ディックハウトの居城の中央、『玉』の社の中で皇主アウレールは神器が納められている石の棺の前でじっと座り込んでいた。

 大がかりな戦の時はこの石の箱のような薄暗い部屋で、戦勝祈願として籠ることになっていた。

 灯は自分の周囲に置かれた六本の蝋燭だけで、部屋の隅が見えないほど真っ暗な社の中にいるのは苦手だった。

(早く、終わらないかな)

 アウレールは膝を抱えて蝋燭が減るのを待っていた。同じ長さの蝋燭が城内に置かれ、燃え尽きれば祈願は終わりとなってここから出られる。

(母上はなぜあんなにも恐い顔ばかりされているのだろうか)

 ゆらゆらと揺れる橙色の灯を見ながら、アウレールはここ数日やけに表情が厳しい母を思い起す。臣下の前に出るときは毅然とした冷たい顔をしているが、ふたりきりの時はいつも優しい。

 なのにここ最近はずっと険しい顔つきをしていて、時々哀しそうな表情もする。

 言葉にできない不安が絶えずつきまとっていて、アウレールもこの頃ずっと落ち着かない気持ちでいた。

 抱えた膝をさらにきつく抱え直して、アウレールはあくびをひとつする。

 暗いので半分ぐらいになると眠くなってくる。

 だけれど真っ暗闇の中でひとりで眠るのは恐ろしいので、うとうとしながら時間が過ぎるのを待つのだ。

 早く蝋が尽きればと思っていると、かさりと部屋の隅で物音がして一気に目が冴える。

(き、気のせいだ)

 アウレールはそう思いながらも両耳を塞ぐ。

 しかし誰かがいる気がしてならなかった。

 恐る恐る耳から手を離すと、やはり物音がしてひっと息を呑む。声を上げられないほどの恐怖を覚えていた。

 人がここにいるはずがない。背後にある重たい石扉が開けばすぐに気付くはずだ。それとも自分はいつの間にか寝てしまっていたのか。

 足音が近づいて来るが、完全に足が竦んでアウレールは動けなかった。

 闇の中から人影が現れる。

「子供……?」

 不思議そうにつぶやく声は男で、彼が纏っているのは灰色のローブだった。

「坊や、ここで何をしているんですか」

 蝋燭のぼんやりとした灯の下に浮かぶ灰色の魔道士の面立ちはまだ若く、柔和なものでアウレールの恐怖心は少々和らいだ。

 灰色の魔道士は杖を持っているが、危害を加えてきそうには見えない。

「まあいいいでしょう。私がここに来たことは内緒にしておいて下さいね。坊やがここに隠れてたことも内緒にしますから」

 どうやら灰色の魔道士はアウレールが勝手に社に忍び込んでいると思っているらしい。

「……ま、待てあけてはならない」

 灰色の魔道士が棺の蓋に手をかけて。アウレールはぎょっとする。

 神器はみだりに棺の中から出してはいけないものだ。自分もまだ二、三度しか見たことがなかった。

「なにも恐ろしいものが入ってるわけではありませんよ。ほら、ただの錫杖です」

 制止の声も聞かずに灰色の魔道士が棺を開けて、中からグリザドの左腕と呼ばれる神器の『杖』を取り出す。

 艶やかな黒い鉄棒の先に金と銀の輪が合わせて十ついている。しゃらしゃらと輪が揺れる音に、アウレールは肌が粟立つのを感じる。

 ただの『杖』ではないと一目で分かる巨大な力を感じる。

 これはぞんざいに扱っていいものではない。

「無礼者が、それは皇主たるわたしのもの。かってに触れるでない」

 声を震わせながらも、アウレールは神器を取り返そうと手を伸ばす。

「坊やが皇主……そういうすぐ分かる嘘は言っちゃいけませんよ」

 灰色の魔道士が首を傾げつつ、窘めてくるのにアウレールはまさかと体を硬くする。

「き、貴様雷獣の手先か」

 ハイゼンベルクの魔道士なのかもしれない。自分を殺して神器も奪うつもりなのか。

「雷獣? ああ。あのグリザドの剣を持った末裔のひとりか。血が薄まっている割に魔力が強いと思いますが……。少なくとも君からはグリザドの血は感じませんね。『神器』とはよくできてますね。しかし、ここまでしても千年は長いのか短いのか」

 この男は一体何を言っているのだろう。

 アウレールは呆然としながら、ぶつぶつとつぶやきながら丹念に神器を調べるのを眺める。

「わたしは、わたしこそが真の皇主だ! 神器を返せ」

 誰もが言っている。

 ハイゼンベルクの雷獣は正統な後継ではなく、自分こそが真に玉座にいるべきなのだと。

「そういう嘘を吐きたい年頃ですからね。君がこんなところにいるのは内緒にしてあげますから、私のことも内緒にして下さいね。さて、やっぱり坊やが言うところの雷獣と剣の方もやっぱり確認したいですね。でもちょっと恐いなあ。この島は魔力の回復が遅いし、あんまり飛び回ってると本気で帰れなくなりそうですし……」

 灰色の魔道士はまったくアウレールの言うことを信じていない様子だった。

「……これはわたしのものだ!」

 アウレールは神器を掴んで自分へと引き寄せる。

 ひんやりとした持ち手の部分から掌へとぴりりとした刺激を感じた。心臓が撥ねて、神器を取り落としそうになる。

「本当に坊やのものだったらそれで魔術が扱えるはずですよ。まあ、無駄なことはしないで元に戻しましょうか」

 困り顔で灰色の魔道士が手を伸ばしてきて、アウレールは神器を握り直す。

 魔術なら扱える。ハイゼンベルクの雷獣ができて自分にできないはずがない。

 アウレールは魔力を杖に流そうと力を込めた。

 だが、一気に全身の血が沸騰したかのような熱が全身を駆け巡った。

「熱い、熱い……!」

 杖を今度こそ取り落とそうとするものの、手から離れない。幼い手に水ぶくれが出来上がっていた。

「……血統以外が扱うとこうなるのか。ああ、いけない。坊や、ほら手を離さないと」

 灰色の魔道士がアウレールの手から神器を外す。

 しかしそうするには遅すぎた。アウレールは顔を真っ赤にし、汗だくになってその場に倒れ伏した。

「まずいなあ……扉を開けておきますか」

 灰色の魔道士は高熱を出して意識を失ったアウレールの額に手をやり、杖をふるって扉を開く。そうして少し離れた場所にいる門番が扉が開いたことに気付いたのを確認して、姿を消した。

「皇主様……? 皇主様!!」

 門番が狼狽しアウレールに声をかけるが、荒い呼吸を繰り返すアウレールの返事はなかった。

 やがて城内に密やかにアウレールが運び込まれた。

 勝利を目前としながら、ディックハウトに暗澹たる影が音もなくじわりと忍び寄ってきていた――。


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