　そんな次第（しだい）で、先輩は電動バイク部を立ち上げて、そこに私は入部（にゅうぶ）した。部員は二人だけで、それでも廃部（はいぶ）になることもなく、先輩が高校三年生となった今（いま）でも部は続いている。

　電動バイク二台（にだい）って、それなりに高価（こうか）な値段（ねだん）だと思うのだが、先輩は親（おや）に頼（たの）んで購入（こうにゅう）してしまった。私は一円（いちえん）も出（だ）していない。それどころか部費（ぶひ）さえ払（はら）ったことが無（な）い。「だって貴女、泥棒（どろぼう）して、お金（かね）を作（つく）りかねないもの。そんな人から部費を貰（もら）う気（き）は無（な）いわよ」と言う先輩である。

「そろそろ走行（そうこう）距離（きょり）が二十キロですよ。帰りましょう、先輩」

　高校入学（にゅうがく）時（じ）の回想（かいそう）を終（お）えて、私はインカムで呼（よ）びかけた。『そうね』と先輩が応（おう）じて、風（かぜ）と化（か）していた私たちはバイクの速度を緩（ゆる）めていく。停車（ていしゃ）して、後続（こうぞく）の覆面（ふくめん）パトカーの群（む）れも後（あと）に続（つづ）いた。時速ゼロの日常（にちじょう）世界（せかい）に私たちは足を着（つ）ける。

　ヘルメットを外（はず）して、ふぅ、と私は息（いき）をつく。毎週末（まいしゅうまつ）の部活は、貸（か）し切（き）った高速道路での往復（おうふく）、走行距離が四十キロのバイクによる追（お）いかけっこだ。何（なん）で四十キロかと言うと、一時間の充電（じゅうでん）で電動バイクが走れる距離が、その程度（ていど）らしい。充電と言っても急速（きゅうそく）充電など種類があるが、先輩に任（まか）せているので私は詳（くわ）しくない。

　実際（じっさい）に走（はし）ってみれば分（わ）かるが、時速（じそく）百（ひゃく）キロ以上（いじょう）での片道（かたみち）二十キロ移動（いどう）は、あっという間（ま）だ。しかし、これも体験してみれば分（わ）かるが、背後（はいご）から銃（じゅう）で撃（う）たれながらのバイク移動は体感（たいかん）時間（じかん）が長く引（ひ）き延（の）ばされる。そりゃあ私は銃（じゅう）で百発（ひゃっぱつ）、撃（う）たれようとも止（と）める自信はあるが、万（まん）が一（いち）という可能性はあるのだ。

「どうだった？　今日の走（はし）りの感想（かんそう）は」

　先輩もヘルメットを外（はず）して、私に話（はな）しかけてくる。インカムで耳元（みみもと）に聞（き）こえてくる声も良（よ）いが、こうやって部活中に語（かた）り掛（か）けてくる、先輩の柔（やわ）らかい声音（こわね）は心地（ここち）よかった。

「いいですね。『ああ、生（い）きてる』って実感（じっかん）できました」

　私と先輩は、朗（ほが）らかに笑（わら）い合（あ）った。この感覚は、私たちしか共有（きょうゆう）できないと思う。命（いのち）がけの遊（あそ）びを通（とお）したコミュニケーション。常人（じょうじん）が持（も）たない能力（のうりょく）を持（も）った者（もの）同士（どうし）の交流（こうりゅう）である。死（し）の淵（ふち）を覗（のぞ）き込（こ）んで、時（とき）に片足（かたあし）や首（くび）を奈落（ならく）に突（つ）っ込（こ）んでは、平然（へいぜん）と日常に戻（もど）れる私たち。仮（かり）に時（じ）速（そく）百（ひゃく）キロのバイクから飛（と）び降（お）りても、私たちは無傷（むきず）で居（い）られるのだった。

「それで？　そろそろ観念（かんねん）して、窃盗（せっとう）を辞（や）める気（き）になったかしら？」

「そうですねー、どうしましょうかねー」

　私は空（そら）とぼけて見（み）せる。実（じつ）のところ、もう最近（さいきん）は殆（ほとん）ど、私は盗（ぬす）みを働（はたら）いていない。そもそも私は、お金（かね）目当（めあ）てでは盗んでないのだ。盗（ぬす）みに入（はい）る対象（たいしょう）は悪人や外国の独裁者（どくさいしゃ）で、盗（ぬす）んだ物（もの）は綺麗（きれい）なお金（かね）に換（か）えて、あちこちに寄付（きふ）させてもらっている。私も少しは、お菓子（かし）を買（か）ったりして使ってるけど。

「何度（なんど）も言うけど、私は貴女を自首（じしゅ）させようとは思ってないわ。貴女の犯行（はんこう）は捕（と）らえようが無（な）いしね。ただ、貴女に盗（ぬす）みを辞（や）めてほしいだけなの。それが世（よ）の中（なか）のためでもあるし、貴女のためでもあるのよ」

「そうですね……先輩は、いつも正（ただ）しいです」

　いつも正（ただ）しい、は言（い）い過（す）ぎだと思うけどね。電動バイク部を強引（ごういん）に作ったり、そこに強引（ごういん）に私を入（い）れたり。強引（ごういん）に高速道路を貸（か）し切（き）ったり、お供（とも）の覆面（ふくめん）パトカーを連（つ）れたり、やりたい放題（ほうだい）だ。それでも先輩には正義（せいぎ）があった。映画（えいが）の刑事（けいじ）であるダーティーハリーは法律（ほうりつ）を無視（むし）するけど、それは、そうでもしないと止（と）められない犯人（はんにん）が居（い）るからなのだ。

「ところでね、可愛（かわい）い後輩（こうはい）にプレゼントがあるのよ。スーツのポケットを開（あ）けてみて」

　私たちが着（き）ているレーシングスーツは、競技用（きょうぎよう）ではないので幾（いく）つかポケットがある。それでも自分の携帯（けいたい）くらいしか入（い）れてないはずで、不審（ふしん）に思って私は、自分のスーツのポケットを探（さぐ）ってみる。すると、可愛（かわい）らしいパンツとブラジャーが出（で）てきた。色（いろ）は赤（あか）だ。

「何（なに）、考（かんが）えてるんですか先輩！　変（へん）な物（もの）を押（お）し付（つ）けないでください！　と言うか、これ、まさか先輩が直前（ちょくぜん）まで身（み）に着（つ）けてたとかじゃないでしょうね」

「安心（あんしん）して。元（もと）から下着（したぎ）なんか、着（つ）けてないわ！　レーシングスーツは全裸（ぜんら）で着（き）るものと、相（そう）場（ば）は決（き）まっているのよ」

「安心できませんし、そんな相場は知（し）りません！　下着は可愛（かわい）いから貰（もら）いますけど！」

　変態（へんたい）の先輩を叱（しか）ってから、私は赤のパンツとブラジャーを消（け）した。私は物（もの）を異次元（いじげん）空間（くうかん）に仕舞（しま）うことができるのだ。レーシングスーツを作る時（とき）にスリーサイズは採寸（さいすん）されているから、きっと赤の下着は私にピッタリのサイズなのだろう。帰ってから家（いえ）で着（き）てみようと思う。

　そして先輩は、物（もの）でも何（なん）でも、他人（たにん）に押（お）し付（つ）けることができる。銃（じゅう）を撃（う）てば、弾丸（だんがん）は絶対（ぜったい）に標的（ひょうてき）を外（はず）さない。自分が受（う）けたダメージを他人や無機物（むきぶつ）に押し付けることすら可能（かのう）だ。能力の名前は、『全て（オール）貴方（フォー）に（ユー）』。命名（めいめい）は私。先輩は慎重（しんちょう）なので、能力の射程（しゃてい）距離（きょり）までは私に悟（さと）らせてくれなかった。