岩山の間の道を塞ぐようにしてゼランシア砦は建っている。正確に言えば南北に連なるひとつの岩山を穿って道を作り、周りを城の形に削り整えてあるのだ。グリザドが島を統治する以前から存在する、皇国最古の砦とも言われている。

 皇都ベルシガは島の北東にあり、ゼランシア砦は島のほぼ真北に位置する。北側から陸路で皇都へ向かうにはこの砦を通過するしかない。

 ハイゼンベルクとディックハウトの境界に位置しているゼランシア砦は、ハイゼンベルクにとって是が非でも味方に留めておきたい要所だった。

「フリーダ、貴女も本当に出るのか」

 砦の一室で真新しい白いローブに己の血を垂らしていたフリーダは、男の声に顔を上げる。小麦色の髪と目をした青年は、二十八になる夫フランツである。彼はゼランシア砦を居城とするマールベック伯爵の嫡男になる。

 すでにフランツはローブを纏っていた。誠実という言葉が似合う細面の彼には、真白いローブがぴったりだ。

「……これでローブは三着目です。全て使い切るぐらいには前線に立てればと思うのですが」

 白いローブはディックハウトの証。その穢れない色とは裏腹に、フリーダにとっては生家への背信の色だ。

 ローブの裏地の襟首、手首にちょうどあたる部分、背中の心臓の真裏にあたる位置に表のやはり心臓に触れる位置。そこに赤い血を落とし、自分と紐付けしてローブを魔術攻撃を防ぐ防具へと替えていく。

「貴女は戦場へ死にに行くつもりか」

 フランツがそれほどまでに自分との婚姻が嫌だったのかと、暗に問うていた。

「……夫殿よりも戦が好きというだけです」

 すぐ側の壁に掛けてある双剣はまだ真新しい。剣もローブも嫁ぐときに置いてきてしまった。

 戦場が好きだった。

 強い者が生きて、弱い者が死んでいく。ただそれだけの単純な場所だ。自分が初めて知った自由だった。

 何をするにも父の言うことが絶対だった。口答えはするな。父親の言うことは常に肯定だけする。寝起きの時間、食事の時間は元より一日になすことの全ての時間を父は決めていた。ほんの少し街を見に出掛けるのにすら、理由を細かく問われ時間を細々と決める。

 そんな窮屈な毎日は十一の時に二番目の兄が戦死して変わった。

 軍でもそれなりの地位を欲しがっていた父は、今までろくに剣の稽古をしたこともなかった自分を士官学校に入れた。

 幸い従順に夫に従うための教育を受けながら屋敷で一日中いるより、剣の方がよほど性に合っていた。

 しかし父はまたすぐに考えを変えて自分を嫁がせた。嫁いでからは常に監視する目があって、またわずらわしい毎日が続いた。

 離叛を食い止める手立ても講じず、内通もしなかったのはほんの意趣返しだ。

「……ハイゼンベルクの獣に仕えていた者はやはり獣か」

 蔑む夫の言葉に、フリーダは笑う。

「私は獣にはなれませんでした。よいでしょう、私には人質としての価値もないのですから。だから義父上は剣とローブを用意して下さった」

 ハイゼンベルク側にとっても、ディックハウト側にとっても交渉の道具にならない自分は捨て駒の兵としての価値しかない。

「『味方』が誰か間違わなないように気をつけることだ」

 フランツが言葉を投げ捨てて出て行く。

 夫との関係は元よりただの政略のための縁であって、乾ききったものだ。ここ半年は寝所すら別だった。

「……私にとって戦場はただの逃げ場だ」

 窮屈で退屈な日常から解放される場所が戦場だった。剣を振るっている間だけは誰にも縛られない。

「だから、君が妬ましかったんだ」

 紛れもなく戦場を自らの居場所として、誰にも縛られないみっつ年下の少女の姿を思い出す。

「リリー、また君と会える」

 会って、今度は本気で剣を交えてみるのが楽しみでしかたない。

 みっつも年下の少女に会いたくてうずうずとしている自分が滑稽で、フリーダはひとり喉を鳴らした。


***


「すごい数よね。これだけの魔道士みが集まるのは初めて見たわ」

 石造りのモルドラ砦の三階にある張り出し歩廊の開け放たれた鎧戸から、リリーは前庭に集う人々を見る。

 ゼランシア砦のハイゼンベルク側に広がる広大な牧草地帯を挟んで、ちょうど真向かいに建つモルドラ砦には現在二万数千の兵がひしめいていた。ゼランシア砦に並ぶ重要拠点であるモルドラ砦は地上三階、地下一階に加え前後に広場と巨大だ。

「寄せ集めだけどな。使い物になるのがいったいどれだけいるんだか。子供だって結構いる」

 リリーの右隣にいるクラウスがほら、と十五歳未満の魔道士の集まりを指差す。

 入隊の下限の年齢は成人の十五から、十三に引き下げられている。ここ一年近くで成人に満たない魔道士も増えた。兵の少なさを補うためだ。

「……こけ脅し」

 左隣でいるバルドが短く返す通り、まずは数で威圧するのが目的だった。

「ここにいる全員投入することになったら、終わりよね。向こうがどれだけ出してくるかよねえ。伯爵の私兵が二千ちょっとでしょ。ディックハウト側はどれだけ出してくるのかしら」

 ゼランシア砦に対しては補給路を断つという策がとれない。領民が暮らす街はディックハウト側にあり、こちらから回り込むのは不可能だ。

 最大の目的はディックハウトの兵を大量に誘き出すためだった。

 ディックハウト方も大軍を引き寄せてこれが最後の決戦とする意志もあった。

 もう両者とも五十年近くに渡る戦で疲弊しきっている。

 決着をどちらも急いでいるのだ。

「俺に聞かれたって知らないからな。ディックハウトが躍起になって出てきたところをバルドが、一気に討つんだろ。向こうも『剣』の社で一回やられてるし、それなりに考えて小出しにしてくるだろうなあ。これだけ数揃えてるのは、その対策も兼ねてるんだし」

 いくらバルドの持つ神器の力が強大とはいえ、扱うのはしょせんひとりの魔道士である。

 魔力は体力と同じく減るもので、特に神器は魔力の消耗が大きいらしくそう長く前線で戦えない。魔力が枯渇すれば、やはり魔力を糧とするローブはただの布きれになってそこを叩かれたら終わりだ。

「結局の所消耗戦よね。できるだけお互いの兵力削りたいだけ。ディックハウトもこっちと同じぐらい出してくれたら楽しめそう」

「同意」

 リリーとバルドは遠くにかろうじて目視できるゼランシア砦を眺めて、期待に胸を膨らませる。

「お前ら、そういうとこだけはちっとも変わらないな。向こうはフリーダさん、出してくるかな」

「自分から出てくるんじゃない? 向こうについたんでしょ、あの人」

 戦場を好む人だった記憶している。

 ただ、自分やバルドと違って戦闘自体を楽しんでいるという雰囲気ではなかった。似ているようで、まったく正反対な気がするのだ。

 それにまたどこかで戦おうとフリーダは言っていた。彼女と本気で剣を交える機会は巡ってくるだろう。 

「交渉に出た兄を激怒させたって話だしな。戦力になるなら使うんじゃないか」

 クラウスが言うには、離叛表明のあとすぐにフリーダの実兄がゼランシア砦に使節として派遣されたそうだ。その場にフリーダもいたもののまるで仲介をする気もなく、話し合うどころか兄を怒らせ追い返したらしい。

「そうだったの」

 使節が派遣されたことすら知らなかったリリーは、バルドを見上げる。何も教えて貰っていないことを責めるのではなく、ただそういうこともあったのかという純粋な驚きがあった。

「内密に。失敗は公表せず」

「裏でいろいろやってるのね……それにしたって、暑いわね。もうちょっと涼しいかと思ったんだけど」

 ここ二日ほどあまり風がなく暑い。

「こういう時向こうの白いローブが羨ましいよな。なんでハイゼンベルクは黒にしたんだか」

「そういえば、なんで黒なの?」

 バルドなら知っているかもしれないとリリーとクラウスは、続けて問う。

「…………不明」

 しかしながらバルドにも分からないらしく、これは謎のままで終わりそうだ。

「まあ、夜襲には役に立つわよね。ああ、もう退屈だわ……段取りなんて飛ばして攻め込めばいいのに」

 現在、マールベックに最後通告を出したところだ。明日の正午までに降伏し砦を明け渡さねば、攻め入ると書状を送りつけてある。

 すなわち、その期限が開戦の時刻であり、現在は兵の休養と隊列の確認などの最終調整を行っている最中だ。それもあらかた終わって、休息の後将軍に補佐官と統率官、各部隊長による軍議を行うことになっている。

 開戦前なので下手に体力魔力を消耗するわけにもいかず、リリーは退屈しきっていた。

「……最初は炎軍が出るっていうの忘れてないよな」

 クラウスの指摘に、リリーは楽しみに水を差されて唇を尖らせた。

「どうせ、最後にバルドが出ることになってるんだからいいじゃない。そう簡単に片がつく戦でもないでしょ」

 ディックハウトもこの戦で勝てば、一気に皇都に攻め込める。きっとここぞとばかりに向こうも大軍を用意するだろう。

 戦い慣れていない魔道士はこの砦の防衛に、残りは遅かれ早かれ全員前に出て行くことになる。

 終わりが近いのに、まだまるで実感がない。

(戦が終わる……)

 その先に一体が何があるというのか。自分の目で見てみたいとは思えなかった。

 リリーは羊や山羊たちが草を食む静かな光景に目を細める。

 明日にはあの場が戦場になるが、戦が終わればずっとこの光景が続いていくのだろうか。

 剣を持ってローブを纏っていても、小さな諍いを治めたり残党狩りをしたりと自警のためのものに魔道士はなる。剣を振るうこともほとんどないだろう。

 そうして。

(バルドがいない……)

 戦の終わりはバルドの死を意味する。

 どくんと心臓が大きく鼓動を打ってそうして息が詰まる。やはり今でもバルドがいなくなることを自分はどうしようもなく恐れている。

(でも、どう考えてもあたしの方が先に逝くのよね)

 どれぐらいの間、バルドはひとりきりになってしまうのかと考えながらリリーはちらりとバルドを見る。

 その時にヴィオラが呼んでいると報告がある。

「あたしと将軍だけ? じゃあ、行ってくるわ」

 どうやらまだ軍議を始めるわけでもないらしく、クラウスはまだ待機となりそうだった。

「ああ。じゃあ、まだ俺は暇を持て余してる」

 クラウスに言うのに、リリーはうなずいてバルドとヴィオラの元へと赴く。

 あの夜会の後から三人ともこれといって変わっていなかった。時間を半端に持て余すと気付いたら三人一緒でいることもあれば、クラウスはどこかへ行っていてと本当に変わらない。

 バルドとも変わらない。

 何も知らずに互いにじゃれ合っていた頃に戻った気さえするぐらいにだ。

 バルドと自分は、特に何も考えずに口づけを交わして、クラウスも仕事を放り出してどこかへ行ってしまったり退屈しのぎに自分とバルドの所へきて、三人でどうでもいいことを喋って時間を潰したり。

 そんな過去が恋しいというわけでもなかった。

 所詮今は今で、過去は過去だ。どちらがいいわけでも悪いわけでもない。

 だけど何もかも変わってしまったのに、自分はバルドとまだ一緒にいるのだ。

(そんなに長い間バルドがひとりになることもなさそうかしら)

 すとんと自分の中でこの先、どんな形だろうとバルドとは一緒なのだろうと疑問の答が落ちてきた。

 とにかく戦場で好きに戦っていればいいのだ。

 リリーは何も考え込むことはないのだと、これから待ち受ける戦のことだけに想いを馳せることにしたのだった。


***


 ひとりになったクラウスは、自分も砦を見て回るべく軍議の行われている部屋周辺をうろつき始める。

(……相変わらずバルドばっかり見てるな)

 リリーが鎧戸の向こうの景色に何を見ていたかは知らないが、少なくとも自分のことは考えていなさそうなのは、彼女の視線がバルドへ向いたことで分かった。

(エレンがとりあえあず協力はしてくれるみたいだけどなあ……)

 手紙の返事が来たのは出立の前日のことだった。近いうちに皇都にくるという趣旨の内容だった。

(仔猫の親は縄張りを仕切っていた猫だった、か)

 リリーが皇族の血統であるということらしかった。以前、リリーから両親も祖父母も代々血の繋がった兄弟同士で血を繋いできたと聞いた。

(とんでもなく濃い皇族の血だよな。ハイゼンベルクとディックハウトのどっちよりも正統性が主張できるな)

 慎重になって皇家派が隠す理由も、ラインハルトが本気で消そうとした理由もこれで納得がいく。ただし、なぜそんな皇族の末裔が捨て子になっていたのか、そもそもそこまでして血を濃くしていた皇族の存在が今の今まで確認されていなかったことも不可解だ。

 エレンが直接皇都にくるのも、おそらくそこにある。より重大な情報はまだ自分自身で握っておくつもりだろう。

(……場合によっては、うかつにリリーをディックハウトに連れて行けないか。でも、俺がちゃんとしてればな)

 どんな厄介な真実があろうと上手く隠し通せば大丈夫なはずだ。そのためにはしっかりと情報を得ておかなければならない。

 本来なら、リリーから直接教えてもらえるのが一番だが。

「まさか真面目に求婚する日がくるなんてな……」

 クラウスはつぶやいて、自嘲する。

 結婚は周りが勝手に決めることだと思っていたし、ずっと一緒にいて欲しい相手が見つかるとも思ってもいなかった。

 次は古着のドレスなどではなく婚礼衣装一式を贈りたいと思っていると知ったら、リリーはどんな顔をするだろう。

 求婚したときの戸惑った顔を思い出して、クラウスは苦笑した。

 バルドからどうやって引き離すかという最大の問題も解決していないうちに、気が早すぎる。

「フォーベック統率官、あまり勝手にうろつくのはおやめください」

 ふらふらとしていると声をかけてきたのは、炎将補佐官のマリウスだった。てっきりヴィオラと一緒にいるものだと思っていたクラウスは目を瞬かせる。

「ヴィオラさんにくっついてなくていいのか」

「今から行くところです。あなたはすべきことがないのなら、部屋で大人しく軍議が始まるのをお待ち下さい」

「はいはい、分かりました」

 ヴィオラと正反対に真面目で普段は口数の少ないマリウスは、エレンと並べた方が兄弟らしく見えると内心で思いつつ、クラウスはあてがわれている部屋の方へ足を向ける。

「……フォーベック統率官、少しでも妙な動きがあれば手加減はしませんので、覚えていてください」

「俺に目を光らせるのはいいけどな、ここには他にも魔道士が山ほどいるんだ。その全員がバルドに忠誠を誓ってるなんて、お気楽なこと考えてるわけじゃないだろ。戦況によっては簡単に寝返る。一年前に俺と同じ立場にいたフリーダさんだって、今は向こう側だ。マリウスはどうするんだ。ハイゼンベルクと心中するのか」

「我がジルベール家はハイゼンベルクこそ正統とし、曾祖父の代から戦い続けているのです。その信念は変わりません」

 珍しい軍人一家の次期当主であるマリウスは、曇りのない眼で主張する。あまりにも真っ直ぐすぎて、打算などというものはなさそうだった。

 リリーを養女に迎えて宰相家の後釜を狙っていた父親のジルベール侯爵が、マリウスではなくヴィオラを将としたのもうなずける。

 まだ二十と年若いのもあるが、名誉の為に死ぬことを厭わなそうなマリウスを将にしておくのは、少々危ういものがある。

「そっか。でも、マリウスみたいな奴はこの砦に半分もいないことは覚えておけよ」

「あななたのようにですか」

「そういうことだ。みんな自分のために戦ってるんだ。マリウスだって、バルドじゃなくて曾爺様からの意地を貫きとおしたいだけだろ」

 そう言うとマリウスの表情が険しくなる。

「自分はバルド殿下のことを敬服しております。あなたのように自分さえよければいい人間とは違います。では、あまり姉ひとりで殿下のお相手をさせるわけにもいきませんので失礼します」

 ひどく憤って廊下の奥へ消えていくマリウスに、少し虐めすぎたかとクラウスは小さく笑う。

「……本当に、寝返る気のあるやつらばっかりなんだよ」

 そうしてクラウスは誰もいない廊下で小さくもらす。

 かき集めるだけかき集めた兵の中に、いったいどれだけ手柄をあげて大手を振ってディックハウトへ寝返ろうと目論んでいる者がいることか。

 実際、ディックハウト寄りである者が紛れ込んでいるのも複数見つけている。

 数を揃えたことが裏目に出るかもしれないとバルドは考えているのどうかは知らないが、けして無能ではないのだからそれぐらいは分かっているはずだ。

 バルドも戦そのものに勝つことは考えていないだろう。

 ただ戦って終わることを望んでいる。

 リリーと共に。

 けしてそんなことはさせるするつもりはないが。

(俺は俺の護りたいものを手に入れるためだけに戦う……)

 クラウスは決意を胸の内で確認して、自室へと戻った。


***


 翌日の正午。昨日と打って変わって風の強い日となった。空には綿屑のような雲が流れている。

 牧草地帯に家畜はなくその代わりディックハウの家紋を縫い取った旗と、マールベック家の家紋を縫い取った旗がゼランシア砦前に閃き、旗の下には二千ほどの白いローブを纏った魔道士達の兵団があった。

 最前列の中央には、フリーダとその夫のフランツが騎乗している。

 それに向かい会う形で騎乗した炎軍の将ヴィオラと補佐官のマリウスが、黒いローブを纏った三千の魔道士を背後に置いていた。

「我がマールベック家はディックハウト家を真の皇主様と崇める。簒奪者のハイゼンベルクの雷獣にはけして屈せぬ!!」

 フランツが高らかに宣言して鉄の杖の先をヴィオラに向ける。

「降伏しないならば討ち取るまで、魔道士達よ、雷皇のため反逆者を滅せよ!!」

 ヴィオラが腰のレイピアを突きつけて、両軍の将の背後にいた『剣』の魔道士達が一斉に前進し始める。

 ハイゼンベルク方は前に五十の『剣』中央に五人の『杖』を置く隊列を複数組とっている。整然として統率が取れたいくつもの隊が、攻撃守備を的確に行い隊列は乱れない。

「あら、フリーダは下がらないのね」

 後ろへ下がって戦況を見渡し指揮を取る役目のヴィオラは、同じく後ろに下がるかと思ったフリーダが馬を降りてそのまま戦闘に加わるのを見て微笑む。

 こちらの戦意を削ごうというのか、それとも自棄になっているのか。

「向こうは攻めの一手でくるようですね」

 隣のマリウスが真剣な顔で戦況を見据える。

 フリーダの指揮の下、横一列に隊列をとった白の『剣』が次々と攻めかかってきている。

 『杖』は後方で頭上からの攻撃を防ぐのに徹しているらしい。

 空に炎と雷が踊り狂い、水流が縦横無尽に駆け巡り、泥壁や岩壁が突然地面から湧き出て、穏やかな牧草地帯は混沌とした戦場へ一瞬で変わる。

 その中でも両者隊列を大きく乱すことなく、魔術攻撃をぶつけ合い接近すれば斬り結ぶ。

 轟く雷鳴や炎の唸り、打ち砕かれる岩や泥の崩壊する音の隙間に、魔道士達の上げる己を鼓舞する雄叫びや隊列を指揮する声、苦悶の声が途切れ途切れに入り混じる。

 照りつける陽の下、兵達の熱気も火を吹かんばかりの勢いだ。

「……さすがに、フリーダは分かってますわねえ」

 敵中央にいるフリーダの細身の双剣から放たれる雷撃と水流は、陣形を崩さんと僅かな隙を突いてきていた。

 元はハイゼンベルク側で戦の様子を見てきたフリーダだ。こちらの戦略の癖を知り尽くしているのは当然である。

「でもそう簡単には崩させませんわよ。全軍、第二陣形!!」 

 乱れかけたていた黒の隊列が二手に分かれる。

 前列に『剣』の両脇に『杖』が配置する隊列がふたつ作られ、左右から敵陣に向けて『杖』が土壁を敵陣の中に築いて敵隊列をいくつかに分断する。

「壁に惑わされるな! 敵だけを見ろ!!」

 フリーダが声を上げるが、すでに分離された白幾人かが壁に気を取られて負傷していた。

「……さほどの兵力は動員していないようですね」

 マリウスがこの程度で動揺する敵兵の動きを見ながら、思案顔になる。

 兵力は対雷皇にまだ温存しているらしい。

「様子見と、フリーダの裏切りを見せたいってところですわねえ。マリウスは右へ回って。わたくしはフリーダとお話、してきますわ」

 ヴィオラは近くにいる『玉』の魔道士に馬を任せて、悠然と踵の高い軍靴で戦場を闊歩する。

 将であるヴィオラががひとりくるのを見つけた白の魔道士が、炎の渦を仕掛けてくる。

「あらあ、わたくしに炎を向けるなんてなんて身の程知らずなのかしら」

 炎の魔術に長けるヴィオラは鞘から抜いたレイピアから敵よりも巨大な紅蓮の炎の渦を造り出し、敵兵の炎の渦を蹴散らしてそのまま群れている敵集団に打ち込む。

 敵方も泥壁を築いて防ごうとするが、勢いを半分も殺せずに壁を砕かれて炎を浴びる。

 将軍の圧倒的な力に、敵兵は一気に怯む。

「退避! 杖は防御を固めろ!!」

 どうやら壁のせいでヴィオラの接近に気付いていなかったらしきフリーダの指示に従い、白の魔道士達が退く。

 右手側ではマリウスが青い炎の礫を降らし、退避すら許さない猛攻を加えている。

「フリーダ、久しぶりですわねえ。あなた黒よりも白が似合いますわ」

 ヴィオラは双剣を構えるフリーダの正面に位置取り、自分はまるで攻撃の態勢を取らずに微笑みかける。

「ヴィオラ殿もお変わりないようだ。将軍相手は荷が重いな」

 一分の隙も見せずにフリーダが自嘲する。

「あら、それなら降伏すればよろしいのに」

「どちらにしろ、死ぬことになるなら戦った方がましだ……リリー・アクスはまだでてこないのかい」

 お互い一定の距離を空けたまま動かずに、睨み合う。

「リリーちゃんは皇主様の補佐官ですもの。ふふ、やっぱりフリーダもあの子がお気に入りだったのねえ」

 兵達の面倒はよく見ていたフリーダだが、特にリリーのことは気にかけていたとヴィオラは思い出す。

「どうだろうね、もう一度戦ってみたいというだけだな……」

 一瞬、フリーダの視線が逸らされる。

 すでに他の白の魔道士は砦へと退いている。

「それなら、見逃してさしあげてもいいかしら」

 ヴィオラが言葉と裏腹にレイピアの切っ先を向けると、自分の目前に見るからに頑健そうな岩壁が立ち塞がる。

「フリーダ、退け!!」

 フランツがそう命じるのが聞こえて、ヴィオラはレイピアを下ろす。岩壁が消える頃には、フリーダの姿はすでに遠かった。

「素敵な旦那様だこと。……敵軍退陣! こちらも退きますわよ!」

 ヴィオラの命に応じて、黒の魔道士達も一旦後退する。砦に何を仕込んでいるかも分からないので、深追いしすぎてもよくはない。

 敵が退却したものの、将の首は上げられずいまひとつおさまりの悪いがひとまずは勝利だった。

 そんな戦果なのでハイゼンベルク方の魔道士は、勝利の喜びに浸れてはいなかった。

 ほんの小手調べでしかないのだ。

「姉上、フリーダだけでも討ち取っておかなくてよかったのですか。裏切り者には徹底した制裁が必要では」

 ヴィオラの元に戻ってきたマリウスは少々不満げだった。

 フリーダと同い年のマリウスは彼女と士官学校で同期だった。さして親しい間柄でもなかったが、バルドが将を務める雷軍で三番手に位置しながらの離叛に憤りを感じているらしかった。

「まあ、そうですけれどもう少しぐらいは生かしてさしあげてもよいでしょう。ふふ、向こうもこちらが手を下さなかったのか、下せなかったのか分からないのも気持ち悪いでしょうし」

 フリーダを中心に置きながらも、統率が出来上がっていないのはうっすら透けて見えていた。

 向こうでのフリーダの立ち位置はまだしっかりしたものでもないだろう。

「さあ、少し様子見をしてわたくしたちも一旦砦まで退きましょうか」

 そうして、一度退いたディックハウト軍が出てくることもなくこの日の戦いは終わったのだった。

 

***


「結局、出番なしか」

 モルドラ砦の歩廊で戦場を眺めながら待機していたリリーは、応援要請もなくヴィオラ達が引き返してきたのを見ながら唇を尖らせる。

「敵も様子見」

 傍らにいるバルドもつまらなさそうに応えながら、ふたりで階下へヴィオラを出迎えに行く。

 バルドが現れると前庭にいた魔道士達が一斉に膝をつく。数千の魔道士がそんな中でひとりで立っているのも居心地が悪いので、リリーもバルドが止まると彼の半歩後ろで膝をつく。

「報告」

 バルドに声をかけられて、ヴィオラが顔を上げて死者三名重傷六名に軽傷八十四名と死傷者の数と戦況を報告する。敵軍は八名の死者に負傷者もそこそこといったところらしい。

 その中でフリーダが前線に出てきたことも告げられる。

(いきなり前に出てきたんだ……)

 フリーダは戦場を好むとはいえ、戦闘そのものを好むとは少し違って指揮を取るべき立場なら特に不平不満を漏らすことなく与えられた役目をこなす。今回はこちらの動揺を誘うために前に出されたのだろうか。

「大義。戦死者の弔い」

 ねぎらいをかけてバルドが運び込まれている遺骸へ目を向ける。全員貴族の出ということで、これから棺に入れられ皇都に送り返される。貴族以外の兵や損傷が激しい場合はそのまま火葬されるのだ。

 これもまともに回収できる時だけだ。大敗すれば連れて帰ることもできず、敵に焼き払われてしまう。

「フリーダはリリーちゃんと戦いたがってましたわよ」

 それぞれが移動する中で、リリーはヴィオラに声をかけられる。

「そう言ってたんですか」

 また戦おうと最後に会った日のフリーダの背中が脳裏に浮かぶ。

 フリーダが自分と剣を合わせたのは、同じ双剣使いで歳が近いからなのか短い間でも一緒に過ごしてきたからなのかよく分からない。

 あまり他人に関心を持つこともないが、近くもなく遠くもない距離にいたフリーダは心に引っかかる人だった。自分は一体彼女にとってどういう位置付けなのだろう

「ええ。リリーちゃんのことを訊いてきましたわ。ずいぶん気に入られてましたのね」

「……そんなに好かれてもいなかったと思います」

 他の魔道士達に対するよりも好意的だったという記憶もないので、リリーはヴィオラの言うことに違和感を覚える。

「ふふ。お気に入りはなにも好意だけとはわかりませんわよ。わたくしは好意しかありませんけれどっ」

「――っ!!」

 完全に油断していたリリーは急にヴィオラに抱きすくめられてもがく。人に触られるのが苦手なので、鳥肌まで立っていた。

「姉上」

 マリウスがヴィオラのフードを思い切り引っ張って引きはがしてくれて、すぐにリリーは距離を置く。

「うう。本当に、あの人これだからやだ」

「……油断大敵」

 逃げた先にいた同じく人に触られるのが苦手なバルドが、慰めるように頭を撫でてくる。

「今後一切、炎将の前で油断しないように気をつけるわ……そういえば、クラウスどこ行ったのかしら。炎将の出陣する前にはいたけど、見かけないわね」

 リリーは様子ぐらいは見に来ていそうなクラウスの姿が見えないことに首を傾げる。広い砦なので顔を合わさないのは、まるきり不自然というわけでもないが。

「出奔、時期尚早」

「そうよね、部屋でひとりで大人しくしてるのかしら。軍議になったら出てくるわよね」

 まだ戦が始まったばかりで逃げ出すには早過ぎる。部屋で寝ているのか、砦の中でこそこそと出奔の仕度をしているかのどちらかだろう。

「……行かないわよ。ちょっと気になっただけ」

 バルドの不安そうな視線に気づいてリリーはこっそり彼の手を握る。

「明後日四千投入。最大一万」

 納得したのか手を握り返しながらバルドが話題を次の戦の策へと変える。

「あたしらも出られるわね」

「リーは。混合編成」

「その数だから炎軍と雷軍両方は当然として。指揮は炎将になるのよね。入れてもらえるならいいわ。砦はそう簡単に壊せないっていだろうし、壊すのは駄目だったわね」

 軍議で完全にゼランシア砦を崩壊させて北側の道を塞ぐという案も出ていた。しかし、後々の交通の不便さに加え、近辺の民の不平を大き買うことは必須でそう容易に破壊はできない。

 本当に追い込まれたときの手段だ。

 それに軍を投入したとしても頑丈な岩の砦の破砕も容易ではなく、また破砕するにも近づかねばならずこちらも大きな被害を被ることになる。

「攻め入るより他なし」

「城門がそう簡単に開きはしないわよねあっちがどれだけ兵力抱えてるかね。一万はあの砦内に配備できるんでしょ」

「未知数」

 まだ相手がどれだけ出してくるかは、はっきりとは予測はついていないのだ。これまでに集めた情報によれば、ディックハウトの抱える魔道士は六万余り。皇都としている玉の社には八千の兵が常時待機していて、今回のゼランシア砦防衛に三万はつぎ込むということらしい。

 今回ゼランシア砦常駐の兵と同じ数だけ出してきたということは、その数を上回る多くの兵がディックハウト側からすでに回され待機しているということだろう。

 あくまで予測であって、正確な所ではない。

 対するハイゼンベルクは八万の兵を抱えているわけだが、このうちどれだけが離叛を目論んでいるかが不明だ。ディックハウト側に領土が接している半数近くが寝返るのではと、危ぶまれている。

 ハイゼンベルクの兵は実質五万しかないかもしれないとも見ているらしい。あまりにも裏切りの芽が多すぎて、もはや打開策もまともに打ち出せていないという惨状だ。

「片をつけられるなら一気につけたいわよね……」

 もういっそ両軍共、総力でぶつかれば早いだろうに。

 そこまでやれるほどの戦場もないのだが。しかしここで寝返りを目論んでいる黒が白にっひっくりかえれば、皇都死守すら難しくなる。

 終わりは本当にすぐ側まできている。

「……終戦」

 バルドが手を握る力をまた強めてくるのに、リリーは身を寄せる。

「あのね、あたしの方がたぶん、先に逝くと思うの」

 自分の胸に収めていたことをリリーは口にする。

 バルドが足を止めて深い紫の瞳を細めて、見下ろしてくる。うっすらと彼は彼で想像していたことなのだろう。

 哀しみや不安よりも、実際に言葉として突きつけられたことに傷ついた風に見えた。

「俺が、先がいい」

 駄々をこねるようにバルドが言う。

「バルドから離れた場所にいたら、そういうこともあるかもしれないわね。でも、ずっとあたしは将軍補佐でしょ。だったら将より後に死ぬなんてないわ。……先に逝くけどちょっとだけよ。ほんのちょっとだけ。負けるところ見られるのは、どうなのかしら」

 出来れば本当に最期の最期に、バルドへの敵の刃が届く直前に自分が討たれるのがいい。

 だけれどどうなのだろう。

 バルドは自分が討たれる瞬間、どんな思いで見るのだろう。逆の立場なら自分はどんな気持ちになるのか。

 戦い抜いた果てに終わるなら、バルドらしい最期だと穏やかに見守れるのかもしれないし、自分でも想像がつかないほどの絶望感に苛まれて気が狂いそうなほどに泣き叫ぶのかもしれない。

 バルドがいなくなったらという時の不安感や胸の苦しさは分かるけれど、いざその瞬間を見る時というのは想像するのが難しかった。

 バルドも同じことを考えているのか、黙ったままで返答はない。

「……そういえば、死んだらあたしの心臓どうなるのかしら」

 リリーは沈黙が居心地悪く、再び歩き出して小声で話題を変える。

「神器消滅」

 まだ先程の会話を引きずっているらしいバルドが重たい口調で言う。

「神器じゃなくなるって爺様も言ってたわよね。ないと困るのってどうしてかしらね。灰色の魔道士も全然見かけなくなったし、どこ行っちゃったのかしら」

 唯一、全てを知っていそうな灰色の魔道士の噂はまったく入って来ていない。

「……ディックハウト側」

「そうなったら接触のしようがなくなるわね」

 神器に興味があるらしいので、確かに玉の社があディックハウトの皇都をうろついているのも十分ありそうだ。

「神器、なくなればいい」

 そう言うバルドは苛立たしげだった。

「あたしも、できるなら自分の心臓が欲しいわ」

 この胸で動き続けるのは皇祖の心臓。いまだにその気色悪さはぬぐえない。

「……リー」

 いつの間にかバルドの私室まできていて、彼が部屋へと誘ってくる。

(やっぱり変に不安にさせちゃったかな)

 バルドに自分が先に逝くことを告げてしまったのは、あまりよくなかったのかもしれない。

 しかしあの瞬間口にしておいた方がいい気がしてしまったのだ。

 先に逝ってしまうけれど、戦場以外に自分の行くところはないのだと告げたかったのかもしれない。

 そうして部屋に入ると、いつものように長椅子の上でバルドに抱きしめられて軍議までの時間を潰すことになった。

 言葉は交わさずに、バルドはずっと静かにリリーを抱きしめていた。

(暑い……)

 真夏にこうやって密着するのは、正直うだるい。だけれどもこの暑さはほどよく思考を麻痺させてくれて、ひどく心地よくさえ感じた。


***


 ディックハウトの皇都は島の南西部にある『玉』の社の建つ場所にある。

 箱型の石造りの社を囲う形で石造りの城が築城されていた。青みがかった白い石組の城は尖塔を幾つも持ち壮麗ではあるが、どことなくもの悲しい風情だった。

 その城の広い謁見室の玉座には、まだ十になったばかりの幼い皇主、アウレールが座する。

 アウレールは淡い青色の瞳を落ち着きなく周囲に向けながら、玉座の傍らで敷布に座る自分と同じ栗毛をした女性、母のロスヴィータに目線で咎められる。

 ここに座るのは退屈であるし、大人達が皆気難しい顔をするから苦手だった。

 そして何やら恐ろしい話ばかり聞かされるのだ。ハイゼンベルクの獣のような当主が、雷をあちこちに降らすという話は夜中に眠れなくなるほどだった。

 自分が戦うことはないとは知っているが、ここへ来たらと思うとただでさえ恐い雷がもっと恐くなった。

 しかし怯えてはいけない。自分が本当の皇主なのだからといつも母に叱られる。

「……灰色のローブを纏った魔道士というのは、敵なのか」

 そして今日は得体のしれない魔道士の話だった。

「分かりません。しかし、先ほども申し上げた通り、ハイゼンベルク方でも不審な魔道士とされているようですので少なくともハイゼンベルク方の魔道士ではないはずです」

 軍司令部の者にも結局敵か味方は分からないことらしい。

「どちらでもよろしいでしょう。たかがひとり。勇敢なるディックハウトの魔道士達にとっては塵芥も同然。皇主様がご案じなさることもありませんでしょう」

 ロスヴィータが言い放って周囲が次々と同意する。母の力強い言葉にアウレールも少し安心を覚えた。

「皇主様、それよりもマールベック伯のことです。ハイゼンベルクの獣に脅かされている今、こちらからもさらなる救援を出されるのでしょう」

 母が促して、アウレールは半日かけて覚えた台詞を頭の中でもう一度繰り返して、緊張を漲らせたまま口を開く。

「我が忠臣を救うべく、ゲオルギー将軍と皇都の魔道士一万、各領地より一万。合わせてを遣わす。将軍、こちらへ、まいれ」

 奥の方で膝をついている黒髪の青年へアウレールは声をかける。二十九になる雷将、リーヌス・ゲオルギーの右目の際から顎にかけて大きな傷は、戦とはかくも恐ろしいものだとまざまざと見せつけられているようで見慣れない。

 アウレールは玉座から降りて、すぐそばまできて再び深く頭を垂れるゲオルギー将軍の前に立つ。

 大柄な雷将は跪いてすら、アウレールにとっては巨大に見えた。

「そなたこそが、真の雷将なり。ハイゼンベルクの獣を討ち果たしてまいれ」

 内心びくびくとしながら告げると、さらに深々とゲオルギー将軍が頭を下げる。

「皇主様のお言葉に恥じぬ働きを見せ、ハイゼンベルクの獣の首を献上いたしてみせます」

「そなたの働き、おおいに期待する」

 ゲオルギー将軍にそう告げてアウレールは玉座に戻らず、退室するためにその後ろの扉へ足を向ける。

 右隣で立っている五十になる伯父の宰相はあいかわらず厳めしい顔でいるが、今日はそこに冷ややかさも加わっていてぞくりとした。

 アウレールが反射的に目を逸らした先、立ち上がって自分についてくる宰相の妹にあたるロスヴィータも何かを耐えるかのような顔をしていた。

(母上と伯父上がけんかをしていた)

 ふっと数日前に何か母と伯父が諍いをしているのを思い出して、胸がもやももやとする。

 アウレールはなんとなしに背中が気になって、退出する前に背後を振り返る。

 ゲオルギー将軍が顔を上げていた。

 彼はずっと自分を見ていた。深く暗い何かを湛えた彼の瞳は恐ろしいというより哀しいものだった。

 目が合うと、すぐにまたゲオルギー将軍は頭を下げた。

「参りましょう」

 扉が閉められて母が手を繋いでくる。いつもよりもその力は強く、しかし振りほどくのも躊躇われてアウレールは黙ってそのまま痛みに耐えた。


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