「――明後日から、ノアと一緒にヨーロッパに行くの」

「ヨーロッパ?」

 カイとステフが同時に声を上げた。

「しかも、ノアと一緒に?」

 ステフがヒナノをあやしながらいった。

「ええ、そうなの」

 マカナはいかにもうれしそうに笑うと、ステフの腕の中にいるヒナノに視線を移した。

「うわあ、この子がヒナノね? かわいいっ!」

「ありがとう。抱いてみる?」

「ええ、ぜひ!」

 マカナはヒナノを受け取ると、腕の中であやしはじめた。

「ほんとうにかわいい……。わたしも早く、こんな赤ちゃんがほしいな」

「それには、まずは相手を探さなきゃ、だよな?」

 カイがそういって笑った。

「うふふ、そうよね」

 マカナは思わせぶりな声でそう応じると、一瞬はにかんだような表情を浮かべたあと、カイに向き直った。

「あのね、じつはね、陛下から、ノアのお嫁さんにどうだっていわれちゃって」

「え!?」

 またしてもカイとステフの声が揃った。

「わたし、ノアのことは昔からずっと憧れてたの。でもまさか、そんな話に発展するなんて」

「ちょ、ちょっと待って。それって、もう決まったことなの?」

 ステフが問いかけた。

「うーん、たぶん。陛下は、ノアにはもう話したっておっしゃってた」

「あなたは、それを望んでいるの?」

 ステフはまだ半信半疑だった。

「ええ、わたしはノアに夢中だもの! でも、ノアのほうは……よくわからないけど、少なくとも、拒絶はされていないみたい」

「そうか!」

 いきなりカイが声を上げた。

「やっとわかったぞ」

「なにが?」とステフ。

「このところ、ノアのやつ、やけに幸せそうなんだよな。人に見られていないと思ってるのか、いつもにやけてばかりいる。なるほど、でもこれでわかったぞ、そういうわけだったのか」

「そういうわけとは?」ステフがさらに問いかけた。

「だから、ノアのほうもまんざらじゃないってことなのさ。このかわいいマカナを妻に迎えられる話が進んでいると知って、ほくほくなんじゃないのか?」

「でも――」

 ステフがそういいかけたとき、マカナがすっとんきょうな声を上げた。

「ほんとに!? ノアが! えー、うれしい! うれしすぎる!」

 マカナの腕の中のヒナノまで、きゃっきゃと声を上げて笑いはじめた。

「ヨーロッパ行きがもっと楽しみになってきた」

 それからしばらくマカナは、ヒナノとにぎやかに遊んだり、カイやステフと冗談を飛ばし合ったりしたあと、跳ねるようにして帰っていった。

「いやあ、騒々しかったな」

 カイがやれやれといったようすでいった。

「ほんとね。すごく明るいお嬢さんだこと」

「ああ、昔からあんな感じだった。姿形はすっかりおとなびても、中身はあまり変わっていないみたいだな」

「それにしても、ほんとうにノアと結婚するのかしら?」

「どうかな。まあしかし、似合いの夫婦になるんじゃないかな」

「そうかしら?」

「そうは思わない?」

「うーん、よくわからないけど、ノアにはもっと落ち着いたタイプの女性のほうが合っているような気がする」

「ふむ。まあなんにしても、うまくいくといいな」

「そうね」

「おれたちみたいにな」

 カイがそういってステフを抱きよせ、やさしくキスをした。

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