駈け出したハイゼンベルク軍の先頭は半壊しているモルドラ砦南西側の平原に陣取った。まだ距離はあるが、眠っている敵兵を叩き起こし一箇所に集めるための小規模な攻撃は続けている。

「ここからなら可能」

「いけるかと、思……いいっ!?」

 バルドは返事も聞かぬうちに背後のシェルを馬から半ば投げるように落として、背後に控える補佐官代理となったカイに任せる。

「……まったく、乱暴な。仕方ないですね、私の記録帳と杖のためですから」

 ぶちぶちと文句を言いながらも私物が大事なシェルは平原にひょろりと立つ木の陰へ、カイに付き添われて移動する。

 夜で味方の兵もシェルが何をしているか分かりづらいだろうが、目立たないに越したことはない。とはいえ身元不明の従軍者にハイゼンベルクの兵達の視線はどうしても集まる。

「敵に集中」

 バルドが低く告げると、兵達は背後を気にかけながらも前を向く。

 次第にモルドラ砦に灯る灯が増え、防御の魔術が張られるのがわかる。前衛の騎乗している部隊の後を行く歩兵部隊は砦から少し距離を取って、闇の中息を潜める。

 ディックハウト側からハイゼンベルクの軍の正確な数と位置は、把握出来ていないはずである。

 部隊は騎兵部隊と歩兵部隊のふたつに別れているかに見えて、南西から南東部まで蛇腹のような形状のひと繋ぎの陣形となっている。

 バルドは西寄りの騎兵の頭に立ち、中央にはヴィオラとマリウスの炎軍の頭ふたりが控えていた。

「南東、攻撃」

 バルドは自分の側に兵が集まったのを確認し、最後尾へと指示を送る。

 わずかに時間を置いて、南東で攻撃が起こり敵の防衛がふたつに別れていく。敵にこちらが兵を二分したと見せかける策だった。

 狙いは手薄となる南側。

 そこから一気にヴィオラ達が砦を崩すこととなっている。

(……まだ)

 バルドはシェルがいる木陰にちらりと目をやる。モルドラ砦を落とすのに、そう時間はかけられない。

 シェルによれば、モルドラ砦の中にしまわれたままなら取り戻せるとは言っていたが、あれがいつまでも置いておかれるとも限らない。

 すでにディックハウト側も防衛の二分化ができつつある。

 中央に攻撃の指令を出さねばならない。

「炎将、攻撃開始」

 バルドは砦の様子を窺いながら中央のヴィオラへと指令を飛ばす。指令が届くまではわずかだった。

「確保できました!」

 シェルが本来の自分の杖や記録帳を抱えて木陰から出てくる。

 隊列のすでに巨大な火球が早過ぎる日の出のように宙に浮かび上がっていた。そして一気に半壊したモルドラ砦の南側に叩きつけられる。

 隊列は蛇腹を畳み、バルドがさらに一撃雷を落とせば脆くなった砦はまたたくまに南側がひしゃげていく。

 それを見届けることもなく隊列は固まって西側から北側へと回り込みながら、次々と攻撃を加えていく。

「……こうやって瓦礫になっていくのですね」

 もうもうと立ち上る粉塵に口元を押さえながら、カイの馬に乗せられたシェルが暗闇と煙の中で八百年の歴史を持つ砦が一瞬で崩れていくのに唖然とつぶやく。

 ここまで半刻とかからなかった。

 ただ、最初からモルドラ砦自体はそう手間取らないとは踏んでいた。予定通りに策が進んだからといって気を緩めるわけにもいかない。

 背後の残党は後回しにして、最大の目標はゼランシア砦である。

 陣を張り夜明け前には攻撃を始める予定だ。

(リー……)

 リリーの手に戦うために必要な物を渡せるのも、もうすぐのはずだ。

 バルドは眼前に迫るゼランシア砦を見やり再びリリーが戦場に戻る瞬間を心待ちにする。


***


 最初に寝台が揺れ動いて、リリーはすわ攻撃かと飛び起きた。だが予想していたほどの衝撃は襲ってこなかった。

 だが低い地鳴りが長々と続き、リリーは暗がりの中注意を払って窓辺に寄る。開けたままの窓の向こうはまだ夜が深く何も見えない。

 よくよく目を凝らせばモルドラ砦があるはずの位置で、煙があがっているのが月明かりの中でうっすら見えた。

「奇襲に出たんだわ。崩したのかしら」

 戦況はまったくわからないものの、この地鳴りの大きさと振動は砦が崩壊したからと考えるべきだろう。

 もはや半分崩れたモルドラ砦は敵兵ごと一掃してしまうというのは、バルドらしいやり方だ。

 まだこの暗がりなら、そのままこちらにも攻め込んでくる算段かもしれない。

 リリーは床に耳をつけて、砦内の音を聞く。すでに起き出した兵達とおぼしき慌ただしい足音の震動が伝わってくる。まだディックハウト側も状況を把握しきれていないだろうが、クラウスとフリーダ、それにエレンもいる。

 ハイゼンベルク、というよりもバルドの動きを予測するのに、この三人がいれば事足りる。

「バルドが来る……戦が始まる」

 リリーは顔を上げて沸き立ってくる感情に身を震わす。

 バルドに会えるという喜びと、この場が戦場になるという興奮に口元には自然と笑みが浮かんでいた。

 だが、自分には剣がない。砦内のどこに自分がいるかもはっきりしない。かろうじてわかっているのはハイゼンベルク領側の側面のどこかにいることぐらいだ。

 本格的に戦が始まるのは夜明け頃。

「……向こうの策にのってやればここからは出られるかしら」

 リリーはこの部屋で唯一動かせて鈍器として利用できる、フリーダが持ち込んだ椅子の背に手を当てながら思案する。

 刃物があれば魔術を一撃放つことは容易い。

 この部屋の外に出れば食事用のナイフの一本や二本は手に入れられるはずだ。着ているのも今日も下働きのお仕着せで、戦が始まれば混乱に乗じて紛れ込みやすい。

 リリーは慌てず焦らず、ディックハウト側が動くのを待つことにして椅子に座る。しかしさすがにじっと待てるほど気長ではなく、またすぐに窓辺へと移動した。

 黒い闇に紛れてハイゼンベルク軍が近づいて来ているのだと、モルドラ砦からこのゼランシア砦まで移動する道程を目を凝らして見る。

 だが月明かりも星明かりも、地面の暗闇までは照らしてはくれない。

 リリーはゼランシア砦が騒がしくなっていく音を聞きながら、祭の前の子供のように頬を紅潮させ瞳を輝かせながらこの場が戦場となることを期待していた。

 

***


 クラウスもまた、モルドラ砦崩落の音と揺れに目覚めて、すでに腰に長剣を下げて動き始めていた。

「思ったより早いな……」

 まだモルドラ砦を奪取して五日足らずである。性急すぎるとみるか、迅速とするか判断に迷うところだ。

「ああ。クラウス、モルドラ砦は完全に破壊されていそうだな」

 最初に会ったのはフリーダだった。

「まだはっきり様子は見えないけど、バルドだったらそうするだろうな。崩れかけのおんぼろ砦だ。全壊させるのは難しくない」

 前と後ろで挟み撃ちを避けるためにモルドラ砦を文字通り潰してしまうのは予測していた。だからこそ兵は最低限しか置かなかった。

 後は、どれだけの数でこちらに迫って来ているかだ。

 早朝にもかかわらず、すでにマールベック伯爵とゲオルギー将軍を中心に士官達は広間に集まって戦支度を始めている。

「エレンも出るのか?」

 そこにあくまでベーケ伯爵の使者として砦に滞在しているエレンもいた。

「……念のために軍議の場にはいて欲しいということなので」

 エレンがゲオルギー将軍をちらりと見て言う。

「そうか。まだこの暗さじゃ状況は分からないな……」

 まだ日が昇っていない状況では、モルドラ砦がどうなったかも明確なことは分からない。

「敵から見える灯は消せ、我々も闇に紛れて布陣する。フォーベック殿、こちらへ」

 指示を出すゲオルギー将軍に呼ばれ、クラウスも前に出る。しかしすぐに何か命を下されるわけでもなく、助言を求められることもなかった。

 ゲオルギー将軍の命令により、前日までの軍議で話し合われていた防衛策にのっとって配置につくため各部隊長らが慌ただしく出て行く。

「将軍、日が昇るまでは、防衛に徹するんですね」

「ああ。下手に前に出ては攻撃を受ける。後四半刻もすればハイゼンベルクもこの砦に攻撃できる位置につく。フランツ殿はここで予定通り護りを固めていてくれ。日が昇れば俺は攻撃に出る。ハイゼンベルクも、手勢は少ないはずだ」

 ゲオルギー将軍に確認をとられてクラウスはうなずく。

 とはいえすでに二度の攻撃を受けているゼランシア砦のハイゼンベルク側は脆くなっている。少数でも攻撃で突き崩そうと思えばできる。

 護りに徹しながらも、兵は砦から出して砦そのものへの攻撃を食い止めるしかない。

「ただ、少ない分、機動力はあるので他の兵が数で勝てると気を抜くとまずい。モルドラ砦も攻撃開始からすぐに落としたはずです。こっちも統率を乱されないように、注意を払わないとならないですね」

「統率を一番乱した君がそれを言うのも、おかしいな」

 フリーダが茶化すように言う。

「逆に言うと、俺みたいな結束を乱す奴がいない分向こうの団結も固いってことだよ」

「そうだね。……リリー・アクスはどうします? 彼女がいれば将軍が早々に前に出られる必要もないのでは」

 フリーダがリリーのことを口に出して、クラウスは眉を顰めた。

「下手に戦場に出すと、リリーは何しでかすかわからないって言っただろ。戦況見てから、リリーは俺が使う」

 そういう約定だったはずだと、クラウスはゲオルギー将軍に確認をとる。

「向こうに逃げ帰られることもある。奥方、彼女のことはフォーベック殿に任せておくといい」

「はい。いらぬことを言いました。申し訳ありません」

 フリーダが素直に引き下がるが、クラウスは彼女の様子に違和感を拭いきれなかった。

「……さっきの、どういうつもりだよ」

 配置につく途中、クラウスはフリーダに小声で詰問する。

「何、少し思いつきを口にしてみただけさ。さて、ここでバルド殿下が討ち取られれば君の望むものは全部、手に入るのかな」

 フリーダがはぐらかしながら、含みを持たせた言い方で問いかけてくる。

「全部、バルドがいなくならなきゃ、何も始まらないからな。ゲオルギー将軍が勝ってくれるのがいい」

「君は、自分でバルド殿下の首を取りにはいかないのか」

「俺がバルドに勝てるわけないだろ。そういや、殺したいとは思ったことないな……」

 バルドは嫌いだが、そこまで憎んでいるかといえば違う。力の差がありすぎて考えられなかったということもあるが。

 砦の二階層の広間に行くと、多くの白いローブを纏った魔道士達が緊迫した様子で息を潜めていた。

 そうしてクラウスとフリーダも窓辺に寄って、暗闇の中で感覚を研ぎ澄ませて動きがあるのを待つ。

 それからしばらくして、窓の向こうが仄白くなり雷が砦を襲う。

 肌を刺す感覚に間違いなく、バルドの攻撃だと分かる。

「怯むな。敵は少ない。いずれ夜明けになれば、敵の姿が見える。今度こそハイゼンベルクの雷獣を討ち滅ぼすぞ」

 フリーダが鼓舞して、周囲の士気が高まる。

(あいかわらず、こういうのは上手いな)

 クラウスは冷めた思いで昔と変わらないフリーダを一瞥して、視線を落とす。

 今、一番気になることは、リリーがどんな思いであの雷を見ているかだった。



***


 ゼランシア砦目指して行軍していたハイゼンベルク軍は、ふいに導となる砦の篝火を見失った。

 夜空と岩山の境の稜線がぼんやりとだけしか見えない。

「皇主様、少し、歩みを緩めますか?」

 横についているヴィオラが判断を仰いできて、バルドは首を横に振る。ここからでは砦の位置が把握できないとはいえ、真っ直ぐに進んでいればいずれ夜目が利く自分が配置の指示は出せる。

「……城門、見えたら一撃」

 雷撃を放てばその瞬間辺りも明るくなるだろう。

 バルドはそのままの速度で走り続ける。闇にも種類がある。目が慣れれば黒一色で塗りつぶされていた視界に、影の濃淡から景色が浮かび上がってくる。

 眼前の黒い巨大な塊もバルドの目には砦の形をゆっくりと成してきていた。

 バルドは予定の位置で馬を止めて、雷をひとつ落とす。

 蒼白い光に砦の全貌が一瞬明らかになるものの、その光は眩すぎるほどだった。

 それでも城門の位置を確認した魔道士達は攻撃準備に入る。すでにディックハウト側は魔術で防壁を張っているとはいえ、それを貫けば砦を削ることは難しくない。

 ディックハウトも直に兵を前に押し出してくるはずだ。

 まだ十分に魔力を温存しておかなければならないバルドは一度剣をしまい後衛へと下がる。

 前衛での指揮はヴィオラがするのだ。

「……あの、どうします、これ?」

 カイの側に下がると、彼の後ろに乗るシェルが背の包みを示して問いかけてくる。

「リーの位置」

「リリーさんがどこにいるかは分かりかねますね。まだあの砦にいるのかもはっきりしませんから……。いたとしても事前に話した通り、目の前に置くことしかできないので、自由が利かない状態や監視されていると彼女の手に渡らないということになるでしょう」

 リリーに双剣とローブを送っても、確実に彼女が使えるとは限らないというのはすでに聞いている。

「……今」

 自分を釣り出すためにも、十中八九リリーがまだゼランシア砦に囚われているだろうとは踏んでいた。

 武器もない身ひとつであるリリーを四六時中監視している可能性も低い。特に就寝の時間である今はもっとも監視の目が薄いはずだ。ディックハウト側もリリーを利用するなら、戦況をみてからとなるだろう。

 やるなら、まだ敵が息を潜める今しかない。

「これ一回きりしか機会はありませんが、大丈夫ですね」

 シェルが念を押してきて、バルドはゆっくりと首を縦に振る。

 そしてシェルは草地に降りて、馬の影に隠れるようにして背の包みを広げる。リリーの双剣とローブを包んでいるのはだだの麻布ではなく、魔術文字が円形にびっしりと描かれていた。

 さりげなく、カイも馬を移動させシェルの様子が周りから見えにくくする。

「……いきますよ」

 シェルが緊張した面持ちで魔術文字の円の端に、杖を振り下ろす。

 杖が触れた場所から文字が滲み溶け出していく。

 溶けた文字はどろりとした粘性の液体となって、双剣とローブに絡みついた。

「リリーさんが、あの砦にいることは間違いないですね」

 そう呟いたシェルがもう一度杖を振り下ろすと、完全に双剣とローブは黒い液体に包み込まれて姿形が見えなくなった。

 最後には蒸発するように、全てが消え去った。

 現実味のない光景にカイが唖然とし、バルドも目を瞬かせてもはや平原の草原しか見えないことを確認する。

「成功?」

「リリーさんの所に運べたとは思いますが、彼女が無事に受け取ったかどうかは……」

 こればかりは実際にリリーが戦に出て来ない限り分からない。

(リーは、戦うことを諦めない)

 リリーなら、剣があろうとなかろうと必ず戦う手段を探し出すはずだ。そして目に見える所に愛刀があるならきっと、どんな手段を使ってでも剣を抜く。

 バルドはリリーが剣を手にすることを信じて、戦況に目を向ける。

 ハイゼンベルク側が攻撃を仕掛けているものの、まだ前に出てはいない。敵は『杖』の魔術で砦を護ることに専念していた。

 総力戦は夜明けとなるだろう。

 こちらの目的はゼランシア砦の半壊なので、敵兵殲滅は二の次だがどちらにせよ正面衝突は避けられない。

 バルドは城門に向けて、さらに雷撃を加える。

 力を加減したので魔術の防壁に威力を削がれたものの、手応えはあった。広い入口を塞ぐほどにするには、やはり砦を半壊する他に手立てはない。

 どうせぶつかるなら早いうちに向こうから動いてくれれば、一気に方を付けにかかれるのだが。

 朝を間近にする中、ハイゼンベルクの放つ炎や雷の光が明滅し破裂する。それでもディックハウト側が攻撃に転じる様子は見えない。

「停止。前進」

 頑なに誘いに乗ってこない敵勢に、バルドは味方陣営の魔力の温存のために一旦攻撃をやめ部隊を前に進める。

 それからは両者共に沈黙を保つ。

 ディックハウト側は魔道士の数は多いとはいえ、いつ来るかも分からない攻撃に備えて常時防壁を張っていなければならないので多少は消耗するはずだ。

 やがて夜が白み始めて、ハイゼンベルク軍を覆う夜の帳が剥がされる。

 ゼランシア砦からは真白い陽の光の帯のように魔道士達が溢れ出し突撃してくる。

「……始まった」

 馬の間で身を潜めているシェルが、緊張感に身を震わせて呟く。

 そうしてバルドは、先頭にゲオルギー将軍がいるのを認め、この強敵と剣を交える瞬間が必ずやってくると気を昂ぶらていた。


***


 一方、リリーは目の前に現れた物体にぽかんとしていた。

 背後の方で何かがごとりと落ちてきて振り返れば、黒い塊がもぞもぞと蠢いていたのだ。さすがにこれには驚き怯んだ。

 そして塊が毛糸の塊のように解けたかと思うと、それは蒼白く仄かに発光して消えた。

「あたしの、剣、よね……こっちはローブかしら」

 おそるおそる近づいて闇の中目を凝らしてみて、やっと自分の愛刀と黒い布の塊がローブであることを確認できた。

 だからといってまだ触ることには躊躇いがある。

「うん、あたしのだし、こんなことできるのシェルぐらいだろうし……」

 別におっかないものでもなければ、誰の仕業かも分かる。リリーが意を決して手を伸ばしたとき、何度目かの揺れが砦を襲う。

「バルド……」

 この攻撃がバルドのものと察したと同時に、リリーは双剣を手に取った。

 掌に馴染んだ感覚にほっとするものを覚える。鞘を抜いて白刃を目の前に晒すと、高揚感が増して今すぐ真下の戦闘に加わりたくなった。

「まだ、動くには早過ぎるわ」

 しかしまだ戦闘は本格的には始まっておらず、ディックハウトの兵はひとりたりとも砦から出ていない。

 今この部屋からひとり出て砦内で戦うのは自殺行為である。

 リリーは双剣とローブを寝台の上に置いて上掛けで隠す。戦いを始めるなら砦から兵が出払った後の方がいい。

 この状況で捕虜に朝食を運んでくることもないだろうから、扉は自分で開けるか向こうが作戦に利用するときに開けるのを待つかのどちらかである。

「できれば、穏当に部屋は出たいけど、これを持ってじゃ目立つわね……」

 頭を使うこと自体はあまり好きではないものの、戦に関することを考えるのは好きなリリーは作戦を練りながらわくわくしていた。

 そのうち攻撃がやんで、リリーは窓辺へ戻って外を確認する。

 小さな攻防が続いていたさっきとうってかわって辺りは静まりかえっているが、ディックハウト側が魔術の防壁を解く気配はない。

 やはり動くとしたら夜明けなのだろうと、リリーは見えないバルドの姿を探す。

 黒山の塊のどこか、おそらく後方にいるはずだけれどここから目視はいくら目がよくても無理そうだ。

 やがて陽が昇り始めて、うっすらと辺りが明るくなってきてハイゼンベルク側の全貌が見えてくる。

「思った以上に少ないわね……」

 この短期間で出てくるのだから、増援も見込めないと分かっていたものの実際に見ると一万に満たないどころか、五千いるかどうかも怪しい。

 対するディックハウトは倍以上はあるはずだ。

「あたしが、内側から攪乱できればちょっとは変わるかしらね」

 リリーは改めて戦略を練り直して、寝台の上のローブを羽織り双剣を手に取る。そして鎧戸を閉め切って、部屋を真っ暗にする。

 あとは机の影へと身を潜めた。

 砦の中で、味方は自分ひとり。僅かな判断の過ちが命取りになる。

 始めて経験する状況で、なおかつ命の危険も高い。生きてこの砦から出られたら奇蹟と言えるだろう。

「駄目だわ。すごく楽しくなってきた……」

 死線の際に立っていることへの恐怖や焦りはまったくないが、気持ちが高まりすぎて冷静になれない。

 リリーは目を閉じて深呼吸をし、気持ちを宥める。

 それで幾分は落ち着いてきたものの、久方ぶりの戦闘と愛刀の感触に気持ちが完全に鎮めることは無理そうだった。

 


***


 ディックハウトの白い魔道士達が砦の前を埋めつくしたのはあっという間だった。

「これは、圧倒的に数で不利では……」

 シェルが見るからに数で押されている状況に顔を青ざめさせる横で、バルドは馬上から敵の布陣を確認する。

 壁を築くようにずらりと白の魔道士達が城門前に並んでいた。迂闊に突っ込めばヴィオラを頂点とした、逆三角形の陣形を少数で取っているこちらは一気に囲まれてしまうほどの数はいる。

 目的は砦の破壊なので必要以上に近づく必要はない。敵隊列を乱しながら砦へと攻撃を加えられれば、やり遂げられるとはいえそう簡単にいく話ではない。

 先にあちらが動いて取り囲まれてしまうのだけは回避しなければ、袋の鼠になってしまう。

 前衛のヴィオラから、隊列を横に伸ばすという指示がきて逆三角形の陣形を保ったまま、列を半分にする。

「……削減」

 その最中、バルドは雷を剣に纏わせて敵隊列の中に、まばらに雷撃を落とす。

 杖で威力を削がれながらも数は多少は減った。魔力が無尽蔵であればもっと減らせるのだがと思っていると敵が動き始める。

 一斉攻撃に杖が防護をするものの、全ては防ぎ切れない。

 炎に水に、雷に風。あらゆる攻撃が襲いかかってきても、ハイゼンベルク軍も取り乱しはしなかった。

 前進はせずに砦と敵勢へ二手に分かれて攻撃する。しかしやはり敵勢の数が多く、砦自体も魔術に護られていて打ち崩すのは容易いことではなさそうだった。

「皇主様、少し後退されては」

 ディックハウトがこのまま前進してくるのを危ぶんだカイが、バルドの身の安全を図ろうとする。

「不要。砦への攻撃を増やす。敵は俺が」

 しかしバルドは首を横に振って敵を食い止めるなら将自ら単騎で突入した方がよいだろうと、むしろ前に進んでいく。

「皇主様! ……灰色の、戦えないなら後方で待機してろ」

 カイがシェルにそう告げて、先に進んでいくバルドを追い駆ける。そして最前列にバルドが立つと、ヴィオラも硬い表情で将自ら囮になることに難色を示す。

「でしたら、わたくしが参りますわ。皇主様の御身が最も大事ということをお考え下さいませ」

「勝たねば、俺は死ぬ。ならば前に出る」

 どのみち勝利する以外に生き延びることはないのだ。突撃して勝利できる可能性が高まるならその方がいい。

「……ベッカー補佐官、皇主様の護りをお願いしますわ。わたくしたちは砦の破壊に集中いたしましょう」

 絶え間ない攻撃の中で熟考する間はなく、仕方なくといった口調でヴィオラがうなずいた。

 それと同時に、バルドは馬の腹を蹴って前に飛び出す。

 微塵も躊躇いなく数千の敵陣の中へ猛進する様は、破れかぶれかぶれに見えそうなものだが誰の目にもそうは写らなかった。

 剣を抜いたバルドは雷を纏わせた大剣を振り、敵の攻撃も防護の壁も魔道士ごと打ち払う。

 そして器用に馬から飛び降りて次々と白の魔道士を屠っていく。

 その姿は巨大な獣が矮小な餌の群れに突っ込んで食い荒らすかのようだった。

 一振りで数十人を打ち倒していく猛攻に、ディックハウト側も動揺し隊列が乱れる。

 目の前で暴れる獣に気を取られ怖じ気づくあまり、砦に攻撃を加えるハイゼンベルク軍への対処すらおろそかになっていた。

 ヴィオラの放った火球が防壁を打ち崩し、崩れた砦の残骸が降り注ぐ。

「お前達は、砦の護りに集中しろ! 将は俺が相手する」

 ゲオルギー将軍がバルドへ向かいながら、体勢を取り直させる。

 力を発散する心地よさはあっても、手応えの薄さに物足りなさを感じていたバルドは向かってくる強敵に闘争心を昂ぶらせた。

 バルドの頭上に雷が落ちる。

 剣先でそれを払いながら、バルドは求める闘争へと足を進める。その間、すでに周りの白の魔道士達は道を空け相手をすることを避けていた。

 次第にはっきりとゲオルギー将軍の姿が見えてくる。

 太刀を構えるディックハウト雷将に隙はない。しかしバルドはそんなことはお構いなしだった。

 地を蹴ってゲオルギー将軍の間合いに飛び込む。

 すかさず太刀が懐めがけて襲ってくるが、神剣で弾いた。

「御首、頂戴する」

 ゲオルギー将軍が怯むことも動じることもなく、続いて打ち込んでくる。

 一撃ごとに彼の強さを感じて、バルドはますます闘争心を滾らせていく。

 清々しいほどの殺気、放たれる魔術の威力、なにもかもが戦う喜びを高めてくれる。

 周囲で繰り広げられているハイゼンベルクとディックハウトの絶え間ない攻防は、意識の遙か彼方に追いやられていく。

 それほどまでに、ゲオルギー将軍との戦闘にバルドは夢中になっていたのだった。


***

 

 攻撃に大きく揺れるゼランシア砦内は、負傷者と補充の魔道士の往き来で慌ただしかった。

「また、派手にやってくれるな」

 西側の砦の壁が破壊された報告を聞きながら、クラウスは外の様子を見る。

 眼下ではバルドとゲオルギー将軍が戦闘を始めていた。

「リリーを別の部屋に移した方がいいな。殿下は下手をすれば彼女が瓦礫に押し潰されることまで、考えていないのか?」

 状況に合わせて対応を指示しているフリーダが、不愉快そうに言う。

「さあな。リリーの命が惜しいのはバルドぐらいだろうけど、今の内に奥に移した方がいいのは同意だ」

 ハイゼンベルクの上層部にとってリリーは目の上のたんこぶ同然だ。このまま裏切るなり、死んでくれた方が都合がいい。

「彼女を壁際に立たせて盾にする案は無理だったな。君は彼女を使う気はないだろう」

 一時上がったがすぐに拒否した策を上げて、フリーダが問いかけてくる。

「……バルドの気を一瞬逸らすぐらいはできそうだから、もう少し様子を見てからな」

 クラウスはバルドとゲオルギー将軍の戦闘を横目で見て答える。

 思った以上にゲオルギー将軍が善戦している。ほんの少しでもバルドに隙が出来れば勝てるかもしれないとすら思える。

 だがバルドが持つのは神剣だ。皇祖の右腕が持つ力は計り知れない。

 正直言えば、リリーに戦を見せることすらしたくはなかった。しかし、今はどこでもも戦場になる可能性を持っている。仕方ないことだ。

「そうか。まずは彼女を動かさないとならないな……ここも少し危うい」

 強い衝撃が再び襲いかかってきて、天井からばらばらと埃が降り注いでくる。今現在、攻撃は損壊が少ない西側から中央にかけて集中していた。

「じゃあ、俺はリリーの所に行く」

「いや、他の者を行かせればいい。君と私は、上から援護にあたる」

「……それなら、仕方ないか。手荒に扱わないように言っといてくれよ」

 不安や心配があるものの、クラウスはあまり勝手をしすぎても立場に響くだろうと、自分から迎えに行くのは諦める。

 そしてちょうど真横の部屋で轟音がして、足下が大きく揺れる。

「人のことを心配している場合ではなさそうだな……。総員、奥へ一度待避!」

 フリーダが命令を飛ばして、部屋にいた者達が一斉に動く。廊下に出ると、隣の部屋から続々と負傷者が出てきて、クラウスはリリーのことがなおさら心配になってきた。

 かといって今から向かうこともできそうにないので、フリーダがリリーの移動を指示するのを聞きながら、彼女ができるだけ早急に安全な場所に行けることを祈るしかなかった。


***


「……待ってる間にあたし、部屋ごと潰されそうだわ」

 物陰で身を潜めているリリーは、何度目かの大きな揺れにこのまま戦闘の巻き添えになって死ぬのだけはごめんだと外に出るか迷う。

 攻撃の音はまだ遠いとはいえ、ハイゼンベルクは確実に砦の破壊に勤しんでいるらしかった。

 せめて鎧戸を開けて外の様子を見ようかと立ちあがろうとしたとき、扉の近くで音がするのを聞いた。

 今の砦は騒々しいがこの部屋は隔離されているせいか、人通りもなく近くで物音がすることはなかった。

(一応は人質だし、安全な所に移してくれるのかしら)

 そうであればありがたいと気配を潜めて、リリーはじっと待つ。

 鍵を回す音と、扉を開く音。足音はひとつ。

「……暗いな、リリー・アクス、どこにいる!?」

 相手は灯を持っていないらしく陽が昇ったというのに暗い部屋に戸惑っていた。

「まさか、脱走したわけじゃないだろうな。おい、出て来い。ここは危険だから貴様を他の部屋に移す。ここで味方の攻撃の巻き添えで死にたくなかったら出て来い!」

 苛々とした男の声が近づいてくるのに、リリーはそっと様子を窺う。中肉中背の背丈も普通の男だ。

 こちらが丸腰の小娘ともあって油断し隙だらけだ。

 もう少し近づいてくれれば、やれる。

 リリーはわざと物音を立てて男を誘い込む。

「そこか。まったく、素直にでてこないか」

 灯がある廊下から差し込む弱い光だけを頼りに部屋を進む男には、奥の最も暗い場所で黒いローブを纏うリリーの姿を目視するのは困難だった。

 だから、何かが動いたと思ったときには遅すぎた。

 鳩尾に剣の柄を叩き込まれて男は体を曲げて言葉を失う。

 そうしている内に首の後ろをさらに剣で殴打されて完全に意識を失った。

「……呆気ないわね。死んでないかしら」

 リリーはうつぶせに倒れた男を見下ろして眉を顰める。戦いは好きだが、まだ剣を抜いてもいない相手を殺すのはあまり好きではない。

 しかしもはやここも戦場だ。この程度で死ぬならば、それまでのことだ。

 リリーは男の持っている鍵を奪い取って、部屋から出ると目立ちすぎる黒のローブを脱ぎ、寝台の上の上掛けを取る。

 そして双剣とローブに上掛けを被せて隠して、寝具を取り替える下働きの態を取り繕う。

「さあ、どこまで誤魔化していけるかしらね……」

 人気のない廊下に出て部屋に鍵をかけてリリーは、ひとつ深呼吸をする。

 まったくどこへ行けば外に出られるかはわからないが、人気のある方へ行けばいいだろう。

 あまりにも適当すぎるものの、自らの闘争本能に従ってリリーはだれひとりとして味方のいない戦場を歩き始めたのだった。


***

 

 最初こそ慎重に歩いていたリリーだったが、あまりにも誰とも出くわさないのでいくらか拍子抜けしていた。

 相変わらず砦の外や遠い場所では戦闘の騒がしい音が聞こえるのに、自分が歩く薄暗い廊下はしんと静まりかえっている。

「みんな安全な場所に移動したのかしら。そもそも、どこなのよ、ここ」

 音がする方へ歩いているとはいえ、砦内の構造はまったく知らない。何度も曲がり角や下へ向かう階段を通ったので、捕らえられた部屋がどこだったかすら分からなくなっている有様だ。

「おい、そこの下女、何やってる! 早く避難しろ!」

 そして不意に上から大きな声がかかって、リリーはびくりと肩をすくめる。見上げると、少し離れた場所の階段の踊り場と思しき場所から、魔道士がこちらに向かって声をかけていた。

「……すみません。新参者で道がよくわからくて」

 お互い、顔がはっきり見えるほどの距離ではなかった。向こうは逃げ遅れた下働きと思っているらしい。

「左に進んで、右手側の階段を下りろ! そのあたりに他の使用人も避難している」

「わかりました! ありがとうございます!」

 リリーはいつ気づかれるかもしれないとはらはらしながら、小走りで男の言う通りに進む。だが使用人の中では自分の顔を知る者がいる上に、そこはおそらく戦闘に巻き込まれにくい場所で用はない。

「どうしようかしら……」

 魔道士から姿が見えないところまできて、リリーは一度立ち止まる。示された道の反対側の方が騒々しいので、敵は向こうの方に固まっているだろうが。

「いつまでもこそこそしたって仕方ないわね。あたしが逃げたのばれるのも時間の問題だし」

 リリーはよしとうなずいて、早足で再び歩き出す。時々大きく砦が揺れて足を止められることもありながらも、確実に人気の多い所へと向かっていた。

 曲がり角で足音が聞こえて、一旦止まる。足音はこちらへ向かってきていて逃げ場はなさそうだった。

 リリーは上掛けの下で双剣の片方だけの柄を握る手に力を込める。

 正体がばれればすぐさま抜くつもりだった。

 そして角を曲がって顔を見たとき、リリーも相手も驚きしばし固まった。

「……どうやって逃げ出したのですか」

 先に声を出したのは、ローブは羽織らず杖だけ持ったエレンだった。

「ちょっと、ね。通してくれるとありがたいんですけど」

 思ったよりもよく顔を知る人物だったことに動揺したリリーだったが、剣を抜く体勢は取ったままだ。

「死にたいのですか? この先には多くの魔道士が詰めています。あなたが行っても何にもなりません」

「あいにく、丸腰じゃないのよ」

 リリーはそのまま剣を抜く。上掛けもローブももう片方の剣も床に落ちたが、今は一本あればどうとでもなる。

「それは、あなたの剣とローブ……灰色の魔道士ですか。来たのですか」

 エレンが気づいたらしく、リリーに確認する。

「これだけが届きました。本人はきてないと思います。それで、その杖じゃ戦えませんよね」

 リリーはエレンの持っている小ぶりな銀の杖に視線を向ける。水将補佐のカイのように棒術でもって近接戦をこなせる杖の魔道士もいるが、彼女はどう見ても違う。

「ええ。杖の魔道士としても並ですから、あなたの攻撃を受けて防ぎきるのも無理でしょう。しかし、武器を持ったところで、先に進んでも殺されるだけですよ」

「だけど、何もしないでじっとしてるだけましでしょ」

 剣があって体が動かせるのに、戦う以外の選択肢があるはずがなかった。

「あなたは、バルド殿下の元に帰るつもりではなく戦いたいだけですか」

 呆れた顔でため息をついた後、エレンが小首を傾げる。

「帰れるなら帰ります。バルド、近くにいるんだから、戦ってたら会えるはずでしょう」

 時々、バルドが魔術を使っているのを肌で感じている。例え一瞬だろうと、同じ戦場に居続けるなら彼とまた会える気はしていた。

「……ここから右手側に進めば、モルドラ砦側の門に近いはずです」

 エレンが目を伏せて何か考えた後に、右手で道を示した。

 彼女の言葉を信じるだけの根拠は何もないが、他に道を知る手段がないリリーは落とした剣とローブを拾い上げながら耳を澄ます。

 大勢の人間が動く雑多な音がすることだけは違いない。

「じゃあ、行かせてもらいます。……このままディックハウトにつくんですか?」

 リリーはさらにローブを羽織り、なんの警戒も見せていないエレンに問う。

 エレンは死にたがっているようにも見えず、かといってそれほど生に執着しているようには見えなかった。

 生死の境界線上でぼうっと佇んでいる。そんな風にも思えた。

「私は皇太子殿下に生きよと命じられたので、そのためにここにいるだけです」

 ラインハルトがそんな命令をエレンに出していたことに、驚いた。自分が知っている皇太子は冷たく利己的な人間だった。

 利用され続けたバルドはラインハルト亡き今も、彼の影を引きずり縛られている。

 そんなラインハルトが自分が死んだ後、侍女の身の上を案じるようなことを言うのは意外だった。

(でも、この人は生きていたくなかった……)

 ラインハルトがそんな命令を下したのも、エレンが殉死も厭わなかったからだろう。

 だからきっと生と死の狭間に立っているかに見えるのだ。

(もし、あたしがバルドに置いてかれたらどうなるんだろう)

 そうしてエレンの姿にリリーは、先に起こりえるかもしれないひとつの可能性をうっすらと見た気がした。

「いかないのですか?」

 エレンが怪訝そうに小首を傾げて、リリーは我に返る。

「行きます」

 そんなことよりも今は戦のことだと気を取り直してリリーは目深にローブを被り、振り返ることなく示された道を真っ直ぐに走り出す。

「今は、あたしの方が先に死にそうだけどね……」

 人の気配が濃密になるのを感じながら、ひっそりとつぶやいて唇を舐める。

 死ぬ気はないけれど、目の前に待ち受ける戦闘に理性的にはなれそうはなかった。

 ぽつりと白い人影が見えると同時に、リリーはふたつの白刃を露わにする。

「な……、なぜこんな所に敵兵が!?」

 そして人影が振り返り剣を抜いて攻撃してくるのを、リリーは一撃で倒す。

「敵襲! 敵襲だ!!」

 そうしてさらに襲撃に気づいた魔道士が叫んで、廊下の奥からぞろぞろと白の魔道士が溢れ出してくる。

 幸い廊下の横幅は小ぶりな双剣を振り回せるぐらいはあった。

 敵兵も固まっては身動きがとれないと『杖』と『剣』の少人数ずつ襲いかかってくるが、リリーは一振り二振り程度で叩き伏せる。

 そうして廊下に動けなくなった白い魔道士を敷き詰めながら、リリーはひたすらに前へと突き進む。

 みっつの廊下と繋がっているらしい広間に出ると、待ち構えていた数十人の敵が一斉に攻撃を仕掛けてくる。

 まだまだ魔力に余力があるリリーは、ローブで魔術を躱しつつ、片方の剣から風をもう一歩からは炎を出して灼熱の竜巻を敵の塊にぶち込む。

 そしてさらに敵が迫ってくる方の廊下の天井向けて、重たい水の塊をぶつけて廊下を塞いだ。

「外、どっちかしら……」

 そしてすっかり全ての魔道士を戦闘不能に陥らせたリリーは、音を聞きながら首を捻る。

 その時ちょうど右手側でバルドが魔術を放つのを感じた。

「こっち、ね」

 まだ誰もやってきていない廊下にリリーは目を向けて、塞いでしまったほうでなくてよかったとほっとする。

「っと……」

 そして廊下へと出た時、砦全体が立っているのもやっとなほど激しく揺れ動いた。

 どこかが大きく崩れたのだろう。戦況はまるで見えないが、ハイゼンベルクが圧倒的に押されているというわけでもなさそうだ。

 揺れが収まると、リリーは再び歩き始める。廊下の奥から風が流れ込んできていので、近くのどこかが崩れて穴が開いているのかもしれない。

 多少危険はあるだろうが、少しでも外の様子が知りたいとリリーはそちらへむかうことにした。


***


 フリーダ達は東側の四階層から援護攻撃を仕掛けていた。

 ハイゼンベルク側はこちらの攻撃の届きにくい距離に陣を構えているので上手く戦力を削れていない。ここから下は兵を並べる露台はすでになく足下が不安定なのでこれ以上下からの援護攻撃はできなかった。

 下ではゲオルギー将軍がバルドを食い止めているものの、他の兵も攻撃の巻き添えになり砦への攻撃に対処しきれていないようだた。

「この程度の数と思ったが、苦戦させられるな」

 フリーダはハイゼンベルク軍に雷を落とし、隣のクラウスに声をかける。

「何度か仕掛けてどこが弱いかは分かってやってるだろうからな……」

 あいもかわらず無茶苦茶な炎の魔術を敵陣の眼前に打ち込み、爆破させ土煙で視界を塞いでいるクラウスは攻撃の手を一度止める。

「バルド殿下が最前列にいて危機となれば前に出ざるをえないだろうが、あの調子では臣下の出番もない。ゲオルギー将軍がどれだけ持ち堪えてくれるか……。まだ増員の必要があるな。夫殿もじきにそうするだろう」

 敵は少数と多少侮ってしまっていたが、ここまでくると物量で押し潰すしかない。

「くるな……総員後ろへ下がれ!!」

 無数の小さな火球がハイゼンベルク軍の上に浮かび、来る衝撃に備えフリーダは兵を後ろへ下がらせる。

 攻撃は西側へ向かい、杖では防ぎ切れなかったらしく今日一番の衝撃が砦を襲った。

 揺れが収まって攻撃を受けた側を見れば、もうもうと煙があがって破損の具合は見えない。

 ただ西側一帯を隠すほどの煙で威力のすさまじさだけは分かる。

「ヴィオラさんかな」

「あれだけのを撃てるのは、炎将かマリウスぐらいだろうな。……存外、マリウスかもしれんか」

 片腕なくとも魔術は放てる。魔力の大きさだけでいえばマリウスの方がヴィオラよりも上だ。

「奥方様! 捕虜のリリー・アクスが脱走し、内部で攻撃を! 武器とローブを所持しているらしいので、何者かが脱走の手引きをしたものと思われます」

 そこへ報告に飛び込んで来た魔道士は何者かと言いつつ、クラウスへ疑惑の目を向けていた。

「リリーの剣もローブもモルドラ砦に置いてきたはずだ。移送の魔道士は何やってったんだ!」

 珍しくクラウスが声を荒げ、本気で焦燥しているらしくフリーダは眉根を潜める。

 移送に動いた魔道士はひとりで、リリーを監禁していた部屋で意識を失い閉じ込められていたという。その際、武器は奪われておらずどこから調達したものかは不明らしい。

「リリー・アクスは双剣を使っているのか。誰かの物なら血を塗って簡易に紐付けしたとしても、魔力を使いにくいはずだが……」

 この砦に誰の魔道士も使っていない武器はほとんどないはずだ。剣は特に刃を打つ時に魔道士の血を混ぜるので、そう簡単に用意できる物ではなくまた他人が勝手に柄や刃に血を塗りつけて扱おうとしても、魔術を使うことが難しくなる。

「すでに数十人やったとなると、リリー本人のしか考えられない、けど」

 そう言って心当たりが見つかったのか、クラウスが言葉を止めて歯噛みする。

「俺が行ってリリーを止めてくる」

「君に止められるのか? リリーは剣を持っていて、近くにバルド殿下もいる。死にたいなら行けばいい、といいたいところだが、戦う気がない君に彼女と一戦交える機会を譲るのは惜しいな」

 どうせクラウスはリリーと争う気がなく、本気で勝ちに行かない限りリリーに討ち負かされるのが関の山だ。

 自分なら命懸けでリリーと戦える。

 立ち止まったクラウスが、無言でこちらを見てくる。

「……ふたりがかりなら止められるんじゃないか?」

「そうだな。その手もあるか」

 自分ひとりだけでリリーと戦いたかったフリーダは渋面を作りながらも、ここまでくればクラウスも退かないだろうと諦める。

 他の魔道士もクラウスにまだ疑いの目を向けているが、フリーダはかまわずその場にいるひとりにその場の指揮を任せてクラウスと共にリリーを追うことにする。

「彼女はどうやって、剣を手に入れたんだろうな」

 答は知っていても返さないだろうと知りながら、フリーダは問うてみる。

「……さあな。これ以上暴れさせるのをやめないとならないだろう」

「だが、こちらの損害を考えれば、捕らえたところでただではすまないぞ。どうするつもりだ?」

 逃亡の上、砦内での戦闘行為。すでにディックハウトの兵の相当数がリリーに討たれている。生け捕りにしても処刑は免れない。

「その時になったら、考える」

 クラウスも後がない状況に苛立っているらしく、先程から口調が固く粗い。

(さて、どうやってクラウス抜きで戦うか)

 クラウスと共闘する気はさらさらないフリーダは、邪魔者をいかに排除するかを考えながらゆるみそうな口元を引き結ぶ。

(君は、どこにいても、どんなときも変わらない)

 一番会いたかったリリーに会える。

 そんな期待感にフリーダは胸を膨らませてふたりきりの戦場に思いを馳せるのだった。


***


 マリウスは土煙をあげるゼランシア砦を見据えたまま、肩で大きく息をする。

 片腕さえあれば魔術は使える。だが、思った上に魔力を全力でつぎ込んだことが、まだ塞がりきっていない傷口に大きく響いた。

 暑さだけのせいではなく、汗が噴き出し顎から伝い落ちる。歯を食いしばっていなければ、痛みに呻き声をあげてしまいそうだった。

 主君がひとり最前線に立っているというのなら、もっと援護がしたいと無理に前に出てきた手前、醜態は見せたくなかった。

「マリウス、よくやったわ。後ろで指揮に戻りなさい」

 横についていたヴィオラに従い、マリウスは後退する。

 ただでさえ片手で持つのが困難な両手持ちの片刃の剣が、ことさら重く数歩歩いただけで息が切れる。

(少しでも、皇主様のお役に立てただろうか……)

 やっと煙が晴れて見えたゼランシア砦の西部の壁は大きく崩れて内部の部屋や廊下が剥き出しになり、その下に瓦礫が山となってなっているのが見えた。

 下敷きになった敵も多いはずだ。しかし、東側へと敵を引きつけているバルドはまだ敵将と相対していた。

 自分の腕を切り落としたゲオルギー将軍がバルドと拮抗しているのを見据えるマリウスは、緩んでいた柄を握る手の力を強める。

 もはや自分ができるのはこうして戦況を見極めながら兵達を動かすことだけでしかない。それもまた、重要な役目と分かっていても直接剣を振るって戦えないことがもどかしい。

 ジルベール家嫡男として剣を振るいたいのか、主君を側近くで護りたいのかどちらだろう。

 ふとわき起こってきた疑問に、魔術の力に魅せられた幼い日のことが蘇る。

 この力は恐れるものではなく素晴らしい皇祖様からの恵みだと教えてくれたのは姉だった。

(……今、自分がすべきは皇主様の援護だ)

 マリウスは大きく深呼吸をして乱れる息と感情を落ち着かせ、真っ直ぐに戦場を見据えた。


***   


 マリウスの放った魔術に力負けすると直感した後、フランツは一旦防護の魔術を解いたものの少し遅かった。

 無理に魔術を押し破られた反動で、フランツの杖を持つ腕は大火傷をした後のように赤くただれていた。

 攻撃を受けた箇所はこの最上層の露台から確認しきれないとはいえ、甚大な被害を被ったことは確信できた。

 皇祖グリザドがこの島に降り立つ以前から、祖先が築き護っていた砦をこれ以上破壊させるわけにはいかない。

「御当主様、まだお休み下さい!」

 玉の魔道士の応急手当を受けてすぐに、フランツは再び杖を持って前へと出ようとするが臣下に止められる。

「休んではいられん、次が直に来る」

 マールベックの当主たる自分がそうやすやすと退くわけにはいかないのだ。

 フランツが再び壁を築き始めた時、彼の元へリリーの脱走の報告が入った。

「すでに砦内の兵が少なくとも百名以上戦闘不能に陥り、内部の廊下や壁が崩され砦の外と往き来に支障が出ています!」

「馬鹿な。一体なぜそんなことになった!! 手引きをした者は誰だ!」

 予想を超える被害と脱走した上に武器を所持しているというありえない事態に、フランツは驚愕し唖然とする。

(まさか、フリーダが……)

 一瞬、リリーの脱走に手を貸したのが妻だと疑ったがそれはないはずだと否定する。

 これだけの被害を及ぼすには、使い慣れた武器をリリーは所持しているはずだ。ならばクラウスかと思えば、今はフリーダと共にリリーを食い止めに行っているということだ。

 もし、クラウスがこちらに寝返っていないとなればフリーダはリリーとクラウスのふたりを相手することになる。

「東側からも援護を出せ。……リリー・アクスをなんとしてでも食い止めろ」

 フリーダを死なせるなと、喉元まででかかった言葉をフランツは無理矢理呑み込んだ。

 妻はけして積極的に死にたがっているのではなさそうだった。だが生きる意味を見いだせずにいるのだろうと察せた。

 フリーダは戦うことで、答を探しているのか

 生きる意味を決めるのはフリーダ自身でしかなく、本当の意味で彼女を生かすことはきっと誰にもできない。

(この戦が終わった後に……)

 お互い、生き延びれば何かが変わるのではないだろうかと、フランツは杖を持って露台に向かいながら考える。

 共に生きるか、それともフリーダは自分の行きたい場所を見つけるのか。

 どちらでもいい。今はただ、彼女の望みが知りたい。

 痛む腕に顔を歪めながら、フランツは杖を構えて再び魔術で防壁を築く。臣下達は不安そうな顔をしながらも、止めはしなかった。

 見下ろした戦場では、雷の塊がふたつぶつかり合っている。そのふたつが弾けた衝撃だけで、砦が揺れた。

 両軍の将が直接剣を交えてから、もう時間は大分経つ。決着の時がくるのはそう遠くなさそうだった。 

 

***


 バルドの鎖骨から左肩からにかけてがゲオルギー将軍の剣先で引き裂かれ、鮮血が滴った。

 まともに受ければ骨が砕けていただろう、重い一撃だった。

 バルドは焼け付く痛みにも眉ひとつ動かさず、荒い息を吐きながらゲオルギー将軍に向けて雷撃を放つ。

 両者共に、傷だらけだった。程度でいえばゲオルギー将軍の方が酷く、白いローブが焼け焦げた黒と血の赤でまだらになっている。

 だがバルドのローブも裂け目がいくつもあり、その下の皮膚は焼け爛れていたり血が流れ出ていたりと戦場でこれだけ傷を負うのは初めてだった。

(強い……)

 バルドは相手の次の動きを探りながら、剣を構える。

 直感と力任せで動く自分は、計算され尽くされた動きというものと相性が悪い。それでも力押しで最終的にはどうにかなってしまっていた。

 だが、ゲオルギー将軍相手には通用しない。魔力が今まで対峙した誰よりも高いのもあるが、それ以上にこちらの動きを読んでくる。

 先にバルドは踏み込んでいく。

 剣先が届く前に避けられ、大振りの動きにできた隙に入り込まれそうになる。しかしバルドは脇腹に相手の太刀が叩きつけられる寸前で躱し、そのまま雷撃を打ち込んだ。

 ゲオルギー将軍も雷を放って相殺してくる。

 ふたつの雷の塊が弾ける衝撃から身を護るために、ふたりは再び距離を取った。

(まだ、魔力が尽きていない)

 これだけ魔術をぶつけあいながらも、ゲオルギー将軍の魔力はまだ余裕があるらしかった。

 とはいえ、最初の時よりも威力が落ちているが、それは自分も同じだ。

(強い)

 睨み合いながら、バルドは再び強くそう思う。

 この勝負に勝てたら、どれほど心地よいだろう。

 勝利への欲求が貪欲さを増していくと同時に、理性ある人間は失われて、獣の本性によって感覚が研ぎ澄まされていく。

 勝ちたい。

 今度はゲオルギー将軍が先手をかける。剣先がどこへ向かってくるか、バルドは直感で予測しそのまま剣で受け止める。

 がっつりとふたつの刃は噛み合い、退くことも押すこともできないほどに力が拮抗する。

 だが、バルドの持つ神器とゲオルギー将軍の剣とでは強度が違った。

 小さな、本当に小さな亀裂がゲオルギー将軍の太刀にできる。

「ぐ……」

 ゲオルギー将軍が力の拮抗が崩れるのを見計らって退く。

 それをバルドは鋭い雷の矢で追う。

 魔術でまた打ち払ってくるかと思えば、ゲオルギー将軍はローブで受け止め太い雷の柱を落としてきた。

 バルドは素早く避けて、そのままの勢いで突っ込んでいく。

 互いに魔力も体力も長くは続かない。

 全力を投じれば、決着はつく。

 一刻も早く、勝利の喜びを。

 心は急きながらも、微塵も冷静さを失っていない動きでバルドはゲオルギー将軍を押していく。

「……この、命にかけても皇主様に勝利を」

 バルドの剣を受けながら、つぶやいたゲオルギー将軍は再び剣を噛合わせて一歩も退かない気迫を纏う。

 彼の太刀に入っていた微少の亀裂が、大きく広がる。

 鈍い音を立てて刀身がまっぷたつになる。

 相手の剣をへし折ったバルドに僅かに隙が産まれる。

 ゲオルギー将軍が右手で刃が折れた太刀を持ったまま、バルドの懐へと入ってくる。

 捨て身の攻撃だった。

 バルドは切っ先が地についた自分の剣をそのまま振り上げる。

 心臓めがけて雷撃が放たれる寸前だった。

 振り上げた刃は下からゲオルギー将軍の剣を持った腕を、肩の付け根から切り落としそのまま首までも深く裂いた。

 腕が落ちる直前に僅かに注ぎ込まれたいた魔術が、胸に入ってバルドは少しよろけるものの膝をつくことはなかった。

 吹きだした鮮血をまともに頭被って視界がきかなくなったバルトは、乱暴に顔についた地をローブの袖で拭って足下を見る。

 ゲオルギー将軍は事切れている。

 勝ったのだ。

 強敵に打ち勝った喜びに声ひとつあげず、表情も微動だにさせないままバルドは、喜びに陶酔する。

 こんなにも心地よい勝利は久方ぶりだった。血を被っているのに、強い酒を全身に浴びているような錯覚すら覚える。

 もっと、戦いたい。

 滴るほどの返り血に濡れ勝利の高揚と果てしない闘争本能に瞳をぎらつかせるバルドに、声もなく将の敗北を見ていた白の魔道士が喉を引きつらせた。

 喰い殺されると、彼らの本能は恐怖一色に染め上げられる。

 バルドは新たな闘争と勝利を求めて、歩み出す。敗北したゲオルギー将軍の姿は彼の瞳

にはまるで映らない。

 大勢が恐怖に足を竦ませながら、果敢にも挑んでこようとする白の魔道士を薙ぎ払うバルドの姿に敵だけではなく、味方さえ戦いていた。

 彼らの目に移るバルドは、主君でも敵将でもなく魔術という強大な力の化身のような獣でしかなかった。


 ***


 リリーは破れて足に纏わりつくスカートの裾を膝丈まで破り捨てる。底に穴が開いた布靴はとっくに脱ぎ捨てて裸足だった。

「広すぎるのよ」

 敵を薙ぎ倒し壁や天井を破壊して突き進んできたリリーは一度足を止める。壁越しだった外の戦闘の音は近くなり、真向かいから吹き込む風が強くなっているので破壊された場所は近いはずだ。

 リリーは一息吐くと、再び傷だらけの足を進める。そしてすぐに景色は一変した。

 蟻塚の中のような狭い廊下は壁にかけられた燭台だけの灯しかなく薄暗かったというのに、ほんの数歩先は強い日の光が差し込んで眩しいほど明るい。

 さらに進めば、左手側がごっそり削られているのがよく見えた。

 破壊された側は部屋があったらしいが、衝撃で扉側の壁の全てが崩れている上に部屋自体も半分も残っていないところがほとんどで、酷い場所は廊下の三分の一までもが削がれている。

「靴も欲しかったわ」

 瓦礫が積み重なって歩きづらく、壊れた扉か調度品の木片が足に刺さったり引っかかったりする痛みに顔を顰めながらリリーは断崖になっている場所に立つ。ここは二階層か三階層ぐらいだろう。

 目に染みるほどの蒼天の下、両軍共に攻防を広げているのが囚われていた部屋からよりもはっきり見える。

「バルドはあっちで……ひとり?」

 リリーはバルドの魔術の気配を追って身を乗出し、東側へ目を向ける。ちらりと白いローブの中に黒いローブが見えて思わず苦笑する。

 将自ら最前に立つとは、いかにもバルドらしい。

「っと……あそこから出られるかしら」

 砦に入った攻撃の揺れで目の前の床が崩れ落ち、リリーは奥へと下がりながら、さらに西の方へと目をやる。

 特に崩壊が酷い場所は瓦礫が高く積もっていて、そこに飛び降りられそうだった。後は慎重に瓦礫の山を下ればなんとか脱出は可能そうだ。

 問題は、降りている途中で瓦礫を敵に崩されれば生き埋めになりかねないということだが。

「上の敵は一掃してからね」

 多くの足音が聞こえてリリーは剣を抜く。

 ここまでずいぶん戦って体力は消耗しているものの、魔力はそこまで減ってはいない。戦闘場所がたいてい狭い廊下なので、小回りが利く体格を利用して斬り込み、魔術で壁や廊下を破壊して敵を一掃しと最低限の労力ですんだからだ。

 リリーは崩れやすい部屋の名残から廊下側へと移動し、待ち伏せる。

 敵は多い分、足場の脆い部屋の方まで場所を取るはずだ。

「……挟み撃ち」

 東側と西側、両方から敵がやってくるのが音でわかる。

「リリー!」

 そして名前を呼ばれて東側を見ると、クラウスとフリーダがいた。ふたりを先頭にした部隊はこちらを警戒しているらしく、距離を空けて待機している。

「あんたとはあんまり戦いたくはないんだけど、邪魔するなら別よ」

 先頭に立つクラウスへ、リリーは左の剣を向ける。

「……どうしても、戦うことはやめないんだな」

 クラウスが悲しげにため息を吐きながら剣を抜く。だが形だけで戦意はまるで見られなかった。

「やめないわよ……」

 言いながらリリーはクラウスのすぐ目の前の床めがけて炎の魔術を放つ。

 だがそれは寸前の所でフリーダの放った水の魔術で掬い上げられ、床を崩してしまおうという目論見は外れる。

「私が相手をする。お前達はそこで待機だ」

 そしてそのままフリーダが前に出てきて、リリーは微かに微笑み待ち受けるがすぐに目を丸くすることになる。

 フリーダが放った炎の魔術は自分には向かってこなかった。

 十分に味方と距離を取った彼女は、自分が通ってきた道を破壊したのだ。

「何やってるんだ!?」

 粉塵の向こうでクラウスが戸惑う声がする。

「リリー・アクスは私ひとりで片付ける! 誰も手を出すな!!」

 大きな声で味方を制した後、フリーダが唖然とするリリーに楽しげに笑いかけてくる。

「君と一対一で決着をつけたい。いいだろう」

「……いいですよ」

 リリーはフリーダと向き合い、ふたたび剣を構える。

 じりじりとお互い出方を窺う。

 フリーダが右足を踏み込み、リリーは受ける姿勢を取る。そしてほんの小手調べにすぎない打ち込みを数度重ねて、相手の調子を探り合った。

「疲れてるね。ここまで暴れたら当然か」

 一旦距離を取り、フリーダがそう言った。

「まだまだ、やれます。シュトルム統率官も戦闘に参加してたんですか」

 この暑さの中で敵を薙ぎ倒しながらここまできたのだ。魔力よりも体力を消耗しているぐらいだとはいえ、戦うのに不足はない。

 それに、フリーダの方も剣を持つ手つきがいくらか重たげで、疲労が見て取れた。

「ああ。だから全力で君と戦えないのが残念だ。君の方も消耗しているようだから、五分五分だろうね」

「それぐらなら、楽しめそうです、ね!」

 言いながらリリーは跳んで一気にフリーダの間合いに入る。最初と違って、刀身がぶつかり合う度にふたりの空気も動きも変わっていく。

 一手ごとに鋭く研ぎ澄まされ、髪の毛の一本分たりたとも隙を作らない張り詰めた戦闘は、見ている物が息苦しくなるほどの緊張感があった。

 猫のように身のこなしの軽いリリーは、フリーダの重たい一撃を受け流しては刀身を相手の間合いに滑り込ませていく。

 ふたりは一切の魔術を使おうとはしなかった。

 互いの刃の先を読み切った剣戟を楽しんでいた。読み違えれば鋭い切っ先に我が身を切り裂かれるだろう緊迫感が心地いい。

(こんな風に、戦う人だったかしら)

 小気味よく響く刃の音と、腕に伝わる一撃の重さにリリーは気分を高めながら、フリーダを見つめる。

 実戦の彼女は演習の時よりもずっと楽しそうに見えた。そして先日よりも今日の方が、強い。

「邪魔はいらないな」

 互いに一旦距離を取ったとき、フリーダが両の剣から火球を放つ。ふたつの火球はリリーの両脇をすり抜けて、後方でひとつになり西側の床を破砕した。

 背後にはディックハウトの援護が駆けつけて来ているところだった。

「すまない、少しばかり狭くなった」

 廊下の両側が寸断され、部屋があった場所も三分の二残っているかどうかという足下の見渡してフリーダが苦笑する。

 狭いことは狭いが、ふたりで戦うには事足りる。

「これぐらいあれば、十分でしょ」

 リリーはもはや逃げ場がなくなったことも気にせずに、雷撃を両の剣から放ちながら斬り込む。

 フリーダは雷撃を右の剣に纏わせた水流で受け止めて、もう片方から放った風の塊で床の瓦礫を巻き込みリリーへとぶつけてくる。

「っ!」

 同じく風の魔術で攻撃を相殺できたはいいが、途中右の足裏に何かが突き刺さった激痛が走ってリリーの動きが鈍る。

 生じた隙にすかさずフリーダが右の剣で突きを繰り出してくる。

「ちゃんとした靴を用意してあげるべきだったな」

 歩いた後に血の跡ができるほどの深手に、フリーダが困り顔になる。

「そうですね」

 両の剣を交差させて突きを受けたリリーは、ふたつの剣からまた風の魔術を放ち反動をつけて後退し、体勢を取り直す。

 歩く度に傷口に小さな破片や木屑があたってずきずきと痛む。

 片足の踏ん張りが利かないのは、腕力で勝るフリーダを相手にするには少しばかり不利だ。

(体力も、ちょっとまずい……)

 疲労と暑さで体に重さを感じる。だが、それは汗だくで肩で息をしているフリーダも同じだ。

 リリーは息をひとつ吐いて溜め込んでいた魔力を一気に解放する。

 左に蒼白い炎、右に風。

 先に炎を波のように放ち、床の木片を燃やし尽くし瓦礫を溶かす。そして次に風で残った全てを巻き上げ炎を煽る。

 フリーダの方は風で最初に炎の流れを緩めて、残りを水で押し返す。

 大きすぎるふたつの力は押し合い消える瞬間には、ふたりともすでに相手めがけて飛び出していた。

 避けきれなかった分でフリーダの白いローブの一部は焦げ、あちこちに傷ができていても剣の重さは変わらなかった。

 リリーは上から振り下ろされたフリーダの右の剣を受けるが、足の傷で思うように受け止めきれない。

 力負けしている内に右斜め下からもくる。

 リリーは受け止めていた剣にこめていた力を緩めて体を捻り、左肩を犠牲にして右からの攻撃を避けフリーダの脇腹へと突きを繰り出す。

 浅く斬りつけた感触はあった。

 だがこの程度ではフリーダは退かないと、もう知っている。

 リリーは痛みに耐えながら、血の伝う左手で風の刃を放つ。

 次なる攻撃を繰り出そうとしたフリーダの右腕が血を吹く。

(避けられた)

 まともに命中していたら腕を切り飛ばせていたはずだったが、寸前の所で風の魔術で力を削がれたのだ。

 そして傷ついた右腕でフリーダが炎をぶつけてくる。リリーは予測外の攻撃に、返し遅れた。

 左の足あたりにかかっていたローブが焼け落ち、ふくらはぎがひりつく。

 ローブで致命傷は避けられたとはいえ、両足の負傷は手痛い。

 フリーダの方も右腕の傷が重く、きつく眉根が寄っている。

 そろそろ決着だ。

 乱れた呼吸を整えて間合いを取っていたふたりは同時に動く。

 あと、もう一撃が致命傷になる。

 この瞬間がたまらなくリリーは好きだった。

 勝って生きるか、敗北して死するか。命の瀬戸際で全ての力を振り絞って戦うことほど、高揚することはない。

 敵が強ければ強いほどなおさらだ。

「楽しそうだね」

 打ち合いながら、フリーダが笑いかけてくる。

「はい。すごく」

 自分の攻撃が相手の首元を掠め、そして相手の刃も首筋に触れるか否かを通る。

 痛みを忘れるほどの楽しさに、リリーは斬り合うことに夢中になっていた。

「後ろがないよ」

 気がつけば、崩れた部屋の断崖まで来ていた。

「そうですね」

 リリーは傷ついた足で床を蹴り、体の向きを変えながらフリーダへ片方の剣で雷の魔術を放つ。

 左で受けている内に、負傷で反応の鈍いフリーダの右を狙う。

 首元を狙った一撃だったはずが、リリーの剣はフリーダの右肩部分を深々と貫くことになった。

 貫通した剣は彼女の肩で固定され、リリーは動きを止められる。

 その隙にフリーダの左の剣が胸へと突き立てられんとする。

 リリーはすぐさま左の剣の柄から手を離す。

 後は紙一重だった――。


***


 手応えを、フリーダは確かに感じた。

 しかしそれと同時に、喉元から大量の血が上がってきてむせ込む。自分の右胸にはリリーの剣が突き刺さっていた。

 剣が胸から抜け膝から崩れ落ちる時、リリーの左脇腹から血が滴ったっているのを見て口元を歪める。

 心臓を貫いたつもりが、結局は外れたらしい。

「……君の、勝ちか」

 仰向けに倒れ込んだフリーダは、血と一緒に掠れた声でリリーに声をかける。

 リリーの姿が見えない。視界には崩れかけた天井しか映らなかった。

「シュトルム統率官……」

 自分を呼ぶリリーの声が遠い。

 最後まで彼女は自分を昔のまま呼ぶ。嬉しいようで、寂しい。呼び直させるべきだっただろうかと考えても声にならなかった。

 どうやらこれで自分は終わりらしい。

 視界が薄暗くなって、痛みも遠くなり死を近くに感じても、心はひどく安らかな気分だった。

 あいかわらず、本当の自分というのはわからないけれど、今の自分が型に嵌められて作られたものではないことだけは確かだ。

(リリー……)

 途切れかけた視界にリリーの顔が映り込む。自分を見下ろすリリーが寂しげだと思うのは、気のせいだろうか。

(私がほしかったもの)

 これだったのかもしれないと、フリーダは薄れ行く意識の中で思う。

 彼女の視線を、興味を、全部ひとりじめにしたい。

 こういう感情を世間ではなんと言っただろう。

(知ってるんだ。でも、思い出せないな……)

 そうして答にたどりつく前にフリーダの呼吸は止まった。


***


 リリーは深手を負った脇腹を押さえたまま、息絶えたフリーダの右肩に刺さっている自分の剣を抜く。

「……すごく、楽しかったです」

 リリーは勝利の余韻のまま笑みを作る。だけれどフリーダから返事がないことに、冷めた気持ちになる。

「バルドの所、帰らないと……」

 無性にバルドに会いたくなって、リリーは断崖の下を見やる。下にも瓦礫は積もっていて無傷ならなんとか飛び移れそうだが、この傷ではどうなるかわからない。

 もっと高さがある瓦礫への道はもうなく、下に行くにはここから飛び降りる他はない。

「リリー!、そこから逃げるのは無理だ!」

 クラウスの声に、リリーはそちらに顔を向ける。ディックハウトの兵達は足下の不安定さから魔術攻撃を放つのは危ういと判断したのか、静観していたらしい。

「逃げるんじゃなくて、帰るのよ」

 クラウスに答ながらも、痛みにリリーは顔を歪める。思うほど声が出なかった。

 このままではバルドに会えずじまいで終わる。それだけは嫌だ。

「リリー!!」

 クラウスの制止の声を聞かずに、リリーは飛んだ。

 バルドに会いたい。

 その気持ちだけで賭に出る。

「――――っ!!」

不安定な瓦礫の山に負傷した足で着地はできなかった。裸足の足裏痛みが走って、倒れ込む。脇腹の傷も重く、山を下ることはもう無理そうだった。

「バルド……」

 どうにか立ちあがろうとしても、意識がかすんでいく。

「リー!!」

 その時、確かにバルドが自分の名前を呼ぶ声がしてうつぶせに倒れ込んでいたリリーは上半身だけを両腕で持ち上げて、なんとか声の方を向く。

 バルドが他のハイゼンベルクの兵と共に近づいて来ているのが見えた。

「バルド」

 やっと会えたと満足し安心しきったリリーは、そのまま意識を失ったのだった。


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