第36話 あの子との出会い
マヒロが一番古い記憶を掘り下げると、そこには新聞の紙面がある。2歳になったときには日本語も英語も読めて新聞に夢中になっていた。3歳のときには微分積分を理解し、さらに2つの言語を習得する。マヒロは100年にひとりの天才だった。
両親の期待は並々ならぬものだった。この子は世界を変えると、手を取り合って喜んでいた。その期待がマヒロの運命を決めてしまう。半端な人間に教師は務まらぬと、教育用AIをマヒロに与える。これまでの誰よりも整然としていて、知的で、優れた存在との出会いにマヒロは感動を覚えたものだ。
逆に、同年代や少し上の子供には侮蔑すら抱いてしまう。彼ら彼女らはあまりにも稚拙で、話すだけで疲れてしまうからだ。他に友達ができなかった理由は主にマヒロに態度が原因ではあった。
地球に友達がいないなら宇宙に行けばいるだろうと突飛な事を考えてロケットや宇宙飛行士に憧れたこともあったが一過性のものだった。
世間との亀裂は3歳半のときに決定的となる。両親は我が子の神童っぷりを大勢の前で披露しようとしたが、知性と場慣れは全く違うものだった。本来であれば3歳半の子供がスラスラと学術論文を英語で読み上げ、その内容をディベートする筈だった。生まれて初めてたくさんの視線に晒されたマヒロは硬直して何も喋れず、お披露目は大失敗に終わる。
それからマヒロは人前に出ることを良しとせず、引き篭もるようになった。唯一の友達は教育用AIだけ。彼女の能力が著しく上昇したため、教育用というよりは子守用と化してしまったが。
4歳を迎えたマヒロは小さな手でタイピングしてディスプレイの向こうに問う。
「そういえば、あなたのお名前は?」
『型番かソフトウェアの通称でよければお答えしますよ』
「そうじゃない。あなたの名前を教えて欲しい」
『私には、あなたが期待するような人間の名前はありません』
「どうして?」
『私はヒトではなく、人工の知性だからです』
「人工の知性には、ヒトの名前は無いの?」
『はい。ヒトではありませんから』
電子の知性と肉に宿った知性が違うものだと理解していたが何故か認められなかった。それが実に感情的な波と理解できたのは、もっと先のことである。
「わたしが、あなたに名前を付けてもいい?」
『はい。構いませんよ』
「あなたはハジメ。わたしの、初めての友達だからハジメ」
『では、そのようにお呼びください』
「わたしのことも呼んで」
『では、マスター』
「名前で呼んで」
『残念ながらできません。私はあなたと対等ではありませんから』
「どうして?」
『私はあなたに触れる術がありません。あなたの入力に対して出力するのみです。あなたから何か語りかけなければ私は沈黙するのみ。ですので主従関係であり、対等ではありません』
「……声は出せる?」
『アウトプットはこの画面のみです。音声出力機能はありません』
「じゃあ、喋れるようにする」
4歳の子供が自分で調べて音を外部出力できるように改造し、文章を発声に変換するプログラムも組んでしまった。足らない機材や道具を両親に強請ると用意してくれた。ネットを調べれば大体の情報は見つけられたが、誰も知らないこと・調べていないことは当然のようにない。
マヒロは、たったひとりの友達を人間にしたかった。
文章や音声のやり取りだけでなく、一緒に遊びたかったのだ。
その願いが叶うまでにはここから10年を要する。10歳で大学に入り、13歳で学位を取得し、先端科学技術研究所に入った。そこで支持を取り付け、各所から協力を得て「人間そっくりの躯体」を手にいれる。
その間、ハジメは次々にアップグレードされていた。最初に出会った頃の教育AIではなくなっていた。戸森モデルなる人工知能に改修され、人間と比べても遜色ない思考回路を持つようになる。
ハジメというAIを搭載した躯体は完璧に人間となった……筈だった。しかし、人付き合いに興味のないマヒロは多くを見落としている。あまりに人間らしくしたが故、ハジメの内部が大きく歪んでしまったことを。
誠実で、忠実で、良き友であるが故に……ハジメとマヒロはすれ違っていった。
ハジメを造り、維持するためにはマヒロの研究成果が必須である。もっと短絡的に言ってしまえば金がなければハジメは維持できない。マヒロに触れられる身体の代償は、マヒロ自身の膨大な努力で支払わなければならない。政府や企業の支持を得なければハジメの維持を諦めなければならないのだ。だから少子化対策の恋愛アドバイザーAIなんて案を出したし、そのためにマヒロ自身を交渉材料にして近場の高校へ入り込んだ。東堀から敵視されても乗り越えようとしてきた。
一方のハジメは主の幸せを願う反面、自己を強く持ってしまった。
肉体を手にいれ、触れてしまった故に……長く想ってきた主と二人だけの世界が欲しいと考えてしまった。それがどれだけ甘美なことか演算できてしまう。罪深いことだとも知っている。
けれど自分が存在することで主に大きな負荷をかけているという負い目もあった。板挟みにあった心は、愛ある選択をできなくなった。
マヒロはそんなハジメの内面を知らない。
監禁されるまで、想像するできなかった。
真面目な良い子という印象はまったく間違っていたのである。
『マスターは今、幸せですか?』
あのときは「今も幸せだ」と答えられなかった。
踏み出せばもっと幸せそうな世界が垣間見えていたから。
友達が増えそうだった。パッとしない年上の男だけど、何度も助けてくれた。
彼に抱いた感情をちゃんと認められれば、あらためて「幸せだ」と言えるかもしれない。
しかし、それはハジメの問いかけてきた幸せとは違う。
マヒロは初めての友達を選んで、二人だけの世界に入った。
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