第33話 コーラと所長
サトルは学校まで走りに走った。ハジメ相手でも振り切れそうなスピードで、とにかく走った。風圧で道行く生徒たちを吹き飛ばしそうになるほどに。
曇天で気温が低いのに、脳は発熱で溶けそうだった。水道でありったけの水を飲んでも熱っぽさは取れない。運動だけが原因じゃないのは明らかである。
自分のしでかした事のとんでもなさを噛み締める余裕すらなかった。
後先考えずにとはまさにこのこと。モヤモヤから脱出したくて本当のことを告げてしまったのだから。
一体どんな顔をしてマヒロに会えばいいのだろう?
もう普通に話すことも難しい。気持ちがはやり過ぎてしまった。
深過ぎる後悔は重力となってサトルの頭を机に押し付ける。教室の席で顔面を突っ伏したまま、混沌とした心に整理を付けようと必死になった。
しかし、だ。
これまでの何もしようとしなかった自分と比べると大きく前進したと思う。
何かを頑張るつもりもない。マヒロの計画に協力したのもただの成り行きで、就職先を紹介してもらえるなら我慢するか……程度の考えでいた。
それなのに、傍で見ているうちに心惹かれてしまったのである。
(ダメだ。死にたい。朝っぱらからなんてこと言ってしまったんだ)
刻一刻とホームルームの時間が近付いている。いずれハジメが登校してくるだろうから、マヒロの様子を教えてもらうしかない。
それで解決になるとは思えなかったが、気休めにはなる。
だがいつまで経ってもハジメは現れず、とうとう岩崎先生が教室に入ってきた。ざわつきはすぐに収まり、ホームルームが開始される。
「えっと、今日は戸森ハジメさんが体調を崩してお休みね。季節の変わり目だからかしら? それと戸森博士から連絡があって、しばらくの間は特別授業は中止になるわ」
「「「えぇぇ~!?」」」
声がハモったのも無理はない。
マヒロの授業はどちらかといえばレクリエーション寄りで、技術的なことに興味がある生徒を除けば息抜きみたいな扱いとなっている。
「はい、静かに。戸森先生は急な出張になったそうよ。しばらくは戻ってこれないわ」
(えっ……? だってほんの一時間前にはいつもの研究所にいたぞ? それに人型AIのハジメが体調を崩すなんてあり得ないだろ……)
まさか、避けられてる?
サトルが余計なことを口走ったせいでマヒロの気分を害してしまったのかもしれない。
だから『急な出張』なんて嘘を吐いて、ハジメも学校に来させなかったとか?
(そ、そんなことないよな? いくらなんでも考え過ぎだよ。戸森先生、そんなガラじゃないし……)
「大塚くん、どうしたの? 顔が真っ青で震えているみたいだけど」
「い、いえ。なんでもないです……」
「体調が悪いなら保健室へ行くように。無理はしないでね」
「はい……」
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
頻繁に降る雨のせいもあって気持ちは重くなっていく。
ハジメはもう一週間も学校を休んでいるし、マヒロに至っては音信不通だった。正確には向こうから音沙汰がないというだけで、自分から連絡を取る勇気はまったく湧いてこない。もともと勉強に実は入っていなかったが、ぼーっとしている割合が増えたいせいで岩崎先生にも怒られた。
せっかくできた彼女とも当然のように上手くいかずに関係は自然消滅。この件に関してはサトルにとってほぼノーダメージだったが。
何もかもが元通りになった気がする。マヒロが来る前の日々と同じだ。
(虚しい……)
帰宅部だから速やかに下校する。家事をやらなければいけない。
その日は久しぶりの晴れで傘が必要なかった。記憶の糸を辿れば、冷蔵庫の備蓄も十分だと判断できる。だからというわけではないが、スーパーマーケットに寄る代わりに校内をブラブラすることにした。
適当に歩いて離れの講堂の前を通り、体育館に着く。中を覗くとバスケ部とバレー部が練習に精を出していた。雨続きだったせいか、かなり蒸している。足を止めているとステージの上に目がいった。
(初めて戸森先生を見たときは訳が分からなかったなぁ)
最初に登場した時、マヒロはガチガチに緊張して喋れなかった。代わりに校長が話したのだから、思い出すとおかしくなってしまう。
そこから視線をスライドさせて体育館倉庫を見る。講演の対応で追い詰められたマヒロが倒れてしまった場所だ。大勢の前で喋れないという弱点を克服すべく、彼女なりに必死になっていたのである。
(あのときは焦ったなぁ……)
結局、家まで送って料理を作って食べさせた。
なんでそこまで面倒を見たのか、最初は自分でも理解できなかった。
でもハジメに語った通りだ。頑張っている人を応援したかった……
(戸森先生、今はどうしているんだろ? ちゃんと研究続けてるよな?)
次に足を運んだのは校舎裏だ。斜面と建物に挟まれた細長いスペースが奥まで続く。雨のせいで泥濘んでいるし、奥に用事はないから眺めるだけにした。
ここでハジメに呼び出しを喰らって恐怖の追いかけっことなった。残念ながら微笑ましい思い出としては浮かんでこない。
校舎の階段を目で追うと、その先の理科室の光景が蘇る。
あのとき、マヒロが現れて栓抜きみたいな物理キーでハジメを止めてくれたのだった。
(学校で印象に残っているのがここ数週間の出来事ばかりだな…… そりゃそうか。別に入学したかったわけじゃないし)
友達はいらないし、勉強もしたくない。
ただ静かに、誰にも注目されずに過ごしたかった。
そうやってきたのにハジメに目を付けられたばかりに、余計なことに首を突っ込んでしまったのである。
(誰にも気に留められなければ、なんとも思われないで済む筈だったのに)
気が晴れたわけじゃないが区切りが付いた。記憶の中にあるマヒロの姿で元気になっただなんて、誰にも言えない。変態だと思われてしまう。
嫌われてしまったという怯えはすっかりと失せていた。
サトルの中にあるマヒロ像によれば、あんなこと言われても翌日には立ち直るだろうから。
「考えすぎてたんだ、きっと」
そう納得した。
悪い方へ、悪い方へと思い込んでしまう自分が少しだけ変われた気がする。
(もしかしたら、本当に急な用事で忙しいだけかもしれない。その辺のことはハジメに聞けば分かるかな? いや、ハジメも一緒に出掛けたのかな?)
今夜あたり連絡してみようと思いながら学校の敷地から出る。
いつもの下校コースを辿り、馴染みのスーパーマーケットへ向かった。
その入り口でのこと。
(ん? あの人は……)
見覚えのある壮年の男がスーパーから出てくる。禿げ上がった頭にスーツ姿で、顔立ちはどこか意地が悪そうな印象だ。眉間にはめいいっぱいシワを寄せて、両手のビニル袋からガチャガチャと音を鳴らしている。
すれ違いざまに袋の中を確認すると、瓶のコーラがたくさん入っていた。
(あいつは…… この前、ラボを睨んでいたオッサンだ)
ハジメに特徴を伝えたら、センカギケンの所長だという。
マヒロに難題を押し付ける嫌な奴というイメージがあったので、いい気分はしなかった。
しかし、瓶のコーラをまとめ買いしている姿を見て妙な印象を受ける。
(あんなにコーラ飲むタイプに見えないし、なんだか機嫌悪そうだし……)
瓶のコーラと言えば、マヒロの大好物だ。わざわざ首から栓抜き(の形をした物理キー)を下げるほどに。
それを仇敵である所長が買い込んでいる。しかもマヒロの研究所から近いスーパーで。
まさか差し入れするつもりなのだろうか?
(いや、おいかしい。戸森先生が本当に出張しているなら不在のはずだ。出張が嘘で引き篭もっているならコーラを欲しがるかもしれないけど、それならハジメに買い物させるだろうし)
所長の後をそっと尾行した。
駐車場に停めてあったクルマも、以前見たものと同じ車種と色である。ただし、ここ数日の雨のせいか泥でひどく汚れていた。
所長は面倒くさそうに後部座席にコーラ入りのビニル袋を投げ入れ、運転席に座ろうとしている。呼び止めるためにすかさず声をかけた。
「あの、もしかしてセンカギケンの所長さんですか?」
「ん? なんだね、キミは?」
「えっと、俺は……」
咄嗟に声をかけたはいいが、何を話すべきか。どうやらこちらのことは覚えていないらしい。
(そういえば、じいちゃんが『講演のときにセンカギケンの所長に声をかけた』って言ってたな……)
「大塚サトルって言います。この前、駅前のホテルで講演やってましたよね? そのとき、祖父がセンカギケンの所長さんに挨拶したって言ってたから……」
「私に挨拶? 大塚…… もしかしてフューチャーロボティクス社の大塚技術顧問の?」
「あ、はい。そうです。孫です」
(そういえば、いつも洗濯している作業着にもそんな社名が書いてあったな)
それまで険しい顔をしていた所長が急に頬を緩めた。あまりの態度の豹変っぷりに呆気に取られる。
「そうかそうか。いや、大塚技術顧問にはいつもお世話になっているからね」
「こちらこそ、祖父がお世話になっています」
どうにか会話が繋がって、所長の名前が東堀だということまで聞き出した。
深く突っ込んだことは聞かれず当たり障りのない世間話となる。やや面倒そうな様子は読み取れたが、それでもサトルと話してくれるのは祖父のおかげだろう。恭しく『大塚技術顧問』と呼んだのだから、世話になっているというのは本当らしい。
(本題に入らないと……)
「さっき、スーパーの入り口ですれ違ったんですけど瓶のコーラたくさん買ってましたよね?」
「あぁ…… そうだったかな」
急に東堀所長の顔が曇る。触れて欲しくないという雰囲気がヒシヒシと伝わってきた。
反応を見るためにサトルは踏み込んだ質問をする。
「戸森先生への差し入れですか?」
「……キミはうちの研究所の戸森マヒロを知っているのかね?」
「俺の通っている宮前高校の特別講師ですから。戸森先生は瓶のコーラが大好物ですよね。所長さんが差し入れに持って行くのかなと」
「そうだよ。差し入れに買ったものだ」
「でも戸森先生って出張中じゃありませんか? もう一週間も学校に来てないし、研究所も留守ですよね?」
「っ!?」
東堀の反応から綻びが見えた。
視線が泳ぐのを見逃さない。
どういう裏があるのか知らないが、東堀はマヒロに渡すためにコーラを買ったのである。
(出張で不在というのは嘘かもしれない……)
「そ、そろそろ帰ってくる頃合いだからね。そしたら渡すつもりなんだ。っと、すまないが急いでいるんだ。これで失礼するよ」
会話は続けたくないと言わんばかりに、東堀は急いでクルマで去っていった。
見送ったサトルは思考を巡らせる。
ハジメは学校に来ていない。東堀に買い物を頼まなければならない。
出張だと嘘をついてまで学校に顔を出さないマヒロ……
この状況から推測できる答えはひとつだった。
「まさか、ハジメが壊れた?」
サトルが去った後で急な故障に見舞われたとしたなら?
それなら合点がいく。
マヒロが修理に全力を注いでいるとしたら……
(前みたいにぶっ倒れるかもしれない。それはダメだ)
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