ディックハウト信奉者の粛正から三日。早々に反逆者の処分が下されている。あの暴動で百数十人が討死に。生き残った者や、暴動には参加しなかったものの正体が知れた者の大半は、己の過ちを認め真の皇統をハイゼンベルクと心を改めるならば投獄、そうでなければ処刑の二択が迫られた。

 しかし、どちらも選ばずに自決する者が相次いでいるのが現状だ。

「……ダミアンも自決、ね」

 リリーは上がってきた報告に無意識のうちに下唇を噛む。

 バシュ伯爵は、カルラについては自分の娘ではないと主張した。ダミアンはカルラに唆された愚息として勘当。ラインハルトはそれを受け入れて、伯爵家自体は降格処分だけとなった。

「それが狙いなんだろ。さあ何人生き残るかな」

 リリーの執務室で監視されながら仕事をしているクラウスが長椅子に横たわる。

「あんた、まだやることあるわよ。帰ってくるの、もうちょっと後にしとけばよかったわ……」

 表向きリリーは軍内での裏切り者をあぶり出し、敵勢に潜入する極秘任務についていたということとなった。

 帰ってきてまず安心した顔を見せたのは『玉』と『杖』の統率官だった。

 たった数日でもバルドとクラウスのおもりがよっぽど大変だったらしく、疲労困憊の様子だった。

 そして今後ともよろしくと、補佐官としての職務を山ほど手渡された。

「帰って来るのが遅くなれば遅くなるほど仕事は溜まってるとおもうけどな」

「ああ、そうね。あんたもまともに仕事してしないしね」

 やけくそ気味に返して、リリーは溜まった仕事の山にうんざりする。

 こういう机でじっとしている仕事は自分だって大嫌いだ。双剣を持って今すぐ演習場へバルドを引っ張って行きたい。

「リリーは公開処刑見に行く?」

 ディックハウト信奉者の幹部とされる者は、明日には皇都内を引き回された上に処刑される。

 勝利の後はひたすら血生臭い話題しかない。

「そんな悪趣味なもの見ないわよ。あんたは見に行かなきゃなんないんじゃないの?」

「まあ、家の縁者といえば縁者だからなあ。ええっと、父上の大叔母の従姉の孫娘が嫁いだ家だっけ……?」

 クラウスの遠すぎる縁戚である法務官の幹部が、神器の移送の話の他にもいくつも機密事項をディックハウトに流したらしい。

 カルラをラインハルトに紹介した人物は伏せられている。その人物はディックハウト側に知らぬうちに利用されていたもとラインハルトが判断したらしい。

(そこだけ変よね……)

 確かにカルラがバルドの婚約者候補になれたのはその人物のおかげだと言っていた。

 しかし、ラインハルトがそう簡単に騙されてくれるはずがない気もするのだが。

(本物の密偵かしら)

 ラインハルトが独自にディックハウト信奉者の中に送り込んでいる密偵だとしたら、いろいろ納得がいく。

 ラインハルトといい勝負の、とんだ食わせ物であることには違いない。

「結局、父上の顔に泥を塗っておきたいってことだよな。父上も兄上もバルドが神器を持ち出したこと知らないであたふたしてたよ」

 楽しそうにクラウスが笑って起き上がる。

「バルドも本格的に『雷皇』に近づいたな。皇都からもあの魔術はよく見えたらしいぞ」

 すでに皇都中にバルドが神器を振るったことが広まっている。狩り場の森一体を覆った激しい雷鳴は、皇都の家々を震えさせるほど響いていたらしい。

 そして神器を掲げたバルドが凱旋し、神器によって百人をひとりで粛正したと若干の虚飾と共に喧伝された。

 実際に間近で見た魔道士の言葉も広がり、あっという間に『雷皇』の名は戦場に出ない者にまで浸透していっている。

 皇都は今、まやかしの希望に浮き足立っていた。

「……皇太子殿下、自分が死んだ後どうするか考えてるのかしら」

 どれだけラインハルトが立て直そうと、彼の命は残り短いはずだ。後はバルドがラインハルトの傀儡から、宰相家の傀儡になるだけだ。

 自分が生きている間だけでも、ハイゼンベルクを存続させられたらいいのだろうか。

「自分が死んだ後なんて、どうなったって俺はいいけどなあ」

「まあ、そうよね。ほら、余計なおしゃべりしてないで手を動かす」

 リリーはクラウスがすっかり仕事からやる気をなくしているのにきづいてねめつける。

「はいはい、やるからそんなに睨むなよ」

 クラウスがやる気なさげに仕事を始めて、リリーはため息をつきつつ忙しない日常へと戻って行った。


***


「で、これが明日までで。こっちはそうね、急がないからあとで簡単に目を通しておくだけでいいわ」

 自分の執務室の長椅子に座っているバルドは、リリーがいつも通りにきびきびと職務を遂行するのを不思議な気持ちで見る。

 リリーがいなかった数日など幻だったのではないかと思う。

「バルド、眠いの? 寝るなら最低限これだけでも終わらせてからにしてよね」

 まったく返事をしていないと、怪訝そうにリリーが幾つか分けられた書類の小山を指差した。

「リー」

 名前を呼んでみる。

「何よ」

 困った顔で首を傾げる彼女はいつも通りだが、雨の中で泣いていた姿が被った。

 バルドはおもむろに隣にいるリリーの頬に手を伸べる。しかしさっと避けられてしまう。

「……髪以外は勝手に触っちゃ駄目って言ったでしょ」

 そしてリリーは唇を尖らせて、目元をほんのりと赤く染めるのだ。

 リリーは戻ってきてからはまた触れさせてくれなくなった。すでにカルラとの婚約話もなくなって、彼女に触れてはいけない理由はどこにもないはずだ。

 しかし抱き寄せてみたり頬や首に口づけようとしたりすると、なぜだか逃げてしまう。唇となると断固として拒否された。ついには髪以外は好きに触らせてくれなくなってしまった。

 勝手にしてはいけないなら事前に許可を求めても、いいとは言ってくれない。

 今だって、自分にもたれかかったりすることすらしない。

「リー、俺に触られるのは嫌になったか?」

「嫌じゃないの、嫌じゃないけどあたしだって、どうしていいか分かんないんだから聞かないでよ」

 リリーの目元の朱色はまたたくまに頬全体に広がっていく。

 まさしく熟れた果実に似ていてますます美味しそうに見えるのに、この仕打ちは酷すぎる気がした。

「……クラウスならいいのか?」

「ちょっと、なんでクラウスが出てくるのよ」

「夜会」

 リリーが戻って来たのにまだそのことは胸に引っかかっていた。

 彼女は駄目とは言わなかったのだと思うと、やはりまた苛々としてくる。リリーがクラウスとふたりきりと聞くと、落ち着かない気分にもなる。

「あ、あれはなんでもないの! もう触らせないから。バルド以外に触らせない」

 最初は勢いよかったものの、徐々に声を小さくしていったリリーが真っ赤な顔で縮こまる。

 とはいえ、自分も触らせてもらえないわけだが。

 ほんの少し手を伸ばせば触れられるのに、何もできなくて不満しかない。試しに、リリーの口元に手を持っていくが、食いつく気配はまるでない。

 不思議と自分もリリーに噛みつきたいという欲求はもうほとんどなかった。触れるなら唇や指先で優しくしたい。

「やり直し」

「何が?」

「最初から、リーが嫌がらないことを探さねばならない」

 この七年の間に、大丈夫だったものがほとんど駄目になってしまったのだ。また一からやり直さねばならないが、悪い気はしない。

「……うん。そうね。やり直し」

 リリーがバルドの太い腕を両腕で抱えて胸に抱き込む。そのまま腰を抱き寄せても嫌がらなかった。

「これはかまわない?」

「……どうしてもっていう時だけ、これはいいわ」

 バルドはなんだかよく分からない基準だと思いながらも、腕にすっぽりおさまる小さな体を抱きしめたままでいる。

 そしてふたりでしばらく静かに、新しいようで懐かしい触れ合い方を身に刻んで覚えていく。

「……ねえ、皇太子殿下にあたしのことで何か言われた?」

 ふと硬い声で問われて、バルドは目を瞬かせる。

 ラインハルトにリリーが戻ってくることや、今回の策にも途中で気付いていたことは話したが、戻って来たのなら仕方ないと受け入れてくれた。

 だから、翌日にはリリーが補佐官として職務を果たせることになったのだ。

(兄上は、喜んではいなかった)

 あまり受け入れたくはないという顔だったのは確かだ。自分にとって喜ばしいことを、兄が渋るのを見るのは辛い。

 だけれど、これから自分は兄の命だとしても伴侶を迎えることだけはしないのだろうと思う。

 リリー以外に触れたくはない。役目だろうとなんだろうと、嫌なものは嫌なのだ。

 バルドは無性にリリーの存在を感じたくて、抱きしめる力を強める。

 これがどうしても、というものかもしれないがまだ足らない。唇に触れたいけれど、それを言ったら抱きしめることもまた駄目と言われるかもしれない。

 そのうちまた大丈夫になるかもしれない。一からやり直していれば、また口づけてもよくなる日もいつかくるはずだ。

 もう離れることも、離すこともないのだから。


***


 夜の王宮に、リリーはひとり訪れていた。道案内をするのは、ラインハルトの侍女のエレンだ。

 ラインハルトが信頼し、重用する側近。内偵とは彼女ではないだろうかとも思ったが、彼女はひとりで歩くこともままならないラインハルトの側から離れられない。

 燭台に灯されて足下は明るい廊下を右へ左へと進んでいく。やがてひとつの部屋へとエレンがリリーを誘う。

 部屋に入ると紙とインクの匂いが鼻についた。どうやら書庫らしい。整列した書棚の奥には長卓や長椅子が置かれて、くつろげる広い空間があった。中庭に面した部屋らしく、壁一面が硝子張りで景色も楽しめるようになっている。

「こんな時間に呼び出してすまなかったね」

 月明かりと一本の蝋燭で照らされた場所に、ラインハルトがいた。

「皇太子殿下のご命令とあらば、従う以外はありませんので」

 口調は丁寧ながらも、リリーはその場で膝を折らなかった。

「君がここに残ることを選んでくれたことを感謝したいと思ってね」

「本当にそう思ってますか?」

 上辺だけの言葉にリリーは首を傾げる。

「そうだね、せっかくの逃げる機会を逃してしまったことは残念かな」

 婉曲な言い方にいい加減、我慢の限界だった。

「邪魔なら邪魔って、はっきり言えばいいのよ。こんな回りくどいして、わざわざ追い出したりしなくても」

 最低限の皇族への礼儀もかなぐり捨て、リリーは足音を響かせてラインハルトに歩み寄る。

「逃がすなんて言っときながら逃げたら逃げたで、始末する気だったでしょう」

 そして皇太子を上から切っ先を向けるように見下ろす。

 この男が離叛者を見逃すなどという甘い処遇をするはずがない。ディックハウト信奉者の大量粛正を見ていれば、ありえないことだ。

 あげくにラインハルトは自分を嫌っている。

「君は思っていたより賢いな。しかし、神器が贋物だと見破るとは想定外だった。あれは色をつけた硝子に皇族の血を混ぜ込んで作ったものなんだ。魔力を出すために他にも小細工をしているが、よくできていただろう」

「ディックハウトの信奉者が見抜けないぐらいにはね。本物の神器を見た後じゃ、あんなの子供だましにもならないわよ」

 ラインハルトは不敬を咎めることもなくむしろこの会話を楽しんでいるとすら見えて、リリーはなおさら苛立つ。

「そうだな。残念ながら私は見られなかったが、すさまじかったらしいね。期待した以上のものをもたらしてくれた。バルドは本当によくやってくれた」

 バルドではなく、自分自身の策略の成功に満足している口ぶりだった。

「あたしがいるとバルドを思い通りにできないと思ってる?」

 ラインハルトがここまでして自分を陥れたかった理由を訊ねると、彼は小馬鹿にした笑みを浮かべる。

「……あの子がいつまでたってもまっとうな人間になれないからだよ。獣同士で四六時中馴れ合われていたら、私がここまで手がけてきた意味がない。君はバルドに悪影響しか与えないから邪魔だ」

 はっきりと言われて、リリーも笑う。

 笑顔が添えられた小綺麗な言葉を聞くよりも、こちらの方が断然分かりやすくていい。

「やっと本音が聞けて嬉しいわ。結局、自分の思うとおりにならないのが嫌なんじゃない。試してみたかったのね、バルドが言いつけ通りにあたしを離叛させるか」

「おおむね、誰もが思う通りに動いてくれたよね。バルドは本当に素直で良い子だ。愚かな官吏も神器の移送で目論見通り争ってくれた。それでも、神器の運び役はよい忠心を見せてくれた。残念ながら、君を贋の神器の運び役にできなかったのが誤算だったが、そこから少し計画が狂ってしまったかな。他の将軍を使って、運び役は潰すつもりだったが」

 そこまでしてこの男は自分を確実に殺したがっていたのかと、リリーは眉を顰める。

 ただの孤児ひとりにかける労力ではない。

「そんなに、あたしが気に食わないの?」

「言っただろう。君はバルドに悪影響しか与えない。なぜ戻って来た?」

「……誰かに自分の事を勝手に決められたくないだけよ」

 誰にも自分の居場所は決めさせてやらない。バルドにだって選ばせない。

「気まぐれで困るな。急に気が変わって戦場で寝返られたらこちらとしては大損害だ」

 リリーは挑発するような笑みを口元に浮かべて剣を片方だけ抜き、ラインハルトの首元めがけて突き出す。

「……今、あたしの気が変わったらどうするもり?」

 首筋ぎりぎりに刃をそわせても、ラインハルトは笑みを消さない。剣を抜いた瞬間から、怯える素振りも見せていなかった。

「君は私を殺せない。私はとても弱いからね」

 ラインハルトが頭を動かして首筋を自ら刃で引き裂こうとするのに、リリーは反射的に剣を引いた。

 驚きに見開かれたリリーの目を見て、ラインハルトが肩を震わせて笑う。

 完全な敗北だった。

 悔しさにリリーは唇を噛んで無言で剣をしまう。

「君とはまだ長い付き合いになりそうだな。ふたりだけで話しができてよかったよ」

「ふたりきりって言っても、他にお付きがふたりもいるけどね」

 リリーは部屋の奥の書棚に目を向ける。書庫の入り口に控えるエレンの他にもうひとつ、人の気配があった。

 ラインハルトが目を丸くしたのを見て、ささやかながら仕返しはできたとは思ったが、全く気は晴れなかった。

「彼に会ってみるかい?」

 興味がまるでないわけではない。しかし罠に足を突っ込んで身動きできなくなるかもと考えると、踏み込んでいいかどうかの躊躇いがあった。

「別にいいわ。話はこれで終わり?」

 訊ねると、退出の許可が下りてリリーはそのまま背を翻す。入口ではエレンが張っていた結界を解いて扉を開けた。

(気にならないって言ったら嘘になるのよね……)

 リリーは書庫を出る時ちらりと振り返ってみる。しかし見えるのは閉まる扉だけだった。


***


「あっぶないなあ。リリー、呼んでるなら言って下さいよ」

 リリーが立ち去り扉が閉まった後、書棚の陰に身を潜めていたクラウスは乱れた鼓動を抑えてラインハルトの前に現れる。

 ここに呼ばれてなんだろうかと思えば、リリーが現れて本気で焦った。

 そもそも気配を消すとかいう器用な芸当はできない。特に感覚の鋭いリリーを誤魔化すなど無理だ。

 リリーにはラインハルトと繋がっていることは知られたくなかった。今の関係を壊すのはまだ惜しい。

「ささやかな意趣返しだ。私の命を聞かなかっただろう。彼女には神器を運ばせる役割を与えるはずだった」

 ラインハルトがにこやかに言っているが、これは相当怒っている。

「バルドと会わせるとどうなるかと思いまして。でも、今回の件で俺も向こうでの立場が際どいことなったんだから大目に見て下さいよ」

 クラウスは十年も前からラインハルトの元についている。そして六年前にはディックハウトの信奉者の中へと潜り込んだ。

 立場的にハイゼンベルク方の希少な情報が得られると、向こうからは重宝されて、今では幹部の中でも重要人物として扱われている。向こうに持って行くのはラインハルトが選りすぐった代償だ。

 それによって宰相家周りの者がいくらか潰れた。

 今回の自分の役目は、カルラをラインハルトに取り次ぐことが主だった。他は長年目をつけていた幹部の数人を神器の移送の密談に組み込ませ、後はラインハルトの指示に従って、ディックハウト側で流される情報の真偽に口添えをし、事の流れを整えた。

 それからリリーの離叛の後押しだった。

「今の所はまだ疑われていないだろう。嘘が信じられているなら問題ない」

 ラインハルトは警戒心が強く、側近は複数いても与える情報を割り振りしているという。側近自身に裏切るつもりがなくとも、もしその者の身近に怪しい動きをする者があれば、他の側近に調査させている。

 今回の件でラインハルトがあらかじめ目をつけていたのはダミアンで、彼とクラウスが士官学校時代からのよしみがあるのでクラウスには伏せていた。

 そしてクラウスを通じてダミアンが接触してきたので、そのまま利用したということらしい。

「まあ、向こうでも俺はまんまと殿下に出し抜かれて疑惑が向いてるんじゃないかって思われてますけどね」

 皇都内のディックハウト信奉者が一掃され、バルドが神器を持てればラインハルトとしてはここで自分を切っても問題ないだろう。

 宰相家の情報を持っているから、自分は向こうでまだ使われているがぎりぎりだ。

「もう少し、頑張ってくれ。あちらの情報がまったく入らなくなるのも動きづらい」

「で、最後は父上ごと潰すんですか?」

「君は自分がフォーベック家を潰すほどの価値を持っていると思うのか?」

 分かりきったことを訊かれて、クラウスは長椅子に座り込む。

「……ダミアンと一緒の結末ですかね。まあ、いざとなったら俺は向こうにつきます」

 リリーに話したことは全部、本音だった。ここに残っていてもしょうがないし、逃げられるときに逃げるべきだ。

 だけれど、行きたい所も見つからない。

「好きにしていい。しかし、リリー・アクスの出自がなかなか出て来ないのが難儀だな。宰相がバルドの婚約者候補に利用してくると思ったが」

 出自がここまで出てこなければ、リリーをめぼしい貴族の隠し子にでも仕立てることも可能だが、父はリリーに多少の利用価値を考えつつもその手は使おうとはしない。

「うっかり兄妹で娶せたりしたらって心配してるんじゃないんですか?」

「それはないはずだがな。父上に関しては真っ先に徹底して調べた。だが、皇家の血筋が一滴たりとも混じっていないかはまだ洗いきれていない。希に先祖返りということもあるらしいが」

 思案するラインハルトの杞憂はどこにあるのか何となく察しがつく。

「皇家は皇家でも、向こうだったら面倒ですからね。ややこしいのは消すに限るってことですか」

「……君はあまり彼女を消したくないように見えるな。本当に、バルドにけしかけてみたかっただけか?」

 ラインハルトに問われてクラウスは答は拒否した。

 バルドがリリーを殺せるかどうか、見てみたかった。あるいはリリーはバルドを殺せるのか。

 だからリリーが戻ってきた時には落胆した。バルドはやはり自分より先に大事なものを見つけてしまった。

 だが、嬉しくもあった。

 バルドが七年も飽きずに執着し続けているものに、自分も興味がある。それもやすやすと横から取れない。

 まだもう少し、リリーを見ていたい。

「俺も帰っていいですか? 真面目に仕事してないとリリーが怒るんで」

「戻っていい。私も、疲れた」

 そう言うラインハルトの顔は暗がりの中では分かりづらいが、目をこらせば疲れが見えた。一連の騒動でずいぶん無理をしていたはずだ。

「そんな体でよくやりますよね。……自分が死んだら、バルドに全部委ねるんですか?」

 いくらなんでもそれは無理だろうと訊ねると、ラインハルトも同じらしくあざ笑う。

「バルドには無理だ。私は生き延びられる可能性にかけるつもりだ」

 ラインハルトにしては現実性のあまりない言葉だと思ったが、彼はいたって真面目だった。

「じゃあ、失礼します。エレンもいつもご苦労様」

 無愛想にエレンが頭を下げて、笑顔のひとつでも見せれば可愛いのにとクラウスは思う。

「さて、今日はこれからどうするかな」

 ここからリリーと鉢合せせずに兵舎の自分の部屋までこっそり戻るか、それともちょっと顔を見せてみるか。

 クラウスは少し考えてから、何か手土産でも持って帰って叱られてみることにしたのだった。

 


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