第6話
部屋に運びこまれた豪華な料理を見て、DDは目を丸くした。
「こんなに……?」
「まいったな」
ノアが頭をかきながらいった。
白いクロスがかけられたテーブルには、たしかにハンバーガーものっていた。しかしそれはDDが食べ慣れているような簡素なハンバーガーとは似ても似つかないものだった。見るからに新鮮そうなレタスやトマトなどの野菜と、アボガド、チーズ、そしてトマトソースがたっぷりかかった分厚いハンバーグが、バンズからはみ出しているどころか、皿全体を占領している。
それだけではなかった。ほかにも、海老のカクテルや数種類のサラミ、チーズ、オリーブのオイル漬け、サーモンマリネ、野菜のピクルス、テリーヌ……。デザートにフルーツの盛り合わせまでついている。
DDは腰に両手を当て、ノアを見上げた。
「とても食べきれません」
「申しわけない。ルームサービスには、ハンバーガーのほかに、なにか適当に見繕って持ってくるよういっただけなんだが」
DDはため息をもらした。
国の王太子から〝適当に見繕って〟といわれたら、こうなってしまうものなのね。
「でも、のんびり食べればいいさ。時間はたっぷりあるんだし」
ノアがのんきなようすでいった。
時間がたっぷりって、どういうこと?
DDはいくぶん不安をおぼえて頭をめぐらせた。
カイとステフが戻ってくるのは夜遅く。まさかそれまで、彼はここにいるつもりだろうか? それはDDにとって、非常に複雑な感情をかき立てられる事態だった。
「冷凍できそうなものは、冷凍しておきます」
DDはそういうと、いそいそとキッチンに向かい、専用の容器をいくつか取りだした。
「冷凍するの?」
ノアが驚いたようにいって、あとをついてきた。
「はい。食べきれなかったらもったいないですから。こんなにおいしそうな料理なんですもの」
「おいしそうだからこそ、作りたてを、のんびり時間をかけて食べようよ」
ノアがそういってDDの手から容器を取り上げた。
「殿下」
DDはノアを軽くにらみつけた。
「殿下はやめてくれ」
DDはツンとあごを上げた。
「殿下でなければ、なんとお呼びしたらよいのです?」
「〝ノア〟でいい」
「それはできません」
「どうして?」
「あなたはこの国の王太子なのですよ」
「ステフだって、ぼくを名前で呼んでくれる」
「彼女は、いまや王族の一員となったのですから」
「それでも……名前で呼んでくれたら、うれしいし……」
DDは一瞬黙りこくったあと、ふたたび澄まし声で問いかけた。
「いままで〝殿下〟とお呼びして、一度もそんなことをいわれたことはありませんが、なぜ今日はそんなことをおっしゃるんですか?」
「いや、それは……」
ノアは口ごもり、うつむいたあと、ぱっと表情を明るくして顔を上げた。
「だっていまは、完全にプライベートな時間じゃないか。仕事もしていないし、いわば友だちとして一緒にいるようなものなんだから」
「友だち……」
「それにこの国では、そういう堅苦しい人間関係はあまりよしとされない。いくらきみだって、そのへんのところはそろそろわかってきたんじゃないかな?」
ノアがいたずらっ子のような顔でほほえみかけてきたので、DDはどぎまぎした。
いやだ。わたし、顔が赤くなっているような気がする。恥ずかしいったら……。
ノアは頬を赤らめてうつむくDDを見下ろしながら、胸が高鳴っていることに自分でも驚いていた。
なんなんだ、この気持ちは。なぜドキドキしているんだ、10代の若者じゃあるまいし。
それにしても、目の前にいるDDの姿はあまりに新鮮だった。
いままで自分が抱いてきたDDのイメージからかけ離れている。いや、イメージだけでなく、DDのこれまでのじっさいの言動からもかけ離れている。ときおり、ビジネスウーマンの一面を呼び覚まそうとするかのように気を引き締め、ビジネスライクな話し方をしようと努力しているようだが、それでもTシャツと短パン姿でそれを演じきるのはむずかしいようで、ついぽろりとこぼれ落ちてしまう新たな一面が、たまらなく魅力的だった。
「とにかく、食べよう。ビールくらいならいいだろ?」
そういいつつ、ノアはビールを注文していなかったことに気づいた。
「ビールも頼もう」
ふたたび館内電話に向かおうとしたノアを、DDがさっと手で制した。
「ビールならありますから」
DDがそういって冷蔵庫に向かい、そこから缶ビールを2本取りだしてきた。
ノアはDDが冷蔵庫にビールを用意していることを少し意外に思いながらも、ありがとう、と1本受け取った。
ふたりしてテーブルにつき、料理を見下ろした。
DDが小声で「いただきます」といって軽く頭を下げ、フォークとナイフを手に取った。
ノアもフォークとナイフを手に取り、ハンバーガーを食べはじめた。
味はなかなかのものだったが、無言の時間が長引くにつれ、ノアは落ち着きを失っていった。
先ほどまで、DDのことをもっと知りたいと思っていたのに、いざその機会が差しだされると、なにを訊いたらいいのか、なにを話したらいいのか、わからなくなってしまった。なんとなく、下手な口をきいたら、いつものビジネスライクな調子で切り替えされそうな気がして、怖くなってきたのだ。
DDは視線を落とし、無言のまま、ハンバーガーをほおばっている。
ノアはひとつせき払いすると、ようやく口を開いた。
「そういえば、前から気になっていたんだけど、DDというのは、なんの略? 正式な名前は?」
DDが手の動きをぴたりと止めた。
ノアはドキリとした。もしかして、訊いてはいけないことだったのだろうか?
「……あまり、好きな名前ではないので、DDと呼んでいただくほうが……」
「そ、そうか」
「申しわけありません」
「いや、あやまるようなことではないよ……」
またしても静寂。
「ええと、休みの日は、いつもなにをして過ごしてるんだい?」
「お休みの日、ですか?」
「ああ。きみが仕事熱心なことはよくわかっているし、休日もなにかとホテルの用事をこなしてくれていることは知っているけど、そうじゃない休日もあるんだろう?」
「……そう、ですね……」
ノアはどんな答えが返ってくるのかと、身を乗りだした。
「読書……とか」
やはり。
「きみ、いかにも本を読んでいそうだしね」
ノアとしては褒め言葉のつもりだったのだが、DDはさほどうれしくなさそうだった。
反応をまちがえたか……。
と、そのとき、部屋のインターフォンが鳴り響き、ふたりはぎょっとして顔を見合わせた。
「だれかしら……」
DDがさっと席を立ち、ドアに向かった。ドアが開くと同時に、ステフの陽気な声が部屋を満たした。
「ただいまー! 仕事が予定より早く終わったから、早い便で戻ってきたの!」
ステフはノアの姿に気づくと、驚いた顔をした。
「ノア? あなたがここにいるとは思わなかったわ」
そういって、DDとノアに興味深げな視線を投げかけた。
「いや、じつは、その、ぼくも仕事が早くに片づいたんで、子守をするDDを手伝おうと思って。ぼくの手伝いなんてまったく必要なかったみたいなんだけれど」
ノアはそういってDDに笑いかけた。
「ミズ・DDは仕事だけじゃなくて、子守も得意みたいだから」
「そうなの? よかった!」
「ステフ、あんまり大きな声を出したら、ヒナノが目を覚ましちゃうぞ」
「あら、いけない」
ステフが肩をすくめて笑った。
「お嬢さま、とってもおりこうさんでしたよ」
DDがそういって、ベビーベッドに向かった。寝ているヒナノを起こさないよう、そっと抱き上げると、ステフの前に連れてきた。
「すやすや眠ってらっしゃいます」
「ほんとね」
ステフが愛おしくてたまらないという表情でヒナノを受け取った。
「DD、ほんとうにありがとう。助かったわ」
「いえ、どういたしまして」
「お食事中だったみたいね。邪魔してごめんなさい」
「いえ、お嬢さまを無事お返しできて、ホッといたしました」
DDはそういうと、ノアに向き直った。
「殿下、今日はお手伝いいただきまして、ありがとうございました。ヒナノのお世話は無事終了いたしましたので、これでひと安心です。余ったお料理は、冷凍することにします。ごちそうさまです。本日はお疲れさまでした」
え? つまり、もう帰れという意味か?
ノアは若干戸惑ったものの、ステフの手前、ここでぐずぐずしてもいられなかった。
「そ、そうか。じゃあ……失礼するよ。お疲れさま」
ノアは仕方なく、ステフと一緒にDDの部屋から退散した。
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