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皇都に到着したのは出立より三日の後だった。
外は見えないものの今まで地面の上を走っていた馬車の揺れが変わるのがわかった。不安定な場所から石畳に変わり、揺れが規則的になっていく。
どこまで連れて行かれるのか、長いことかかってやっと止まった場所は王宮の真裏だった。
「まだ、リリーちゃんのことは、決まり切っていないから少しの間だけここにいてもらうことになっていますわ」
ヴィオラとマリウススに付き添われて、リリーは王宮へと入る。しばらく廊下を歩いていると、焦げたり傷がついたりしている壁や床など戦の爪痕が至る所に見えた。
(爺様がいた所からしら)
以前、祖父が皇都に連れて来られた時に滞在していた場所の辺りではないだろうかと、リリーは曖昧な記憶を辿る。
「いろいろなことが決まるまでは、あまり自由に部屋から出歩けないけれど、クラウスがすぐに自由にさせてくれますわよ。ひとり、監視とお世話を兼ねた子がついているそうですわ。困ったことがあったり、必要なことがあればその子に頼んで、ということでしたわね」
ヴィオラがつらつらと説明することを聞き流しながら、やっぱり祖父がいたところだと部屋の前まで来たリリーは思い出す。少なくとも牢獄ではないらしい。
「リリーちゃん、また気が向いたら話し相手になってくれると、嬉しいですわ。では、ご機嫌よう」
「……失礼、する」
ジルベール姉弟がそれぞれ気遣わしげな顔をリリーに向けて、静かに立ち去った。ひとり残されたリリーは、他に行く宛もなく部屋の扉を空けた。
「あ……」
そしてヴィオラが言っていた監視役兼世話役だという人物に出迎えられて、目を丸くした。
「久しぶり、リリー」
戸惑い気味にに微笑む赤毛の少女は、以前バルドの婚約者候補となっていたカルラだった。彼女は敵方であったディックハウト信奉者であり、それを知っているラインハルトの策略に利用されて最終的に投獄された。
やはりラインハルトの策略によりカルラの世話役を任された時、リリーは彼女とは少しだけ親しくなれた。はじめての同性で同い年の友達になれたかもしれなかったカルラとの再会は、驚いたものの悪い気はしなかった。
「うん、久しぶり。そっか、もうハイゼンベルクもディックハウトもないんだものね。元気だったっていうのは、変か」
半年以上の獄中生活の名残はカルラの姿の至るところに見られた。身を包む慎ましいドレスの袖口からのぞく手首はやせ細っていて、頬も丸みがなくやつれている。綺麗だった赤毛もくすんで痛んでいるのが見られる。
皇都が陥落して間もないので、本当に牢から出てまだ数日といったところなのだろう。
「ええ。王宮が落ちてすぐに解放されたのだけれど、ディックハウトの皇主様が贋物だっただとか、皇家を滅ぼして新しい国を作るだとかまだ、よくわからなくて混乱してるわ」
「そう。いきなりこんな状況だとびっくりするわね。あたしの監視、言いつけたのはクラウスよね」
カルラと親しくなりかけていたのをクラウスは知っている。気遣い半分、足止め半分といったところなのかもしれない。
「牢から出された後に、クラウス様にリリーの話し相手になって欲しいって頼まれたのだけど、私もあまり状況がよくわかってなくて」
カルラが骨張った指を絡めて、何を訊いていいのか訊かないでいいのかと困った顔でリリーを見る。
「あたしも、まだなんだかよくわからない。バルドは一緒に死なせてくれないってことだけだわ」
そう返して、リリーは返答に詰まっているカルラに余計に困らせてしまったと苦笑する。そして部屋の中を見渡して見覚えのある化粧台に目を留める。
「これ、あたしの部屋にあったやつよね」
小ぶりで必要最低限の収納の引き出しぐらいしかない化粧台は、見間違いでもなく自分のものだ。
「確か、リリーの私室にあったものはここに移させたたって言っていたわ」
リリーは何気なく引き出しを開けて、真っ先に目についた髪飾りに目を細める。皇都を出る前にバルドからもらったものだ。
見ていると胸がざわついて落ち着かないので、リリーは一番奥へと髪飾りを仕舞い込んで上に他の髪留めを重ねておく。
「衣装棚も一緒ね。寝台まで運んでこなくてもいいのに」
真っ白い部屋の中の調度品は、自分の私室にあったものが運び込まれていた。自分の部屋にはなかった長椅子と机は新しく用意されたもののようだが、他の調度品の中で浮かないよう質素なものだ。
「少しでも、リリーが安らげるようにってことじゃないかしら」
「寝台で寝られるならなんでもいいけど……こっちは増えてるわ。ん、でもないものもあるわね」
衣装棚を開けて見ると、部屋着用の質素なドレスが数着増えていた。その代わりいつもローブの下に来ているシャツと下衣は見当たらなかった。
リリーは衣装棚を閉めると同時に、ここは皇都なのだと改めて思い知らされて思わずため息がこぼれた。今になって疲れが体中にのしかかってきて、棚を閉めた体勢のまま少しの間動けなくなる。
「大丈夫? 少し休んだ方がいいわ。お茶にする? もう、眠る?」
「お茶にする。眠れそうにはないわ」
今、ひとりになってしまうのは恐かった。
ここでじっとひとりでいると、整理がつかない感情がわけのわからないまま溢れ出して暴れそうな気がした。
「カルラ、足……」
リリーは続きの間へ繋がる扉に向かうカルラが右足を少し引きずっているのに気づいて、呼び止める。
「ああ。大丈夫よ。投獄される時にちょっと、傷めたのだけど、もう痛くはないから」
折れたか捻ったかしてまともに治療されなかったのだろう。カルラは反逆者として囚われたのだ。よくあることではある。
「悪いわね、面倒かけるわ」
「いいの。急に釈放されて戸惑っていたところだから」
リリーは一緒に備え置きの食料が置かれたカルラと茶の仕度を始める。先に水瓶の水を鉄瓶に入れて部屋の暖炉の上に置き、その間に茶葉やカップを用意して堅焼きビスケットと、それにつける杏のジャムを机の上に置く。
湯が沸くまでの間、ジャムをのせてしっとりさせたビスケットを囓る。
蜂蜜で煮込まれた杏の甘酸っぱさが、心を落ち着かせてくれた。
「……カルラ、家には帰ってないの?」
カルラは貴族の庶子である。父親はカルラが投獄されるときに娘ではないと親子関係を否定したが、市井で暮らす母親はまだいるはずだ。
「父とはもう絶縁になっているから、母とも元々あまりうまく行っていなかったし……。仕事はお針子を少ししていたからまたどこかで住み込みで雇ってもらえる所を探してみるつもり」
「カルラはもう、自分が何をするかは決めてるのね」
「決めているだけ。国が変わってしまってどう動いたらいいかわからないもの。投獄されていた私を雇ってくれる所があるかもわからないし……お湯が沸いたわ」
「あたしがとってくるわよ」
カルラが鉄瓶が湯気を吹き上げているのを見て、立ちあがろうとするのを止めてリリーは鉄瓶を取ってくる。
用意していた茶葉を入れたポットへ湯を注ぐと、花の香りがふわりと立ち上った。
「カルラが投獄された理由なんて、皇家がなくなったら誰も気にしないわよ。あたしは自分がこれからどうしていいのか全然わかんない。剣を持たないで生きてくなんて、考えられないもの」
なぜ自分はここにいるのだろうという現実を拒絶する考えがまだ頭の片隅にあって、今、カルラとこうして会話していることはほんの一時の現実味を帯びた夢のような感覚すらする。
目覚めたらバルドが側にいて、夢でカルラと久しぶりに会ってお茶をしたのだと話す。
だけれどそんなことが起こらないともわかっている。
「……ねえ、リリー、レースでリボンを、編んでみない? あ、一緒にお針子しようとかじゃなくて、何か集中してやることがあったら気が紛れるんじゃないかしら」
しばらく返答に窮していたカルラがあわあわと提案してくるのに、リリーは首を縦に振る。
「教えて。何もしてないよりもずっとましだと思う。ありがとう」
今、自分がしなければならないのは、この状況をどう呑み込むかだ。だけれどひとりで何もせずに考え込むばかりではどうにもならなそうだった。
ここでカルラに会えてよかったと、リリーは心の底から安堵する。
そうして飲み頃になった茶を注いで、今日の所はお互いややこしい事柄は話さずにぽつぽつとレース編みについて夕餉の頃まで話すことにした。
***
リリーが到着したという報告をクラウスが受けたのは、夕刻になってからだった。
「思ったより面倒だなあ」
王宮の廊下を足早に進みながら、クラウスは後ろ頭をかく。
今になってバルドがリリーをクラウスへ引き渡したことに、上層部の大多数が懐疑的だった。
ゼランシア砦でのリリーが単身で暴れたことを知る者は、内部からまた崩す気ではと疑う者もいる。さすがに、あの密閉された砦と首都とでは状況も違えば兵数も差があり、少女ひとりでは何もできないという見方も多い。
あるいはすでに子供がいて、クラウスの子ということにしてしまう気ではと勘繰る意見もあった。
あらゆる疑いが排除されるまでは、リリーは王宮で軟禁となった。
「まあ、時間はあるしな……」
時間さえ経てば解決する問題だ。そして今、急ぐ理由もなく待っている余裕もあるので焦る必要もない。
クラウスはリリーの滞在する部屋の前まできて、いざ扉を開けるとなると妙に緊張した。
彼女と最後に会ったのはゼランシア砦陥落の時。リリーは重傷にもかかわらず砦から飛び降りた。
そもそも自分が一服盛ってリリーをゼランシア砦まで拉致した経緯もあって、ずっと機嫌を損ねてばかりだったのでこのまま追い出されやしないかという心配もあった。
「リリー、俺だけどいいか?」
クラウスは扉を叩いて、入室の許可を取る。少しだけ間があって、部屋に入ってもいいと返事がした。
「……本当に無事そうだな」
むくれた顔で出迎えるリリーに、クラウスは思ったより元気そうだとほっとする。
「無事よ。なんの用?」
「色々、話したいことがあるから一緒に夕食とりながらでもと思って。……カルラ嬢には外してもらうことになるけどいいか?」
刺々しいリリーに苦笑しながら、クラウスは身の置き場がなくなって居心地割るそうなカルラに目をやる。
「いいわ。カルラ、じゃあまた明日」
「ええ。近くの部屋に待機してるから困ったことがあったら遠慮しないで呼んでね」
「うん。ありがとう」
リリーはカルラとすでに打ち解けているらしく、自分に対する態度は全く違う柔らかい口調と表情だった。
「失礼しました」
カルラが頭を下げて退室するついでに使用人に夕食を運んでくるよう言伝を頼んで、クラウスはリリーの正面に座る。
「ゼランシア砦以来だな」
「……またあんたの顔見るとは思わなかったわ」
リリーの言葉はやはり棘があった。自分に対して怒っているわけではないのだろうと、視線を合わさない彼女の様子にクラウスは気づいた。
(よくよく考えたら、俺がここまで無理矢理連れてきたわけでもないんだからな)
リリーを置いていくと決めたのはバルドなのだ。これは八つ当たりなのだろう。
「俺は、会うつもりだった。だから、ちゃんとリリーを迎えられるようにできることはやっている」
あそこで終わるつもりなど毛頭ない。そのためにここまでやってきたのだ。
「国家元首様だっけ。偉くなったわよね」
「肩書きだけだけだから、まだちょっとだけリリーには窮屈でいてもらうことになった。部屋のもの、適当に運ばせたけど足りない物があったらカルラ嬢に言付けておいてくれればいい。あ、いつものローブの下に着てる奴だけは、必要ないものだから持って来させてない」
「着替えは戦に持っていって、一枚か二枚ぐらいしかなかったと思うからいいわ。それにしても寝台まで持ってくるなんてね」
リリーが話題に出して、部屋に置かれた寝台が彼女の部屋のものであることにクラウスは始めて気づいた。
「ああ、部屋の物全部って言ったから持ってきたのか。しばらくしたらこの部屋からも出られるから、それまでにいるものいらないものは整理しておいてくれ」
「今度はあたし、どこに連れて行かれるの?」
リリーが不安げな顔でやっとクラウスを正面から見た。
クラウスが答を返そうとしたとき、早くも食事が運ばれてくる。頼んだときには仕度はほとんど調っていたらしかった。
根菜と猪肉を葡萄酒で煮込んだ料理と柔らかい白パンが机の上に置かれ、使用人が部屋を出てからクラウスは話の続きを始める。
「とりあえずは一緒に暮らさないか? 屋敷自体は広いから、兵舎で一緒に寝泊まりしてるぐらいの気持ちでいいから。早くて五年ぐらいで、また引っ越すことになるだろうけど、その時はその時で考えるとしてさ」
食事を勧めると、リリーは匙を持ったまま首を傾げる。
「引っ越すの?」
「ああ。フォーベックの屋敷の所有権は放棄して、国家元首の官邸として使うよう国の物にすることにした。邸宅としては母屋だけで十分だから、他の棟は官舎なんかにしてもらう。で、俺の国家元首の任期が最低で五年、最長でも八年に決まったから役目を終えたら首都のどこかに家を構える。あ、家名もフォーベックは名乗らない。仮に名乗ってるシュタールって新しい家名は、任期が終わったら使わないだろうな」
父が残したものはできるだけ引き継がないつもりだった。屋敷も家名も捨てることは対外的にも印象がいいと、最初は驚いていた周囲もすぐに納得した。
「そうなの。ねえ、もうちょっと考えさせて。行く宛なら、爺様の所もあるから」
リリーはやっと態度を軟化させながらも、やはりすぐにはいい返事はもらえそうになかった。
そして冷めないうちにともう一度食事を促すと彼女はやっと匙を動かして、クラウスもパンを千切って食べ始める。
「今すぐってわけじゃないから、待つよ。できるだけ早い内に自由に街を出歩けるようにするから、カルラ嬢と出掛けてもいいかもな」
「カルラ、足、悪いみたいだから面倒かけたくないわ」
「リリーが買い物の手伝いする、でもいいだろ。このまま、友達になれそうだな」
あまり人に懐かない上に、懐かれないリリーが親しい同性の友人を得られそうなことにクラウスは微笑む。
しがらみがここにできるのはいいことだ。できるだけのことはリリーにしたいと思っても、同い年で気の合う女友達とでしか得られないものも多くあるだろう。
ここからゆっくりでいいから、戦場と剣だけではない世界に触れて馴染んでいって欲しい。
「うん。カルラとはうまくやれそう……」
うなずいてからリリーは何か言いかけて口を引き結んだ。そしてしばらく迷いながらまた口を開いた。
「……あたしをここに連れてくるって、炎将から聞いたの?」
バルドからも何か言付けがあったのではないか聞きたいらしいと、すぐにクラウスは勘づいた。
「ヴィオラさんから手紙が来て、その中にバルドからの手紙も入ってた。燃やしたからもうない。内容は覚えてるが、知りたいか?」
バルドの手紙の内容は思い出しただけでも苛々してくるので、口にするのは気が進まない。
「一個だけ、教えて。あたしのこと任せるって、バルドの手紙に書いてあった?」
リリーがうつむいて小声で問う。
「あった。あったけど、それと俺がこうやって色々用意してるのは関係ない。バルドに言われたからってやってるわけじゃないのは分かるよな」
「分かってる」
はっきりとし強い声での返事だったが、リリーの泣くのを堪えるような表情にバルドの話題はやはりまだ避けた方がよさそうだとクラウスは他の話題を探す。
「例の大陸の魔道士も、爺様のところか? できるなら、一回会っておきたいな。リリーの爺様にな」
皇祖グリザドが一体何者であり、この島にかけられた魔術の正体を知る大陸からやってきたという魔道士のことはいまだにうさんくさく感じていた
「たぶん、まだいると思うわ。会っても大しておもしろくないわよ」
「リリーの心臓のこと知ってる少ない人間の内のひとりだからな。生き残ってる心臓のこと知ってるのは、俺とエレン、エレンの父親、後は水将だけだけだ」
「ベッカー補佐官も知ってるわよ。水軍のふたりはこのまま戦で終わるんだと思うわ」
クラウスはまだ知らなかったのかと驚きつつ、カイがすでに戦死したことを告げる。黙々と食事を続けるリリーの手が少しの間止まった。
「そうなんだ。水将が生きてるんなら、てっきり生きてると思ったわ。……あの人も死んだんだ」
「街への被害はほとんどなくても、皇家側は戦死したり自決したりでそれなりに死人が出た……死にたい奴が死んでいったってだけだ」
そこまで言って、クラウスは目の前のリリーが死んだ彼らと同じく自ら戦場で死を迎えようとしていたことを思い出して言葉を止める。
リリーは心境が変わってここにいるのではない。バルドに置き去りにされてどうしようもなくここにいるだけなのだ。
「辛気くさい話はやめとこうか。屋上庭園ぐらいまでは付き添いがあるなら出ていいから、部屋に籠ってるのが退屈になったら行ってみるといい」
「カルラに、編み物教えてもうらうことになったから、退屈はしないと思う」
意外な予定にクラウスは目を瞬かせる。
「へえ。何作るんだ?」
「最初はレースのリボン。作ってみて、編み物が合ってそうなら他にもカルラが教えてくれるって」
「リリー、器用だからすぐに上手くできそうだな」
戦がない時や式典の時にリリーが自分で複雑に髪を結っていたことを思い出して、クラウスはうなずく。
「難しくはないってカルラは言ってたけどどうかしらね」
「でも、やってみるんだろ。あ、リリーの服、ほとんど着てない古着を譲ってもらって何着か入れさせておいたけど気に入らなかったら着なくても大丈夫だからな。寸法合わなかったら、誰かに直させてもいいし自分でできるなら好きにしていい。食事もさ、食べたいものがあったら言ってくれれば用意する」
とにかくリリーから何か欲しいだとか、何か食べたいだとか生きるのに前向きな言葉が欲しかった。
「用意されてるものだけで十分足りてるわ」
とはいえまだ来たばかりのリリーには、必要なものというのはまだ把握できないだろう。
クラウスはそれからぽつぽつとリリーととりとめないことを話し、明日はカルラも交えて一緒に夕食にしでもいいかと訊ねて食事が終わるとすぐにリリーの部屋から出る。
そしてため息をこぼす。
最初に顔を合せた時こそ、落ちついていると安堵したものの話している内に無気力さが垣間見え不安が芽生えた。
(カルラ嬢が側にいれば、そこまで心配することはないだろうけどな)
何はともあれリリーの心からの笑顔を見るのはまだまだ先だろう。
――リーには、たくさん笑っていてほしい。
ふとバルドの手紙の一文を思い出して苛立ちが蒸し返してくる。
(お前にわざわざ言われなくてもそうする)
頼まれなくても自分はリリーを幸せにするつもりだと、クラウスは胸の内で返すのだった。
***
入浴もすみ寝仕度も調えたリリーは寝台に寝転んで目を細める。寝台ならなんでもいいと思っていたが、馴染んだ軋み具合や硬さが思いの外しっくりきて落ち着けた。
ここに来るまで馬車に寝泊まりだったので、二晩ぶりに体を伸ばして横になるだけで体中の緊張が解けて楽になる。
(今日は色々考えないで寝られそう)
このままぐっすりと眠れそうだとリリーはうつらうつらしながらも、クラウスとの会話を思い出す。
最初こそやり場のない感情をクラウスにぶつけていたが、八つ当たりにすぎないことに気づいて虚しくなった。
クラウスはクラウスで自分のために色々してくれているのは分かる。
(一緒に暮らす、か)
だからといって彼と一緒に暮らすことを決められなかった。自由が許されたなら、しばらく祖父の元で過ごすのが一番いい気がするのだがまだ自分でもどうしていいか見当がつかない。
「また、明日から考えればいいわ」
リリーは寝台の側の燭台の火を吹き消して、毛布の中にくるまる。
ひとり寝はまだ慣れない。手を伸ばせばすぐ側にバルドがいて触れられる気がする。
「……おやすみ」
リリーは隣にいないバルドにそう告げて、休息を求める体の意志に従ってその晩は夢も見ずにぐっすりと眠った。
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