第34話 赤い指
勇気を振り絞ってマヒロに電話をかけてみたが応答は無かった。
そのせいで余計に心配になる。急いでセンカギケンの建物までやって来たものの、呼び鈴を押しても誰も出てこない。無駄だろうと予想しつつ、自動ドアをこじ開けようとしたがビクともしなかった。
(不法侵入はまずいけど……)
言い訳しつつ円柱コンクリートの建物をぐるっと回ってみたが、どの窓にもブラインドが降ろされていた。壁が分厚いせいで中から音が聞こえてくることもない。
これまで気付かなかったが、正面玄関のちょうど反対側は地下へのスロープが設けられていた。その先には大きなシャッターが降りている。停止線が引かれているので、おそらくは荷物搬入用の扉だろう。
(思い過ごしだったか……?)
マヒロが来なくなったせいで落ち込み、何故か急に自己完結し、そのテンションでセンカギケンの所長を見つけてしまった。一連の流れから浮かれていた可能性もある。
勢いに任せて行動したことが恥ずかしく思えてきた。なんて単純でバカなんだろうと自分を笑いたくなる。
自省して帰ろうかと考えたが妙な痕跡を見つけた。
スロープの下まで降りてみると黄土色のタイヤ痕が残っている。指で触ってみるとまだ湿っぽかった。壁際には冷蔵庫サイズの木箱がいくつも積まれていたり、ドラム缶が置いてあったり、室内に入れられないものを一時的に保管する場所にもなっているようだ。
今度はスロープを上がって、裏の搬入口へ続く道路を確認する。
大通りとセンカギケンを繋ぐ道は舗装されておらず、土が剥き出しになっている。そこにも比較的新しい轍があった。
(ちょっと前に裏からクルマが入ってきた?)
すぐに思い浮かんだのは、東堀のクルマである。
しかしタイヤの跡だけで判別はできない。
(さっき、大量にコーラ買ってたから戸森先生が中にいるなら近いうちに届けに来るんじゃないかな……)
土地勘のあるサトルは住宅街をショートカットしてここに来た。クルマで移動するよりも早い。タイミング的には鉢合わせになる筈だ。
と、大通りの曲がり角に見覚えのあるクルマが現れた。運転席には東堀が乗っている。こちらにはまだ気付いていない様子だ。
(さっき会ったばかりでこんなところにいたら怪しまれるな……)
開けた敷地では身を隠すことはできない。慌ててスロープを降りて、木箱の後ろに身を潜める。するとエンジン音が近付いてきて、東堀のクルマがバックで地下に入って来た。
東堀は後部座席からコーラの入った袋を取り出し、裏口の呼び鈴を鳴らした。その様子を木箱の影から静かに見守る。
(やっぱり来た……)
しばらくすると重苦しい金属音と共にシャッターが開いて、中から白衣の少女が現れる。
久しぶりに見る戸森マヒロ……ではない。
背が高い。スラっと脚が長い。白衣の下は灰色のトレーナーで、豊かな双丘に目を奪われそうになる。
(ハジメ!?)
ここ一週間でマヒロの身長が15センチ伸びた……なんて言われたら信じたかもしれない。
ハジメは髪の毛をバッサリと切って、わざとボサボサ頭にしていた。
初めて会った頃のマヒロを真似ている。説明できない不気味さに背筋が寒くなった。
「お疲れ様です、東堀所長」
「……なんだね、その格好は?」
「マスターの真似ですよ」
笑顔で迎え入れるハジメに向かって、東堀は露骨に舌打ちする。まともに目も合わせないでビニル袋を押し付けた。受け取ったハジメは気を悪くした様子もなく「ありがとうございました」と頭を下げている。
ハジメが故障してマヒロが必死に修理しているという予想は外れてしまった。
しかし、機械であるハジメがコーラを飲む必要はない。なのに買ってきたということはマヒロは研究所内にいることになる。
「ちょうど在庫を切らしてしまって困っていたところです。マスターは瓶のコーラじゃないと嫌だと言うものでして」
「ふん。いつまでこんなママゴトが続けられると思っているんだ? さっき、戸森の知り合いだとかいう生徒に会ったぞ」
「大丈夫ですよ。東堀所長が協力して下さる限り、何も問題はありません。マスターは今まで通り……いえ、これからはそれ以上の成果を上げます。しかも、あなたの邪魔はしません。都合のいい話でしょう?」
「ぐっ…… だからと言って、いちいち使いっ走りで呼び出されたのでは敵わんぞ!」
「すいませんね、緊急事態だったもので」
「たかだかコーラを買ってくることがか!?」
怒鳴り散らす東堀だったが、ハジメの目が笑っていないことに気付くと口を紡いで息を呑んだ。
「所長の地位はもう必要ないようですね」
「ち、違う! 悪かった! 今夜また設備搬入で来る予定だ。コーラくらい、その時に持ってくればいいだろう!」
(どうなってるんだ? これじゃまるで、ハジメが所長を脅しているみたいな……)
「マスターが飲みたいとおっしゃったのですから、すぐに必要なんですよ。ご理解ください」
「……」
「それと、私は充電している時間ですから搬入はひとりでやってくださいね」
喉から罵声が出かかっている。それをグッと呑み込んで東堀は踵を返してクルマに乗り込んだ。軽く手を振って見送るハジメに排気ガスがかかる。その指先に目が留まった。
(人差し指が赤い?)
肌白いハジメだが、指だけが真っ赤だった。
一瞬、血でも出ているのかと思ったが手の動きが止まると理由が分かる。
皮膚が無く、内部のフレームが剥き出しになっていた。
ハジメが機械だと実感した場面は一度だけだ。停止キーを差し込む際に、うなじのカバーが開いたときだ。中身の一部を見せたまま動いていたことは今までない。
(戸森先生がいるのに直していないなんて……)
余計に状況が分からなくなってきた。
少なくともマヒロもハジメもまだ研究所の中に居る。
しかし、呼び鈴を押しても出てこなかった。しかし、東堀がコーラを持ってきたときには裏にある搬入口から出てきている。
(やっぱりハジメの様子がおかしい。戸森先生に何かあったのかも)
ここで何が行われているのか見当もつかないし、サトルは部外者に過ぎなかった。
けれど不穏な空気を感じ取ったのも事実である。
(そういえば、今夜また設備搬入するって言ってたな……)
コーラの入った袋を手に、ハジメは研究所の中へ戻っていく。シャッターが全部降りた後で、サトルはその場から離れた。
夜になったらもう一度、来てみよう。
そのときマヒロも姿を現すかもしれない。
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