フリーダが夫やゲオルギー将軍を含めた四千余りの魔道士と共にモルドラ砦に着いた時、すでにバルド達は撤退をしていた。

 反乱の指揮を取った者の報告によればどうやら水将も近くにいるらしく、向こうもまだ手駒が多いと深追いはしないことになった。

「派手に崩したな」

 ゲオルギー将軍が砦の様相を見て思わずといった態で零す。

 八百年に渡ってここに建ち続けたモルドラ砦は、ひどい有様だ。

 南側は烽火のろし代わりに派手に吹き飛ばされて崩落し、西側も壁に穴が開き、床石もひび割れている。

「ゼランシア砦があれば、十分事足ります……あれか、フォーベックの跡継ぎは」

 フランツがそう言って扉の壊れた大部屋の床に座るクラウスを見やる。部屋には反乱の指揮をしていた他の魔道士達も床に腰を下ろし、円座していた。

 しかしゲオルギー将軍とフランツの姿を見ると、クラウス以外がすぐさま膝をつき姿勢を正す。

「大義であった。お前達は正しき道を取った。我らと共に、これからもディックハウトのため死力を尽くしてくれ」

 ゲオルギー将軍のねぎらいに誰もが深くうなずいた。

「……ふてぶてしい男だ」

 フランツがまるでおもねる素振りを見せないクラウスに不快そうにつぶやく。

(顔つきが変わったな……)

 フリーダが知っているクラウスはもっと、全てへの諦めと無関心さが表情に出ていた。しかし今は強く明確な意志があった。

「クラウス・フォン・フォーベック。今回の総指揮は貴殿ということだが、よくやってくれた」

 ゲオルギー将軍が歩み寄ると、クラウスがやっと立ち上がる。そして彼の後ろに体を丸めて横たわるリリーの姿が見えた。

 敷布の上に置かれた彼女を護るようにクラウスは立っていた。

「いいえ。俺はただ、目眩ましになっていただけですから。捕虜にした彼女の身柄は俺に任せてもらえますか」

「かまわん。そういう取り決めだ。詳しい事はゼランシア砦で話そう」

 そして一部をモルドラ砦に残して、一行はゼランシア砦へ引き返すこととなった。

 その段になってもクラウスがリリーを他の魔道士に預けることなく、自分で抱きかかえてモルドラ砦に元々あった荷車に乗せていた。

「……よく眠っているな」

 やっとリリーに近づけたフリーダは、落胆しながら彼女の寝顔を覗く。

 動かない彼女はまるきりつまらない。見たかったのは深い緑の瞳を爛々と輝かせて、戦場を自分の庭のように駆け回るリリーだった。

「明日の昼までは起きないだろうな。……フリーダさん、リリーの身の周りのこと少し頼めるか? 俺も四六時中側にいられないから、リリーのこと嫌ってる奴らが何するか心配だからな」

「再開の挨拶もなしで、君も相変わらずだな」

 一年ぶりに言葉を交わしたとは思えない気安さにフリーダは呆れる。

「別に挨拶なんて欲しくないだろ。起きたら怒るだろうなあ」

 クラウスがたいして困った口ぶりでもなく、リリーの頬を愛おしげに撫でた。

 エレンからクラウスがリリーを欲していると聞いても、半信半疑だった。しかし実際に会ってみれば彼の執着がありありと見えた。

(つまらないな)

 このままリリーがクラウスのものになってしまうのは、本当につまらない。

 フリーダは剣の柄を強く握りしめて、リリーに触れるクラウスの腕を切り落としたい衝動をこらえる。

「フリーダ」

 夫のフランツの呼ぶ声に、フリーダは柄から手を離して仕方なしに彼の元に戻る。ただ意識はいつまでもリリーのことにばかり向いていた。

 すでに時刻は黄昏時。

 眩い黄金の時間は束の間のこと。やがては全て闇に呑まれる。そう、全ては暗がりに呑まれる。

 皇国はまだ宵闇。明けない夜はこれからだった。


―了―

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