終戦から五年。クラウスは初代国家元首としての任期を終えることとなって、後三月後には出て行く屋敷の整理を始めていた。

 国の方は所領の管理でごたごたと小さな揉め事が多いとはいえ、五十年余続いた戦を思えば平和なものだ。官吏達は有力者を中心にした派閥が幾つかできて党を結成し、どの党を政の中枢にするかの選挙が始めて行われた。そして党首が新しい国家元首となる。

 新しい国家元首はそこそこ真面目でそこそこ狡くてまあまあ人望のある者で、なるべき者がなったという態だ。

「あの、あちらの客室をお掃除していたら手紙が出てきたのですが……」

 書斎の整理をしていると、使用人が一通の手紙を持ってやってくる。受け取ったクラウスは差出人の名前を目を丸くした。

 差出人はシェルだった。彼も五年前にリリーの祖父の屋敷がどうなっているか気になるので、滞在先をそこに移すと出て行って連絡が途絶えていた。

「客室ってどこだ? 前に俺が知り合い泊めてた部屋か? そうか。ありがとう」

 やはりシェルの部屋だったらしく、クラウスは手紙を開封する。そこには一通の手紙と空の封筒、そして奇妙な文様の封蝋用の印璽が入っていた。

 手紙を開いて、クラウスは書き出しの一文にさらに驚かされることとなった。


『お久しぶりです。その節はお世話になりました。なんのお礼も連絡もできずにもうしわけありません。これを書いている今は戦争が終わって一年後になります。そちらにこの手紙が届いているのはさらに数年先でしょう。

 端的に申し上げますと、私は故郷に帰っています。リリーさんの祖父の屋敷と周辺の土地は大陸のもので、魔術でもって島と繋がれていたのです。

 島の魔術が解かれて島との繋がりが消え、気がつけば私達は大陸にいました。そう、私達、なのです。

 ふたりはお爺様のお屋敷で一緒に暮らしています。彼らは魔術を解いたのです。一度死んで生まれ変わったというべきでしょうか。なにはともあれとても幸せそうにお過ごしです』


「生きてた。あいつら生きてるのか……」

 シェルの文面を何度か繰り返し読んで、クラウスは泣き笑いになる。

 どこかでリリーとバルドは本当はまだ生きているのではないか。この五年間の間に何度かよぎった馬鹿な考えが現実となったのだ。


『それと朗報です。つい先日サーロ島への航路が開けました! といってもなんのことかわかりませんね。そちらの島との航路の中継地点となる島なのです。早ければあと十年もしないうちにそちらへの航路が開かれるやもしれません。私の書きかけの論文にさっそく興味を示している学者も多く、航路の開拓は進みそうです。その時は船でそちらに伺いますので、またお目にかかれる日を楽しみにしています。

 同封の封筒は返信用です。手紙を書いて、封筒に入れて封蝋をして印璽を押せば数年がかりで私の元に届くはずです。

 では、短いですがここで筆を置きます。またお目にかかれる日を心より待ち望んでいます』


 クラウスは手紙を何度か読み返して、リリー達からひと言もないことに薄情な奴らだと呆れながらもいかにもあのふたりらしいと嬉しくなる。

 そしてそのままにして片付けていなかったリリーの部屋へと入って、カルラがリリーに贈った誕生祝いのコサージュを手に取る。

 これぐらいなら封筒にはいるだろう。あとは処分してしまっていい。

 手紙もシェルだけに少し書いて、ふたりには何も教えない。

 ヴィオラが商人と結婚して今度ふたりめの子供が産まれることも、仕立屋で親しくなったカルラとマリウスが結婚することになったことも、エレンが変わらず墓守していることも伝えない。

「絶対に会いに行って、言いたいこと言ってやるからな」

 この先、何を楽しみに生きていこうかと思っていたクラウスは、まだ見ぬ大陸への旅立ちと懐かしい友人との再会を心待ちにして楽隠居を決め込んだのだった。


***


 大陸の東南部の山奥にグリザド、ザイード・グリムは密やかに屋敷を建てていた。

 誰にも知られない場所で魔術の準備を進めていたのだ。その場所は魔術でもって島と大陸を繋ぐ場となった。そして魔術が解けると同時に島との繋がりは絶たれた。

 といっても周りは森で外れに小さな村があってと、島と繋がってた頃とさして変わらない。地形的な類似だとなんとかシェルは説明していたが、リリーにはさっぱりわからないことだった。

「うーん、これで今日の分終わり!」

 リリーは庭先の長椅子で村に売りに行く帽子や手袋を編み終えて伸びをする。

 ここに住み始めて八年になる。

 シェルによるとあの砦で自分とバルドは一度死んだらしい。何も覚えていないので正直まだ自分が死んだことは信じられていない。

 魔術を解いたことによって、全てが在るべき姿に戻る過程で自分とバルドは屋敷へと引き戻され体に大きな変化が起こったということだ。

 目覚めるまでにバルドは三月、自分は半年もかかった。

 起きたらバルドが側にいて、この屋敷にいることをシェルから説明されても何が何だかさっぱりだったがとにかくふたりで一緒にいられるならなんでもよくなった。

 そう、それが魔術を解く方法だったのではないかとシェルは言っていた。本心からふたりが魔術を捨てることが、鍵だったのだと。

 正解がどこにあるのかは、もうわからない。

 だけれど確かに自分達は両手に剣を持つことよりも、抱きしめあうことを選んだ。

「おじゃましまーす。 リリーさん、どうも」

 屋敷の玄関口でシェルが手を振り、リリーは彼を招き入れる。

 大陸での暮らしを始めるに当たって、シェルが色々と根回しをしてくれたおかげで自分はここで手芸品を作って売り、バルドは祖父と共に狩りに行き、みんなで小さな畑を耕して暮らしていけていた。

「クラウスさんから返事が届きましたよ。書かれたのは三年前ですが。航路が開けたらこっちに遊びに来るそうです」

「最初に手紙出したの七年前だっけ? 本当、時間かかったわね。でもそう、会えるならまた会いたいわ」

「そうですね。あ、これも。ほら、確か誕生日の時の」

 リリーはレースのコサージュを渡されて破顔する。忘れるはずもない、カルラからの誕生祝いだ。

「わざわざこれとっておいてくれたのね。また借りができちゃったわ」

 屋敷へ入りながらリリーは大事にコサージュを前掛けのポケットにしまう。

「次ぎに会える時にお礼言えばいいですよ。あ、バルドさんとお爺さんと、お子さんは?」

「爺様は裏の畑。バルドとレーナは、こっちで読み書きの練習してるわ。後はお喋りの練習?」

 リリーは屋敷にはいって直ぐの広間の扉を開ける。そこではバルドが本を広げて四つになる娘のレーナと敷布の上にあぐらをかいて睨み合っていた。

 子供はできないと思っていた。しかし、四年前に授かって驚きや不安が大きかったもののなんとか母親と父親をやっている。

 栗色の髪を三つ編みにしたレーナはリリーに似ているが、頑なそうな表情はバルドそっくりだ。

「父さん、もっと喋って。お口がちゃんとあるでしょ」

「……要、努力する」

「だめ、短い。もっといっぱいお話しして。これは鶏でしょ。どんなところが好き?」

 この頃レーナはバルドと会話をしようと試みている。いわなくても大体はわかるものの、実際にたくさん言葉を聞いてみたいらしい。リリーがいるとよけいに言葉が不必要になるので、ふたりきにさせていたのだ。

「鶏……脚が美味い」

 頭を捻ってやっとバルドが絞り出した答がそれで、リリーは思わず吹きだした。

「質問がちょっと難しいわよ。バルド、クラウスから返信来たって。レーナ、いいもの見せてあげる」

 リリーはシェルにこんにちはと挨拶する娘の隣に座って、コサージュを見せる。

 レーナはすっかり気に入ったらしく、目を輝かせて魅入っていた。頭につけてあげると、はしゃいだ声でバルドに可愛いか訊ねる。

「似合う」

 バルドの返答は短かったが、二度三度とうなずく表情でうちのこが一番可愛いと思っているのがありありと分かってレーナは満足げだった。

「さあ、爺様よんでお茶にしよっか」

「うん、わたしが呼んでくるね! このお花も見せてくる」

 リリーが言うと、レーナが髪飾りを見せるのが一番の目的で裏へと祖父を呼びに行った。

 そして客人を迎えての家族での小さなお茶会が始まった。

 

<完>



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棺の皇国 天海りく @kari

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