「来たな……」

 ゼランシア砦最上階となる五階の窓辺から、フリーダは夫のフランツと進軍してくる黒い魔道士達を見下ろしていた。

 整然と並ぶ部隊は大きくふたつに分かれている。前衛は砦の城門近くに布陣していて、少し離れた所で後衛が横長の長方形に隊列を取って待機している。

 前衛は城門側の最前列が短く、最後列が長いという台形の形を取っていた。

「あの陣形ならば、最前列中央にリリー・アクスがいるはずです」

 フリーダはよく目を凝らしてみるが、どれがリリーであるかは判別はつかない。しかし彼女がひとり突出するための陣形であることは確かだ。

 こちらから見てリリーを頂点とする逆三角形へと陣形は変化するはずだ。

「捕虜にすべきと、貴女は考えているらしいが、それで本当にハイゼンベルクの当主を動かせるのか? 殺した方が益が多そうなものだが」

 昨日行われた軍議の際、フランツはリリーを捕虜にすることに関して疑念を抱いていたがまだ納得がいってないらしい。

「彼女を殺せば、まずあのハイゼンベルクの当主は本物の獣になるはずです。この砦を破砕されてもよいというならば、討ち取っても見せましょうが……」

「獣に人らしい理性を持たせているのが補佐官か」

 どうなのだろう。どちらも共にいるからこそまっとうに人らしく見えるのではないのだろうか。

 リリーが入軍するまでは、軍の方にバルドがひとりで時折顔を見せハイゼンベルクの皇子という立場で、不定期に戦にも参戦していた。

 彼の戦いぶりと言葉の通じなさに、この獣が主君かと眉を顰めたくなる有様だった。

 やがて正式に雷軍の将に就任するとなった時、孤児である士官学校を出たての少女を補佐官として重用すると聞き閉口した。

 リリーのことは知っていた。関わることはなかったものの、士官学校時代から彼女の素性や実力はもちろんだが、バルドのお気に入りということで有名だったのだ。

(愛妾つきで入軍とは大層なご身分だと思ったな)

 剣の統率官であり歳も近いこともあって職務を教える立場につけられた時は、面倒な役目を押しつけられたものだと辟易したものだ。

 だが実際に入軍してからはリリーをバルドの側に置いておくことに、軍の上層部が承諾したのはうなずけた。彼女以外にまともにバルドと会話をできるものなどいなかったからだ。

(いつまでたっても懐かれなかったな……)

 かといって自分が世話係をすること自体への不服がなくなったわけはなかった。リリーと接することを楽しむようになったのはいつからだっただろう。

「フリーダ、動き始めたぞ」

 三階の歩廊から白いローブを纏った魔道士達が一斉に下に向けて攻撃を始める。

 指揮を取っているのは城主である義父のマールベック伯爵だ。

 降り注ぐ魔術攻撃を黒い魔道士達の杖が防いでいるのが見える。隊列を移動させながら、攻撃の隙を見計らって、雷や水、炎を昇らせてくる。

「やはり、リリーが突出し始めたな……」

 台形だった陣形が形を変え始めて、門の落とし格子が上げられる音が響く。

 先頭に立つのがリリーならば城内へ誘い込むことになっている。後方にバルドがいるらしいので、このまま捕捉し隊列を乱すのだ。

 フリーダが窓辺から離れる。リリーを迎え討つのは自分以外いない。

「待て、動くのは援軍の先遣が到達してからだ」

 そうしてディックハウト皇都よりの援軍が到達するまでに、相手方の戦力を削る算段だった。

「下の捨て駒程度ではリリー・アクスは止められませんよ、夫殿」

 フランツが止めるのに、フリーダは振り返らずに階下に向かう。

 初めて、リリーと同じ戦場に立ってからだったか。

 士官学校の時から遠目に演習を見たこともあれば、入軍してから幾度か剣を合わせる機会もあった。ただの孤児というには突出しすぎた魔力には驚いた。双剣を扱う器用さと勝利への貪欲さも知っているつもりだった。

(狂っているとしか言いようがなかったな)

 しかし実戦の時、演習とは比にならないほど戦闘にのめり込むリリーの姿に言葉を失った。

 瞳をぎらつかせて剣を振るう姿は、理性的な人間のものとは思えなかった。

 血を見るのを楽しむ輩もいるが、それとはまた違う類のものだ。

 人を見ているというより、敵が持つ刃にじゃれついているかに見えた。双剣をまるで自分自身の一部であるかのように操り、魔力を解き放つ姿はバルドと瓜ふたつだった。

 呆気にとられながらも、戦場がただの逃げ場でしかない自分にはひどく羨ましく思えた。

 リリーはいつでも自由だった。

 周囲の声も誰も命にも縛られることもなく、羨ましくて妬んでいる内にいつの間にか気になっていた。

 嫌悪でもなく、好意でもなく憧れに近い何かがあってリリーと一緒にいるときは、不思議と楽しかった。

 再会が間近に迫ってくるのに、階段を駆け下りる体はひどく軽い。

 ただそれと同時に苦いものも込み上げてくる。

(私はまた逃げ出すんだ)

 退屈で窮屈なこの城の生活から逃げ出している。

 本当に自分が何をなしたいのかすらも分からないまま、今度は永遠に逃げだそうとしているのだ。

 だが、それでいい。

 もう自分はそれでいいのだと、フリーダは全てを呑み込んで無理矢理口元を笑みの形に変えた。 


***


 馬上でバルドは遠目に城壁沿いにぶつかり合う魔術を見つつ、自らもあの場にすぐさま参戦したい衝動を抑え込む。

「リリー、大丈夫かな」

 傍らにいるクラウスがぽつりとつぶやいて、バルドは眉間に皺を寄せてクラウスに視線を向ける。

「リー、負けない」

 負けさせるつもりもなかった。何かあればすぐに自分も動く。

「お前さ、夜にリリーの部屋に来てなんであのまま引き返したんだ? 俺に譲るつもりになったわけでもないだろ」

 朝から何か言いたげだったクラウスが、声を潜めて問いかけてくる。

「……リーは俺のもの」

 リリーの心が離れていっているのではという不安を隠して、バルドはクラウスをねめつける。

 昨夜逃げ出して、自分の部屋に戻った後にじわじわと湧いてきたのは苛立ちだった。

 また逃げている自分自身と、約束を破ったリリーに対して、いがいがとした不快感が胸の奥にあってなかなか寝付けなかった。

 何があっても二度と手放さないつもりでいたのに、なぜいざとなると怖じ気ついてしまうのか。リリーは約束していたのに、どうしてクラウスにすぐに気を許してしまうのか。

 結局、その苛立ちは自分の中に納めきれずにリリーにぶつけてしまった。

「門が開いたな……」

 クラウスがリリーのことには触れずに、先鋒が大きく動き始めたのに目を細める。

 門が閉じきられるまでに城内にリリー、外側に炎将と上手く配置できて門を破砕できればいいのだが。

 先鋒の動きが止まる。

「分断」

「城の中に入れたのは二百ってところか。思ったより少ないな」

 先鋒の隊列との距離の開き具合を見る限り、それぐらいだろうとバルドも思う。

 あとは敵兵力をリリーを中心とした部隊に集中させて、その隙に城門の破砕が出来ればいい。自分も時期を見計らってて雷撃を一度か二度は撃ち込むつもりだった。

 あらゆる魔術がぶつかりあう音が激しさを増し、城の歩廊から落ちる白い人の姿も見える。

「前進」

 バルドは命じて馬をゆるりと前に進め始める。

 前衛に近づけば、ヴィオラの指揮の下で城門と、城壁側での攻防がよりはっきりと見えてきた。張り出した歩廊も何カ所か崩れ落ち、敵魔道士も落下しているがすぐに後ろに控えている魔道士が出てきて、休みなく攻撃を続けている。

 兵数がまるで分からないので味方側の方が、心理的負担は大きそうだ。しかし黒もヴィオラの指揮の下、的確に敵の攻撃に応じている。

(俺も、戦いたい)

 血の匂いや焦げ臭い匂いが風に乗って、誘うように鼻先で揺れている。

 戦の匂い。音。閃く刃。

 血が滾って、今すぐ背の剣を抜いてあの中へ飛び込んで行きたくなる。

「なあ、バルド、お前さ、ここがリリーにとって一番いい居場所だと思うか?」

 バルドが気の昂ぶりを抑え込んでいる傍らで、クラウスが冷めた声で問うてくる。

「……クラウスには分からない」

 これほどに心の底から沸き立つ高揚を得られる場などありはしないと、自分とリリーはよく知っている。

 今頃リリーも思う存分剣を振るい楽しんでいるはずだ。

「分からないな。分かりたくもないな」

 理解されなくてもいい。

 リリーと自分は、戦場という場所で同じ感情を共有している。この高揚はふたりだけのものでいい。

 戦場が自分達にとっての唯一無二の居場所なのだ。

 ふたりで一緒にここで生きて、ここで死んでいく。

(……俺はそれでいい)

 だけれどやはり、リリーがここで一緒に死んでしまうことに、引っかかりを覚えている自分がいた。

 リリーの望みであり自分の望みでもあるはずなのに、なぜこんなにも飲み込みきれないのか。

 どれだけ考えてもやはり明瞭な答が出てこなかった。

「攻撃開始」

 前衛の攻撃の勢いが落ちているのを見て、バルドは自分の後ろに控える魔道士らに命じる。

 後衛が前衛の加勢に回るのを見送りながら、自分も神器の柄を握しめた。

「……俺は、こんな所よりもっといい場所にリリーを連れて行く」

 クラウスの戦の轟音の隙間に落とした声が、バルドの耳に届く。

(ここよりもいい場所……)

 そんなものがどこにあるというのだろう。自分にはまるで思いつきもしないし、想像もできなかった。

 だがクラウスは知っているかのような口ぶりだった。

 戦場以上に居心地のいい場所は、リリーの側以外には知らない。

(リーも、知らない)

 それはたぶんリリーも一緒だろうけれど。

 バルドは戦場を見渡して考える。

 戦というものがなくなった後の景色を自分は見ることはない。だけれどリリーは違うのだ。

(戦が終わった後……)

 そこにクラウスの言うもっといい場所というものがあるのか。

 やはり何ひとつ具体的な想像はできなかった。

 だけれど戦場以外で見せる、リリーの笑顔だけがふっと思い浮かんだ。戦がなくてもリリーは笑っていられる。

 そう考えると息が詰まった。

「出る」

 いくらか負傷した自軍の兵が後退してくるのを見やって、バルドは息苦しさを振り払うように馬を『玉』の魔道士に預けて歩き始める。

「さてと、リリーが無茶し始める前に片がつくといいな」

 クラウスも馬を降りてバルドについてくる。

 他の魔道士達が道を空ける中、バルドはぬらりとした黒とも銀ともつかない大剣の刀身を高く掲げる。

 そしてそこから門の上部の歩廊向けて雷撃を打ち込んだ。

 大きく崩れたそこから多くの白い魔道士達が下へと落ちていく。

 抑え込んでいた魔力を解き放つと同時に、バルドは懊悩を一時忘れ去る。

 戦いたい。誰か強い者と剣を合わせたい。

 一歩進むごとにバルドの思考は闘争心に呑み込まれて、五感は常より鋭敏になっていく。

(ここがいい)

 勝利への渇望が殺気となって満ちる戦場の空気はひたすら心地よかった。

  

***

 

 幅は馬車五台分、高さは砦の二階部分までと言いう門を塞ぐ、巨大な鉄格子が半分だけ上げられる。

 目深にフードを被ったリリーはそのまま砦の内側へ飛び込む。

 岩山を真四角に削り取って穿ったこの洞穴のような通路は広い。左右に城内への入り口となる階段がやはり岩を削って整えられていて、遙か遠くにあるはずのディックハウト側の門はひしめく白の魔道士達によって見えない。

(五百……それ以上はいるわね)

 待ち構えていた敵兵の前衛が一斉に炎の渦をぶつけてくるのを、城門の真下辺りに位置するリリーは両の刃から放った水で押し返す。

 さして威力がないのは城内深くへ誘い込むつもりだからだろう。

「遊んでくれるってわけね」

 新緑の瞳をフードの下でぎらつかせてリリーは笑む。

 自分の後ろに続く味方をいくらか招き入れるまでは、そう簡単に挑発に乗るわけにはいいかないとはいえ闘志を向けられるとうずうずとする。

「でも、ちょっとは前に出ないとね」

 目の前で猫じゃらしを振られる猫と同じで、抑えきれない衝動にリリーはゆるりと前に進み出る。

 どこからともなく風の刃が飛んでくるが、難なくローブで防ぐ。

 まだ魔力には十分余力があるのでローブにはほつれすら出来ていなかった。そして反撃とばかりに左でつむじ風を起こして、右で糸雨のような雷をいくつも落としていく。

 ちらりと背後を確認して、リリーは自らの体の周囲に炎を渦巻かせながら敵の兵の中に跳躍する。

 着地と同時に格子が落とされる低い音が響く。

 すぐさま敵兵に取り囲まれたリリーは、自らの体の周りに巡らせていた炎を撒き散らしながら双剣を振る。

 振り下ろされる刃も、横から斬りつけてくる刃もリリーに届きはしない。

 まるで全てが見えているかのごとく、彼女ははするりと切っ先から逃れる。

「数だけなんて、つまらないことしないでよ」

 つまらないと言いながらもリリーの口元には笑みがあった。

 自分に向けられる殺気が心地いい。

 こんな小競り合いよりもっと全力で刃と魔力をぶつけ合いたい。

「アクス補佐官! 突出しすぎだ!!」

 背後から飛んできた忠告に、リリーはふと我に返る。

 言葉そのものよりも声の主に冷静になったのだ。

「ジルベール補佐官……なんで?」

 門の外にいるはずの炎軍補佐官のマリウスがなぜここにいるのか。

 リリーは訝しげにしながらも敵兵の畳みかけてくる魔術攻撃を風の刃で切り裂いて、二百いるかどうかというの味方の魔道士が戦っている場所へと後退する。

「予定より少数しか入り込めそうになかったので、指揮と戦力補強のために自分もこちらへきた。姉上……炎将には許可を得ている」

 細身な片刃の剣から周囲の敵を退かせるマリウスが、自軍の魔道士達に門の側で固まれと指示を出しつつ説明する。

 将軍補佐官ふたりともあって、敵兵も一旦距離を空けて隊列を整え始めていた。

「そうですか。どっちにしろ、あたしは前に出て好きにしますけどいいですよね」

 戦闘中にあまり細々とした指示をされるのは好きでないリリーは、マリウスに言うだけ言ってみる。

 炎軍は隊列の統率をきっちりとする。雷軍が将と補佐官が揃って勝手にしすぎるというのはあるが、リリーには炎軍のやりかたは性に合わない。

「自分も出る。『剣』を前列。『杖』を後列に置く」

 雷軍のやりかたと炎軍のやりかたの妥協点を、マリウスが提案してくる。

「分かりました。右手側、あたしがやりますね」

「格子はは城内へ向けて倒す。出来るだけ敵を城門側へ誘導しろ」

 そのために城門からはできるだけ離れていろと軍議で言われていたので、リリーは奥までひとりでひたすら敵を薙ぎ倒していくつもりだった。

 少々面倒になるが、仕方ないとリリーはマリウスの命に従うことにする。

「門、壊すのにどれぐらいかかりそうですか」

 ハイゼンベルク側の門から音は聞こえているものの、壁一枚隔てているかのように遠い。

「向こうの『杖』も強い。まだかかるだろう」

 城主であるマールベック伯も、その嫡男も『杖』である。この通路に『杖』の姿がほとんど見受けられないことを考えれば、城の内部は多くの『杖』が配備されているはずだ。城門付近には強固な魔術防御が施され、長期戦となりそうだった。

 バルドにはいささか物足りないだろうとリリーは考えつつ、微かな魔術の動きを感じ取って双剣に魔力を送り込む。

「総攻撃開始!」

 隊列の指示を出していたマリウスも敵が動き始めたのを察知して、魔道士達に命を飛ばす。

 命を全て聞き終わらないにリリーは、敵に向かって飛び出していた。

「……我は炎軍補佐マリウス・フォン・ジルベール! 皇主様の御為に我が剣で持って不忠義者を討つ!!」

 今時珍しい名乗りを上げてマリウスも敵勢へと踏み込む。

 相手方に『杖』は本当にごく少数で、一挙に魔術と魔術のぶつかり合いになる。

 黒と白が混じり合い、白が斑に赤へと色を変える。

 洞穴に似たこの通路では怒号と破裂音が反響してわんわんと響き渡り、音に頭を揺すぶられても誰も気にしない。

 むしろ酩酊感に似た感覚に陥り、ほどよく理性が麻痺する具合だ。

(敵よりジルベール補佐官とやりたいわね)

 捕虜にする気で手加減でもしているのかそもそもさほど強くないのか、いまひとつの手応えにリリーはひとりふたりと斬り伏せながら、左奥で黙々と敵を狩るマリウスを横目で見る。

 マリウスは魔術は炎を中心に扱いつつ、切れ味の鋭い刃で一刀のもと敵を次々と切り捨てていく。

 あまり好戦的でないマリウスとは一度も剣をあわせたことはないが、姉のヴィオラよりも強いかもしれない。

「本当に数だけいるわねえ」

 突き進んでも敵の数は尽きない。リリーは炎を帯状に両の刃から放って一気に群れている十数人をぐるりと炎の壁で取り囲み、魔術を破裂させる。

 炎に包まれることはローブで避けられても、破裂の衝撃に耐えられずに吹き飛んだ敵兵が他の敵にぶつかり敵隊列が乱れる。

 リリーに向けられる白の魔道士の闘志に、憎悪が多分に入り交じり始めていた。リリーはこじ開けられようとしている門側へ隙を作り、敵兵をそちらへ誘い込んでいく。

(数だけって、なんかつまんなくなってくるわ)

 戦い甲斐のない敵ばかりで少々飽きてきたリリーは、周囲の状況を見やる。

 緩やかに敵隊列と味方隊列の位置が変わり、白が黒を挟み込む形になっていた。半分は門で押し潰すとはいえ状況は悪い。

 だが追い詰められた方が、手応えのない相手と延々と戦い続けるよりはましだ。

「全員、持ち堪えられるかしら」

「生き残るよりも皇主様のために敵をひとりでも多く討つことを考えればいい」

 リリーの何気ないつぶやきをいつの間にか側まできていたマリウスが拾って、そう返してくる。

「そうですね……」

 勝つのはバルドのためではなく、自分のためだが。

「奥の敵は自分が引き受ける。手前は任せた」

 マリウスが味方を二手に分けて、攻撃の態勢を再び整える。

 敵勢の総攻撃が始まるかと身構えていると、不意に後方で敵がざわつくのが見えた。

 そうして白の魔道士が開いた道の奥から現れるひとりの魔道士の姿に、黒の魔道士達も緊張を漲らせる。

「久しぶりだな。アクス補佐官。見覚えのある顔も思ったよりいるな」

 なにひとつ後ろめたさを感じさせないフリーダの、飄々とした口ぶりと表情にかつて彼女の部下であった魔道士達や顔なじみが表情を強張らせる。

 今まで、寝返った顔見知りと戦場で敵同士として対峙することとなった経験を持つ者は多い。

 だが敵意も苦悩も嘲りもなく、こんなにも悪意のない笑顔を向けられたことは誰もなかった。

 それも部下の面倒見がよく、慕われていたフリーダだからこそ戸惑いと衝撃は大きい。

 だが、リリーは違和感を覚えていなかった。

(全然変わってないわね)

 さして親しくはしていなかったものの、リリーの中でフリーダに対する印象は今見せられている表情と同じだった。

「フリーダ、なぜ逆賊となった」

 かつてフリーダと士官学校で同期だったマリウスが、静かな怒りを見せる。

「まさか君まで入り込んでくるとはな。おかげで私も夫殿になかなか出してもらえなかった」

「答えろ。なぜ皇主様の直属の指揮下にいながらこんな裏切りをしたのだ」

 いつもは感情をほとんど見せないマリウスの珍しい怒りに、他の魔道士達も息を呑む。

(……直属だったら余計に出て行きたくなるんじゃないかしら)

 リまともに意思疎通もできず戦場で暴れ回るバルドを思い起しながら、リーは一向に表情を変えないフリーダの横顔を見やる。

 視線に気づいたのか一瞬だけ向けられた青い瞳はどこか楽しげだった。

「私はマリウスと違って、始めから忠心は持ち合わせていない。さすがに、君の相手は荷が重い。リリーと戦わせてくれないか?」

「……皇主様に仇成す者は自分が斬り捨てる」

 マリウスが正眼に構えて切っ先よりも鋭い眼光でフリーダを見据える。彼女の方は柄に手をかけることもなく、悠然としていた。

(こういうディックハウト信奉者みたいな皇家派もいるのね……)

 一触即発の空気の中でリリーは半ば感心しつつ、自分も双剣を構える。

 人の勝負に割り込むつもりはないが、肝心のフリーダがマリウスと戦う気がなく自分と剣を合わせたいというのなら譲ってほしいところだ。

 しかし完全に臨戦態勢になったマリウスはさすがに隙がなく、容易に割って入っていけない。

(本気で抜かない気かしら)

 今のフリーダの体勢ではマリウスが動いた瞬間にすぐさま斬られる。

 両軍共、なりゆきを固唾を飲んで様子を窺うばかりで動かない。

「斬りたければ斬ればいい」

 挑発に似た言葉をフリーダが発するのに、マリウスの足が微かに動いた。

 何かが妙だ。

 ともすればフリーダは捨て鉢に見えるが、違和感があった。

 微かな魔術の流れをリリーとマリウスが感じ取るのは同時だった。

 地面の岩肌が盛り上がったかと思うと、岩壁が出来上がってあっという間にマリウスの姿がリリーから見えなくなる。

 『杖』の魔術によって部隊が縦に分断されたのだ。

「一昨日のお返しといったところだな。リリー・アクスの相手は私ひとりでやる。他は鼠共を叩き潰せ!」

 魔術が発動する前にリリーの側へ移動していたフリーダが、リリーの持つものより刀身が細く刃渡りが長い双剣を抜く。

「……この数だから援護する気はあるけど、できるだけ自力でなんとかしてよ」

 存分に楽しめそうな戦闘の予感に心を沸き立たせながら、周囲の味方に声をかける。

(これだけのことができる『杖』がこっち側にきたのは助かったわね)

 切れ間なく一気に壁が出現したことも考えると、相当の手練ひとりでなしたはずだ。城主とフリーダの夫が『杖』ということでどちらかが出てきたのかもしれない。

 力量は将軍と劣らんしジルベール侯爵家の嫡男のマリウスが突入したので、それなりの戦力を投じてきたのか。

「ずいぶん期待してくれているらしいな。一年も剣をまともに握ってないから君を楽しませられる自信はないよ」

 フリーダが双剣の右を上段に、左を中段に構える。

「少なくとも、雑魚百人相手にするよりは楽しそうです」

 リリーも両の刃を中段に構えた。

「……君は裏切り者と私を呼ばないのか」

 フリーダが苦笑してみせるが、リリーは自分の中にかつての同僚に対する憤りや失望がまったくないことは不思議ではない。

 誰が裏切ってもおかしくない戦況だ。

 とりたてて自分はバルド以外の他人に対して執着しないので、これといった感傷はなかった。

「あたしは戦えるならなんでもいいんです」

 今、あるのは戦うことへの高揚だけだ。

「君は変わらないな」

 嬉しそうにフリーダがつぶやいて攻めかかってくる。

 左右交互に繰り出される刃を、リリーも交互に受け止める。フリーダの方は本当に長い間剣を握っていなかったらしく、動きは以前よりも鈍い。

 だがすぐに勘を取り戻したらしく、鋭く重い太刀筋へと変わる。

 鋼同士がぶつかる音も、ぶれて濁った音から澄んだ甲高いものへと変化していく。

(やっぱり、実戦は違うわ)

 受け止めた刃に乗せられている重みは、演習とは別のものだ。

 手加減や躊躇いがあったなら、それこそ失望するところだった。

 リリーは後方に退いて右に炎を纏わせて放ち、さらに左で風を渦巻かせて炎に勢いをつける。

 フリーダが両の剣から水流を放って炎を打ち砕く。

 その隙にリリーは一足跳びにフリーダの懐に入るが、繰り出した刃は受け止められる。

「……君は相変わらず魔術をぶつけるよりも剣を合わせる方が好きらしい」

「シュトルム統率官とやるなら、これが一番楽しいでしょう」

 がっちりと剣を噛合わせながら、リリーーはフリーダを昔と変わらない呼びかたをする。

 魔力なら自分が上だが、剣技はほぼ同格だった。

「今は君の方が強そうだ」

 フリーダがわずかに右から力を抜いて、リリーの両の剣にかける力の均衡が崩れる。

 リリーは動じずに両方から力を抜いて左脇腹への突き躱し、右の剣に纏わせた雷を鞭のようにしならせ、フリーダの左の剣から放たれた炎の追撃を撥ねのける。

 そのついでに伸ばした雷の鞭で自軍に群がる敵兵を払う。

 さすがに兵の数が違いすぎて、数で押されるのはきつい。

「余裕だな。私は君以外と戦うつもりはないのに」

「できればあたしもそうしたいところです……」

 リリーはフリーダの挙動に注意を払いながらも、壁の向こうで爆音が轟くのに眉根をよせる。洞穴上になったこの空間では、音の破壊力も凄まじい。

 しかしこの攻撃で岩壁にはわずかに亀裂が入っただけだ。

「マリウスは、壁の破壊が優先らしい。夫殿は持ち堪えられるかな」

 やはりマールベック家の者が出てきたらしい。

 天井が崩落しないために加減はしているだろうが、ここまで耐えられるなら相当な実力だ。

(門の方はマールベック伯爵だけってことね……)

 門を破壊せんとする音はやんでいない。まだ相当の数の『杖』が控えているのか、あるいは城主の伯爵ひとりで耐えているのか。

「さあ、よそ見はこれまで、だ」

 フリーダが間合いを詰めて来ながら、細かな風の刃も放ってきた。

 リリーは魔力をローブ側へ流すが一瞬遅く左腕を浅く割かれて、舌打ちする。

 だが怯むことなく、大きな水の塊をフリーダにぶつける。

(ここで思いっきり、魔力消費してもいいかしら)

 ちらりと窺った自軍は苦戦しているが、できればフリーダとは全力でぶつかりたい。

(あたしは勝つ)

 勝利への貪欲さに理性は勝てなかった。

 リリーは体勢を低くとって、そのまま跳ぶ。フリーダの剣の流れを読んで、俊敏に打ち込んでいく。

 もはや自制はしない。

 両の刃に炎を這わせて、剣を噛合わせたまま破裂させる。

 フリーダが左に水を纏わせ、右から風の塊を放って熱と衝撃を打ち消そうとする。

 しかしリリーの火力の方が上回り、白いローブをわずかに焦がした。

「ああ、やっと本気で戦ってくれる気になったみたいだね」

 距離を取ってフリーダが体勢を整える。

「最初から手加減なんてしてませんから」

 魔力の温存は手加減ではない。何より純粋に剣技だけの勝負もしたかった。

 そうしてふたりが何度か魔術をぶつけ合った時のことだ。

 どおおんと壁の向こうで雷が落ちる音がする。耳が痛いほどの轟音と、肌にぴりぴりとくる力の大きさはバルドを思い起させた。

 しかし。

(バルド……じゃない。ジルベール補佐官でもないわね。誰?)

 リリーは感覚で悟って、訝しげな顔になる。

「早いな……」

 フリーダのつぶやきと同時に、中央の岩壁が消え去る。

「あれは……?」

 そして見えたのは壁の向こうにいた味方の半数が地に倒れ伏し、ローブの左袖が千切れたマリウスがひとりの魔道士と対峙し押されているところだった。

 その魔道士の横顔には、右目の際から顎にかけての傷痕が遠目から見てもはっきりと見て取れる。

「……ゲオルギー将軍だ。私達の勝負の邪魔をしないでもらうから安心していいよ」

「ディックハウトの雷将……」

 名前は聞いたことがあるがよくは知らない。ディックハウトの将軍も前線にでることが多いとはいえ、雷将とはまだぶつかったことはなかった。将軍と戦ったのは確か入軍してすぐで、その時敵水将はバルドが討ち取った。

(援軍がくるまでの時間稼ぎと、ジルベール補佐官の魔力を削ぐためだったのね)

 あの岩壁はリリー達ハイゼンベルクの部隊を分断するためでなく、マリウスに魔力を浪費させるのが本当の目的だったのだろう。

 フリーダならマリウスの行動はある程度予測できたはずだ。

「私を倒したら、将軍にも遊んでもらえるかもしれないよ」

 フリーダが再び構えて笑う。

「だったら、早く決着つけないと駄目ですね……!?」

 将軍相手は楽しそうだと、横目でマリウスとゲオルギー将軍の勝負を見ていたリリーは息を呑む。

 ゲオルギー将軍の片刃の太刀が、一閃する。

 すでにいくらか負傷しているらしいマリウスは避けきれない。

 血飛沫があがる。

 マリウスが膝をつく前に、彼の左腕が地に落ちる。

「マリウスもここまでか……」

 そうしてさらに首を落とさんと、刃が振り上げられた――。


***


 門の防護は思った以上に硬く、薄膜に包まれた落とし格子に攻撃を加えるヴィオラの表情は険しかった。

(マリウスを行かせたのは、間違いだったかしら……)

 リリー達が城内に突入していったいどれぐらい経っただろう。

 数で押すのが困難なら、全体の指揮と統率を取れるマリウスを投入した方がいいと判断して中へと行かせたのだ。しかしこちらはこちらで威力不足になってしまったかもしれない。

 すでに後衛の半分以上が加わって、上からの攻撃の対処と門突破にあたっているがなかなかこじ開けられない。死傷者も増え、敵味方のどちらともつかない血の臭いがあたりに充満している。

「ヴィオラさん、バルドが攻撃するから一旦後ろに退かせてください」

 火球を数発ぶつけたところでクラウスが側までやってきてそう告げる。

「加減はしていただけるわよね」

 バルドの攻撃では下手をすれば城ごと崩壊しそうだ。

「さすがに、リリーがいるから大丈夫だと思いますよ。少なくとも俺よりはまともには操れる」

「クラウスよりましなのは確かですけれど。炎の魔術が一番威力があるというのに、まったく使えない男ですわ」

 自分と同じくクラウスは炎の魔術が最も得意なはずなのに、まともに操れずに爆発させてやりすぎてしまうのが難点だ。他の魔術もそこそこは威力はあるので、今回はバルドの横で城上部からの攻撃の対処に回っていた。

「……俺が使えないのは認めますよ。とにかく早く門をどうにかしないと」

「そうですわね。皇主様が攻撃なさる! 全軍、一時後退!」

 ヴィオラは命令を飛ばして隊列を後退させながら、焦りの滲むクラウスの横顔を見やる。

「そんなにリリーちゃんが心配?」

「心配ですよ。大人しく捕虜になってくれる性格じゃないからな」

「まあ。珍しいこと」

 今まで何人もクラウスに泣かされた女性達を知っているヴィオラは、眉を上げて驚く。

 クラウスがリリーと婚約したのは、諸問題の隠れ蓑にするためだと思っていたがそうではないとしたらこの男はこの先どう動くのだろう。

「ヴィオラさんは、マリウスは心配じゃないですか……っと。すごいな」

 轟音と共に水平に門に打ち付けられた雷撃に、クラウスが首をすくめる。

 ヴィオラも巨大すぎる力と血が畏れる魔力に、組んだ腕を無意識にさする。

「あの子は皇主様のお役に立つことしか、考えていないから大丈夫よ。まだ持ち堪えてますわね」

 魔術の壁は突破しても鉄格子はまだ凹んだだけで倒れそうにない。だが無理矢理魔術を解かれた反動で、腕が二度と使い物にならないぐらいの痛手を負った『杖』が複数いるはずだ。

「マリウスなら捨て駒でも役に立ったって言うんじゃないですか」

「……そうですわね。そもそも敵勢にあの子に勝てる魔道士はいるのかしら。ねえ。知っていらっしゃる?」

 マリウスとリリー、ふたりがいるならフリーダがいてもまだ持ち堪えられる。だがそれこそ将軍に匹敵するほどの力の持ち主がいたなら危うい。

「知りませんよ。そんな輩がいたなら俺はもっとリリーが囮になるのを反対してました」

「本当にみんなリリーちゃんがお気に入りね……」

 敵がい心を剥き出しにした野良の仔猫のようなところは、無論自分も好きだがクラウスやフリーダ、それにバルドとは少し違うだろう。

(欠けているからかしら)

 なんとなしにリリーも、彼女に惹かれる三人とも似通ったものを感じるのだ。何かが大きく欠落していて、同じように歪なリリーが欠けている部分にぴったりと嵌まる気がしているのかもしれない。

(リリーちゃんは、皇主様だけみたいだけれど)

 リリーとバルドがふたり一緒にいるのが、自分から見てもしっくりくる。ふたりそろって綺麗な形になるわけではないけれど、歪んだ部分が綺麗に合わさっているかに思えた。

「防いだわ……」

 バルドがもう一撃放った雷の槌が新たに張られた魔術の膜によって受け止められる。

「城主かもな。ヴィオラさん、総攻撃かけて下さい。俺も、炎以外で援護します。これで駄目ならもう一撃バルドが入れる」

 クラウスがそう言って剣を抜く。

「これ以上皇主様に魔力を消耗させるわけにもいきませんし、門を開けたいところですわね」

 ここで総攻撃をかければおそらく、魔術の防壁は破れる。

 あと一押しだ。

 ヴィオラは炎を纏わせたレイピアを高く掲げる。

「総員、攻撃再開!!」

 そして一気に炎を放って、門に向けて放った。


***


 リリーは瞬きひとつの間には、マリウスの首が落ちると思った。

 だがその直前にハイゼンベルク側の門から何かがぶつかり破裂する音が轟いて、砦全体が揺れ動く。

「バルド……」

 全身の血までもが震えるほどの衝撃は、間違いなくバルドだ。

「以前からすさまじかったが、神器を持つとこれほどまでになるとはな」

 畏怖を隠し通せない青ざめた顔で、フリーダがつぶやく。彼女だけでなくその場の誰もが、かつて祖先達が屈服した圧倒的な力に身動きできないほどの衝撃を受けていた。

 その中で真っ先に動いたのがマリウスだった。

 片腕を失いながらも彼は刀身から炎を礫をゲオルギー将軍にぶつけ、己の腕の切断部も同時に焼く。

「皇主様の、お役にたたねば死ねない……」

 通常ならとうに意識を飛ばしてしまいそうなほどの激痛に、苦悶の表情を見せ呻き声をもらしながらもマリウスが立ち上がる。

 強く剣の柄を握り両足でしっかり立っている姿は、敵も味方も息を呑むほどの鬼気迫るものがあった。

「ジ、ジルベール補佐官を援護しろ!」

 ゲオルギー将軍の攻撃を受けていなかった味方の魔道士達が、マリウスの援護を始める。

 杖で防護しながら攻撃を防ぎ、マリウスに向かってくる攻撃を別の攻撃で払い落とす黒の魔道士達は二十歳のまだ年若い上官を本心から敬服し、また皇主への忠誠を新たにした様子だった。

(援護すべきかしら)

 他人の勝負に割りいる無粋な真似はしないが、今回は一対一の勝負というわけでもない。

 早く退かせて『玉』の治癒を受けさせなければ、マリウスは命は風前の灯だ。

「よそ見はいけない」

 マリウスの方へ意識をとられているうちに、フリーダの切っ先が迫っていた。

 リリーは寸前の所で避けて、フリーダとマリウスが両方視界に入る位置を取る。そうして右から炎をフリーダへ向けて放ち、左から疾風をゲオルギー将軍にぶつけにいく。

 軽く放った攻撃は双方にあっさり防がれたが、ゲオルギー将軍の意識は確かにこちらへ向いた。

 その時再び門の方からバリバリという何かが軋む音が聞こえる。

 バルドがもう一撃加えたのだろう。

「どうせならふたり一緒に相手しますよ」

 後少し、適当に時間を稼いでいれば門を破った味方が突入してくるはずだ。

 そうしたら自分は戦闘に好きなだけのめり込める。

(早くしてよね。色々考えるの、もう面倒くさくなってきたんだから)

 できることなら目の前の戦闘にだけ集中していたい。

「私は君ひとりの相手をするのに専念するつもりなのに、な」

 フリーダが水流を雷撃と組み合わせて攻撃してくる。

 リリーは両の刃から水流を放って勢いを殺しながら、残りはローブで受け止めた。

 ゲオルギー将軍は警戒しつつも、マリウスを標的から外していない。近くにいる味方の兵も再び総攻撃をかけられていて、どこもかしこも押され気味だ。

「もう、まとめて片付ける」

 リリーはつぶやいて、左右の刃から細かな風の刃を一斉に放つ。

 目に見えない刃は低い位置を駆け、敵の足を切り裂いていく。

 広範囲に渡る魔術は威力を欠いて、半数近くはローブに抑えられてさした損傷は与えられなかったもののいくらかは動きを鈍らせた。

「――っ!」

 攻撃を放ったと同時に、フリーダから隙を狙って仕掛けられていたリリーにはそんな周囲を様子を確認していられる余裕はなかった。

 フリーダが放った矢のような雷撃が右脇腹を掠めて、ローブが裂かれる。

「魔力を無駄に消費するからだよ」

 動きが鈍ったのを見逃さずフリーダが踏み込んでくる。

「まだ、余裕はあります」

 リリーは右斜め下から切り上げてくる刃を弾き、同時に突きを放ってくるもう片方も受けて力を流し体を捻る。

 そうして軽く身を屈めて、左の剣でフリーダの足を薙ぎ払う動作をする。フリーダがそれを避けんとして体を退いた所で、さらに踏み込んで右の剣で左腕を狙う。

 手応えを感じた瞬間、フリーダが火球を飛ばし反撃してリリーは一旦距離を取る。

「やはりなまっているな。君も強くなってしまった」

 浅く斬った左腕から血を滴らせてフリーダが苦笑する。

 以前の彼女ならローブを裂かせる程度に留められたはずだ。

「……あたしはずっと戦場にいましたから」

「私はずっとこの砦でじっとしているだけだったよ」

 フリーダは悔しそうに言って、さらに剣を構える。

(まずいわね)

 フリーダの背後に見えるマリウスは『杖』に護られながら善戦しているが、あの深手で将軍相手は分が悪すぎる。

 リリーはフリーダの出方を窺いながら、ゲオルギー将軍への攻撃を準備する。

 左で雷の矢を複数撃って、斬り込んでくるフリーダを右で作った炎の壁で追い払う。

 しかし炎の壁を突き破って雷撃がくる。

 フリーダではなくゲオルギー将軍だ。

 咄嗟に魔力をローブへ集中させながら躱そうとしたものの、左半身に攻撃を食らってしまい軽い痺れが全身に回った。

「……君とは横やりなしでやりたかったんだがな」

 フリーダが寂しげに眉を下げて、斬りつけてくる。

「負けるつもりなんてないわ……」

 リリーはなんとか自分の剣を持ち上げて、刃を押しとどめる。

 この程度で敗北する気は毛頭ない。まだ魔力の余力はあるし、少しすればまたすぐに動ける。だが、マリウスの方が危うい。

 すでに味方がずいぶんやられてマリウス自身の魔力も枯渇しているかに見える。

「人のことを気にしていられるだけの余裕はあるらしいな……」

 フリーダがリリーに切っ先を向け、ゲオルギー将軍がさらにマリウスに止めをささんと刀身に雷を纏わせる。

 その時に鐘を地に叩きつけるような音がぐわーんと響いて、足下が大きく揺れる。

 ハイゼンベルク側の門前では、取り乱した悲鳴が上がっていた。

 門がついに破られたのだ。

 白の『杖』達が倒れてきた鉄の格子を止めるべく行動するが、格子の隙間から打ち込まれた無数の火球に薙ぎ倒される。

 地面からつっかえになる岩がどうにかできたものの、雷で崩されて門近くにいた大多数の白の魔道士が鉄格子に押し潰される。

 断末魔があたりに響き、もうもうと土煙が立って視界がきかなくなる。

 血の臭いがやたら鼻につく。

「形勢逆転、というわけか」

 そして土煙が魔術の風に吹き飛ばされると、大勢の黒の魔道士が攻め入ってくる姿があった。

「だけど、もうなんの邪魔も入りませんよ」

 痺れがやっととれたリリーは体勢を立て直して、フリーダと向き合う。

「それはいいことだな」

 味方陣営の損害などまるで気にしていない様子で、フリーダが笑った。

 黒と白が入り乱れる。

 戦はまだ、始まったばかりだった。

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