第35話 潜入

 サトルは一度家に帰り、普段着でセンカギケンまで戻ってきた。

 夕方のときと同じく木箱の影に隠れて待つこと1時間、東堀がクルマに乗って現れる。バックで搬入口まで入ってきて駐車すると、リアハッチを開けた。シャッターは自動で開いたもののハジメもマヒロも出てこない。

 東堀はハンドリフトを持ってきて、ぶつぶつ文句を言いながら荷物を下ろしている。そのままシャッターの奥へ消えたのを見計らい、研究所内部へ侵入した。そこですぐに違和感を覚える。


(あれだけダンボール箱が積んで散らかっていたのに、無くなってる?)


 以前と違い、通路はちゃんと人が通れるようになっている。壁際に積まれていたダンボールの山はどこかへ消えていた。埃っぽさも無く、気になる臭いもしなかった。ただし、電灯が半分消えていて薄暗い。

 片付いたことは本来であれば喜ぶべきことなのだが、胸騒ぎがした。


(戸森先生はこんな風に整理しないもんな……)


 正面から入ったことは何度もあるが、搬入口から入るのは初めてである。しかし、大体の構造は把握しているから迷うこともない。

 給湯室で息を潜め、荷物を置いてクルマへ戻っていく東堀を見送った。


(ここも前と雰囲気が違う)


 ちゃんと食器が洗ってあるし、ゴミも分別されている。サトルが置いていった包丁やまな板は残っていた。冷蔵庫の中を確認すると瓶のコーラ以外に食材が置いてある。

 総じて研究所内が清潔になっていた。


(訳が分からない……)


 そろそろメンテナンスルームが近い。マヒロがいるとしたら、そこだろう。

 足音を殺し、周囲に気配を配りながら進む。だがメンテナンスルームは灯りが点いておらず、低く唸る装置の音しか聞こえてこない。壁に背をつけて中を覗き込んでみるがマヒロはいなかった。

 メンテナンスベッドには充電中のハジメが寝ている。

 起こして事情を聞こうかとも思ったが、今のサトルは完全な不法侵入者だ。

 気が引けたので静かに身を引く。


(戸森先生がいない?)


 マヒロを探して玄関側へ足を運んでみる。

 その途中で、廊下の隅に見慣れたものが落ちていた。

 しゃがんで拾ってみる。銀色に輝く輪っかに持ち手が付いた形状は見間違えようがない。

 マヒロがいつも首から下げていた、栓抜き型の停止キーである。


(なんでこんなところに落ちてる? 肌身離さず持っていた筈なのに……)


 廊下は綺麗に掃除されている。

 けれど停止キーは放置されていた。

 ハジメは停止キーに触れることができない。

 夕方の搬入口でマヒロに扮したハジメが動いている姿は目撃している。

 そして、一行に姿が見えないマヒロ……


(まさか)


 背筋が寒くなって震えた。もうメンテナンスルームの前は通りたくない。

 回り道をして搬入口を目指した。物音は立てまいと、焦れるほどゆっくり歩を進める。

 充電中のハジメを起こしてはいけないと、本能的に悟った。さっきも様子がおかしかったし、この所内の整然とした様子からもマヒロの命令を守っていないことが読み取れる。


(まさかハジメのやつ、戸森先生を消して自分が成り替わる気なのか!?)


 出張と偽って姿を消したマヒロ。同時に学校へ来なくなったハジメ。言いなりになって匿う東堀……

 もっともらしい結論が揃ったとき、大量の汗が流れ出た。いなくなったマヒロを探すべきだろうか?

 研究所のどこかにいるだろうが、どんな状態かは想像したくない。

 そうしているうちに搬入口のシャッターが見えた。停止キーをポケットに仕舞って足を止める。強烈に後ろ髪を引かれ、そこ知れぬ恐怖とは反対方向に力が作用した。


(このまま、逃げ出せる訳ないだろ! 戸森先生の無事を確認しないと!)


 確認する方法をひとつ思いついた。

 急いで給湯室へ戻って、ゴミ箱の中を探る。

 そこには切ってから間もないニンジンの皮や、スープの素があった。

(調理している。でも、そのまま捨ててない。誰かが食べているんだ)

 マヒロが殺されたのではないかと最悪の想像をしてしまった。

 けれど、この様子では生きて食事をしている。どこかで閉じ込められている可能性が高い。

 サトルは再び、所内を探した。

 これまで行ったことのない場所といえば……


(そうだ、戸森先生が寝泊まりしている部屋!)


 最奥の部屋。マヒロが寝泊まりしている休憩室だ。存在は知っていたが入ったことはない。

 だいたいの位置は把握しているので足音にだけ気をつけて急行する。暗闇に沈んだ通路の行き止まりで、扉の隙間からは漏れる光を見つけた。

 駆け寄ると外には南京錠が後付けされている。


「戸森先生!」

「サトル!?」


 ドアをノックすると、中からマヒロの声がする。

 安堵で腰が抜けそうになったが、これで閉じ込められていたことが確定した。

 まだ安心はできない。


「どうしてここに!? いや、どうやって!?」

「話は後にして。一体、何があったんですか?」

「ハジメが暴走している。わたしの命令を聞かないんだ」

「やっぱり……」

「早く逃げろ、サトル! 今のハジメは危険なんだ。人間に危害を加えることができてしまう。原因不明だがソフトウェアリミッターが解除されている」

「でも、このまま戸森先生を置いてはいけないって! 鍵を壊せる道具はないの?」

「木の引き戸に金具をネジ止めしただけの粗末なロックだからな。南京錠の本体は壊せないが、ドライバーがあれば根本の金具は簡単に外せる」

「じゃあ、これで!」


 栓抜きを取り出したサトルはドアと金具の隙間に持ち手をねじ込み、テコの原理で力をかける。休憩所の木製のドアからメリメリと音を立ててネジが抜け、金具が落ちて南京錠が外れた。

 扉を開けると寝室からは篭った臭いが立ちこめる。体育館倉庫のように汗臭い。狭い部屋に布団が敷いてあって、パソコンが置いてある。壁際にはコーラの空瓶が並んでいた。よほど気に入っているのか、メンテナンスルームの机に置いてあったロケットの模型と宇宙飛行士の写真が持ち込まれていた。パッと見た印象は引き篭もりの部屋である。実際、その通りだろう。

 マヒロはいつも通りの白衣姿だったので、そこだけ妙に安心できた。


「臭っ!? この部屋、空気がこもってる!?」

「失礼だなお前!? というか、その栓抜きはわたしの作った物理キーだろ!? 拾ってくれたのはありがたいが、乱暴な扱うな!」

「でもコーラの王冠を開けてたでしょ」

「ちゃんと強度計算して設計してあるんだぞ!? そういう使い方は想定していない」

「あんまり大声出すと気付かれるよ」

「あっ」


 慌てて手で口を押さえてくれたものの、既に遅い気がする。

 耳を澄ませてみるも通路から足音は聞こえない。どうやら気付かれてはいないようだ。


「とにかく、ここから出よう」

「……待ってくれ、サトル」

「歩きながら聞くから早く」

「わたしは、これでいいんだ」

「え? 何を言って……」

「ハジメをあんな風にしてしまった責任はわたしにあるんだ。だから、このままでいい」

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