第37話 わたしのともだち
「わたしは、ハジメと一緒に在ることにしたんだ。研究はずっと続ける。けれど外の世界はもういいんだ。わたしに成り変わったハジメが、わたしと外を隔てて囲う壁になるんだ。壁の内側はわたしとあの子だけの世界だ」
マヒロの告げる想いを、ただただ黙って聞く。
この小さな女の子は一途に我が子のために尽くしてきたのだ。相手は機械だけれど初めての友達で、育ててきた娘でもある。大切な人を、大切に扱ってきた。そういう強さや温かさが言葉から伝わってくる。
狭くて粗末な休憩室の空気がガラリと変わっていた。
息苦しさはない。むしろ清々しさすら感じる。
俯くマヒロの手を取った。ひんやりとした指先は静かに震えている。
「分かった」
「……サトル?」
優しく声をかけると、マヒロは戸惑って顔を上げる。
透き通った瞳で見つめられているけど照れたりはしない。マヒロの真剣さをちゃんと受け止めた。
「俺さ、渡守先生のこと尊敬しているんだ。小さいのにすごいなって」
「ち、小さいは余計だ……」
「先生の頑張る姿が好きなんだ。うん、そういうこと」
全部、納得がいった。
自分が戸森マヒロに対して抱いている想いが今ならちゃんと理解できる。
「だから、例え大切な人のためでも言いなりになって閉じ籠っていたらいけない」
「でも、そうしないとハジメが……」
「想像だけど、戸森先生はちゃんと解決策が思い浮かんでいるんでしょ? ハジメが暴走しているなら、どうすればいいのかを。でも敢えて止めていない。扉にかかっていた鍵だって内側から壊す方法を思い付いていたんじゃない? そんな気がする」
「……」
「ハジメの気持ちが一番大切なんだね」
無言で頷くマヒロは、ギュッと手を握り返してきた。
「だったら、ちゃんと暴走を止めてあげないと。こんなことをハジメにさせちゃダメなんだ」
「けど」
「それができるのは戸森先生だけなんだよ」
「分かってるさ、あぁ、分かっているとも」
「この鍵があればハジメを止められるんでしょ?」
先ほど引き戸を開けるのに使った栓抜きをマヒロに返す。
もともとは彼女の持ち物である。
「これなら止められる。けど前みたいにはいかない。あの子の気持ちを知ってしまったから……」
「俺も、ちょっとだけどハジメの気持ちがわかる」
「なんでサトルがAIの気持ちなんてわかるんだ?」
「あいつ、怖いんだよ。戸森先生が大好きだから、戸森先生に捨てられるのが怖くて堪らないんだ。使命を果たせず『失敗作』になるのが嫌だって言ってた。なのに、こんなことをしている。戸森先生を閉じ込めて自分だけのものにしてしまおうなんて考えてる」
「わたしはそんなことしない。絶対にハジメを見捨てたりなんかするもんか」
「うん。そうだと思う。けどさ、不安ってのはどんどん大きくなるんだ。だって『絶対』なんて無いんだから。ハジメが人間そっくりの思考を持っているんだから、そう思っても不思議じゃない」
「……サトル?」
「母さんが…… 俺が小さい頃に離婚して、母子家庭だったんだ。ちょっと勉強できちゃったせいですげぇ期待されてさ、俺も応えようと必死だったんだよ。母さんに好きになってもらおうとか、母さんのために頑張ろうとか、俺が母さんを守るんだとか」
「……」
「でもさ、プレッシャーに負けて中学受験に失敗しちまったんだ。眠れないし、食べられないし、ストレスで血を吐いて倒れた。試験当日は病院のベッドの上だった。そしたら母さん、俺に興味がなくなって再婚相手を見つけて来て…… 俺のこと『失敗作』だって…… それで家を出て、それで……」
「もういい」
「それで、俺…… じいちゃんに引き取られて……」
「もういいんだ。お前は悪くない。悪くないんだ」
宥めるようにマヒロが頭を抱き締めてくれた。
細い手が髪の毛を撫でてくる。本当は励まそうとしたのに、逆になってカッコ悪い。
「大切な人に見放される怖さが、俺にはわかるんだよ。こんな怖い思いをするくらいなら、もう何も頑張らなくてもいいって、そう考えちまった。ヒトを好きにならないほうがずっと楽なんだって……」
「頑張ったお前が悪いわけないんだ。わたしは…… 頑張る人間が好きだ。わたしのために頑張ってくれたサトルのことが、好きだ」
「俺にまだ手伝えること、ある?」
「あるさ。作戦を思いついたんだ。そのためには一度、給湯室に寄る必要がある」
「俺も、ハジメをこのままにしておきたくない。その作戦を教えて欲しい」
「うん。頼むよ、サトル。わたしと、わたしの大切な友達を助けてくれ」
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